005:祓魔師は無慈悲である(side:ランベルト→エゴン)
気持ちの良い朝を迎えた。
久しぶりに真面にシャワーを浴びた上に真面に朝食を食べる事が出来た。
それだけじゃなく、何と朝の六時まで寝る事が出来た。
こんな事は前代未聞と言っても過言ではない。
清々しい朝日を浴びながら、気分も良かったので十五分前に職員室に入ってしまう。
すると、既に他の教員たちは授業の準備を始めていた……皆、立派だねぇ。
俺は自分のデスクに鞄を置く。
すると、横から誰かが挨拶をしてきた。
視線を向ければもちもちの頬をぶら下げるデブ校長が立っていた……何だ?
とてもニコニコとしている。
何が嬉しいのかと訝しみながらも、取り敢えずは挨拶を返す。
「いやぁいよいよ今日から本格的にベッカー先生による指導が始まるのですねぇ。うんうん」
《……何でそんなに嬉しそうなんですか?》
指導が始まるからと言っても、別に俺は特別な事は一切しない。
適当に走らせたり、適当に缶蹴りでもさせて遊ばせるだけだ。
そうして、奴らがじゃれ合っている隙に俺は持ってきたゲームで遊ぶ。
完璧な計画であり、昨日のようにたんまりとある時間を使って俺は――
「はは! それは嬉しいですとも。何せ、貴方の事はバルテン様より聞かされておりましたのでねぇ。それはもう大変優秀な方で、貴方の指導があればどんな人間であろうとも一流の祓魔師になれるとおっしゃっていたのでねぇ。期待していますよ! はは!」
《そうですか……へぇ》
あの鬼畜眼鏡が俺を此処へと派遣したが。
まさか、自ら進んで俺を推薦していたとは思わなかった。
まぁ、このデブにしてみればアントホルンで支部長をしている天才様が勧める人材なんだ。
そりゃもう期待値は爆上がりであり、こんなだらしのねぇ顔も晒してしまうだろう。
――まぁどんなに期待されても関係ねぇけどな!
俺は好きなように振舞うだけだ。
適当にやってさえいれば、適当に生徒は育つ。
その質が悪いとか言われたとしても俺にはなぁにも――
「まさか、結果が伴わなければ私の独断で貴方の事を切り捨てても構わないと言うほどですからね。さぞ、あのお方から信頼されているのですねぇ。いやぁそんな方が我が修道院に」
《――今、何と?》
俺はデブの言葉を遮る。
そうして、何をぬかしたのかと再度聞く。
デブは首を傾げながら、先ほど言っていた言葉をもう一度言う。
それを聞いて理解した瞬間に、俺はあの鬼畜眼鏡という存在を恐ろしく感じた。
あの野郎――やりやがった。
俺を教師として派遣するだけじゃない。
予め先手を打っておいて、俺が手を抜けないようにしやがった。
このデブは奴の目であり、こいつが俺を無能であると判断した瞬間――死。
考えれば分かる事だ。
教員の資格も無い怪しい存在をどうやって修道院にねじ込むのか。
それはつまり、実力だけで保証するしかない。
もしも、実力も無いのであればそいつを囲う必要なんて無いんだ。
俺が浅はかだった……だらけられると思っていたが違う。
昨日は俺に餌を与えたんだ。
もしも、ちゃんと結果を残す事が出来れば。
あぁいった規則正しい生活を毎日送る事が出来ると言う餌だ。
普通の労働に、定時で帰り。
余暇を楽しみ、温かなシャワーを浴びて飯を食う。
こんな平凡で最高な毎日が待っていると――俺に夢を見せたんだ。
《……分かりました》
「ん? 分かりましたとは……あ、いや。そうですね! 先生が分かったと言うのであれば何も言いません。ですが最後に一言だけ……心より歓迎を。どうか我が院の栄光を取り戻してください」
デブは俺の肩を軽く叩いた。
そうして、心底楽しいと言わんばかりに笑って去っていった……クズがぁ。
そこまで俺を働かせたいのであれば、やってやるよ。
あのどうしようもねぇクズ共を俺がこの手で最強の殺し屋に育ててやる。
見ていやがれ鬼畜眼鏡ぇお前が送り込んだ男がどういう方法で奴らを育てるのかを……ふ、ふふふ。
〇〇
先生は、間違いなく――“血濡れの天使”だ。
