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檀の身体は震えが止まらなかった。姉が誘拐されたという事実が全く実感できない。警察に連れてこられ、説明をされたが何もその内容は頭の中に入ってこなかった。
ただ、帰ってくるはずの姉が帰ってきていない、という事実だけがそこにある。
どうしてこんなことになった。あんなに注意してもらって、色々守ってもらっていたはずなのに、あののんびり屋の姉でさえ、清永の言うことをきいて、車での送迎やホテル暮らしなど、普通なら受け入れられないことも受け入れて暮らしてきたのに。
案内された部屋でぐるぐると同じことを考えていて、どのくらいの時間が過ぎたのかわからなくなったころ、左柄がまた部屋の中に入ってきた。これまでに見たことのないような厳しい顔をしている。
「愛善さん‥姉ちゃんは、姉ちゃんは帰ってくるよな‥?無事だよな‥?」
からからに乾いた喉から絞り出すようにした檀の声の切なさは、左柄の胸を深く打った。爪が食い込むほどに固く拳を握りしめながら、一呼吸置き、檀に向かって言う。
「檀くん、俺達の全力を持って伽羅さんを探す。警察にも協力してもらうし、きっと探し出すから」
「‥‥うん」
「だから檀くんは、またあのホテルにいてほしい。檀くんにも手を伸ばしてくるとは考えにくいけど、危険は避けたいから」
「‥うん」
左柄は震えながら俯いている檀の肩に両手を置いた。
「きっと、探し出す。‥しばらく会えなくなるけど‥」
「っ、」
檀は顔を上げて左柄を見つめた。これ以上ないほど真剣な左柄の顔がそこにあった。
「傍で君を守れなくてごめん、でも伽羅さんを絶対に見つけるから」
思わず檀は左柄にしがみついた。ぎゅっとその服を掴みしめながら囁く。
「‥どうか、お願いします、姉ちゃんを‥助けて」
左柄は優しく檀を抱きしめると、しっかりした声で請け合った。
「任せてくれ」
後からやってきた大洲家のものに檀を任せ、ホテルに滞在できるよう指示をする。そのまま左柄はまた清永の元に戻った。檀のことは気になるが、今は伽羅の身柄を確保することが最優先事項だ。
先ほど取り乱した様子を見せた清永に、左柄は正直驚いていた、あそこまで取り乱した様子の清永を、これまでの付き合いの中で見たことがなかった。
伽羅に出会って、人間らしいところを見せ始めた清永に、左柄は少なからず安心していたのだ。弟のように小さいころから守ってきたこの男は、下手をしたらロボットのような無味乾燥な人生を送るのではないかという危惧があったからである。
伽羅と出会い、二人で出かけて笑い合っているのを見るのは左柄にとっても嬉しいことだった。だからこそ、南戸寿々加のことは重々警戒していたつもりだったのに。「つもり」でしかなかった自分に、左柄は猛烈に腹が立っていた。
警察はあまりあてにはならない。南戸家が相手であれば、南戸家の意向をくんだ警察の人間がいないとは断言できないからだ。とりあえず、警察とは別に動くチームを編成しなければ、と左柄と清永は話し合った。
「一回『サビ』に連絡を取るべきですね」
清永はタブレットを操作しながら言った。清永は眉をひそめて答える。
「あいつには南戸家の息はかかってないのか?」
「良くも悪くも、サビは一匹狼ですから。金さえ払えば正確な情報はくれるでしょう。‥掴んでいればですが」
「じゃあすぐに接触してくれ」
「はい‥あと、合わせて『たま』にも連絡を取っていいですか?サビの情報次第ではたまに活躍してもらう場面が来るかもしれません」
「構わない。予算は俺の個人資産からならいくら出しても構わない。足りなければどうにかするから金に糸目はつけるな」
「‥‥了解です」
左柄は何人かの裏社会の人物を通して、『サビ』に連絡を取ることができた。『サビ』は、様々な情報を網羅する、日本の裏社会では五本の指に入る情報屋だ。サビが重宝されるのは、「どこの組織にもおもねらない」からである。情報屋によっては一定の勢力のためにその情報の出し方を操作したり内容を改竄したりするものがいるが、サビの情報はそれがないことが評価されていた。
