前編
まさか皇帝のメインストーリー書くとは思いませんでした。趣味では無いけれど何故か意外と好きでした。しかもお相手がまさかのブリジット陛下(笑)お似合いです。もとろんこうなると予想して設定はしていませんでしたけど上手く収まって良かったです。
オラール王国女王ブリジットが目を通していた親書を一読して目を剥いた。
「何じゃと!」
いきなりの大声に側にいたジェラールが、ぎょっとして母を見た。
「何事ですか?母上」
「何事と悠長に言っている場合ではない!大事じゃ!デュルラーの皇帝が来るようじゃ!」
「えっ?何をしに?ですか?」
「帝国は春先と言ってもまだ寒いから此処で休暇をとるそうじゃ」
ジェラールは驚いてしまった。確かにオラールは帝国に比べて冬のようなものはあっても寒くならず年中温暖だった。しかし国を治める皇帝が物見遊山のように隣国へ来るなど考えられなかった。だが国政は殆どレギナルト皇子が行なっていると聞いていたので困らないと言えば困らないが···それでも居るのと居ないのとではかなり違うだろう。
「うわ~皇子が気の毒だなぁ~婚礼前で忙しいだろうに」
ジェラールはつい先日、帝国で皇帝と謁見している。温和な感じでとても切れ者のレギナルト皇子の父親には見えなかった。
「しかも親書が届くのが遅れたようじゃ···今日、到着するらしい」
「ええ――っ!今日ですか!母上!至急歓待の準備を!」
隣国の皇帝自らがこの地を訪れるなど近年無いものだった。沈黙の地を挟んだ右と左···どちらが右なのか左なのかは分からない。しかし二つの国は妖魔に関しては国を越えて協力し合うが国政には全く関与しなかった。だから国王や皇帝のような国を動かす者になると殆ど行き来は無いのだ。
何時も慌てた振りをするジェラールが本当に慌てているようだった。
「ジェラール、それは良いそうじゃ。寝床だけ貸してくれとか書いてあった。後は、自分達で適当にやるらしい」
「はぁ?何ですか、それ?皇帝がそう言っているのですか?」
「たぶんな。皇帝の印が入っている」
「随分、ふざけた···あっと··いえ、気楽な方ですね」
「ふむ···」
そして昼過ぎには、そのお気楽な皇帝がのんびりとやって来た。最初に出迎えたのは一
応今日、予定を変更して一日中待機していたジェラールだった。
「オラールへ、ようこそ皇帝陛下」
「おおっ、ジェラール王子、久し振りだね。お邪魔するよ」
皇帝は人懐っこく、にっこり微笑んだ。レギナルト皇子と同じ珍しい紫の瞳だが、ここまで雰囲気が違ってくるものかと思ってしまう。皇子は清冽な印象が強くどちらかと言えば冷たい。しかしこの皇帝は春の花にも似た雰囲気なのだ。
「長旅でお疲れでしょうが、私の母でもある国王ブリジットがお会いしたいと申しております。どうぞ陛下、こちらへ」
ジェラールはそう言うと丁寧にお辞儀をした。その際、皇帝の後ろに控える警護の者達に視線を流すと、その先頭には見知ったエリクがいた。何度かこのオラールを訪れているから連れて来られたのだろう。皇子はもとより皇帝にも信頼厚いと見える。
取り敢えず皇帝とそのエリクのみを王宮の一室へと案内したジェラールは女王への取り次ぎをする為に部屋を後にした。
皇帝はそわそわと部屋を見渡し、窓の外を覗いたりしている。
「エリク、向こうに見える宮殿は誰のであろう?あっ、向こうの端にも何か見える」
「陛下、それは後ほど許しを得て十分ご覧になれば宜しいでしょう?」
「それはそうだが···謁見するまで半日は待たされるであろう?」
自分の経験上、皇帝はそう言った。到着の日にちは知らせても到着時刻までは予測出来なかったから知らせていなかった。そういうものは予定を空けないのでそれだけ時間がかかると分かっている。
