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【完結済】尽くされ下手の君に  作者: 命知叶


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その後、ひと月ほどは何事もなく過ぎた。何度か、学内で伽羅(きゃら)清永(せいえい)がいる時に、寿々加と出くわしたことはあったが、寿々加の失礼な物言いを聞くだけで済んでいた。

時間が経つにつれ、学内でも清永の相手が伽羅であることが認識され始め、特に嫌味を言ってきたり嫌がらせを受けることもなくなっていた。ただ、腕をひねった学生と珈琲をかけた学生の姿は、学内のどこを探しても見えなかった。


伽羅と清永は、二人で色々な場所へ出かけて行った。美術館や博物館へ出かけたときには、清永にもそれなりに深い知識があったおかげで、伽羅は思う存分オタクトークを繰り広げることができた。伽羅の歴史や芸術に関する着眼点は、清永にとっても面白いものだった。

「結局、人だと思うんですよね、何かを感じるその原因って」

そう生き生きと言う伽羅に、清永は尋ねた。

「どういうことだ?」

「どんな歴史的建造物だって、それをその時代に作った人たちがいるじゃないですか。実際に作った人もそうですけど、設計した人やお金を出した人、そもそもそこに作ろうと言い出した人、とか‥そういった人々の思いがあるからこそ、浪漫を感じるんですよね』

「なるほど」


展覧会のために、海を越えてはるか遠くの土地から運ばれてきた遺物を見ながら、清永は頷いた。

伽羅はうっとりとしながら言う。

「自分も人間ですから、人間のやったことに興味があるんですよ。‥カエサルが言ってましたけど、どんな悪いことも、はじめは善意から出ている、って。その言葉がすごく深いなあって思うんです」

精緻な造りの飾り物をじっと見つめながら伽羅は続けた。

「贅沢品をたくさん作ることは、ひょっとしたら悪と捉えられるかもしれませんが、それを注文した人たちがいたから、そういった技術が継承されたりこうして素晴らしい工芸品として遺ったりするんだなって」

「‥そうだな」


清永は我が身を振り返る。

日本でも有数の資産家に生まれたことは自覚している。小さいころからそれによる自由も不自由もあった。時折、「普通」の家に憧れたこともあった。父がいて母がいて、家族で出かけたり食事を一緒に取る、そんな普通の家に。

だが、清永の人生にそれは与えられなかった。そのこと自体を悲しいと思ったことはない。ただ、そういうものだ、と受け止めていた。

人の『匂い』を感じ取るようになってからは生きづらさが増した。ポーカーフェイスがうまくできなくなっていった。それによって叱責されることもあった。

少しずつ、自分は何のために生きているんだろうか、と思うようになった。毎日の時間を過ごすことに、ひどく疲れるようになった。


そんな時に、伽羅の『匂い』に出会った。

柔らかな、リラックスさせてくれるような爽やかな甘い花の香り。

ふっと鼻先をくすぐってすぐに消えたその香りを追うことに夢中になった。『匂い』の持ち主を探しているあいだ中、わくわくした。いまだかつてないほどに心は高揚し、期待に満ち溢れた。

伽羅だと判明して、遠くからその姿を目に入れたときは胸が躍った。一人で過ごしているのにやけに表情が豊かで、教室の前の方にいつも陣取り真面目に講義を聞いている。演習の時には積極的に発言し、それが最適だと思えば面倒な作業でも厭わずにやり抜く芯を持っていた。

