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「用事は全部済んだから、家まで送る」
「え、あの、今日家庭教師が‥」
「休め。もう連絡はした」
「えっ!?」
たくさんのショッパーを拾い上げながら清永が言った一言に、伽羅はさっと顔を上げた。
「‥連絡はした、ってどういうことですか」
「お前が登録している家庭教師派遣会社に連絡して休むことを伝えてある。心配するな」
「‥‥心配、してるんじゃないです!」
急に大きな声を出した伽羅に、清永と横に突っ立っていた檀、そしておりしも今部屋に入ってきたばかりの左柄が驚いて、みなその場に固まった。
伽羅は、頬に朱をのぼせて清永の顔をじっと見つめている。今まで見たことのない伽羅の表情に、清永は思わずごくりと喉を鳴らした。
「伽羅、」
「清永さん、あなたに色々と面倒を見てもらってて、こんなことを言うのは、おかしいかもしれませんが‥」
伽羅はあふれ出る感情を制御しようとするかのように、片手で自分の震える身体を抱きしめながら言った。
「清永さんは、私じゃありません。なのに私のことをどんどん清永さんが決めるんですか?私に何の断りもなく?‥家庭教師は、私がどれだけ役に立っているかはわかりませんが、それでも私が責任を持って取り組んでいる仕事です。それを、私に何の断りもなく休む連絡をするというのは‥」
伽羅はきっと顔を上げて強い目で清永を睨んだ。
「私を、同じ人間として尊重していないということです!」
清永がショッパーを手にしたまま固まっている。その顔は驚きと困惑と、そして羞恥に彩られていた。
伽羅は、無論清永に感謝していないわけではない。守りたいと思ってくれていることも守られていることも、清永の顔や言動を見ていればわかる。実際に色々と行動に移して、このたった二日間の間でも伽羅の面倒を見てくれた。
しかし、伽羅には自分の人生を自分の努力で切り開いているという自負があった。
周囲の人々の手は借りながらでも、自分のできる努力は最大限にしてこれまでの困難に立ち向かってきたという、無意識の矜持があった。
昨日からの清永の好意からくる様々な行動は嬉しい反面、どこかに、何かに、伽羅に違和感を感じさせていた。それが何なのか自分でも今一つ掴めないまま、今日のこの場まで来てしまったのだが、今この時の清永の言葉によって伽羅ははっきりと自覚した。
彼は、人に命じ、従えさせることに慣れた人間であり、無自覚に人を人として尊重していない部分がある、ということを。
容貌も美しく、金にも困っておらず、昨日自分で言ったところによれば頭もいいのだろう。そのような人物なら、そういった意識になっていたとて不思議ではない。
しかし、それは伽羅にとって譲れない部分だった。
伽羅の亡くなった両親が生きているときも決して余裕のある生活状況ではなかったが、二人はお互いに愛し合い、尊重し合っている夫婦であるように見えていた。相手を軽んずることなく、自分とは違う意見であっても一度は耳を傾ける。そのような両親のありようを見て育ってきた伽羅には、そういった夫婦の姿こそが自然であるべきものだと思っていたのだ。
昨日会ったばかりではあるが多少心を許しそうになっていた清永に、そうではないことを示されて、自分は悲しくもあり怒りを感じてもいるのだ、と伽羅は思った。
病院のスタッフが詰めてくれていた自分のもともと着ていた服が入ったビニール袋と、自分のリュックを手に持つと、いまだに黙って突っ立ったままの清永に会釈をして伽羅は部屋を出た。檀が慌ててその後を追う。
カタン、という軽い音とともに引き戸が閉まる。左柄が清永の肩を掴んで揺さぶった。
「おい、ぼーっとするな。彼女の帰宅はどうするんだ?このままだと姉弟で帰っちまうぞ!」
