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左柄は清永たちが出て行ったのを確認すると、清永付きのもう一人の護衛に指示を飛ばして、自分は寿々加の様子を窺っていた。こっそりと眼鏡を外してバッグにしまい、代わりに半袖の上着を取り出して羽織る。これで少しは印象が変わっただろう。
寿々加は、黙ったまましばらく清永たちが消えた方向を見つめていたが、その姿が視界から消えたときに立ち上がり、学食から出て行った。そっと距離を開けながら左柄はその後をつける。寿々加は迷いなく歩いて、大学院棟までやってきた。そしてそのまま建物の中に入り、エレベーターに乗ったところまで確認した。大学院棟は入り口に職員証や学生証などの、院の関係者のIDがなければ入れない。
左柄は小さく舌打ちをして建物を見上げた。しばらく近くに潜んで待ったが、出てくる気配はない。この建物に裏口は一つだけあるが、寿々加がそれを使うとは考えられなかった。
(とりあえず、今日はこのままリリースでいいか)
清永についている護衛に連絡を取れば、特に変わった様子は今のところ見受けられないらしい。その報告を聞いて、左柄はホテルの部屋の手配をした。おそらく、今日から何日かは清永が駒江姉弟を部屋に返したくないだろうと読んでのことだった。
(思ってたよりも、敵意を露わにしてきたな)
左柄はそう考えた。久しぶりに寿々加の話すところを聞いたが、相変わらず気持ちの悪い女だとも思った。見た目はあんなに楚々として美しい様子をしているが、左柄は微塵も寿々加に魅力を感じない。
あれは、世の中のことはすべて自分の思うままになると、心底思いこんでいる質の悪い社会不適合者だ、と左柄は思っている。うわべは美しく取り繕っているし、言葉も優しげなのでだまされるものも多いが、あの女はとんだ毒蛇だ。
衆人環視の中でわざわざ伽羅に接触してくるとは予想外だった。これから駒江姉弟の警備には、より神経を使わねばならない。左柄は頭の中で色々な予定を組み立てていた。
清永に請われて、伽羅は案内されるがままにホテルへと向かった。大洲グループのホテルということだったが、おそらくスイートルームというものなのだろう。リビングルームにベッドルームが二つ付いている広い部屋だった。部屋に入ってそれを見た伽羅は息をのんで立ち尽くし、「こ、こんな豪華な部屋なんて‥」とわなわな震えて断ろうとしたのだが、清永に「ここが一番警護しやすいんだ」と言われて仕方なく黙ることにした。
ほどなく檀もやってきて、やはり伽羅と同じように部屋の入り口でわなわな震えていたが、清永が有無を言わさず部屋の中に引き入れた。
ルームサービスを頼んで夕食を済ませると、清永はごく真面目な顔をして二人に言った。
「‥これからしばらくは不便をかけると思うが、俺達の言うとおりにしていてもらいたい。表立って南戸寿々加が動いたからには注意する必要がある。特に伽羅の身辺は気をつけて俺の警備チームが守る」
檀が恐る恐る清永に問いかけた。
「あの、姉ちゃんのことはわかるんですが、俺もですか‥?」
「そうだ」
清永は真面目にそう言い切った。その厳しい表情に飲まれて駒江姉弟はあまり話すことができない。緊張した面持ちの姉弟を見て、清永は言葉を継いだ。
「‥‥あの女は、自分の思うとおりにならないと常軌を逸した行動をすることで有名なんだ。中学生の時に、自分の好きになった男が成績を落としたから、といって誘拐監禁し、家庭教師をつけて無理やり一日中勉強を強制したことがある」
伽羅と檀が揃って目を見開いて息をのんだ。‥確かに常識では考えられない行為だ。伽羅は疑問を清永にぶつけた。
「それは‥問題にならなかったのですか?」
清永は苦々しげな豊穣を浮かべた。
