37 最終話
本日二回目の更新になりいます。順番にお気を付けくださいね。
「‥‥伽羅‥!?」
「お久しぶりです、清永さん」
ようやく、名を呼んだ清永に、伽羅はにこっと微笑んで見せた。その少し向こうに椅子に座っている清逸の姿が見えた。
「な、なんで、伽羅がここに‥?」
驚き慌てふためく清永に、清逸がにやりと人の悪そうな笑みを浮かべ顎でくいっと椅子を指した。
「まあ座れ。‥駒江さんも」
「はい」
すぐに座った伽羅を見て、清永は後ろを振り返った。左柄は知らなかったのか。‥清永に見つめられた左柄は、ふっと笑顔を見せた。
(‥あいつも、グルか‥)
どういうことなのか、全く想像もつかないまま清永は大人しく示された椅子に座り、こっそりと伽羅を見た。
ほぼ四か月ぶりに会う伽羅は相変わらず可愛らしかった。その姿を見るだけで清永の胸の鼓動は早くなった。触れたい、抱きしめたい、あの『匂い』を間近で感じたいという欲求が湧き上がってくる。
ぐっとその衝動を抑え込みながら伽羅を観察して、少し伽羅が引き締まった身体つきになっているのに気づいた。椅子に座った姿勢も、前よりもしっかりしていて端正だ。伽羅に何があったのだろう、と思いながら見つめていると、清逸が口火を切った。
「お前の婚約者に、このお嬢さんが立候補したいということでな。‥四か月?前だったか、俺のところに直談判に見えたんだ」
「‥その節はお忙しいところを時間を割いていただきありがとうございました」
伽羅が優雅に座ったまま頭を下げる。何だろう、何かが前の伽羅とは違っている。その違和感を拭えないまま、婚約者という言葉にようやく思い至った清永は父の顔を見た。
普段は引き結んだまま、滅多にほころばせない父の口元が今日は面白いように緩んでいる。おかしくて仕方ない、といった様子だった。
「お前、このお嬢さんを守り切れる自信がないからと結婚するのを断ったんだって?」
「‥‥南戸家の小島から救出した例の件ですよ。‥警戒するのは当然でしょう?‥そもそも伽羅‥駒江さんは、我々のような人間とはあまり関わりのない、方でしたし」
「お前がそんな風だから、このお嬢さんは俺のところに突撃してきたんだぞ」
言葉とは裏腹に、清逸は楽しそうだった。伽羅は自分の持っていた鞄から何やら資料を取り出して清永の前に差し出した。
「私‥どうしても清永さんを諦めることはできないと思いました。‥ですから私には何が足りないのか教えてください、と大洲さんにお願いをしたんです」
清永は茫然としながらも渡された紙を見てみた。
そこには「足りないもの」として「危機管理」「護身術の習得」「礼儀作法」「大洲家の人間関係やグループ内の力関係の把握」「経済力」などといった項目が挙げられていた。
伽羅は清永の方を向いて落ち着いた口調で言った。
「大洲さんにお願いをして‥護身術を習い、グループ内について秘書の方に教えを乞いました。経済力はまだついてませんが、株式や先物の知識をいま勉強しているところです。え~と‥」
そこまで凛として話していた伽羅が、初めて少し恥ずかしそうにした。
「‥初めて競馬に賭けまして‥ちょっと資金ができましたので‥」
あの堅実な伽羅が競馬をやった?清永は色々なことが一気に頭の中を駆け巡って混乱してきた。伽羅は言葉を続けた。
「まだ、足りないところはいっぱいありますが、これから努力します。清永さんの隣に立てるように死に物狂いでやります!‥自分の身も、少しは守れるようにしました。だから‥」
そこまで言って言葉を切った伽羅は、肩を震わせた。
「清永さん、の、隣に‥立たせてください‥」
ぽろっと伽羅の目から涙が零れた。それを見た清永は椅子を蹴って立ち上がり、伽羅の傍に行ってその身体を思いきり抱き締めた。
「‥お。お前は、お前って女は‥」
「‥勝手なことをして、すみません‥」
腕の中で小さくなっている伽羅に、清永は涙をにじませながら満面の笑みを浮かべた。少し体を離して、伽羅の顔を両手で挟んで覗き込む。
「最高の女だな!」
そしてそのまま口づけた。驚いた伽羅が身をよじって逃れようとするが、清永はがっちりとその顔と頭を掴んで離さない。それを横目で見ながら清逸がわざとらしく、「ンンッ!」と咳払いをした。
それを合図に伽羅はどんっと清永の身体を突き飛ばし、その唇から逃れた。顔を真っ赤にして怒っている。
「せ、せ、清永さん!大洲さんもいらっしゃるところで、何するんですかっ!!』
わなわなと震え顔を赤くしている伽羅に、清永は全く臆することなく再びその身体を抱き寄せた。
「四か月も伽羅に触れてなかったんだから、許してくれよ」
「‥‥それ、そもそも清永さんのせいでしょう?!」
「まあ、そうだな」
「~~~っ、じゃあちょっとくらい我慢してください!」
そんな二人のやり取りを見ていた清逸がぶっと吹き出した。
「何だか俺の若い頃を思い出すな‥」
「旦那様と奥様も、お若い頃はこういった感じだったんですか?」
後ろからするりと近づいてきた左柄が清逸にそう尋ねた。清逸は苦笑しながら答えた。
「あの頃はまだ大洲ホールディングスになってなくて、あいつの家の方が格上だったからな‥俺も必死になってたなあ」
しみじみとそう語る清逸は、すくっと立ち上がり紙を一枚清永に渡してきた。
