第二章 この飴 見せるべからず
険しい山道を越え、二人はようやく義満の屋敷にたどり着いた。門の前で二人を出迎えるのは義満の従者である。
「像外和尚、一休殿、よくぞ参られました。義満様がお待ちです。お部屋にご案内致します」
ここで従者が意外な方向へ導いたため二人は驚いた。
「はて、義満様の部屋はあちらではなかったか」
「最近、新たな館を建てられたのです。なんでも水飴と寝食を共にするためだそうで、水飴殿と名付けられています」
「ほほう、水飴のために館を作ってしまうとは流石義満様じゃ」
「税金がこんなことに使われているのですね」
一休は不敬であった。
従者に連れられて二人は鴬張りの長い廊下を渡った。足を踏み込む度に床の軋む音が耳障りな程響く。その先に見えたのは土蔵のような建物である。これが水飴殿――、水飴を保存するために気温や湿気に気を使わねばならないらしいが、それにしても生活するにはなんと日当たりの悪いところであろうか。
「義満様、お客様をお連れしました」
従者が呼びかけると、扉の向こうから返事が聞こえた。
「ご苦労であった。両人、入られよ」
従者は二人を残し、もと来た道を戻っていった。一休と和尚が薄暗い部屋に入ると四つの眼光がこちらを捉える。
「よく来た。像外和尚、そして一休」
義満は虎の描かれた屏風の前に鎮座していた。
「お久しぶりです義満様。いやはや驚きましたな。まさか水飴のためだけにこんな離れ家を建てられるとは、義満様の水飴好きには敵いませんな」
「水飴だけが儂の生きがいだからな。だがこの館を作った理由はそれだけではない。ここだけの話だが儂はな、暗殺を恐れているのだ。このように四方を壁で囲っておかねば安心できんのだ」
屏風の虎はこちらを睨んでいるかに見えた。
「近頃は世の中が乱れておる。身分秩序を壊して実力でのし上がろうとする機運があるのだ。家臣が主人を殺す、いわゆる下剋上というやつだな」
この風潮は数十年後の応仁の乱に始まる戦国時代で特に顕著となる。
「儂も南朝の者からは随分恨みを買ってしまったからな。こうして直接顔を合わせるのは屋敷の者以外では親族、侍医、そしてそなたくらいのものだ」
「まことに恐れ多いことでございます」
「そなた」とは明らかに和尚のことである。一休のことなど眼中にないようだ。一休は義満の非合理的なまでの心配性が気になっていた。
(確かに義満は南朝から三種の神器を半ば騙し取る形で皇位を自身の傀儡である北朝のものにしてしまった。恨む者は多いだろう)
ちなみに一休はこのとき皇位を受け継いだ現在の帝、後小松天皇の落胤とされる。
(しかし蔵を作って閉じこもるというのは正気の沙汰ではない。この極度の人間不信は長年の心労のせいだろうか)
「心配なのは暗殺だけですか?
軍勢を率いて謀反を起こされたらどうするのです?」
一休は意地悪な質問をした。
「無論そのことについても考えておる。実はな、この部屋には儂しか知らぬ隠し通路があるのだ。逃げ道もちゃんと確保しておる」
「義満様しか知らないなんて、そんなはずはありません。通路をつくった大工達がいるはずでしょう」
またも意地悪な指摘である。
「はは、聡いな一休。そちの言う通りだ。だが間違ってはおらん。確かに儂しか知らんのだ」
一休はこれ以上聞いてはいけないことを直感した。
物騒な話題を避けるように和尚は持ってきた水飴を見せた。
「義満様、見てくだされ。こちらは西方より伝わった水飴『冥府琉志露布』でございます。そしてこちらは儂の新作『魔位瑠土怒羅具』でございます」
義満はそれぞれ匙で掬って味見をした。
「至極美味、なかなかやるではないか。だが今日は自慢されるばかりではないぞ」
そう言うと義満は虎の屏風の裏から壮麗な装飾が施された壺を取り出した。
「明の永楽帝より賜った珠玉の逸品だ。天竺で生まれた究極の水飴、名を『婆娑羅』という」
「婆娑羅」とは豪華絢爛な様を表す言葉であり、その由来は梵語で金剛石(ダイヤモンド)を意味する「ヴァジラ」とされる。余談だが「婆娑羅」とは派手な振る舞い、華麗な服飾といった当時の文化的気風を表す言葉でもある。義満の建立した鹿苑寺の舎利殿「金閣」もまさに婆娑羅の思想を体現したものであった。
義満に促され、和尚は婆娑羅を一口舐めてみた。
「これは――」
一瞬時が止まったかのようであった。
「口に広がる芳醇な甘み
絹のように艶やかな舌触り
宝石の味わいが百花繚乱と咲溢れ
瑞々しい芳香が天女のように舞漂う
千早振る甘味のそのまろやかなこと
物憂げな春の夜の夢の如し
全身に染み入る喜びの讃歌
渇死寸前の行者が湧き出る泉を見つけるが如し」
和尚は感涙した。
「儂は今まで本物の水飴というものを知らなんだ」
義満は和尚の反応に誇らしげであった。
「そうだろう。これも儂の始めた日明貿易のおかげぞ」
「政治と文化は切っても切れない関係にあるんですなあ。誠に恐れ入りました」
それから一休にとっては退屈な水飴談義が日暮れまで続き、義満と和尚は大変満足したようだった。
「それにしても両人、ご足労であった。今夜はうちに泊まっていかれよ」
屏風の虎は二人を歓迎して微笑んでいるかに見えた。