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伽羅の救出作戦は、結局左柄善慈が主導して行うことになった。清永としては心強かったが、愛善が複雑な顔をしていたのは気になった。
「愛善、大丈夫か」
清永に声をかけられた愛善は、きまり悪そうに苦笑いした。
「ご心配をかけちゃってすみません。‥ただ俺が未熟だっただけなので‥次回からはより注意して任務に当たりますから、ご心配には及びません」
そう言って愛善は笑った。
夕方の便で神戸空港まで飛び、現地で潜入メンバーと落ち合う。今回の実行部隊は、愛善を入れて八人、それに指揮を執る善慈に朝来、清永と、医療関係者二名を加えた十三人となる。
神戸の民間マリーナに係留してある小型船三隻に乗り込み、作戦の細かい打ち合わせをした。
そして、深更0時にマリーナを出港した。
伽羅はこの二日ほど食事をとれず衰弱していた。おそらく食事に混ぜられている何やらの薬が体に合わないのだろう、吐き気が止まらず食事を受け付けないのだ。苛立った様子の男たちに、無理にも食べるよう口に放り込まれるのだが、結局吐き戻してしまうので同じことだった。
だからこのところ水分くらいしか取れていない。ずっと気分が悪い上に頭もぼんやりしているので、伽羅は自分がここに来てから何日くらい経っているのか、もはやわからなくなっていた。
しかし今日は、この狭苦しい部屋に客があった。
「あらまあ、なんだか随分みすぼらしくなってしまったんですのね」
二人の屈強な男を引き連れてやってきたのは、南戸寿々加だった。部屋の中に一歩入って眉を顰めている。わざとらしくハンカチを出して口を覆った。
「‥なんだか臭いですわね‥シャワーもあるのに使っていないのかしら?身だしなみにも気を遣えないなんて本当に‥どうして清永さんがこんな人を気に入っていたのか理解に苦しみますわねえ」
伽羅は重たい頭を少し上げて寿々加の方を見た。ぼんやりとした視界の中に、とげとげしい色の赤い服を着た女の姿が見える。あれは誰だったか。
寿々加は男に顎で示して、伽羅の顔をぐいっと上に向けさせた。乱暴な扱いに伽羅の身体は軋む。思わず呻いた伽羅の姿を見て、寿々加は含み笑いをした。
「‥‥せっかく処女枠で売りに出すのに、こんなんじゃあ値はあまり期待できそうにもありませんわね。まあでも、日本人の女を好む方は結構いらっしゃるから‥とにかく、この汚らしい女が日本から出て行ってくれれば私は満足ですし」
ゴッ!という鈍い音がした。頭に衝撃と痛みが走り、伽羅は自分の頭が蹴り飛ばされたことを理解した。気がついた時には身体が床に転がされていた。
寿々加は振り上げた足をゆっくりと下ろした。さすがに寿々加も南戸家の人間なだけあって、護身術は一通り身につけている。その一撃は、伽羅の頭部にずきずきと止まない痛みを与えていた。
「明日のオークションが終わればあなたと顔を合わせることもなくなるでしょう。ようやく安心できます。これで清永さんも身にしみてくださるでしょうし」
くすくすと寿々加は笑う。桃色の唇の端をキュッと上げた。
「‥私を蔑ろにすると、悪いことが起きるってことが、ね」
伽羅の頭にその言葉の内容は入ってこない。ただ重く鈍い痛みがj広がっているだけだ。その姿を横目で一瞥して、寿々加は満足そうに狭い部屋から出て行った。
伽羅は遠ざかっていく足音を聞きながら、また胸の奥で助けを呼んでいた。
(せいえい、さん、‥だん、‥かえりたい‥‥)
頭部の鈍い痛みを抱えながら、少しずつ意識が遠のいていった。
瀬戸内海のその小島近くまでやってきたのは、出港から約一時間ほど後のことだった。小型の高速船の機能は確かである。
一番大きな船に清永、左柄善慈、朝来、愛善が乗っていた。朝来は大きなケースから部品を取り出し、狙撃用の銃を組み立て始めていた。善慈は携帯電話を片手に他の二島に忍び込むチームと連絡を取り合っている。
