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「檀くん。入るよ~」
三回、律義にノックしてから左柄が部屋の中に入ってきた。檀は制服のまま自分のにしているベッドに突っ伏している。
「だーんくん」
「‥‥」
ぽすん、と左柄が檀のベッドに腰かけた。清永の傍にいるから目立たないが、左柄も180㎝に近い長身で身体つきもがっしりしているから、ベッドは軋んでぐんと沈む。
どうせ俺は小せえし、と関係ないところで檀はひねた。170㎝に届かない低身長は檀のコンプレックスだ。病気のせいではないと思いたいが、どうも嫌なことは何でも病気のせいにしてしまいがちである。
左柄は檀の横に座って、突っ伏している檀の頭を撫でた。
「寂しいの?檀くん」
「‥‥」
寂しいか寂しくないかで聞かれたら、寂しい。両親が死んでからは、姉弟たった二人で生きてきた。伽羅が自分のために払った犠牲も知っている。本当はやりたかった勉強があったのに、学費が免除になるからと今の学科に変えたことも。
それでも、進学すると伽羅が言ってくれたことで檀の心の負担は随分と軽くなったのだ。これで当初の予定通り伽羅が公務員試験など受けて働いてしまっていたら、檀は一生姉から学ぶ機会を奪ったのだと思い続けなければならなかっただろう。
両親を亡くし、治療法のない厄介な難病に罹っている自分がいるせいで、姉が色々なことを諦めていることは知っていた。
だからこそ、姉には幸せになってほしいと思っているし、そのために協力は惜しまないと思っている。
思っている、つもりだった。
清永は文句のつけようもない相手だ。金も持っているし顔もスタイルもいいし、噂によれば頭もかなりいいらしい。親の金だけではなく個人資産も相当に持っている、という話も左柄から聞いて知っていた。
性格も、育ちから来る鷹揚さや多少の傲慢さはあるが、特に問題はないし、何より姉のことが好きで大事にしたいのだ、という気持ちははたから見ていてもわかった。
それなのに。
姉の身体がすっぽりと清永の腕の中に収まっているのを見たとき、何とも言えない気持ちが胸の内から湧き上がってきたのだ。
嫌だ、と。
姉を腕の中に囲んで安心させるのは、俺の役目だったのに、と。
まるで子どものようなその感情を檀は持て余した。考えれば考えるほど、情けなくなってきて、じわりと涙が滲んでくる。
(まるっきり、ガキじゃん)
姉と同い年なのに、どえらく落ち着いて大人びて見える清永のことを思う。きっと伽羅を守って幸せにしてくれるんだろう。でも、その役目を、自分も少しは担いたかった。いつもお荷物でいるばかりの弟で終わりたくなかったのに。
今、清永に伽羅をかっさらわれてしまえば、檀が伽羅にしてやれることは限りなく少なくなってしまう。ただ、伽羅の人生を食い潰しただけの弟で終わってしまう。
そんなの、やだ。
檀は枕が涙と鼻水でぐしょ濡れになっていくのも構わず、べしょべしょと泣き続けた。その横でずっと左柄は檀の頭を撫でてくれている。
「大丈夫だよ檀くん」
左柄が、優しい声でそう呼びかける。
「檀くんが伽羅ちゃんの弟だってのは一生変わらないんだから。清永は立場上、できることが多いけど、檀くんにしかできないことだって、この先出てくるんだよ、必ず」
力強い言葉に、ようやく檀は枕から少し顔を上げて左柄を見た。涙と鼻水でぐしゃぐしゃになっている檀の顔を見て、左柄はぶっと吹き出した。
「檀く~ん、かわいい顔がブスになってるって」
そう言うとサイドテーブルからティッシュをとってぐしぐしと顔を拭いてやる。檀は大人しく拭かれるがままになっていた。
この、左柄という男も不思議な男だ。顔立ちはごく平凡で群衆に埋没しそうなのに、時折やたらに存在感を増しているときもある。いつも柔らかな笑顔を浮かべているのに、時折直視できないような鋭い目つきになることもある。
左柄さんて、不思議な人だね、というと「檀くんにそう思われるようじゃ、俺もまだまだってことなんだよね〜」と不思議なことを言ったりする。
だが、傍にいられても圧迫感がなく、気安く話ができる左柄のことはどこか信用ができた。いつの間にか檀の生活の中に、するりと左柄が入り込んで切り離せなくなっていた。