「一応俺の考えた条件だ。これをクリアしたら、お前の婚約者として駒江さんを認める」
清逸が渡してきた紙には伽羅に見せてもらったものを同じようなことが書き連ねられていたが、より具体的で数値目標が掲げられているものもあった。
「‥グループ内に伽羅の支持者を二十人作る‥伽羅の個人資産を二千万まで増やす‥?親父、おい!」
「駒江さんは、『やる』と言ったぞ」
思わず父親を睨む形となった清永を、清逸は鋭い目で見つめ返した。ぐっと言葉をのみ込まざるを得なかった清永が隣を見ると、伽羅が顔を赤くしたまま笑顔で頷いた。
「私も頑張ります!‥あの、時間はかかるかもしれませんが‥」
そう言って小さな拳をキュッと握っている伽羅を見つめ、清永は、はあ、とため息をついた。だが、じわじわと口角が上がってくるのを止めることはできなかった。
伽羅が、もう手に入れることを諦めていた伽羅が、自分のためにこんなに努力をしようとしてくれている。そのこと自体が清永は嬉しくて仕方がなかった。
「これは、俺が手助けしてもいいんですか?」
「‥ま、お前の資産を使わないならな」
「わかった」
清永はそう言うと伽羅の身体を抱えて高く上げた。いきなり抱えあげられた伽羅は思わず「ひゃああ!?」と悲鳴を上げた。
「駒江伽羅と結婚する!伽羅以外は要らない!」
「なら、誰にも文句を言わせるな。そして誰にも奪われるな。‥わかったな?」
低い声でそう言った清逸に、清永はこの四か月見せなかった笑顔で答えた。
「わかってる、もちろんだ!」
そして伽羅を抱えたまま部屋を出て行ってしまった。左柄が少し慌てて清逸に問いかけた。
「あの、すみません、行かせてよろしいんですか?」
清逸はテーブルの上の冷えた珈琲を呷ってにやりと笑った。
「まあ、今日は大目に見てやるさ。このところ、あいつはだいぶ腑抜けてたからな‥明日、ぎゅうぎゅうに絞ってやる」
「‥わかりました」
二日連続でスケジュールを調整しろと言っていたのは、ここまで見越してのことだったのか、と左柄は内心驚いた。清永たちの後を追おうとして、ふと立ち止まった。
「旦那様はこの後どうされるんですか?」
問われた清逸は、清永にそっくりな笑顔を見せた。
「佐枝子が来ることになってる」
主人夫婦の珍しい私的時間にお邪魔するのは野暮というものだ。左柄はわずかに頷くと、早々に貴賓室を後にした。
「‥本当に大丈夫なんでしょうね?もう、姉ちゃんが泣かされることはないんでしょうね?」
繰り返し尋ねてくる檀に、左柄は苦笑した。
「まあねえ、伽羅さんの努力もすごいものがあったし‥なんせあの旦那様が押されてたからねえ、初めて会った時」
年若い娘に押されている清逸など、左柄はこれまで見たこともなかったので非常に驚いた。しかし、あの伽羅の勢いがあってこそ、今の状態があると言える。
「‥伽羅さんは、自分でちゃんと幸せを引き寄せたんだねえ」
「‥‥愛善さんも、もう‥連絡取れなくなるとかやめてよ?」
ぼそりと檀がつぶやいた。ん?と聞き咎めた左柄に、檀がまた言った。
「姉ちゃんがいないときは、俺の面倒見てくれるって言ったよね?‥俺、自分のせいで姉ちゃんがデートできないとか自分のことできないとか嫌だから‥学校じゃなくて、家に姉ちゃんいない時、左柄さんが俺についててくれるんだよね?!」
「あ、うん、ハイ」
檀の勢いに思わずのまれて、左柄はそう返事をした。
(駒江姉弟、意外に二人とも押しが強いなあ‥)
左柄がしみじみそう思っていると、歩き出した檀が手招きして呼んだ。
「ほら、行くよ!」
(ま、いいか)
「ハーイ」
左柄は暢気な調子で返事をすると、檀の後ろについて歩きだした。
ホテルの内向きの庭の中で、伽羅はずっと顔を赤くしたままだった。清永が全く離してくれない。ずっと抱きしめたまま、時折頬や唇に遠慮もなく口づけてくる。あたりの様子も構わないその行動に、伽羅の恥ずかしさはピークになっていた。
「‥清永さん、もうやめてください!見られてますよ~もう恥ずかしい‥」
その伽羅の額にちゅっと音をたてながらキスをして、清永はにやりと笑った。
「俺は今最高に気分がいいんだ。‥伽羅が俺のものだって、世界に示したい気分だ」
「‥‥‥私のこと、‥諦めたくせに」
伽羅は俯いて、少し不貞腐れたように言った。清永は抱きしめる腕に力を入れた。
「‥悪かった。‥俺に、根性がなかった」
「‥私、無我夢中でここまでやってきましたけど‥清永さんに拒否されたらどうしようって‥毎日すごく悩んでたんですよ」
「それでも、伽羅は独りで今日まで頑張ってくれたんだな」
清永はそう言って、額を伽羅の額にくっつけた。伽羅の少し紅潮した顔がすぐ目の前にある。それが嬉しくて、清永の目にまた涙が浮かんできた。それを見た伽羅の目にも涙があふれた。
「‥もう、私のこと、突き放さないでくれますか?」
「もう、二度と、絶対に」
清永は力強くそう言って伽羅の目を見つめ、唇に触れるだけのキスをした。
そして伽羅の身体全体を包み込むように抱きしめた。
「俺の傍から離さない」
伽羅もそっと清永のたくましい背中に腕を回してしがみついた。
しばらく、二人は辺りも憚らず、そのままそこに佇んでいた。
お読みくださってありがとうございます。
この後に蛇足的な裏話も投稿します。




