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左柄の案内してくれた店は庶民的な雰囲気の温かい店だった。鉄板でお好み焼きを焼く、という作業が、清永は初めてだったらしく、おっかなびっくりコテを使っている姿を見て、三人で笑った。口の中を火傷しそうになりながら熱々のお好み焼きを食べ、終始楽しい雰囲気で食事を終えることができた。
レストランで起きた不快な出来事などなかったかのように時間を過ごすことができて、伽羅は心から安堵した。自分のせいで、随分嫌な空気にしてしまった。と後悔していたからだ。
家まで送ってもらった時に、もう一度謝罪をした。
「清永さん、今日は連れて行っていただいた先で暴言を吐いてしまって‥すみませんでした」
頭を下げた伽羅の肩を優しくつかんで身体を起こさせ、清永は言った。
「何度も言っているが、あれはあそこに連れて行った俺が悪いんだ。伽羅の言っていることは間違いじゃない。接客業に従事するなら当然のことだ」
清永ははっきりとそう言い切って伽羅の肩を撫で、手を離した。
「ちゃんとそれを言える伽羅で、よかったと俺は思ってる」
じゃあな、といって清永は車に乗り込んだ。助手席から左柄が顔を出して手を振る。つられて姉弟も手を振った。
車が走り去ってから、姉弟はどちらともなくため息をついた。
「‥楽しかった、けど疲れたね」
「なんか最近、疲れたばっかり言ってる気がするなあ」
お互いにそう言い合って苦笑した。
「あ~さっきのギャルソン、もう馘になってますね。東京都飲食業協会の人員派遣紹介のところに要注意人物として挙げられてる」
「ま、当然だな。妥当なところだ」
清永は軽く言い捨てた。左柄はタブレットを閉じて言葉を続ける。
「しかし、こいつ逆恨みとかするかもしれませんよね。駒江姉弟の警備範囲を広げた方がいいかな~」
「その辺の判断はお前に任せる」
「うい~っと‥あ、そういえば例のオジョウサマがまたせっついてきてたぞ」
「‥‥しつこいな、またか‥」
「まあ、そのためにわざわざうちの大学院に潜り込んだんだろうからね」
清永は深いため息をついた。なかなか思うように処理できない問題だからこそ、憂鬱になる。
左柄の言う「オジョウサマ」とは、南戸寿々加という、流通大手「南戸エクスプレス」の会長の孫である。南戸会長は日本の流通の半数近くを握っている流通業界の首領であり、系列の会社の運営にもいちいち口を出すという昔ながらのワンマン経営者だ。加えて後継者である寿々加の父が目端の利く男であり、関連企業も含めこのところ業績を伸ばしている。大洲ホールディングスも流通関連の企業を持っているが、いまだ南戸エクスプレスの域には達していない。
この孫娘である寿々加は今年で二十四歳、清永より四つ年上の娘だ。海外留学を経て、清永が開邦大学に入学したと知るや、無理やりに開邦大学大学院に入学してきた。ほとんど講義や研究などには興味を示していないようだが、定期的に清永に声をかけてくる。付き合い上、清永も彼女を無碍に扱うことはできないのだが、何しろこの女性の『匂い』が清永は一番苦手なのである。
何度か食事会などに誘われ、仕方なく同席したが、後半あまりにも気分が悪くなり、病院に直行したほどだ。
しかし、寿々加は清永のそうした態度を「自分を好きだから恥ずかしくなってしまったのだ」と相当に自分勝手に解釈していると聞く。清永の婚約者である、という根も葉もないデマを流されたこともあった。さすがにその時は、大洲家から正式に抗議をしたのだが、当の本人は「どうせそのうち本当になりますでしょう?」 と、全くこたえていないから始末に悪い。
そろそろ伽羅のことも耳に入っているはずだ。寿々加がこのまま何もせず伽羅を見過ごすとは思えない。左柄は、寿々加のかわいらしい顔をしていながら蛇のように光るあの目が気に食わなかった。あれは、自分の目的のためなら手段を選ばない人間の目だ、と左柄は思っていた。