「そうならないように王子が手配しに行かれたのですから間もなくでございますよ」
「うむ···」
皇帝の顔は納得していない様子だった。案の定、部屋から出て行こうとした。
「陛下!なりません!」
「何、ちょっと周りを見るだけ、ちょっとだけだ」
エリクは心の中で大きな溜息をついて皇帝の意に従ったのだが、それが甘かった。
「しまった!やられた!」
皇帝がエリクの視界から消えてしまったのだ。お付きの者達を撒くのは皇帝の得意とするところだった。何時も煙の様に姿をくらましては仕事をさぼる名人だったのだ。だからレギナルトが皇城内を探し回るのは見慣れた風景だった。
慌てて周辺を探し出したエリクを帰って来たジェラールが呼び止めた。
「エリク、慌ててどうしたんだい?」
「お騒がせして申し訳ございません。陛下を見かけませんでしたか?」
「皇帝陛下?いいや。まさか居なくなったの?」
「はい···謁見まで時間がかかるだろうから、少し周りを見てみたいと言われて、目を離した隙に···」
「目を離したって?君がそんな失敗するように見えないけれどね。それとも陛下は慣れているのかな?監視から抜け出すのはさ」
エリクは面目ない顔をした。
「言われる通りです。陛下は我々の目を盗む天才でして」
「はははっ、やっぱり!私も得意だけどね。王宮内は危険が無いから大丈夫だろうけれど探すのを手伝うよ。母も仕度でまだ来ないしね」
「恐れ入ります。しかし検討は付けやすいので。珍しい目を惹く建築様式の場所はございませんか?」
「建築様式?」
「はい、実は今回の訪問はそれが目的でしたので―――」
エリクはジェラールに協力を仰ごうと思っていたので、順番が逆になってしまったが説明しだした。それは何時ものように色々な話を聞きたがる皇帝に、エリクがオラールの王城の話をしたところから始まってしまった。オラールはデュルラーの皇城と違って独立した宮殿が集まって王城を成していると言うと皇帝が非常に興味を抱いたのだ。元々、建築物に強い関心を持っていた皇帝は、色々調べた挙句とんでもないことを言い出した。今、建設中の神殿の場所に新しくオラール風の皇城を築くと宣言したのだ。もちろん皇子は大反対したし、いつも味方だった大神官ゲーゼも猛烈に反対した。何故なら遅れているとは言っても春過ぎには新しい神殿が出来上がり、レギナルトとティアナの挙式が其処で行なわれる予定だった。しかし皇帝はその神殿と新しい城を完成させてから挙式をとの意向だったのだ。
「それって···レギナルト殿が反対する気持ち分かるな。婚礼をお預けなんて気の毒としか言いようが無い。もしかして喧嘩して城出とか言うんじゃないだろうね?」
「えっと···まぁ、似たような感じです」
皇帝は今回珍しく折れなかった。そのうえ自分の目でオラールの王城を見て来ると無理やり出て来たのだ。
「しかし、何でまた···」
「陛下とはよく会話をするので何となく分かったのですが、たぶん、皇子達に新しい城を贈りたいのだと思うのです。そして退位なさるつもりかと···何もかも新しくして新時代の幕開けを祝ってやりたいのだろうと思うのです」
「成程。しかし一口に城と言っても出来上がるまで何年もかかってしまうよ。レギナルト殿が反対する気持ちは分かるな」
「いいえ、もちろん全部では無いみたいです。取り敢えず王宮だけ建てたらとの事みたいです。それから必要な宮殿を建てるみたいで」
「そうか!だから此処みたいになんだ。此処は全部独立した宮殿だから建て直すのには最適だね」
その通りだった。しかも建築物に目が無い皇帝は子供のように、そわそわとして飛び出して行ったのだ。
