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ファントム・ディテクティブ/Phantom Detective  作者: 夏目猫丸
File.00: ソフト・ボイルド・エッグ
1/6

0-1 バーにやってきた女

「あなた、探偵さんなんですってね」


 背後から不意に声を掛けられた。

 振り向くとそこには、見知らぬ女がいた。


 商店街の外れにある雑居ビルの地下一階に、〈迷猫ストレイ・キャット〉はある。その正統的オーセンティックなバーの最奥、壁際のカウンター席が私の定位置である。常連客達の写真が壁面を賑やかし、テーブルには一輪挿しが飾られ、スローなジャズが微かに空気を震わせている。

 私は今日も一人、紫煙をくゆらせながらスコッチを楽しんでいた。シングルモルト、オン・ザ・ロックス。規制がうるさい昨今、ゆっくりと煙草をむ場所がないのは寂しい限りだ。


「――それを誰から?」

「このお店の人」


 いかにも私は探偵業を生業としている。組織捜査に馴染めなかった私は、30半ばで捜査機関の職を辞して独立開業したのだった。

 案件は浮気調査が最も多く、小説フィクションに描かれるような刺激的な事件などは存在しない。うんざりするほど退屈であるが、仕事を自分で差配はできる。私はそこが気に入っている。


「素行調査の依頼かい? 恋人か、旦那か」

「いいえ、人を探してほしいの」


 そういって女は一枚の写真をカウンターに置いた。今時、紙焼きとは珍しい。少し退色したキャビネ判には、学生服姿の少女が写っていた。面影が目の前の女と良く似ている。何なら髪の長さくらいしか違いがない。裏返すと15年ほど前の日付が記されていた。


「彼女の名前はカシマミユキ。3年前から行方がわからないの。放浪癖があってね。あっちこっちフラフラしてばかり」


 ――3年前か。行方不明と判って、慌てて探し始めたにしては時が立ち過ぎている。


「当局に捜索願いは?」

「もちろん出したわ。でも、ああいう組織が真面目に人探しなんてすると思う?」

「まぁ、思わないがね――放浪癖があるなら、長期旅行に出かけただけかもしれない」

「家族や友人にはおろか、職場にも何も告げずに?」

「なら――事件や事故の可能性は?」

「それを含めて調べるのが、あなたのお仕事じゃなくて?」


 それは確かに正論だと思うが、私は何かイヤな予感がした。隠し事をしている人間が醸し出す、ある種の緊張感が感じられたからだ。

 私は改めて、女を仔細に観察した。

 黒のロングヘア。

 薄いピンク色のサングラス。

 赤いワンピースに黒革のベルト。

 上着に袖は通さず、肩からかけている。

 派手な装いであるが、化粧はかなり薄い。

 夜の街に特有なみ疲れた匂いもなかった。

 モデル、客室乗務員キャビン・アテンダント、秘書――どんな職業に就いているのか、まるで検討がつかないが――女の顔にどこか見覚えがあるような気がした。

 

「失礼だが、君の名前は? 調査対象との関係は」

「レイコ。カシマレイコ。ミユキは私の腹違いの妹よ」

「片親違いか――」


 「――にしては良く似た顔立ちだ」という言葉を辛うじて飲み込んだ。私にも最低限の職業倫理はある。だが女は私の不用意なひとことに反応した。猫のように瞳を妖しく輝かせて。


「あなた、まだ独身なんでしょうね――」

「どういう意味だい」

「そういう鈍感なところが女をイラ立たせるんでしょうね、って意味」


 ふむ。まったく。大した度胸タマだ。厭味イヤミを口にしつつ、涼しい顔で真っ赤なカクテルを飲んでいる。ブラッディ・メアリー。まるで獲物の血をすするようだ。


「よくいわれるよ、ちょっと失礼」


 依頼主に主導権を握られたままでは有利な、いや正当な契約は結べない。私は一時レストルームに退却して対策を練ることにした。

 

 自分の姿を、大きな姿見に映して確かめる。

 シャツに汚れはなくスーツに皺はない。ネクタイの結び目にも隙はない。無精ひげが少々目立つが、深夜なのだから仕方あるまい。

 ふむ。幾分くたびれたてはいるが、戦闘態勢は整っている。

 手強い顧客と渡り合う戦意も十分だ。

 ――それにしても、あの顔にはどこかで見覚えがある。洗面台で手を洗いながら、私はおぼろげな記憶を辿っていた。

 カシマレイコ。カシマ――加島、嘉島、鹿島――レイコ――礼子、玲子、麗子――ああ、そうか――。

 高校ハイスクール時代に鹿島麗子という同級生がいたことを、私はようやく思い出した。いつも窓際でひとり黄昏たそがれていた長い髪の女。深窓しんそうの令嬢然とした、近寄りがたい雰囲気を漂わせて――。

 そうだ、間違いない。彼女は最初から、私が誰かを知っていたのだ。

 やれやれ、まったく喰えない女だ。

 私は逆襲に転じるため、意気揚々とレストルームからカウンターの最奥へと向かった。

 だがしかし、そこには鹿島麗子の姿はもうなかった。

 その代わり、電話番号と「Call me(電話して)」とだけ書かれた紙のコースターが残されていた。


     *


 本来ならば、たった一枚の写真と電話番号だけを残して消えた女の頼み事を引き受けたりはしない。そもそも正式な契約が交わされた調査案件ではないのだ。

 ――しかし。

 旧友(といっても顔見知り程度の間柄ではあるが)の頼みでもあることだし、まぁ、私だってたまには刺激のある仕事がしたいと、そう思ってしまった。

 倫理観を棚に上げていってしまえば、()()()()()()というのが正直なところだ。

 手がかりは古い写真一枚のみ。

 久しぶりに捜査と呼べる仕事をしてやろうじゃないか。

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