0-3 家政婦は語る
その女は、3年前に老松雅人の別荘で家政婦として働いていたという。中原美由紀、現在27歳。
またミユキだ。
こちらのミユキは、家政婦の仕事をわずか半年ほどで辞めて以来、N市O商店街にあるメイド喫茶で働いている。老松とも面識があろうし、別荘での暮らしぶりにも詳しいはずだ。これほどの情報源は他にあるまい。
私は直接会って話を聞くべく、ミユキの職場へと向かった。
非対面で完結する事前調査とは異なり、人と相対する聞き取り調査には敏感さが求められる。まるで繊細な卵料理のように。
落とし玉子を湯から引き上げる際、早過ぎればグシャリと潰れてしまうし、グラグラと茹るに任せていては硬くなってしまう。
肝要なのはそう、時機である。
*
「――ったく、あのキモオタぁ! 手まで握ってきやがって、 汗だくで気持ち悪いッつーの!」
ミユキは店内から姿を現すなり、大声で悪態をついた。
かなり機嫌が悪いらしい。随分ストレスの多い職場のようだ。
雑居ビル2階にあるメイド喫茶〈黄色い玉子〉の裏口、非常階段に面した踊り場には、スタンド灰皿が設置されていた。もちろんスタッフ用のものだろう。
ミユキはポケットからメンソール煙草を取り出すと、一本口に咥えて、ライターをカチカチ鳴らし始めた。だが、ガスが残り少ないのか、なかなか火は点かない。
薄暮の中、階段に腰かけていた私には、まるで気がついていない様子だった。私は愛用のオイルライターに点火して、そっとミユキの口元に差し出した。
「あら、ありがと――」ミユキは煙草に火を点け、美味そうに一口吸いこむと、ふうと吐きだした。
「――って、ええっ!? おじさん誰っ! どっから入ってきたの!?」
「落ち着いてくれ、私は怪しい者じゃない――ほんの一服、休憩していただけだ。近頃はどこも路上喫煙禁止でね」
「あのねぇ、だからってここは誰でも入れる場所じゃないんだから。店長にいいつけたら出禁になるわよ!」
「店の客じゃあないよ。そう硬いこというなよ」
対象の職場があるO商店街へとやってきた私は、店舗前でチラシを配る女給姿のミユキを発見した。そして、目近で観察しようと彼女の横を通り過ぎた時、あることに気がついたのだ。
衣服に染みついてしまったであろう、微かな香り。
それは私も嗅ぎなれた、薄荷の匂いだった。
香水の類ではなく、煙草の芳香である。
店舗内では、落ち着いて話はできない。
帰宅時間を待つのも手だが、何時にはなるか判らない。
張り込みがバレて、不審者がいると警戒される恐れもあった。
――そこで。
ミユキが喫煙者であると看破した私は、スタッフ用喫煙所で張り込みをしていたのだ。そして読み通り、ゆっくりと3本吸い終わる頃にはミユキが姿を見せた、というわけである。
警戒心を露にするミユキに、私は名刺を一枚差出した。
「実は私、こういう者でしてね」
「大神探偵事務所、所長の――大神偽之介さん?」
名刺を渡して仁義を切る場合、ある種の人間に「所長」の肩書は役に立つ。平ではない、経営者ではあるんだな、という漠然とした安心感のようなものだ。
実際は私以外に調査員はいない。しかし、それをこの場で明かす必要はない。
「君にいくつか聞きたいことがあってお邪魔したんだ。煙草を吸うほんの少しの間だけで良い。話を聞かせてもらえないか。もちろん、幾ばくかの謝礼は用意してある」
そういってスーツの内ポケットから取りだした茶封筒をヒラヒラとさせると、ミユキは態度を一変させた。
「そういうことなら早くいってよ、御主人様ぁ! あたし、お金払いが良い人、大好きっ!」
まったく現金な娘だ――だが、それくらい態度がはっきりしているほうが、判りやすくていい。
「三年前、君は紹介所を通じて老松雅人の別荘に、家政婦として派遣されていたね?」
「老松――ええ、そんなこともあったわね」
「ところが、君は半年足らずで仕事を辞めてしまっている。給与は悪くなかったと思うんだが、どうしてだい」
「それは雅人君が――これは本人がそう呼べっていったんだけど――髪型を変えて欲しいとか、化粧はもっと薄くしてほしいとか、煙草を吸うのを止めてとか、業務に関係ないことに口出ししてきたからよ」
「身なりや素行にまで干渉してきたってことか」
「そうよ。単に短い髪が好きとかいうんじゃなくて、明確な理想像があるみたいだった。それに――」
ミユキは何かいい難いことでもあるのか、黙りこんでしまった。
こういう時に慌ててはいけない。
殻を閉ざした貝も、いずれ静寂に耐えられなくなる。
必要な時に待てる忍耐力は、探偵に必要な資質のひとつである。
「――それにあの人、たぶん危ない性癖あるわよ」
「それは性的嗜好って意味かな」
「そう、首を絞めるのが好きなの」
「首を絞めるって――」
「そうよ。お小遣い稼ぎに一度だけお相手したの。どうしてもって頼むから。痛くしないでねっていったのに――殺されるかと思ったわ」