愛善は先発組に入ったので、ウェットスーツを身につけ準備をしていた。防水加工の連絡ツールは愛善ともう一人だけに持たされる。携帯するものは伸縮する警棒にナイフ、ロープ。
0時55分、先発隊が海に入った。少し離れたのを確認してゆっくりと船は島の見晴らしのいい部分へと近づいた。狙撃銃を組み立て終わった朝来は、船の一番高いところに台を据え島をスコープ越しに捉えた。
少し波が荒い。波が砕ける音が辺り一帯に響いている。清永はデッキに出て島に見えるわずかな明かりを見つめた。
あそこに、伽羅がいるかもしれない。
心細く、不安な日々を過ごしたのだろう。身体は大丈夫だろうか。‥泣いてないだろうか。
自分の住む陰謀渦巻く世界とは別の世界に住んでいたはずの伽羅を、こんな目に遭わせてしまった自分が清永は許せなかった。
(とにかく、謝罪するにしても‥離れる、に、しても‥無事救出してからの話だ)
清永はきつく唇を噛みしめながら、島の明かりを見つめていた。
善慈に愛善から全員崖を登り切った、という連絡が入った。その移動の進捗を聞きながら朝来は狙撃銃を構えた。スコープの先にある建物の屋上の監視部屋は、四方が広くガラスで覆われていて、いかにも監視用といった趣だ。
中にいるのはおそらく二人。一人は座って何やらの画面を見ているようだ。頭しか見えていない。一人は立って部屋の中をうろうろしているように見える。
愛善たち先発隊が、センサーに触れないぎりぎりのところまで近づいた、と連絡があった。北海道と奄美の島にいる他のチームとも連携を取る。
確認をとった善慈が、インカム越しに朝来に指示を出した。
「いけ」
朝来は銃を構えた。
伽羅は物音で目が覚めた。床に転がったまま、眠りに落ちてしまっていたらしい。床を通して大きな振動音が伝わってきて、頭に響き鈍い痛みを呼び起こした。
(う、るさ、い)
何をやっているんだろう。
とにかくこの振動音は頭に響く。伽羅は重い身体を何とか起こすと、這うようにしてベッドまで移動した。だがベッドの上にまでどうしても身体を持ち上げられない。仕方なく上半身だけをベッドに預ける形にして目をつぶった。
(おと、すこしまし、かな)
そう思った時に、ドアの方でガチャリ、と音がした。今日は二度目に聞く音だ。何だろう、と思った伽羅はドアの方に目をやり、重い瞼をこじ開けた。
(‥え?)
視界いっぱいに迫ってきたのは、今まで見たこともないような不安に駆られた清永の顔だった。清永さん?と考えているとぎゅうっと抱きしめられた。
「伽羅!伽羅よかった、見つかって‥よかった‥」
ぎゅうぎゅうと伽羅の身体を抱きしめながら、清永が呟いている。その声はかすれ、時々しゃくりあげるような音も聞こえた。泣いている‥?
ああ、本当に清永が来てくれたのだろうか、何度も見た夢ではなく、本物なのだろうか。もう、がっかりしたくはない。
「せい、えいさん‥?ほんとに‥?ゆめ‥?」
そう呟いた伽羅の言葉を聞いて、清永は身体を少し離した。伽羅の顔を両手で挟んで正面からその目を見つめる。
「伽羅、すまない遅くなった。俺だ、清永だ。わかるか?」
「せい‥」
えいさん、と続けようとした言葉は出なかった。伽羅はそこで意識を失ってしまったのだった。がくりと脱力した伽羅の身体を慌てて抱き留めながら、清永はまた涙をにじませた。
そして、これまでにないような、強い怒りがこみ上げてきた。
伽羅は痩せてやつれてしまっていた。顔色はひどく悪い。‥しかも頭部横に血がついて固まったままの箇所があるのに気づき、怒りは一層増した。
何という目に遭わせてくれたのか。
絶対に許せない。
気を失っている伽羅を背に負うと、清永は狭い部屋を出て愛善たちとの合流地点に向かった。
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