13
伽羅は昨日からのことを思い返してみた。
確かに、このような嫌がらせめいたことをされたのは入学以来初めてだ。清永に声をかけられてすぐだから、左柄の言うように清永が近づいた伽羅に対していい感情を持たない人がいるのだろう。
それに対して、清永の反応はどうだったか。伽羅を昼食に誘った時は確かに強引だったが、その後、伽羅の怪我に気づいたときは、伽羅の安全と怪我のことをとても気にかけてくれ、色々と細かく対応してくれた。
今日だとて、何かあるかもと心配して左柄を講義の間、傍につけていてくれたのだと聞いている。そのおかげで熱傷にも適切に対応することができ、スムーズに病院まで来て診察してもらうこともできた。
清永がそれだけ伽羅に対して気を配ってくれているのは、よくわかっている。だからこそ、伽羅は自分の意志を軽く見るような清永の言動が許せなかった。
少し俯きながら唇を噛みしめている伽羅の顔を、シート越しにちらりと見て左柄は続けた。
「だからさ、駒江さんの気持ちとか都合よりも、安全を優先しちゃったわけ。‥決して駒江さんを軽んじたわけじゃないと思うよ」
「はい‥」
左柄の言うことは尤もだ。‥だが胸の奥のチリチリした感情が消えてくれない。そんな様子の伽羅に、横にいた檀がおずおずと話しかけた。
「‥姉ちゃん」
「何‥?」
檀は少し迷った様子を見せてから、ぽつぽつと話し出した。
「左柄さんから連絡が来た時、俺大洲さんと一緒にいたけどさ‥すっごい心配してたし、さっきも姉ちゃんが着替えてるとき、自分のせいだ、すまないって謝ってた」
「‥そう、なんだ」
伽羅はすっかり下を向いてしまった。檀は迷いながらも、清永の姿を思い出して言葉を続けた。
「姉ちゃんが運命の女なんだって」
「え?」
怪訝な顔で自分を見つめてくる姉に、檀は言った。
「清永さん、そう言ってたよ。これからの人生に姉ちゃんがいないのは考えられない、って。でも、姉ちゃんが怪我してここにきて‥自分に関わらなかったら姉ちゃんが怪我をすることはなかった、って言ってて‥すごく後悔してるみたいだった」
檀は真面目な顔をしてそう言った。
本当は、伽羅にもわかっている。
清永が、伽羅を尊重しないような人物ではないということが。おそらく、今檀が言ったように伽羅のけがの責任を重く受け止めていて、先回ってのアルバイト先への連絡は伽羅を守りたいあまりの行動だったのだろう、ということがわかっている。
清永は誠実な人間だろうと思っていたから、腹立たしかったのかもしれない。
伽羅はふとそう思った。
きっと、責任感も強くて伽羅を蔑ろにはしない人物だと、そう思っていたのにも関わらず、伽羅が大事にしている部分を無視されたことが、自分で思うよりもショックだったのかもしれない。
たった二日しか会っていないのに、どうして自分はこんなに清永のことを認めて期待してしまっているんだろう、と少し伽羅は自分が情けなくなった。期待をしているから、その期待に反したことをされると人は腹が立つのだ。
「‥‥清永さん、が、‥悪気のないことはわかってます」
伽羅はようやくその言葉を絞り出した。横の檀がホッと身体の力を抜いたのがわかった。檀も今日、清永と過ごしてみて、思うところがあったのだろう。
「言い過ぎちゃったかな‥」
ぽつりとそう呟いた伽羅の声を聞いて、左柄はさっと振り向いた。そして「大丈夫ですよ!」と力強く請け合ってくれた。
「坊ちゃんも自分の判断だけで、色々勝手に決めるのに慣れちゃってるところもありますからね〜。たまにはいい薬です!」
「そ、そうですかね‥」
「そうです!」
左柄はそう言い切った。
ほどなくして車は二人のアパートに着いた。左柄と運転手に礼を言って、姉弟はアパートの入り口へ向かう。するとそのドアの前に一人の人物が立って待っていた。