その分、サビにつなぎをつけるのは金とある程度の権力がないと難しい。日本の裏社会は、非常に複層的で複雑なものになっている。
PCの画面越しに姿を見せた『サビ』は、四十がらみの貧相な男だった。ぼそぼそとした声を聞き取るのに非常に苦労する。
「誘拐、ねえ」
「ああ、何か知ってることはないか」
サビは血色の悪い顔を傾げた。
「このところ、そういう案件で人員が動いたというのは聞いてない。自前で人数を持ってるやつだろう。やり口もプロっぽいからな」
「‥‥正直、南戸家がらみじゃないかと疑ってる」
サビは眠っていたような細い目を少し見開いた。
「‥ああ、南戸家、ね。あそこなら人員には事欠かないだろう、多少やばそうなやつも手の中に持っているらしいからな」
「そうか‥何か情報はないか?」
「‥いくら出す?」
左柄は顔色を変えずに言った。
「いくら欲しいんだ?」
サビは薄い唇の端を少し上げた。
「兄ちゃん、交渉事がうまくねえな。まずはそっちの目安の金額を言うもんだ」
「急いでるからな」
今度は声を上げてくくくっとサビが笑った。
「そういう、足元を見られるようなことを言うもんじゃねえよ。若いねえ、兄ちゃん。まあ、俺みたいなのとあまり付き合わない方がいいけどね」
「どうなんだ?」
笑っているサビに構わず、左柄は言葉を続けた。サビは言った。
「そうだな、まずは百。事実関係に裏が取れてから二百。それでいいなら南戸家関連のちょっとした情報がある」
「‥随分と親切な設定だな」
左柄がそう言うと、サビは無精ひげの生えている顎を座らりと撫でた。
「まあ、兄ちゃんにご祝儀だ。俺は兄ちゃんみたいなやつが好きだからね。買うかい?」
「買う。口座はどこだ」
そう言われたサビは、チャット画面にオフショア口座の番号を打ち込んだ。左柄は画面を操作し、言われた金額をその口座に入金する。サビはじっと画面を見つめていたが、しばらくするとうんと頷いた。
「入金が確認できた。‥じゃあこれからが百の情報だ。‥南戸家に寿々加っていうお嬢さんがいるだろう」
核心の人物の名前がすぐ出てきたことに驚く。左柄の驚きに構わずサビは言葉を続けた。
「あのお嬢さんは、どこかでたまに人身売買のオークションを行ってるらしい。気に入らない人物や、南戸家に都合の悪い人物なんかをそこで売り払っているっていう噂だ」
「人身、売買‥」
思いのほか大きな事項に、左柄は言葉を失った。南戸家がそこまで違法性の高い案件に手を出しているとは思いもよらなかった。
「まあ、多分どこかの組織が噛んでるんだろうけどな‥ただその会場や時期はバラバラらしいから俺の方でも掴んでない。二百の準備があれば追ってみてもいいぜ」
「頼む。それから、警察にどのくらい南戸家が食い込んでいるかも探れるか」
サビはくっと眉を上げた。
「そいつぁ別料金だ。それを探ってほしけりゃ今すぐ百だ」
「同じ口座でいいか」
間髪を入れず答えた左柄に、サビは目を細めた。
「ああ。払う気があるなら入金してくれ。‥随分大事な人物がさらわれたんだな。さらわれたのは男か女か?」
「‥二十歳の女性だ」
「ふうん。処女かい?」
左柄は思いもよらぬ質問に、言葉を詰まらせた。
「か、関係あるのか‥?」
サビは肩をすくめてみせた。
「そりゃあな。処女なら売り先や値段も変わってくるからな」
「た、ぶん‥そうだと思う」
「そんならすぐに強姦されることもないだろう。男や非処女なら慣らしで犯される場合があるからな。とりあえずは無事は確保されてると思うぜ。‥‥入金を確認した。じゃあ追って連絡する」
「頼む。できる限り急いでくれ」
そう言った左柄に、サビはむっとした顔を見せた。
「俺の商売はいつでも超特急だ。余計なお世話だぜ」
そう言うと画面はぶつりと切られた。
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