092:鍵を握るは祓魔師(side:タクミ)
「……」
娘の様子は……問題ない。
あの力の体への負担を軽減する為。
あの方に協力を仰ぎ、力の循環を図ったが。
その成果はかなりのものであり。
身体への負荷は僅かに減り、身体構造にも変化が見られた。
これを成長と捉えるのか。将又、進化と捉えるのか。
何方とも言えないかもしれないが、それでも前進した事に変わりはない。
端末に映っているのは、ベッドで眠る娘の姿で。
私は安心したような表情で眠る娘に安堵する。
ランベルト・ヘルダー氏の協力もあり。
実験の進行状況は格段に上がっている。
未知の力である“天使の血”は、やはりあの方の力と似ているものであった。
この世界で唯一の不老不死の人間。
いや、精確には人の皮を被ったナニカだ。
彼は間違いなく人間では無く、全く別の存在だろう。
それも高次元の生命体であり……本当に良かった。
対魔局の人間たちは、カブラギと彼を繋げる事を恐れていた。
それは、彼という存在の経歴に傷をつける恐れがあったからだ。
そして、もう一つあるとすれば……やはり、アレの存在だろう。
神無き世界に存在する神が存在した事を証明する存在――“天使”だ。
コツコツと廊下を歩いていく。
あの区画へと繋がる道だけには、自動の道はつけていない。
あの区画の存在を知る人間は私と数名だけであり。
末端の研究員。主に表でのみ活動している者たちは、天使に纏わる事すらも知らされていない。
幾つものセキュリティを超える。
そうして、固く閉ざされた扉の前に立つ。
私は片手を上げる。
そうして、ゆっくりと己の眼球に手を添えて――嵌め込まれたそれを引き抜く。
眼球を模して造られた鍵だ。
あのヘルダー氏でさえも、これが義眼であると見破れなかった。
それを台座に嵌め込む。
すると、認証が完了し――扉が開かれて行った。
義眼を抜き、それを目に再び嵌める。
そうして、ゆっくりと暗い部屋の中に足を踏み入れる。
順番に床の明かりが灯っていく。
その中を歩いていき……静かに足を止める。
無数の機械が設置された部屋。
機械の駆動音が静かに響き。
高温になる事を避ける為の冷却装置が常に稼働している。
ポッドのようなものは生命を維持する為のもの。
満たされた特殊な液体は、それだけで体が必要とする栄養を肌を通して補給させる。
体の洗浄も同時に行われて、バイタルのチェックを欠かさない。
全てのポッドの中には、意識を強制的に奪われた状態の――“人工天使たちが眠っている”。
「……」
百年以上前、私が敬愛する曾祖父――ゲンブ・カブラギが生み出したものたちだ。
二百年以上前、古き時代の遺跡で見つけた一つの遺体。
ミイラになり果て、完全に死んでいる筈のそれは。
研究者たちの解析によって人類では無いと結論付けられた。
過去のデータには存在しないそれ。
ただそこにあるだけで生命を芽吹かせるような清らかさを感じるそれを、科学者たちは“天使”と呼称した。
天使の遺体は、すぐに対魔局が預かる事になった。
そうして、その遺体から採取できた体組織を使う事によって悪魔に対して有効なダメージを与える事が確認できた。
人類にとっては大きな発見であり、悪魔に家畜のように弄ばれてきた彼らは反攻の狼煙を上げようとしていた。
莫大な研究費を投資し、世界中で優秀な科学者をかき集めて。
カブラギの前身となる研究所が起ち上げられて、長い間、天使の研究が進められてきた。
その結果、最初の聖刃が生み出された……が、私から見ればあれは間違いなく失敗作だった。
死亡した遺体の細胞を中途半端な状態で復元し。
それを無理矢理に増やそうとした結果。
悪魔に対して従来の武器よりは有効なダメージを与える事は出来るようになっただろう。
が、結果からいえば当時のケーニヒでさえも最上級を相手に苦戦するほどの出来だった。
ネームドは勿論、それ以上の相手に対してはまるで歯が立たない。
上位者に対して有効でないのであれば、それはただの玩具に過ぎない。
それでも、対魔局は嘘の情報を世界に流し。
悪魔事件に対する功績を掲げては、人類は悪魔には屈しないなどと嘯いていた。
嘆かわしい事だ。
ただの玩具が、本物の悪魔を殺せるなどと……だが、ゲンブ・カブラギはそれを可能にした。
当時、二十代という若さで世界で最も優れた科学者に名を連ねるほどの男がいた。
それこそが、ゲンブ・カブラギだ。
彼はその功績を認められて、天使の遺体を研究する事を許可された。
彼はすぐに天使の遺体という可能性に満ちたそれに取りつかれたのだろう。
碌な食事を取る事も無く、二十四時間ずっと研究を続けていたと聞く。
曽祖父は他の科学者とはまるで違う考えを持っていた。