昨日、偶々運動場の方を見に行った時に。
僕は先生が三年生に指導を行っている姿を見た。
入学式の時から薄々感じていたんだ。
何となく、そう何となくだけで……似ていると。
他の人たちは全く気付いていなかったけど。
それは当然であり、伝説的な存在のあの方とはまるで姿が違っていたからだ。
瓶底メガネで敵をも殺す眼力を封じ、近くに立つだけで震えあがるほどの気配を殺し。
愛用する双銃“ツイン・イヴァルディ"すら携帯していないんだ。
普段のあの方の姿を見ていれば誰だって想像できないだろう。
でも、僕だけは気が付けた。
何故ならば、僕は超がつくほどの――あの方の大ファンであるからだ。
思えば、小学三年生の夏が僕にとっての運命だったのかもしれない。
家族で旅行に出かけた先で、間違って旅行客と共にバスに乗せられてしまい。
あれよあれよと導かれて、僕はホテルから三十キロも離れた土地まで行ってしまっていた。
助けを呼ぼうにも僕は極度の人見知りで、何とかしようとうろうろしている間に――僕は悪魔と遭遇してしまった。
今でも覚えている。
薄暗い路地裏の先で、バリバリという音を立てていた存在を。
人間じゃない異形の姿で、鋭利な歯に全身の皮膚が真っ黒で。
角も生えていて、真っ赤な目で涎を垂らしながら僕を見ていた。
その近くには体を食いちぎられた死体があって……僕は死を覚悟した。
そんな時に、あの方はどこからともなくさっそうと現れた。
そうして、悪魔と僕の前に立ちふさがり。
あっという間に悪魔を倒したかと思えば、腰を抜かす僕の近くに歩み寄って来た。
そうして、氷のように冷たい目で僕を見下ろしていた。
怖かった。助けてくれたのに、僕は涙を流して震えていた。
でも、あの人はそんな僕にポケットから出した飴を差し出してきた。
そうして、そっと僕の頭に触れて来た。
撫でる訳でもなく、ただ単純にその大きな手を僕の頭に載せて……僕はそのまま意識を無くした。
次に気が付いた時には、僕は病院のベッドで寝ていた。
近くにはボロボロと涙を流す両親がいて。
あの人は何処に行ったのかと探せば、警察官と祓魔師の人が話を聞きに来た。
僕は事情を説明した。
すると、すぐに大人たちは誰が悪魔を退治したのか分かっていた。
誰なのかと聞けば、この世界で最も強く気高い祓魔師であると教えてくれた……そう、ランベルト・ヘルダー様だ。
それから僕はあの人の事を調べるようになった。
助けられた人たちの動画であったり、あの方に取材をした記者の記事。
その他にもあの人が解決した事件についてやあの人がひそかに行っている事など。
夢中だった。
調べれば調べるほどに、あの人は僕の想像を超えていった。
祓魔師の中でも、最高位にある唯一の“モナート”で。
誰よりも多くの悪魔を殺し、誰よりも多くの人を救った伝説の大英雄。
ある時は、たった一人で悪魔に連れ去られたお姫様を救い。
ある時は、たった一人で仲間たちを安全な場所に逃がす為に万を超える悪魔の軍勢と戦い。
またある時は、瓦礫の山の中で子供のおもちゃを握りしめて涙を流していたらしい。
公言はされていないが。
あの方は給金のほとんどを悪魔災害によって親を失った孤児や怪我を負った人たちの支援する団体に寄付をしている。
僕が念入りに調べた結果、何と九十パーセント以上を寄付していたと分かった。
給料の計算をすれば、あの方がどれだけ貰っているのかは何となく予想がつく。
正確な金額は分からないけど…最低でも月に五万ユーロは貰っている筈だ。
別にそれだけ貰っていても多いとは思わない。
寧ろ、僕としてはあの人の功績から考えればまだ少ないとすら思う。
それだけの事をしてきて、噂ではほとんど寝ていないと聞いたこともある。
悪魔を殺す事に生涯を捧げて、人々の幸せを願う……格好いい。
僕は憧れたんだ。
あの人という存在に、あの人が生涯を捧げる祓魔師という職業に。
だからこそ、同じ場所に立てるように僕は修道院の門を叩いた……でも、まさか、ご本人に会えるなんて!