左柄にそう言われて、ようやくはっと自分を取り戻した清永は、珍しくも頼りない声で左柄に指示を出した。
「‥車で送ってくれ、嫌がるかもしれないが‥何とかお前が説得してやって‥」
「わかった、じゃあ後で連絡すっから」
左柄は素早く自分の荷物をひっつかんで部屋を出て行った。走り去る音が聞こえてくる。
清永はただその場に突っ立っていた。
しばらく経って看護師が部屋の中に入ってきて清永の姿を認め、驚いて声を上げた。
「大洲様、まだこのお部屋を使われますか?もうお帰りになられたかと思ったのですが‥」
「‥‥ああ、もう、帰る。手数をかけてすまない」
ややしどろもどろに返事をして、清永はぎくしゃくと部屋を出た。ぼんやりと考え事をしながら歩く清永の姿は、普段に似合わずどこか頼りなげだった。
檀に荷物を持ってもらいながら、伽羅はできるだけ早く歩こうとしていた。どこかで電話を借りて家庭教師先に連絡をしなければ。一方的に休むなんて申し訳ない。その気持ちでいっぱいだった。
檀が持っている携帯電話のことはもちろん、リュックの中に押し込まれている携帯電話のことさえもすっかり忘れていた。
公衆電話を目で探していると、後ろからのんびりとした声が聞こえた。「
「ちょっと待って~駒江さ~ん」
ゆっくりと振り向けば、今日火傷をしたときにてきぱきと処理をしてくれた学生だった。病院に連れてきてくれてから、実は清永に仕えているものだ、と立場と名前を名乗ってくれた人物である。
伽羅は足を止めて左柄を見た。左柄は、伽羅の意志の強そうな表情を見て苦笑した。
「絶対俺の言うことは聞かないぞ!って感じの顔だね」
「送っていただかなくても結構ですので」
「駒江さん。あなたの怪我はねえ、全部うちの坊ちゃんのせいなの」
柔らかな声でそうきっぱりと断言した左柄に、伽羅は虚を衝かれた。左柄の少し笑った顔は何を考えているのか、感情が全く読めない。言葉を口に出せないまま、こちらを見ている伽羅に向かって、歩くよう促しながら左柄は話し出した。
「うちの坊ちゃんってさ、結構上等な男でしょ?だから坊ちゃんにまとわりつく人間ってすっごく多いんだよね。多分、駒江さんたちが予想もできないくらい」
ゆったりとした口調で話しながら、左柄は滑らかに伽羅と檀を駐車場まで連れてきた。いつも大きな黒い車の前まで連れてきて、伽羅が身体を固くした時、左柄はドアを開けてにこっと笑った。
「乗って。色々説明したいし。駒江さんもあまり動かない方がいいでしょ、まだ」
「‥姉ちゃん、送ってもらおう」
車の前で両足を踏ん張っていた伽羅の背中を、檀が押した。伽羅は檀と左柄の顔を交互に見やり、諦めたような顔をして素直に乗り込んだ。
左柄は助手席に乗り込み、運転手と短い会話をしてから後ろを向いた。
「俺、前に乗ってるから前向くけど、大きな声で話すからね」
そう一言断ってから、左柄は話し始めた。
「駒江さんが、坊ちゃんの身の上をどのくらい理解しているのかわかんないけど、俺ってメインの仕事は坊ちゃんの護衛なのね。まあ、国内だとそこまで危ないこともないし、坊ちゃんもそこそこ護身術は使えるんで四六時中傍にはいないけどさ。まあうちの坊ちゃんはそういう立場の人なわけ。
そして、そういう坊ちゃんに近づきたい輩もうようよいて、下手に坊ちゃんが関わるとその人がいっぱい嫌がらせされたりしちゃうんだよねえ」
そう言ってから左柄はシート越しに振り返って伽羅の顔を見た。二ッと笑って続ける。
「だから昨日のことも今日のことも、完全に坊ちゃんのせいなの。それって理解できる?」
「は‥はあ‥」
左柄は再び前を向いて大きな声で話し続けた。
「で、そのことを坊ちゃんもわかってるわけ。だから駒江さんの安全を自分が守らなきゃ!って焦ってたんだよね、多分」
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