清永はそういった視線を見たことがなかったので左柄ほどの危機感は持っていないが、気持ちの悪い人物であるという認識は変わらない。二度の伽羅の怪我のバックに、寿々加がいると言われても何も不思議には感じない。
寿々加が要求してくるのは「親睦を深めるための食事会」である。清永の両親は、いやなら行かなくていいと言ってはくれるが、南戸会長は唯一の女孫である寿々加を非常にかわいがっており、寿々加の言うことは何でも聞く状態らしい。清永は自社グループのために、自分ができる我慢なら最低限はしようと決めていた。
「‥‥前回の食事会はいつだったかな」
左柄はタブレットを素早く操作して答えた。
「あ~大体三か月くらい前ですかね」
「‥そろそろ行かないとだな‥」
清永は、はあ〜っと大きくため息をついた。あの不快な匂いの元と一緒の空間で過ごさなくてはならないのかと思うと、今から憂鬱だ。‥いっそ伽羅を連れていければいいのに、と考えてぶんぶんと頭を振った。そんなことをしてしまったら伽羅にどんなことを言うか、考えただけでも胸が悪くなる。
「本当は、伽羅と檀を、俺と同じマンションに住まわせたいところなんだがな‥」
「まあねえ。あのアパート死角ありすぎなんすよね。護衛に全然適さない建物であることは否定しない」
「‥しかし、おそらく二人とも受け入れてはくれないだろうな」
「まあ、まっとうな感覚の家庭で育ってたらそうだろうなあ」
再び清永が深いため息をつくのを聞いて、左柄は慰めるように言った。
「今はチームも余裕があるから、腕利きを配備してる。あんまり心配しなくてもいいですよ坊ちゃん」
「坊ちゃんはやめろ」
いひひっと耳障りな左柄の笑い声を聞き流す。左柄は声をおさめると慰めるように言った。
「気にはなると思うが、‥今はできる限りの手を打つしかないし、その手も打ってる。あまり気にしすぎるなよ。‥業務に差し支えますよ」
左柄の改まった声を聞きながら、清永は深く座り直し、上を向いた。目の上に手を当てて細く息を吐く。
「‥‥わかってる」
「とりあえずは、あのオジョウサマの食事会、参加するで返事しますか?来週の水曜、ディナーの時間ですけど」
「水曜、か‥」
水曜は伽羅の午後の講義が一つしかない日だ。比較的時間のある日なので、できれば伽羅と時間を過ごしたかった。
だが、別に抱えている仕事もあるので時間をずらすのも難しいだろう。何より、こちらの都合で時間をずらして「もらう」ということを、寿々加相手にはできうる限りしたくなかった。
「‥わかった。店が決まれば教えろと言っておいてくれ」
「お店のチョイス任せちゃいますぅ?‥どんなお店にされるかわからないよ?」
以前、寿々加と食事をしたとき、軽い睡眠導入剤のようなものを飲まされホテルの一室に連れ込まれそうになったことがあった。正式に大洲家から抗議をしたのだが、南戸家の言い分は「レストランの従業員が勝手にしたことで、寿々加は良かれと思って介抱しただけ」という内容に終始した。
この一件からも、清永の両親は南戸家に対していい印象を持っていないのだが、いかんせん、いまだ流通に関しては南戸エクスプレスを完全に切るわけにもいかない。諸事情によって仕方なくつきあってやっている、というのが実情である。
「愛善、お前適当に店を見繕っておいてくれ、警備も一緒に頼む」
「はいはい了解っ、まあ、どんな弱みも見せられませんからねえ」
軽快に返事をしながら、また左柄はタブレットを弄った。横で清永は苦虫を噛み潰したような顔を作る。
「‥できれば、正式に伽羅を婚約者として発表してしまいたいくらいだ。そうすれば相手もおいそれとは手を出せないだろうから‥」
「ちょ〜っと坊ちゃん?順番が無茶苦茶だってのは自覚してるんですよね?」
やや慌て気味にそう言ってくる左柄に、清永は不機嫌に返した。
「だからできれば、って言っただろうが。今すぐというわけにはいかないのはわかってる。‥できるだけ早く‥‥」
その言葉の後に何が続くのか、左柄は幼馴染のよしみとして訊かないことにしてやった。
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