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「姉ちゃん、風呂は入れないんだっけ?」
「ああ、‥少し水疱があるから今日はやめといたほうがいいって言われた」
「そっか、じゃあ先に飯にするか。俺が作るから」
「ありがと、檀」
檀は制服の袖をまくりながらにこりと笑った。
「全然!」
檀の作った親子丼を食べて、玄関に小山のようになっているショッパーを部屋の中に運び込んだ。組み合わせを間違わないように中身を出して一セットごと、箪笥にしまっていく。思いのほかたくさんあって、本当にもらってしまっていいのかと考えてしまう。
とりあえずはしまっておくかと作業を進め、終わった頃に鞄の中からピロン、と電子音がした。
「‥携帯、かな?」
取り出してみるとメッセージアプリの通知が出ている。開いてみれば清永からのメッセージだった。
『明日の朝、八時二十分に迎えに行く。無理をせず早く寝ろ』
結構、きついものの言い方をしてしまったのに、清永は一言も伽羅を責めない。
言葉は少し乱暴だけど、どこまでも優しい人なんだな、と伽羅は思った。
その後、おっかなびっくり清永がくれた携帯電話を使って、家庭教師先の家に連絡をした。思わぬ火傷を負ってしまったので急に休んでしまい申し訳ない、と伝えると、生徒の母親が何でもないことのように答えた。
「先生、大丈夫ですよ、代理とおっしゃる方からそれはもう丁寧なご連絡をいただいていますから。その方のせいで怪我をしたってことで、随分恐縮されていましたし‥先生のお怪我の具合は大丈夫なんですか?」
「あ、はい、ちゃんと病院にも行きまして治療していただいたので‥あの、土曜日には伺えますけど、今週はどうされますか?」
「あら、それじゃあお願いしようかしら」
「はい、伺います。会社の方には私から連絡しておきますので大丈夫です」
「ありがとうございます。先生も無理なさらないでね。連絡くださった方もとても心配していらしたわよ」
「‥はい、ありがとうございます」
電話を切った後、伽羅は清永が自分なりの誠意を尽くして連絡をしてくれたことを知り、また申し訳なかったな、自分が一方的だったかも‥という自責の念に駆られていた。
翌日、金曜日。
清永はいつもの黒い車でアパートのすぐ近くまで迎えに来ていた。携帯電話のメッセージの近くまで来た、という連絡を受けて、伽羅は家を出た。
アパートの入り口まで出て行くと、清永がすぐ近くまで来て立っていた。今日は生成りのサマーニットに、濃いネイビーのパンツを履いている。足元はシルバーのラインが入ったスニーカーで、全体としてバランスがいい。雑誌の中の人みたいだなあ、と伽羅は思った。
伽羅は、清永にもらった一式をそのまま着ている。薄いオレンジのグラデーションカラーのシャツブラウスに、幾何学模様が細かく入ったオフホワイトとグリーンのパンツ、そして足元は新しいスニーカーだ。首元にはアースブラウンのストールが巻かれている。
髪は少し腕が利くようになってきたので、いつもよりは緩くはあるが三つ編みのおさげができていた。
清永は伽羅の姿を見てまぶしそうな顔をした。
「‥おはよう。傷は痛まないか?腕の方も大丈夫か?」
「おはようございます、大丈夫です。朝、火傷のガーゼみたいなのも取り替えましたけど、結構腫れもひいてきてる感じでした」
「そうか、よかった」
清永はそう言って、伽羅が手にしていたリュックをさっと取った。
「鞄は変えなかったのか」
昨日、鞄も肩に負担がかからないという国産メーカーのリュックを持たされていたのだ。
「えっと、中身を詰め替え忘れたので‥今日はいつものにしました」
「そうか。‥‥やはり、その服は似合っている」
清永はぼそりとそう言うと車の方に向かって歩き出した。伽羅はお礼を言うべきか‥?と迷ったが、清永がずんずんと先に歩いていくのでまあ社交辞令だろうし言わなくてもいいか、とそのまま後をついていった。
