排水口の髪
夜、男は引っ越し祝いに酒とツマミを持って、友人のアパートを訪れた。二人で酒を酌み交わしながら盛り上がっていたが、ふと、彼は妙なものが目に入って気になり、友人に訊ねた。
「なあ」
「ん?」
「窓際にある、あれ何?」
「ああ、髪の毛だよ」
「いや、それは見ればわかるけど……」
窓際に敷かれた新聞紙の上には、エクステ一本分ほどの黒くて長い髪の毛が無造作に置かれていた。
「あそこで髪を切ったとか? でも、お前の髪じゃないよな。長すぎるし……」
彼は友人の頭と新聞紙の上の髪の毛を見比べた。友人はビールに口をつけながら言った。
「ああ、乾かしてるんだよ」
「乾かしてるって……エクステ? 着けるの?」
「いや、排水口にあったやつだけど」
「へぇー……汚ねっ! は? どういうこと!?」
「だから、風呂場の排水口に詰まってた髪の毛を引っ張り出して、乾かしてるんだよ」
「いや、なんで乾かすんだよ。捨てろよ」
「何言ってんだよ、もったいないだろ?」
「えぇ、もったいないってさあ……。あ、お前、彼女できたの?」
「は? いないけど? なんで話が飛んだんだ?」
「いや、だから、彼女が風呂を使ったあとに抜けた髪を集めてるのかと思って」
「なんだよ、その発想。お前って気持ち悪いな」
「お前が言うなよ! こっちは理解しようと頑張ってんだよ!」
「ちょっと落ち着けよ。怖いぞ」
「怖いのはお前だよ……。ほら、鳥肌立ってきたし。それで、あの髪の毛は結局、誰のだよ。前の住人の残り物か?」
「だからさ、ホラー映画とかでよくあるだろ? 排水口に女の髪の毛が詰まってるシーン」
「え? あー、そういう演出あるよな」
「それ」
「え? それ!? え、じゃあ、あれって幽霊の……」
「そう」
「いやいや、無理無理。怖い、もう帰るわ……」
「いや、待てって、一回落ち着いて考えてみろよ。すごくないか?」
「何がだよ……」
「無から有が生まれてるんだぞ。すごいだろ。宇宙の始まりを彷彿とさせるよなあ……」
「いや、壮大なこと言ってるけど、ただただ怖いって……」
「なんでわかんねぇかなあ……。だってあり得なくないか? 何もないところから髪の毛が現れるんだぞ。すごいパワーだ。宇宙パワーだよ」
「いや、何もないって言っても排水口から出てきてるんだろ? 殺されて、あの風呂場でバラバラされた女の髪の毛が排水口の奥に残ってて、その、霊パワーで押し上げられてきたんじゃないのか?」
「ふっ、霊パワーってなんだよ」
「お前がパワーって言い出したんだろうが!」
「悪い悪い、でも、あの髪の毛はただの女の髪の毛じゃないんだよ。俺も最初はお前と同じことを考えて、パイプクリーナーを使ったけど、全然効かないんだよ。それに、超常現象も起きてるしな」
「えぇ、怖い……」
「ああ、物が動いたり、電気が消えたりしたときは俺も驚いたよ。他にもいろいろと起きてさ」
「いや、さっきからおれが怖いと思ってんのは、お前のことだよ」
「ん?」
「いや、なんでその幽霊の女の髪の毛をわざわざ乾かしているんだよ」
「だからさあ、捨てるなんてもったいないだろ? 無から――」
「はいはい、無から有な。それは確かにすごい気がしてきたけど、でも髪の毛だろ? どう有効活用するんだよ。いや、髪の毛を買い取る会社があるか。でも、金になるかな……」
「お! いい線いってるな。ちょっと待ってろ」
そう言って友人は立ち上がり、どこかへ消えた。そして数分後……。
「お待たせ。さあ、見てくれ」
「いや、お前、それってまさか……」
友人が手に持っていたのは、黒く長い髪で作られたカツラだった。
「そう、あの髪の毛を集めて作ったんだ。で、今乾かしたやつも合わせて……よし、これでちょうど完成だ」
そう言うと、友人はカツラを頭に被り、前髪をかき分け、ニヤリと笑った。そして、ゆっくりと彼に近づく。
「どう? 似合う?」
「お前、やめろよ……近寄るな……」
「なあ、似合ってるだろ?」
「お前、まさか……すでに取り憑かれて……」
「似合うって言えよ」
「そんなの……いや、女の髪にしてはなんかボサボサだな……ん? なんで急に座禅を、は? はあ!? お、お前、浮いて……」
「ほら、すごいだろ? これが、宇宙パワーだよ。我コソガ偉大ナル大宇宙神教ノ教祖ナリ。信者第一号ヨ、平伏スルガヨイ……」
「宇宙パワーってそういうこと!?」