それは遺体から採取した細胞を復元するのではなく。
遺体を解析し、可能な限り採取した対組織を使う事による――“天使の復活”だった。
当時の科学者たちは曾祖父の考えを否定していたらしい。
不可能であり、リスクが高すぎると。
遺体は一体だけであり、貴重なサンプルをいたずらに消費する事は許されないと。
しかし、彼は全ての人間を己の研究理論や功績によって黙らせた。
不可能を可能にする……彼が命を懸ける事によって天使復活のプロジェクトが建てられた。
若き天才。
まだ二十代の若さであったが、その功績は当時の科学者を遥かに上回るものだ。
ベテランの科学者たちからは疎まれていただろう。
だからこそ、研究そのものが成功した時も。
その功績は彼のものにはならず。
歳だけを食った凡才の手柄となった。
それでも曽祖父は苦言を呈さず。
ただ一つ、自らの研究所を建てる許可を貰った。
対魔局は、前身となった組織を解体。
その後は、カブラギ製薬研究所として日之国で拠点を置き。
私の代になるまで表と裏で人類に貢献してきた。
……私は曾祖父は勿論の事。祖父も父も尊敬している……だが、我々の手は汚れ切ってしまった。
罪人とはいえ、多くの人間を研究の為に消費して来た。
確実に死ぬであろう投薬実験。
助からからないからと摘出した臓器や人体のパーツ。
適切な状態で、車の部品のようにラベルを貼って保管し……悪魔だろうさ。
彼らの事を人として見た事は無い。
そして、自らの行ってきた事を私は悪いとも思っていない。
罪を犯した人間の使い方は。
その身をもっての贖罪だけだ。
生きる事が償いにはならない。
大切なものを奪われた存在たちは、罪ある存在の死しか望まない。
だからこそ、私はそんな存在たちに代わって罪深き存在たちを苦しみの中で殺す。
正義とは呼ばない。
が、これを悪だとは思わない。
私は私の目的の為に、素材を使っていただけだ……そう思っていた。
「……元気だな」
「……」
目の前のポッドで眠る人工天使。
腰まで伸びた長い純白の髪に。
閉ざされている瞼の下には綺麗な銀の瞳。
清らかで美しい女性の姿をした彼女。
目には特殊な布が巻かれて、口も万が一にも声が出ないように専用の拘束具が嵌められていた。
互いに愛情を持つ事無く、私は彼女の言葉を聞く事もせずに――“子を産ませた”。
今まで行っていた培養器によるクローンの生成。
一年も待たずに生み出した存在たちを急速に成長させて。
学習装置により祓魔師として必要な知識を植え付ける。
それにより、優秀な兵士を生み出す事が出来た。
十体や百体では無く。千を超えるほどの優秀な兵士だ。
奴らの体にはオリジナルよりも遥かに劣るとはいえ天使の血が流れており、聖刃の効果を少しだけ高める力があった。
それ故に、対魔局からも期待されて一部の兵士は既に本部の特殊部隊員として使われている。
残った兵士は対魔局にとって重要な存在たちへの護衛役であったり。
“汚れ仕事”を行う為だけに使われていた。
刻印についても最初から備わっているが。
クローンには個体差があり、失敗作とされる存在には刻印が無い場合もある。
失敗作に待っているのは廃棄だけであり。
まるで、家畜を殺すように私自らの手で始末し。
そうして、次のクローンを生み出す為の材料に戻す。
クローンの寿命は短い。
精々が三年から五年だ。
如何に優秀なクローンであっても、それだけしか生きられない。
無理矢理に成長させて、一度の大量の知識を植え込むのだ。
身体への負荷は相当であり、その上、弱いとはいえ天使の血が流れている。
五年も持てば良い方であり、そのほとんどが三年だ。
だからこそ、対魔局は優秀な兵士を生み出し続ける事を私に命じた。
何度も何度も生み出し。
何度も何度も殺して。
何度も何度も返されて来る死体を処理し……そうだ。私も罪人だ。
クローンたちを憐れまない。
私は私がする事に後悔はしない。
目的の為に、人類を平和に導く為に。
私はこの手を汚してでも、大義を成さねばならない……そう思っていた。
「……それでも、せめて、あの子だけは……」
ポッドの表面を撫でる。
彼女は瞬き一つしない。
クローンの生成に未来は無いとすぐに悟った。
優秀な兵士であろうとも、ネームド以上の存在とは互角の戦いは出来ないのだ。
そして、如何に強力な聖刃を生み出そうとも、使い手はが貧弱では意味がない。
試行錯誤を重ねて、コンピューターを使って検証を重ねて……遂に辿り着いた。
クローンの失敗は、命としての過程を歩まなかった事だった。
ただ心臓が鼓動しているだけの存在を生み出しても意味はない。
天使の血を覚醒させる為には、培養では無く時を掛けて成長させる必要があった。