夢じゃない。
これは現実であり、あの人は僕を見ていた。
弟子にしてくれという願いも聞いてくれて。
こんな僕に対して課題を与えてくれた。
大岩を壊せという一見、とても頭が悪い課題のように思うが。
あの人が無理難題を押し付けるなんて事は無い。
僕であれば必ずできると思ったからこそ、あの大岩を素手で壊すように言ったんだ。
嬉しかった。
心の底から歓喜した。
だからこそ、僕は早速、その大岩を壊す為に頑張った。
何度も何度も大岩に拳を打ち付けた。
周りを通る人間は僕を心配してくれたけど。
僕は課題に集中する為に敢えて無視をした。
そうして、日が暮れても拳を打ち付けた……でも、結局壊す事は出来なかった。
全力で拳を打ち付けたせいで、拳の皮は痛々しいほどに剥けていた。
ぼたぼたと血が出ていて、話を聞いて様子を見に来た医務室の先生にとても叱られた。
理由も聞かれたけど、僕はあの方と僕の問題だと思ったから敢えて何も言わなかった。
すると、医務室の先生は僕の様子を見てくすりと笑っていた。
『昔を思い出すわねぇ。ふふ、貴方……あの大岩がどうやって作られたか知ってる?』
『えっと、分からないです』
『ふふ、そうよねぇ。アレはねぇ、今から百年以上前だったかなぁ……一人の生徒が作ったものなのよ?』
『……それって、まさか!』
『そう、血濡れの天使何て今は呼ばれている……ランベルト・ヘルダー様よ』
医務室の先生は語ってくれた。
アレを作ったのは間違いなくあの人だと。
ヘルダー様は名乗り出なかったが。
彼が隠れて院内に置かれていた巨大な大岩を夜な夜な素手で砕いていたと当時新任として働いていた教員が語ってくれたと。
大岩は元々、何かの用途で使う為に置かれていたらしいが。
その何かが必要なくなったとかで大岩だけが放置されていたらしい。
運ぶのはお金が掛かり、処分をするのも手間だからと誰もが放置していた。
そんな時に、あの方が自らを鍛える為にあの大岩を夜な夜な削っていたのだ。
『卒業するその日に、先生が聞いてみたらしいんだけどねぇ……何て言ったと思う?』
『……えっと……いえ、分かりません』
『ふふ……知らない、って紙に書いただけなのよ』
僕はその瞬間に理解した。
あの人は謙虚とか奥ゆかしいとかそんなものではない。
当たり前何なんだ。
呼吸をするように、己を鍛える事が当たり前で。
だからこそ、自分があの大岩を綺麗な球体に形成したという事も明かさなかった。
話していれば、きっとあの方の伝説が一つ増えていただろう。
しかし、それをせずに知らないと嘘をついて……格好いいぃ。
何処まで、あの方は英雄としての品格を高めるのか。
あれ以上、輝いてしまえば僕の目は失明してしまう。
そう思うほどにあの人の存在は眩しく。
だからこそ、図らずもあの方が自らの手で作った作品を壊すように言ったのは……震えたよ。
アレはそう、きっとこういう意味だ――“この俺を、超えて見せろ”と。
「ぐふ、ぐふふふ……あ、あぁ最高だぁ……ぶふふふぅ」
「……やば」
僕は運動場にてヘルダー様のありがたい言葉に打ち震える。
今日から僕という存在が、あの方の指導により生まれ変わる。
今日は記念すべき一日目であり、興奮のあまり眠れなかった……いや、ダメだダメだ。
まだ僕は正式にあの方の弟子になった訳じゃない。
そう、まだ課題を熟していないからこそ弟子の前の状態だ。
生徒である事には変わりないけど、僕はあの方にとっての特別な存在になりたい。
叶う事ならいつの日かあの方の右腕になり……あぁ、最高だぁ。
僕は顎に指を添えて考える。
そうして、小声でぼそぼそと独り言を零す。
「……あの方が血濡れの天使なら……僕は天使の輪……いや違うな。聖なる盾、いや天使の従者……いや、もっとかっこいい方が……」
「……やば過ぎでしょ。アイツ、さっきからどうしたの?」
「さぁ? 思春期なんじゃない」
「……!?」
ハッとして視線を向ける。
すると、同じクラスの……確か銀髪の子がアデリナさんで、青髪の子がエルナさんだったかな?
