第一章 この壺 運ぶべからず
時は応永。臨済宗の小僧である一休はその師、像外和尚に連れられて山中にある足利義満の別荘に向かっていた。このとき既に将軍位を息子の義持に譲り出家していた義満は、普段は北山殿(後の鹿苑寺)を生活の拠点としていたのだが、厭世的な気分もあってか時折人里離れた山中の別荘にも訪れていた。百人一首にも詠まれた小倉山の奥深くである。
蝉の鳴き止まぬ猛暑の中、山道を歩く二人は両手と背中にそれぞれ壺を抱えている。
「和尚様、もう限界です」
「何を言うか一休。水飴の壺二つを運ぶくらいでへこたれおって情けない」
「まったく和尚の水飴狂いには呆れます」
義満と和尚は奇妙な趣味で結ばれていた。それは両者共に大の水飴好きということである。和尚は古今東西の水飴を集めてはそれを義満に自慢するのが生きがいであった。やはり今回の訪問もそのためである。
「一休よ、では一休みするとするか。一休だけに」
「あ、和尚様今日は冴えてますね」
「ははは。では儂は用を足してくるからしばらくそこで待っておれ」
木陰に消える和尚の背中を見送ると一休は抱えた壺を傾けた。水飴がねっとりと滴る。壺が少し軽くなると、溢した水飴の上に足で土をかけた。
(これくらい減ったって分かるものか)
一休は姑息であった。
(ついでに和尚の壺にも入れといてやろうか。しかし種類が混ざるとばれてしまうか。仮に和尚は騙せても義満の目までは誤魔化せまい)
「一休よ、そこで固まって何をしておる」
和尚は意外に早く帰ってきたが幸い水飴を捨てたことには気がついていない様子だった。
「狗子仏性ついて考えていたのです」
「ほう禅問答の問題じゃな。勉強熱心なことじゃて、関心関心」
和尚は純朴であった。