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この病気になってから、檀は色々なことを諦めた。

学校の校外活動や体育祭、文化祭の準備などにはほぼ参加させてもらえなかった。中学では修学旅行にも行けなかった。何かしているときに、万が一発作が起こってしまったら大きな怪我につながるかもしれない、という子どもに対して、学校という組織、特に公立の学校には人的リソースを割ける余裕はないのだろう。

eスポーツ部に入りたいと言った時も、学校側はいい顔をしなかった。顧問兼担任の教員が強く言ってくれたおかげでなんとか入部できたようなものだ。


両親が火災事故で亡くなって、姉は行きたい学部があったところを諦めて給付型の奨学金が出るところに進学して、アルバイトを二つも掛け持ちしていた。

手助けしたくとも、いつ急に身体が強張り動かなくなるかわからない状態の自分を雇ってくれるところなどない。

一人でいることもできない、厄介なお荷物の自分。


檀は、そんな自分が嫌いだった。


だが、目の前に現れたこの自信たっぷりな美青年は、自分に新たな選択肢をくれるという。たとえそれが姉のおまけだからだとしても、檀は震えるほど嬉しかった。


そしてこのウルトライケメンは、命に係わる発作が一度だけだったことに対して「運がよかった」と言った。

今まで、檀の病状を聞き発作のことを耳にした人々はみな、「かわいそう」としか言わなかった。


かわいそうに、気の毒だな、発作はよく起きるの?危ないことはしないようにしなきゃ、お姉さん偉いわね、俺だったら無理だなあ。


しかし、清永(せいえい)はそんなことは言わなかった。

檀はそのことがとても嬉しかった。

なぜか喉の奥が痛くなってくる。「ほら」とティッシュを出されて初めて、檀は自分が泣いていることに気づいた。

「頑張れ」

清永の言葉は短かった。檀はティッシュを何枚も取って顔をぐしゃぐしゃと拭きながら涙を零し続けた。




清永に送られて教室に入った伽羅(きゃら)は、この講義のときだけ会う友人に声をかけられた。

「伽羅!」

気軽に名前を呼んで手招きしているのは、高校からの同級生である夏井陸(なついりく)だ。高校一年の時同じクラスになってからの友人で、唯一いまだに付き合いが途絶えていない友人でもある。

友人になったきっかけが、陸と男性の恋人との修羅場に遭遇した、という何とも言えないものであったことは、二人の間ではもう笑い話になっている。高校当時の陸は、自分が同性愛者であることをひた隠しにしており、それによって落ち込んだりすることもあったのだが、あっけらかんとした伽羅と友人関係を構築していくことで、陸はずいぶん救われる思いがしたものだった。


当時揉めていた彼とは今でも続いており、今年から就職して社会人となったその人と現在は同棲をしている。恋人との惚気や愚痴が言える相手が陸にはそうたくさんにはいないので、この講義の時だけは一緒に受けて、その前後に話すようにしていた。

陸の傍の席に言って伽羅は荷物を下ろした。

「陸、元気してた?」

「いやいやいや、伽羅!文学部にまで噂流れてきてっから!」

やや興奮気味にそう話す陸を、訝しげに見る。どちらかと言えば陸は穏やかで静かなタイプなのに、今日はいつもと違って、なんだか興奮しているように見える。


「噂?」

「大洲清永!なんか、みんなの前で告られたって!マジなの?」

伽羅は気づかなかったが陸がそう尋ねたとき、教室の喧騒が一段階低くなった。皆、伽羅と陸のやり取りに耳を澄ましているのだ。

だがそれに全く気づいていない伽羅は、あっさりと質問に答えた。

「ああ‥確かに恋人としてつきあってほしいと言われたね」

がた!ざわざわ、えええ、嘘ぉぉ、マジで?やだ!信じらんない!いやいや嘘だよ!