先生が出て行った後に、全員で自己紹介をした。
不良っぽい人たちは面倒そうにしていたけど。
一応はこれから同じ仲間として学ぶと考えてくれたのか残っていた。
長くて綺麗な銀髪を三つ編みにしているのがアデリナ・バルツァーさんだ。
女の子らしくメイクには余念がなく。
戦闘科の生徒であるが、ネイルなども欠かさずしていた。
身長は恐らく僕と同じくらいか少し上であり、女子の中ではそこそこ背が高いのかな?
ぱっちりとした綺麗な青い瞳に、制服の上からでも分かる立派なものを持っていた。
見かけはアイドルのような感じだけど、彼女も例に漏れず授業を真面目に受けそうな気はしない。
彼女が元気よく挨拶をすれば、不良の生徒たちが口笛を吹き明らかにそういう目で彼女を見ていた。
年齢は僕と同じ十五歳で、自己紹介の時に分かったが祓魔師としての適正度はCとそこそこ高い。
中でも自慢なのは魔力量らしく、今は刻印を持っていないが。
此処で学べば刻印も貰えると聞いて受けたらしい。
将来的に祓魔師になるかは分からないと言っていたが……いいのかな?
そして、彼女の隣で細長い棒状のお菓子をぽりぽりと食べる小柄な女の子がエルナ・バッヘムさんだ。
気だるげな表情で瞳は髪色と同じく青色で目は眠たそうだ。
髪型はショートボブであり、体つきは控えめで見ようによっては少年にも見えてしまう。
常にお菓子を食べていて、その姿はどんぐりを齧るリスのようだ。
僕よりも身長は小さく、恐らくは百五十も無い気がする。
十五歳とは言っていたが、不良たちも僕も嘘ではないかと怪しんでいた。
それほどまでに彼女は幼く見える。
彼女の祓魔師としての適正は何とBであり、かなり高い適性がある事に驚いた。
親からは適性が高かったからこそ、修道院に行くように勧められたようだが。
それは別に祓魔師として就職しろと言う訳ではないらしい。
修道院で学んだ実績があれば、色々な職場において優遇される。
本当にそうなのかは分かっていないが、聖職者であったり祓魔師としての教育を受けた者たちは。
何故か、悪魔たちが避ける傾向があるという都市伝説があった。
大企業の中にはそれを信じるところもあり、修道院で優秀な成績を収めれば出世も簡単だと聞いたことがある……うーん。
……何故かな……僕以外の人ってあんまり、こう……ねぇ?
モチベーションの違いが此処まであるのか。
そう思いながらも僕は首を左右に振り頬を叩く。
そんな僕の姿を見た女子たちは若干引いていた……うぅ。
めげるな。
関係ないだろう。
例え、周りと温度差があったとしても僕は僕だ!
憧れの人の下で学べるという奇跡を手にし。
課題まで与えてくださったんだ。
僕だけでも全力で祓魔師になる為に努力するんだ。
そして、祓魔師になって多くの修羅場を潜り抜けて、何時の日かッ!!
「……よし」
僕はメラメラと闘志を燃やす。
すると、不良生徒たちが口笛を吹く。
彼らは僕の前に立ち明らかに危険な目で見て来る……な、何?
「お前、名前はぁ……いや、どうでもいいわ……何? やる気なの?」
「え、や、その……が、頑張ろうかなぁって、は、はは」
「へぇ、あっそ……ま、別にどうでもいいけどさぁ……あんま調子に乗んなよ? うぜぇから」
「ぅ、ぅぅ……は、はいぃ」
僕はしおしおと闘志を鎮火させていく。
すると、ヤンキーたちはくすくすと笑い……あ!