この二日間ですっかりお馴染みになってしまった黒い車に乗り込む。清永はボディーガードのように伽羅の身体をかばい、ドアを押さえて乗り込むのをアシストしてくれる。伽羅が奥の座席に座ってから、その横に清永が乗り込んだ。
滑るように走り出す車の中でしばらく沈黙が続いていたが、清永が口火を切った。
「昨日と一昨日、伽羅に続けて怪我をさせてしまったことを申し訳なく思っている」
伽羅は昨日、電話で家庭教師先の母親に言われたことを思い出し、慌てて清永の言葉を遮った。
「いえ!私が一方的で、浅慮でした!清永さんが、あの‥とても誠意をもって連絡してくださったと、聞きました‥」
そう言いながら、申し訳なさが募って思わず俯き加減になってしまう。清永はそんな伽羅の姿を見て、そっと伽羅の膝の上にある手に自分の手を重ねた。伽羅はぴくりと肩を震わせた。
清永の手は大きく、温かい。
「‥俺は‥俺が、少しでも特定の人間と親しくなろうとすると、いつも誰かしらの横やりが入るんだ」
「‥そう、なんですね‥あの、昨日少しだけ左柄さんに聞きました」
「そうか」
寂しげな清永の声に、思わず伽羅は清永の顔を見た。
清永は、凛々しい眉を少し下げて目を伏せながらも微笑んでいる。その顔が、なんだかとても寂しいものに感じられて、伽羅は胸が締めつけられるような気がした。
そう感じた瞬間に、自分の手に重ねられた清永の手を両手でぎゅっと握りしめていた。
「あの、私でよければ清永さんと親しくお付き合いさせていただきたいと思っていますので!お昼ご飯も、一緒に食べられるときはご一緒しましょう!」
ふん、と意気込みながらそういう伽羅を見て。清永は少し眉を上げた。ふふっと笑い声が洩れる。
「ありがとう。嬉しいよ。俺はそういう事情もあって親しくなれる人間が少ないうえに、『匂い』の問題もあってなかなか親しくつきあえる人間がいないからな‥だが、伽羅」
今度は清永が身体の向きを伽羅の方に変え、伽羅が握っていた清永の手が逆に伽羅の手を握りしめてきた。その力強さに、少し驚く。
「俺は、伽羅と友達になりたいわけじゃない。伽羅の恋人になりたいんだ。そしていずれは伽羅の伴侶になりたいと思っている」
「は、伴侶‥?」
清永は伽羅の肩に腕を回し、ぐっと自分の方に引き寄せた。伽羅の顔のすぐ近くに、清永の整った顔が迫ってくる。うわあ睫毛びっしり、などと考えていると清永が真面目な顔で言葉を重ねてきた。
「結婚まで考えているということだ。伽羅、俺を男として見られないか?」
「お、男として‥?あの、清永さんが男だって言うのはわかってますけど‥」
清永はふっと息を吐いた。伽羅の頬に左手を当て、じっとその目を見つめてくる。
「恋愛対象として見てくれ、ということだ。俺は‥伽羅にとって好ましくないか?」
「そっ、そんなことは、ない、ですけど、あの」
「俺にこんなふうに触られるのは嫌か?」
話しながらどんどん清永の顔が近づいてきて、とうとうこつん、と額同士がぶつかってしまった。信じられないくらい人の顔が近くにある、ということに伽羅はどぎまぎしてしまう。
「いえあの、好ましくない、ことはないんですが、なんか、あのドキドキするので離れてほしいです!」
伽羅が半ば叫ぶようにそう言って目をつぶると、清永はふっと笑ってゆっくりと伽羅から離れた。ただ手はまだ握られているままだ。
手も離してくれないかな、なんかすごい汗かいてきてる気がするんだけど、と伽羅は思うのだが口に出せない。清永は両手で伽羅の手を挟むようにして撫でてくる。
「ドキドキする、ってことは多少俺のことを意識してくれているということかな‥そうなら嬉しいが」
そう言ってまた伽羅の顔を覗き込んでくる。
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