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伽羅の奪還は思いのほか簡単だったが、データを盗み出すところが難しかった。この『倉庫』にもある程度のデータはあったが、これまでの過去の台帳分は別荘の方にしかないらしい。別荘には『倉庫』よりたくさんの人がいる。
しかし、愛善の決断は早かった。
「俺と、迫田さん二人で侵入する。データの保管場所はさっき締め上げて吐かせたからそこだけを狙っていく。‥もし、そこになかったら‥もう侵入がばれてもいい方向で動く。だからみんなは別荘の近くで待機していてくれ。‥朝来さん、聞こえますか」
『ん』
朝来からの返事が聞こえた。愛善は装備を確認しながら言った。
「そこから別荘は狙えますか」
『無理、木が多い』
「合流地点まで朝来さんに動いてもらうことは可能ですか」
『ん、向かう』
ぷつりと通信は切れた。愛善は伽羅を背負ったままの清永に向かって言った。
「とりあえず清永さんは伽羅さんを連れて船に戻ってください。‥逢野さんについていってもらいます」
「愛善、」
何か言いかけようとした清永を愛善は手で制した。
「最優先事項は伽羅さんの無事救出です。今、清永さんと伽羅さんがここにいることには何のメリットもない。行ってください」
「わかった‥すまん」
そう言って伽羅を背負ったまま、清永はもう一人の護衛と船に向かった。
愛善は、名指しした迫田を振り返った。迫田はIT技術に長けているスタッフだった。
「迫田さん、すみませんお手数かけますが」
「大丈夫です、行きましょう」
深更1時過ぎ。こちらの侵入はまだ露見していないようで別荘は静かだった。ただ、警備の人間は正門傍の小屋に三人ほど配置されていた。さらに、別荘周りはぐるりと警報装置で囲われている。
ゆっくりと周りを歩いてよく周囲を調べ、センサーの上に時間が経ったら大きな枝が落ちるような仕掛けを施した。そして少し離れたところへ移動する。
時間が経って落ちてきた枝がセンサーに触れ、ピイイイと音を鳴らした。正門横の監視小屋から人が動いているのがわかった。音が鳴っている隙に二人は別荘内に入り込んだ。
中に入ってしまえばほとんど警備らしい警備はされていないことがわかっていたので、二人は大胆に目的地に向かって進んでいった。執務室のようなその部屋には鍵がかかっていたが、そこまで複雑なものでもなかったので、愛善でも開錠することができた。
なかにあるPCも、そこまで複雑なロックはかかっていなかったようで、迫田が素早く開いてデータを探った。
持ってきた媒体にデータを転送する。まだ時間がかかりそうだ、というところで、廊下に足音が聞こえてきた。迫田の方を見ると、(後三分)と唇が動いた。愛善は、迫田に隠れるように言うと、自分はドアの真横に張り付いて侵入に備える。ぱたぱたという軽い足音は、執務室のドアに近づくことなく、遠ざかっていった。
ほっとして迫田の方を見る。迫田も頷いてPC画面を見た。
データの転送が完了して、媒体を防水加工の袋に入れた。ドアの下から小さなスコープをくぐらせ、廊下の様子を見る。とりあえず人はいないようだ。
(行こう)
ハンドサインを出して移動する。出る時には警報が鳴らないように、先ほど迫田が操作をしている。建物の裏手に回って脱出した。追っ手はかかっていない。それに安心して船へと急ごうとした。
その時、後ろから愛善は撃たれた。
ぱん、という乾いた音と共に左肩に灼けるような熱さが奔った。すぐさまどろりと血が流れだし、鋭い痛みが身を苛む。ぐらっと倒れた愛善を、慌てて迫田が受け止めた。迫田が振り返ると、別荘のテラスにほっそりとした人の姿が見えた。‥あれは、南戸寿々加だ。
テラスからここまで、わずか三十メートルほど。とはいえこの闇の中で動いている人を撃ち抜くとは恐ろしい腕前だ。
寿々加はまだ銃口をこちらに向けている。迫田は迷わず、煙幕弾を投げた。あたりを白い煙が一面覆っていく。迫田は素早く愛善を肩に担ぎ上げると引きずるようにしてそこから駆け出した。ぱん、ぱんと乾いた音が響くが、煙幕のお陰でこちらには当たらない。
「こちら迫田、コード9、コード13、コード9、コード13」
迫田は短く通信をした。見つかったこととケガ人が出たことを知らせるためだ。すぐに善慈からの返答があった。
「そのまま合流地点へ」
迫田は少しずつ重くなっていく愛善を、背中に負い直してできうる限り足を速めた。
埠頭が見えた。埠頭にいる警備員は制圧したのだろう。停泊している船の姿が見えた。そしてその前に数人の|大洲セキュリティサービス《OSS》のスタッフの姿も見えた。その中には長い銃身の狙撃銃を構えた朝来の姿もあった。銃の使用を聞いていなかった迫田は驚いたが、今となってはその姿に安心を覚える。
ようやくスタッフのいるところまでたどり着き、愛善を他のスタッフと二人係で船に運び込もうとしたとき、後方から追手の音が響いてきた。ぱんぱん、と乾いた音が何度も聞こえてくる。
「ひけ」
朝来の少し高い声が響いた。他のスタッフはすぐさま船の方へ向かった。
朝来はゆっくりとした動きで構え、次々に撃っていった。ガチャッガチャッとボルトを引く音も聞こえてきた。朝来の弾は正確に相手を撃ち倒し、やがて追手の音は聞こえなくなった。
朝来は弾倉を交換しながら戻ってきて乗船した。急いで島を離れる。
マリーナについたのは、それから一時間と少し経った後だった。
柔らかいものが、ずっと自分に触れている。その感触で伽羅は目が覚めた。重い瞼をこじ開けて見てみると、すぐそこに清永の顔があった。伽羅が目を開けたことに気づいた清永は、はっとしてナースコールを押した。
「伽羅、気がついたか?俺がわかるか?」
「せ‥」
名を呼ぼうとすると喉がいがらっぽく、声が出なかった。清永が傍にあった水をストロー越しに飲ませてくれた。
「せい、えいさん」
ようやく名を呼ぶと、清永がその瞳をじわりと潤ませた。伽羅の手をぎゅっと握りしめ、そこに額を擦り付ける。
「よ‥よかっ‥伽羅、もう、安心だ。‥‥すまない、こんな‥酷い目に遭わせて」
「檀、は‥」
「檀もいる、今ちょっと別の部屋にいるんだ。すぐに呼ぶから」
携帯電話を手にして、操作をしようとした清永に、伽羅は声をかけた。今、どうしても言いたかった。
「清永、さん、ありがとう‥助けて、くれて」
「‥伽羅」
清永は再び伽羅の手を握りしめた。潤んだままの瞳が伽羅を優しく見つめている。ああ、よかった、戻ってこれたんだ、と伽羅は膜のかかったような頭の中で思った。
「すき、です‥」
それだけ言うとまた伽羅は目をつぶり、眠ってしまった。やってきた看護師が色々と器具の数値を見たりして何かしている横で、清永は心から安堵していた。
伽羅の言葉が頭の中で何度も回る。すきです、という短い言葉は、清永がいつも伽羅から受け取りたい言葉だった。ようやく、その言葉を受け取れるようになったのに。
(伽羅から、離れる)
痩せてしまった伽羅の手を握りしめながら、この手を離さなくてはならないのだ、という思いが、清永の心をぎりぎりと締め上げていた。
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