左柄は檀の心を読み取っているかのように、欲しい言葉をくれる。
「伽羅ちゃんの弟は、檀くんしかいないんだから。檀くんにしかできないことはあるよ。心配しなくていいよ」
顔を拭いてからも、左柄はそう言って檀の頭をぽんぽんと優しく撫でた。それがあまりに優しくて、また檀の目には涙があふれる。
「左柄、さん」
「うん?」
「‥俺、心、狭いかな」
「ん~そんなことないと思うよ、清永は結構強引だしね」
「姉ちゃんに、幸せになってほしい、とは思ってる」
「うん、知ってるよ」
「でも‥‥俺、も、その、手伝いを、したかった‥」
左柄はにこっと笑って、今度は檀の背中を撫でた。
「できるよ、一生のうちでカウントしたら、そりゃあ数えきれないくらい、檀くんの出番あるよ」
「‥‥こんな、厄介な病気、でも?」
ぐすっと鼻をすすると、左柄の大きな手が背中で止まる。そこから優しい熱が伝わってくる。
「どんな檀くんでも、伽羅ちゃんの弟であることに変わりはないんだから、関係ないよ」
「‥そう、かなあ‥」
「そうだよ」
左柄はゴロン、とベッドに横たわり、檀の身体をぎゅっと抱きしめた。
「ヨシヨシ、今日は左柄兄さんが檀くんを慰めてあげよう」
「っ、いいよ、もう、暑いし!子どもじゃねえんだから」
「まだ子どもだよ、十五歳でしょ」
「もうすぐ十六だし!十五でも遺言書は書けるし!」
あははは、と左柄が大声で笑う。
「すごいポイントついてくるねえ!」
「ホントのことだろ!」
「あーはいはいそうだねえ」
あやすような左柄の言葉を聞きながら、暑苦しい腕の中で檀はずずっとまた洟をすすった。
ホテルのティーラウンジでお茶を飲みながら、伽羅はやきもきしていた。
「檀は大丈夫でしょうか‥何でかな‥やっぱり私が、あの、あんな感じでいたの、嫌だったんでしょうか‥あ〜教育的によくなかったかな?う~どうしよう、檀になんて言えばいいんでしょう‥」
「落ち着け、伽羅」
清永は落ち着き払って珈琲を飲んでいる。伽羅の心配など気にもしていない様子だ。
「‥清永さん、何でそんなに落ち着き払っているんですか」
「まあ、俺も男だからな。檀の気持ちは多少わかる。で、もっとわかりそうな愛善もついてる。心配しなくていい」
「‥何で檀が怒っちゃったか、清永さんにはわかるんですか?」
清永はゆっくりとコーヒーカップをテーブルに置いた。そんな何気ない動作でも、清永がすれば非常に優雅に見える。
「檀はさ、自分の手でお前を幸せにしたかったんだよ」
「‥え?」
ふっと清永は唇の端を上げて小さく笑った。姉には、弟の気持ちはなかなかわからないものなのだろうか。
「それでなくとも、檀はお前に恩義を感じているだろう?自分のせいで、伽羅が大変なんだって日々思っているはずだ」
「そんなこと!」
清永は軽く左手を上げて勢い込んだ伽羅を制した。
「伽羅がそんなことないって思ってるのもわかるが、檀にとってみればそうはならない。自分のせいでいろいろ苦労している姉を、いずれ自分が幸せにしてやりたい、と思っていたって不思議はないだろ?‥男はいつだって、大事なものを守ってやりたいと思うもんだ」
「守る‥」
ぼそりと伽羅は呟いた。それは、いつでも自分の役割だと思っていた。たった二人残された姉弟の、姉である自分の役目だと。
清永は続ける。
「いつか、自分が大人になったら、伽羅にいっぱい報いたいと思ってたんだろう。‥それを、俺が横から引っさらったからな。まあ、自分で言うのも何だが、俺は何でも持っている男だからな」
清永はそう言うと腹黒そうににやりと笑った。
「今すぐには男として叶わない俺が、伽羅を幸せにしそうで焦った、けど伽羅自身の幸せを否定するわけではない、ってところかな。‥まあ、愛善がうまいこと言ってるだろうから、帰ったら普通に接してやればいいさ」
「そう、でしょうか‥」
「そうだ。‥伽羅」
間に挟んだテーブル越しに、清永はひょいと腕を伸ばして伽羅の頬を軽くつまんだ。
「将来の夫の言うことは、信用しとけ」
伽羅はぼぼっとまた顔を赤くした。
(‥‥私、こういうのに、いつ慣れるんだろう‥)
心の裡で、小さくため息をついた。
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