「無論、相手の親は捜索願も出して大騒ぎになった。‥‥しかし、行方がしっかりわかってから保護者が取り下げたんだ。子どもの合意があった、といってな」
檀がこわごわと尋ねた。
「それって‥」
「嘘だろうな。金を積んだか、親の仕事辺りに圧力をかけたか‥とにかくあの女のしたことは不問に付された。俺達が知っているのはこのくらいだが、おそらく調べればもっと色々あるだろう。‥俺に薬を盛ったこともあるし、二人きりになって襲われたふりをしようとしたこともある」
檀がごくりと喉を鳴らした。
「怖え‥」
清永が頷く。
「だから、お前たちの身辺は俺の警護チームが守る。‥窮屈かとは思うが一人専属で護衛もつける。檀には愛善をつける」
左柄さんか、と檀は眼鏡姿の左柄を思い浮かべた。あの飄々として明るい人物であればそれほど息が詰まることもないかもしれない。
清永は伽羅に向き直った。
「基本、伽羅には俺がつく。俺がいる時もいない時も、この掛屋新がつく」
名を呼ばれて壁側にいた若い男がぺこりと頭を下げた。二十代後半ほどの背の高い男だ。
「掛屋は非常勤講師のパスをもって学内に入ることになる。伽羅も見かけたら一応先生と呼んでくれ」
「わかり、ました」
伽羅はただ頷いた。一瞬、その様子を感じ取った清永が伽羅の顔を見たが、構わず言葉を続けた。
「それから申し訳ないが、しばらく住まいはこの部屋にしてくれ。ここからなら大学も檀の高校もさほど遠くはないだろう?‥できるだけ目立たないようにはするから行き帰りはうちの車に乗ってくれ」
伽羅と檀は無言で顔を見合わせた。‥そこまで徹底しなければならないほど南戸寿々加とは危険な人物なのだろうか。
二人のその空気を感じ取った清永が、額を押さえながら軽く息を吐いた。
「‥大袈裟に見えることはわかってる。それでも俺は後悔したくないんだ。とりあえず一か月は様子を見させてくれ。不自由な思いをさせるが‥すまない」
そう言うと深々と頭を下げた。
「あの、あの全然!全然大丈夫なので!」
「ちょ、大洲さん!頭、頭上げてください!」
あたふたする駒江姉弟を見て、ようやく清永は少しだけ笑った。
そして、駒江姉弟のホテル暮らしが始まった。一度護衛チームに囲まれて二人で当面の荷物をアパートに取りに帰る。荷造りをしている途中、アパートの部屋の中や外で護衛チームが何やらやっていたが、二人は支度に気を取られて細かいところに気づいていなかった。
だが、護衛チームが色々と点検した結果、盗聴器とカメラが何か所か仕掛けられていることが判明していた。
このことは、現場では左柄の判断で、清永に報告してからは清永の判断で姉弟には伏せられた。これ以上怯えさせたくなかったからだ。
仕掛けられていた機器は、駒江姉弟にわからないようにしてそっと取り外された。
左柄はその報告をしたときに渋い顔をしていた。
「いつ仕掛けられていたものか、わからないんですよねえ‥。だからどれほどの情報があちらにいったのかも測れなくて‥」
苛々した様子ですいすいとタブレットを操作する。その様子を見ながら、清永は苦笑した。
「そう焦るな。とにかく二人の身柄さえ確保しておけば問題はないだろう?」
「‥まあそうなんですけどね‥あ~、あの大学院棟どうにかなんねえかな、あそこに入れねえの結構痛い‥」
ふむ、と考え込んだ様子を見せて清永は言った。
「あそこは、理系の学科もある上、論文関係の色々な資料も置いてあるから警備が固いんだ。多分、南戸からもいくらか金が流れてんだろうな」
はあっと大きくため息をついて左柄はタブレットをしまった。
「とにかく、伽羅さんと檀くんを中心に、守っていくしかないですかね」
「そう思う」
清永は左柄にそう言葉を投げると、厳しい顔をした。
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