「清永、さん‥」
清永は足元にあのショッパーの山を積んだ状態で立っていた。ゆっくりと伽羅の目を見つめてから、すぐに下を向いた。。
「‥‥伽羅」
「は、ふぁいっ」
伽羅は低い清永の声に少しおののいて、変な声を出した。横で檀がぶっと吹き出している。檀、後で覚えてろよ〜と思いながら伽羅は清永の顔を見た。
清永は、少しためらってしているように見えた。そのような清永の様子はこの二日見たことがなかったので、伽羅は不思議に思い、下を向いたままの清永の顔を覗き込んだ。
「清永さん?」
清永は顔を覗き込まれて伽羅と目が合うと、かっと美しい顔を赤くした。
「きゃ、伽羅」
「はい?」
「‥先ほどは、俺が、勝手をして悪かった」
伽羅は、清永の素直な謝罪に少しばかり驚いて動きを止めた。清永はゆっくりと顔を上げて、正面から伽羅の顔を見つめる。その頬は赤らみ、目尻まで赤くなっていた。
「‥ゆ、許してもらえるか」
頬を赤くしたまま、伽羅の目を見て、また少し目を伏せ、そしてまたちらりと伽羅の目を見る清永の様子に、今度はなんだか伽羅の方が恥ずかしくなってきた。
「え、はい、いえ、あの、私、も、すみません‥色々、お世話になってるのに‥」
「いや、伽羅の怪我の責任は全部俺にある。‥だから、伽羅は何も悪くない。俺が全部悪かった‥でも」
清永は今度は目を伏せることなくじっと伽羅の顔を見つめた。
「できれば許してほしい。‥‥そして、俺との付き合い、を続けてほしい、と思う‥」
「あ、‥はい、わかりました」
清永は大きく目を見開いて、そっと伽羅の手を取った。
「許して、くれるのか‥?」
「はい、あの、私も言い過ぎたと思いますので‥」
「ありがとう‥よかった‥」
伽羅の手を握って、清永は心からほっとした顔をした。
その横で、檀がわざとらしく咳払いをした。
「ンンッ、ンッ、あの!そろそろ家に入ってもいいですか?」
そう言われた二人ははっとしてお互いから身体を離した。
「ああ、すまんな」
「ごめんね、檀、今鍵開けるから」
「いや俺が開けるよ」
ガチャリと鍵を開け、ドアを開けたところに、素早く清永が入ってたくさんのショッパーを運び込んだ。
「清永さん、これ」
「伽羅のために買ったんだ。明日から着てくれ。‥朝、迎えに来るから」
「え?」
驚いた伽羅をそのままに、清永は荷物を置くとすぐにドアの外に出た。そして伽羅に中に入るよう促すと、少し笑顔を見せながら言った。
「これから、毎朝迎えに来る。伽羅の身の回りを俺が守る。‥‥それは許してくれ」
清永はそう言うと、伽羅の返事を待たずにドアを閉めていってしまった。
少し離れたところで車にもたれ、にやにやしながら待っている左柄のところまで来ると、それに構わず清永はすぐに車に乗り込んだ、
すかさず反対側に回った左柄も乗り込んでドアを閉めると、窓の方を向いている清永の顔を覗き込んでくる。
「‥タクシー使ったんすか?嫌いなのに」
「‥ほかに手段はなかった」
ぶすっとして答える清永を見て、左柄は心からおかしそうにくくくっと笑った。
「いやあ、面白いもん見れたなあ。坊ちゃん、なかなか駒江さんはいいですねえ」
「‥少し黙ってろ」
「へーい」
左柄は笑みを浮かべたままタブレットを操作し始め、清永は腕組みをしたまま窓の外の景色を眺めた。
頭の中に、伽羅の怒った顔と、困った顔と、そして笑った顔が無限に再生されてくる。
清永は伽羅のことを「気に入った」から「好き」であり、「愛している」と思っていた。
しかし今、「頭から離れない」から「会いたくなる」のであり、そしてそれが真に「愛している」ということなのかもしれない、と考え始めていた。
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