少しずつ血を体に馴染ませて、少しずつ器をそれに見合った形にする。
真に必要だったのは“時間”と“心”であった。
その結論に至り、私は眠っている人工天使の一体を使い……子を宿らせた。
人工天使を知る仲間たちは、私が気でも狂ったと思っただろう。
だが、ハリが生まれて私の考えは正しかったと証明された。
ハリは全てにおいて優れていた。
刻印はあるがまだ使う事は出来ない。
が、それを抜きにしても天使の力が正しく覚醒していた事は今までの中で最も嬉しい成功だった。
身体能力も、潜在的に宿っている力や才能もだ。
全てが想像以上であり、私は歓喜に満たされながらあの子との時間を過ごした。
私が正しき教育者としてあの子を導く。
完璧な兵士として育て上げて、不死の研究を進展させると。
最初の私には彼女への愛情など無かった。
優秀な個体として見ていて、名も与えず。
ただ601と呼んでいた。
……が、そんな冷たい私を変えてくれたのはあの子だ。
『お父さん!』
こんなにも冷たく。
娘の事を番号で呼ぶ私に、あの子は何時も無邪気に笑い掛けてくれた。
その小さな手で私の頬に触れて。
歩けもしないのに、必死になって私の元へやってくる。
最初に話した言葉は……お父さん、だったな。
誰が教えたのか。
私は一度も、自分の事を父だと言った事は無かった。
しかし、あの子は私の事を父親として見てくれていた。
私はそれから考えを変えた。
他のクローンとは違う。
彼女の中には私の血が流れている。
優れた個体であるが、そうじゃなくとも関係ない。
あの子は私の娘であり、私のたった一人の家族だ。
都合がいい、自分勝手。
クローンに愛は向けなかったのに、と。
自分の中にいる罪悪が、そう叫んでいる気がした。
好きなように思えばいい。
今更、自分という存在を取り繕う事はしない。
それでも、私はハリの事を娘だと思っている。
成長する娘の姿が嬉しかった。
一生懸命に頑張っている娘の横顔が好きだ。
そして、私の期待に応えようとする彼女の心も嬉しかった。
……私はハリを正しく育てる事ばかり考えていた。
検査をしていれば、すぐに分かってしまう。
あの子の体が天使の血に馴染めず蝕まれているのだと。
本来、天使と人間の血は共存など出来ない。
天使の血は特別であり、不浄を祓う力を秘めている。
不浄とは何も悪魔や魔物を指すものではない。
人間そのものも、僅かにだがケガレを孕んでいる。
娘の寿命は精々が二十年。
十五になった今、後五年しかない。
不死の研究によって神を生み出す……それに嘘はない
が、それと同時にやるべき事がある。
それは、あの子が五年後も笑って過ごせる未来を作る事だ。
その為に、私はあらゆる努力を惜しまなかった。
伝手を使い、ヘルダー氏とコンタクトを取ろうとし。
それを邪魔されながらも、彼が修道院に行く事が計画されていると知った。
娘にはどのように説明するべきかと迷ったが。
あの子は自らの意志で学校に行きたいと願ってきた。
私は悩んだ。
あの子に知らせるべきかを。
いや、本当に修道院に向かわせるのかと……私は決断した。
娘には説明せず。
修道院に行くように指示した。
もしも、最初からヘルダー氏の事を知っていれば。
あの方は娘の事を警戒していただろう。
合理的な考えから、娘の存在自体を消していた場合もある。
賭けであった。
あの方が娘の事を正しく導いてくれる事に私は懸けた。
ニンドゥでは肝を冷やしたが、その一件を通して娘も大きく成長した。
カガナの事も迷ったが、彼の傍にいれば安全だと考えた。
出来る限り、あの方の傍にいさせて……そうして、懸けに勝った。
カブラギに来るように仕向ける事に成功した。
如何に上層部が邪魔をしようとも。
あの方の意志を捻じ曲げる事は出来ない。
天使との接触を恐れていたからこそ、遠ざけたかっただろうが……これでいい。
同情を引こうなんて思わない。
情に訴えるのは愚かな行為だ。
私がそれをする事は許されない。
私は本来の目的のみを明かすだけだ。
あの言葉に偽りはない。
私は世界の真実を知りたい。
そして、この世界に神を創造する。
悪魔を滅ぼし、もう誰も奴らに怯えなくていい世界を作る。
神と天使がいれば、悪魔たちはこの世界を支配できない。
完璧な世界だ。
我が願いとなる鍵は、“あの方”で……叶えるさ。
何年掛かろうとも。
死ぬ間際であろうとも、私は望みを叶える。
それが多くの命を弄んだ私の贖罪。
私の死を望まず。
最期まで心を持たせなかったクローンたちへのケジメだ。
「……ハリ、私はお前を……必ず……」
あの子が生きる未来に私はいらない。
あの子が生きる世界に私の居場所はない。
私は私という存在を懸けて――――“願いを成就させる”。