視線を修道院の方に向ければ、運動着に着替えた先生が歩いてきていた。
僕は不良たちから解放されると思って先生に熱い眼差しを送る。
不良たちは僕から離れていき、ポケットに手を突っ込んだままガムを地面に吐き捨てる……た、態度が悪い。
先生は僕たちの前に立つ。
そうして、不良の足元に転がるガムに視線を向けた。
《……それは、貴方のガムですか?》
「んー? いんやぁ……誰のっすかねぇ?」
「「く、くくく」」
不良たちはほくそ笑む。
僕はふつふつと怒りを滲ませながら、先生に教えようとした。
が、不良が鋭い目で僕をぎろりと睨む……ぅぅ。
僕は体を縮こませながら、先生に心の中で謝罪する。
すると、先生はゆっくりと赤髪の不良生徒の頭に手を置き――地面に叩きつけた。
「「「…………へ?」」」
地面が軽く揺れる。
亀裂が走り、芝生と砂埃が舞っていた。
僕たちは間抜けな声を出して固まる。
爪を見ていたアデリナさんは口を小さく開けて。
お菓子を食べていた筈のエルナさんも手を止めていた。
誰しもが今しがた起きた事を理解できなかった。
赤髪の不良生徒は、ぴくぴくと痙攣している。
先生は腰を屈めたまま、不良生徒の髪を掴んで頭を持ち上げる。
不良生徒の顔面は潰れていて、折れた鼻からぼたぼたと血を流していた。
地面をよく見れば歯のようなものも転がっていて……ひ、ひぃ。
《これは、貴方のガムですか?》
「あ、あぁ、ぁぁ」
先生が問いかける。
が、不良は既に虫の息だった。
先生はそんな彼がまたふざけていると思ったのか――全力で地面に叩きつける。
地面が軽く揺れた。
そうして、不良生徒の頭が地面に軽く埋まる。
ようやく状況を理解できた僕たちの反応は様々だ。
女子生徒体は顔面蒼白で震えていた。
不良たちはさきほどまで舐め腐った態度を改めていた。
誰しもが命令される訳でもなく姿勢を正す。
唯一、僕だけが先生の指導に――感動していた。
「あぁ、先生……常識にとらわれない指導を……流石だぁ」
僕は感動の吐息と共に先生への賞賛の言葉を呟く。
先生はそんな言葉など聞いてはいない。
何度も何度も不良に質問し、満足の行く答えでは無ければ地面に顔面をぶち当てていた。
そんな行為が五分くらい続き、先生は暫く固まり……先生の手から緑色の光が発せられた。
すると、既に死ぬ間際まで顔面がぐちゃぐちゃになっていた彼の顔が――“元通り”になる。
アレは魔術であり、恐らく治癒に関する刻印による魔術だった。
僕の調べでは先生の術は戦闘系だったと思ったが……帰ったら動画を見直そう。
不良生徒は白目を剥いていたが。
先生が往復ビンタをすれば意識を取り戻す。
そうして、先生の顔を見た瞬間に最初の態度は消えて雨に濡れる子犬のように震えていた。
《このガムは、貴方のですか?》
「え、ぁ、ぁ、あぁ、そ、その――おおおお俺のです!! 俺のです!!」
《そうですか……どうするんですか?》
「へ? な、何を……っ!!」
不良生徒は恐怖に顔を染める。
先生に対して無礼な態度を取り、剰えその手を煩わせた。
死はほとんど確定しているようなものだけど。
先生は敢えて過ちを正す機会を不良に与えていた。
彼は質問の内容を理解できていなかったようだが。
先生がまた不良の頭を地面に叩きつけようとすれば、すぐに落ちていたガムを拾いポケットにねじ込んでいた。
「……」
「は、はは、ひ、ひ……ご、ごめん、なさい」
不良は大粒の涙を流す。
此処まで来れば流石に可哀そうだと思うが……そうか。
明らかに行きすぎな指導のように思えるが。
実際にはこれはこれから行われる過酷な訓練の為の前準備なのかもしれない。
あのまま不良生徒だったり女子生徒たちが腑抜けたままであれば。
最悪、先生による完璧な指導があったとしても……死ぬ危険がある。
だからこそ、此処でその態度を改めさせるた為に。
自らが憎まれ役となり、あぁやって愛ある指導を不良生徒に行ったのだ。
一見すれば、怒りのままにあの不良を見せしめだと言わんばかりに痛めつけたように思えるが……僕には分かります。
全て、先生の愛があってこその行動なんだ。
僕たちの未来を心から考えているんだ。
だからこそ、あんな暴力教師のような真似を……あぁ、目頭が熱い。
「せ、先生……感動、しました」
「「「……ぇ」」」
僕は先生の愛に震える。
すると、先生は不良生徒から手を離し立つように言う。
不良生徒は急いで立ち上がり、生徒たちは綺麗に整列する。
《授業を始めます……が、それを始めるには能力が足りていません》
「「「……?」」」
僕たちは訝しむように先生を見つめる。
先生はそんな僕たちの戸惑いを無視して授業の内容について話す。
《実力の確認、戦闘技能の習得……それよりも先に基礎体力を上げます。ですので、これから皆さんで走り込みを行います》
「……な、何だ……つかれそうだけど、そのくらいなら」
「……あまり動きたくない……でも、逆らったら死ぬ」
「……く、くそ……うぅ」
全員が全員、安心しきった顔をしている。
が、僕だけは不安を感じていた。
あの伝説のお方が僕たちに単なる走り込みをさせるのか?