一気に騒がしくなった教室に、伽羅は驚いて思わず辺りを見回した。すると、不自然なほどに教室にいた学生たちは伽羅とは目を合わせない。

何でだ?と考えている伽羅に、陸が興奮したまままた話しかけてきた。

「え、それで、伽羅は‥なんて言ったんだ?」

「ああ‥」


時給が発生することや携帯電話を買ってもらったことなどを、他人に言っていいのか、結局清永に確認することを伽羅はすっかり忘れていた。今、興味津々な顔をして目の前で待っている友人は期待に満ちた目をしているが‥。

「え、と、じゃあとりあえずそれでいきましょう、か、と‥」

「うわ!うわ伽羅が!とうとうあの伽羅が!」

陸は興奮して握った両手の拳をぶんぶん上下に振っている。なんだかどこかで見た動物っぽいなあ、と伽羅は失礼なことを考えた。

陸の興奮は収まらない。しかし陸は周囲の空気も読める男ではある。ざわざわとした雰囲気を感じ取ってすぐに伽羅を席に座らせ、横にくっつくようにしてひそひそ声で話し出した。


「え、昨日って二人で何してたんだ?なんか学外に出てったって聞いたけど」

「ふわあ、よく知ってるねえ」

陸は呆れた顔で伽羅を見た。

「‥‥伽羅、ひょっとして昨日まで大洲清永のことを知らなかったり‥?」

「うん、あんまり授業でも見たことなかったから‥何で陸は知ってるの?」

「知らない方がおかしいんだよ‥」

陸は残念な人を見る目でじっと伽羅を見た。やはりこの友人は基本的なところが、高校時代から変わっていない。興味のあることにしかアンテナが働かないのだ。


大洲清永については、入学前からも#春から開邦のハッシュタグで拡散された情報の中で取り沙汰されており、実際に入学式に現れた当人の恐ろしいほどの美貌で式次第の進行を妨げたほどなのだ。

個人で携帯電話を持っておらず、PCすら持っていない伽羅が入学前のSNSでの騒ぎを知らないのはわかるが、入学式のあの騒動さえわかっていないとは。どうせ何やらの本を読んでいたか、ぼーっと夢想に耽っていたに違いない。

「ぶれないな、伽羅は」

半ば呆れて出てきた言葉なのに、なぜか本人はへらりと笑った。

「ええ~そう?」

「‥褒めてないぞ」


相変わらずの伽羅に脱力しながらも、でもだから悲壮感がないんだよな、と陸は考える。

伽羅の境遇は、冷静に考えれば安い三文小説にでもなりそうなものだ。突然の両親の死、難病にかかっている弟、そして貧乏。

なのに、伽羅はそれらを全く何でもないことのように捉え、自分ができる対策を次々に考えて打開してきている。そういうところを陸は尊敬しているし。また友人としても得難い人物であると思っていた。


教授がやってきて授業が始まった。時折筆談なども交えながら陸は伽羅から昨日の顛末を聞き取った。

そして、伽羅の腕のけがに関するあれこれを聞いて顔を顰めた。

確かに、大洲清永を信奉する一派があり、特に女子学生の中で自称の「ファンクラブ」を名乗っているものたちがいるとの話を聞いたことがあった。清永とは違う学部の文学部にいてさえ、そういった話が耳に入ってくるのだ。

公衆の面前で「つきあう」宣言をしたに等しい伽羅が、これからの大学生活を無事に終えられるのか、陸は不安になってきた。

とはいえ、学部も違うから講義もこの時間しか重ならない。どうしたものか‥と考えているうちに、講義は終わってしまった。


荷物を片づける伽羅に尋ねる。

「伽羅、今日はもう講義ないのか?」

「うん、今日は家庭教師が入ってるから、一度家に帰ってご飯を作ってから行くんだ」

「そうか‥帰り気をつけて行けよ、俺は次も講義あるから送っていけないけど‥」

「平気だよ~全然まだ明るいし」

そういうことを言っているわけではないのだが‥と思ったが、下手に詳しく説明して怖がらせてもよくないだろう、と陸はそれ以上何も言わなかった。


荷物をしまってリュックを背負った伽羅が教室を出るため手を振り、自分の荷物をしまおうとしたとき、ばしゃん!という音と「熱っ!」という声が陸に聞こえた。

ハッとして陸が伽羅の方を見たときには、伽羅の身体前半分にコーヒーのようなものがかけられていて、まだそこから湯気が立っているのが見えた。よろよろと伽羅がうずくまる。

「伽羅!」

慌てた陸が机を飛び越えて伽羅の近くに行こうとしたが、それよりも早く傍に近づいた人物がいた。




お読みくださってありがとうございます。

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