ああ、この人に出会うために今までの時間を過ごしたのだ、と清永は思った。

出会ってからは、余計に表情豊かに清永の顔を見て笑ってくれる伽羅に、ますます夢中になった。伽羅は媚びない。へつらわない。

伽羅の精神さえ美しい気がして、どこまでも自分の手の内に閉じ込めたくなる。

自分のせいで、その身を傷つけてしまった時には心が冷えた。怒りと悲しみと後悔とが胸の中を暴れ回った。


何事も善意から始まる、そう言って笑う君を守りたい。幸せにしたい。

悪意から遠ざけてやりたい。

清永はそう思いながら、熱心に話し続ける伽羅の言葉に耳を傾けていた。




夢中になって話していたことに気づいて、伽羅は顔を赤らめた。

「すみません、私喋り過ぎですね‥」

しかし、伽羅を咎めることなく、清永は笑う。

「いや、伽羅の話を聞いているのは面白いから、構わない」

そう言ってまた次の展示物の前に進む清永の後ろ姿を、なんとなく伽羅は眺めた。

どうして、こんなによくしてくれるんだろう。

どうして、自分なんかに優しくしてくれるんだろう。


無論『匂い』のことはわかっている。だから一緒にいられるのだということも。

男として見てほしい、とも言われているが‥

伽羅はぶるりと頭を振った。男として、いやだって清永さんは男なんだから男としてしか見られないに決まっている。‥いや違う、わかっている。

異性として、恋愛対象として意識してくれということなんだ。


多分、自分は清永のことを意識している。

伽羅はそう、自分の中で結論付けた。

ただ、清永の言葉をそのまま受け止めていいのかがわからない。


身分という言葉が、この現代日本の中で相応なのかはわからないが、清永の家の状況と自分の状況が全く違うのは理解している。

自分が想像もしなかった世界を、清永がこれまで生きてきたのだということも、これからも清永はその世界で生きていくのだということも、理解しているつもりではいる。

だからこそ、本当に清永が自分を求めてくれているのかがわからない。

日々、清永と共に過ごし、清永自身の人柄や性格もわかってきて、伽羅は否応なく惹かれていく自分を感じていた。


しかし、清永は「伴侶としての自分」を求めているのか、「居心地のいい場所としての自分」を求めているのかがわからない。

清永が今後生きていくうえで伽羅の存在が必要である、とよく言われてはいる。だが、それが「愛情」を伴うものなのか、清永の「生き辛さ」を解消するものなのかが伽羅にはわからない。


優しく自分に接してくれて、自分の話も聞いてくれて、見たこともないようなものを見せてくれる清永。

恋愛をしたことのない伽羅にとって、清永のその姿は眩しすぎる。

一緒にいて、こんなにドキドキする人も、どう振舞えばいいのかわからなくなる人も今までいなかった。

両親が亡くなってからは、檀の幸せだけを願って日々を過ごしていたのに。


清永は、伽羅という個人の幸せを満たそうとしてくれる。


それが感じられるだけに、伽羅はどのように振舞えばいいのか、余計にわからなくなっていた。



展覧会のある建物を出て、清永とホテルに戻る。そろそろアパートに戻ってもいいのではないか、という話をしていたところだった。もうひと月もすれば前期試験も終わり、夏休みに入るころだ。

「夏休みの予定は何かあるのか?」

清永に聞かれ、伽羅は少し考えてから答えた。

「夏休みには、少しまとまって家庭教師の時間が入ります。‥去年は短期のアルバイトも入れてたんですけど‥」

「うん、それは入れないでくれ」

清永は笑顔でそう言った。そして、言葉を続けた。

「できれば、通訳も兼ねて俺と一緒にヨーロッパに行ってほしい。伽羅はイタリア語を取ってるだろう?かなりよくできると聞いてる」

「あ~‥まあ、先生にはそう言っていただいてますが‥」

伽羅はそう言って思案顔をした。

「でも、檀を一人では長く置いておけませんし‥部活で大会などもあるようですから」

「ああ、それには愛善がついていくと言ってたぞ。愛善は随分檀と親しくなったみたいだ」

伽羅は、最近の檀の様子を思い浮かべて、確かに、と思った。最近檀からは、学校の話と同じくらい、左柄の話を聞くことが多くなっていた。




いつもお読みくださってありがとうございます。


ストックが尽きまして、どうにも進まないので、少しお休みさせていただきます。

投稿再開時には、活動報告にてお知らせ致します。

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