そんな事を考えていれば、先生は説明する。
《今から運動場の外周を時速二十キロ以上で走ってもらいます。私は後ろからついていくので少しでも遅れた人にはペナルティを与えます》
「「「……ぺ、ペナルティ?」」」
全員の顔色が一気に悪くなる。
先生はそんな僕たちの不安をよそに淡々と説明する。
《私のすぐ前、もしくは横に並んだものは例外なく電撃を浴びせます。回数が増えるごとに電撃の威力を上げます。因みに、三回以上になれば死ぬでしょう》
「え、は、はぁ? え、なに、ちょ……じょ、冗談ですよねぇ? もぉ先生ってばぁ」
《――何故ですか?》
「……え、な、何が、です?」
アデリナさんが冗談だと決めつけて笑う。
が、先生は彼女をゆっくりと見つめて何故なのかと聞く。
彼女は質問の内容を理解できず目を瞬かせていた。
先生はそんな彼女を見つめながら、質問の内容を言う。
《何故――冗談を言う必要があるんですか?》
「え、えぇ、そ、それ……い、いやぁ」
彼女は震える。
先生があまりにも普通に言った事が理解できなかったから。
得体の知れない不気味さ。そして、死んでもどうでもいいと言わんばかりの態度……流石だぁ。
僕はやる気を漲らせる。
すると、先生は手をゆっくりと上げた。
全員が先生を怯えた目で見つめる。
《では、腕を振り下ろした瞬間にスタートとします》
「ま、待てよ! じゅ、準備体操くらい」
《では――スタート》
「「「……ッ!!?」」」
先生は無常にも腕を振り下ろす。
すると、先生が走り出そうとした。
その瞬間に、全員が全員走り出していた。
そんな僕たちの後ろから一定のスピードでついてくる先生。
皆が皆、表情を強張らせながら走っていた。
「ね、ねぇ。これって何周すればいいの!?」
「し、知らねぇよ! 聞きゃいいだろう!?」
「うぅ、せ、先生!」
《――授業が終わるまでです》
「う、嘘だろ!?」
授業が終わるまでという事は……約四十五分!?
「ね、ねぇ。時速二十キロって……ど、どのくらいなの?」
「……1500メートルを4分30秒で走る速度……それを45分間維持する……きつい」
アデリナさんが質問すれば、エルナさんが説明する。
それを聞いた瞬間に、全員がより一層、表情を恐怖で強張らせる。
始まった……遂に、先生による。地獄の訓練が……伝説の男による愛がァ!!
「あ、あぁ……さいっこぅだぁぁ」
「きもい! アンタさっきから何言ってんのよ!?」
「あぁもううるせぇよ!! 黙れ!! そして走れ!!」
アデリナさんはヒステリックになり。
赤髪の不良は苛立ちを露にする。
そんな中でも、先生はただただ一定の速度で走っていて……アレ? ゲームしてる?
走りながらゲームをする先生。
そんな先生の姿を見てから、学友たちに視線を戻し……アレ? ゲームしてる?
「……」
先生と同じように無言でゲームをする……少女? 少年?
そういえば、あの子は自己紹介の時にはいなかった。
制服の上に紫色のだぼだぼのパーカーを着ていて。
ずっとゲームをしていて空気のようだった。
気が付けば、あの子は何処かに行ってしまっていて……すごいなぁ。
あの人だけが落ち着いている。
そして、かなり余裕そうに感じた。
ゲームをしながら走るなんて結構難しい筈なのに……僕も負けていられない。
僕はキッと前を見る。
そうして、絶対に一回も失敗しないように頑張る事を誓う。
やってみせる。この訓練を生き残って、先生の課題をクリアし――僕は先生の右腕になるんだッ!!