その皇帝はというと自国と変わらず、警備兵の目を潜り抜け王宮内を散策していた。そして中々凝った造りの空間を見つけ、ふらふらと入って行った。そこは良い香りも漂いその源に吸い寄せられるように、そっと扉を開いて中を窺って見ると・・・女官らしき者と目が合ってしまった。
「きゃ――っ!曲者!」
「何!曲者じゃと!」
ブリジットは女官の悲鳴に素早く反応し、側にあった護身用の短剣を抜くと振向いた。皇帝はその女王の姿に呆然となってしまった。こんな衝撃は久し振りと言うか初めてだった。振向いたブリジットはほぼ全裸と言っていい状態で、それを隠す素振りも無く短剣を構えていた。それにまだ女盛りと言っても可笑しく無い程の美しい成熟した体の持ち主で、年若い娘よりも魅惑的かもしれない。しかし左肩から斜めに醜い大きな傷痕が走っていた。それは妖魔によるものだろうと思われた。白い肌に浮かぶその傷痕は鮮烈で、気の強そうな榛色の瞳も皇帝の目をとらえて離さなかった。
女の警備兵達が女王の着替えを覗く曲者を捕らえにやって来たが、取り押さえようとする直前にブリジットが制止した。侵入者の額にはめられた皇族の印である宝玉の環に気が付いたようだった。それに十数年前とはいえ沈黙の地の封印の儀式の折、顔を合わせた事があった。
「失礼、デュルラーの皇帝クリスト殿とお見受けいたしましたが?」
皇帝はその声に、はっと我に返った。
「あっ、ブリジット殿か?」
聞いた事に返答しない皇帝に再度問いかけること無くブリジットは頷いた。
「迷われましたか?見苦しいものをお見せして申し訳ない」
ブリジットはそう言いながら、女官の広げた布に取り敢えず包まった。
「見苦しい?何が?かな?ああ、もしかしてその傷痕の事であろうか?」
ブリジットは表情を変えなかったが、周りにいた女官達が一斉に睨んできた。しかしそれを気にすること無く皇帝は何時ものように、のほほんと話し続けていた。
「素晴らしく美しいものを見せて貰いましたぞ。国と民を守った証は何よりも誇らしく美しいもの···感動いたしました」
女官達は毒気を抜かれたようにぽかんとしてしまった。にこにこ微笑む帝国の皇帝は本気でそう言っているのだ。
「余が美しい?」
「はい。とても···」
皇帝は大きく頷いて微笑みを深くした。ブリジットは思わず久し振りに頬を染めてしまった。この人懐っこい笑顔に何故か、どきりとしてしまったのだ。皇帝クリストは昔から色恋に関心は薄かったが、自分は意識していないだけで女達の心をくすぐるのは天才的だった。強大な権力と皇族独特の整った容姿にこの性格だから、宮廷の女達の熾烈な争いは本人が知らないだけで大変だったらしい。今でもその人気は衰えず、皇帝を狙う貴婦人は沢山いるぐらいだ。
その時、騒ぎを聞きつけたジェラールが飛び込んで来た。
「母上!ご無事ですか!曲者が出たとか―――えっと?皇帝陛下?」
ジェラールが扉近くに立っている皇帝と、着替えの真っ最中であった様子の母を交互に見た。エリクは嫌な予感がしてジェラールに付いて来たが案の定、騒ぎの原因は皇帝だった。しかも覗き?
「おや、エリク。もう見つかってしまったかな?」
「陛下、見つかった、じゃないですよ。女王陛下の着替えを覗くなんて···」
エリクは、ひそひそと言った。
「えっ!覗き?」
皇帝は驚いて声がひっくり返った。思わず見とれていたから気にしなかったが女王は裸だったのだ。妻でもない女人の裸を見るのは失礼極まりない。皇帝は見る間に最初は真っ青になり、そして真っ赤になった。
「あわわ···し、失礼した!も、申し訳ない!」
慌てふためいてその部屋から出て行こうとしたが、方向を誤り扉横の壁にぶつかってしまった。
「陛下!」
エリクは、ぎょっとして、ぶつかった拍子に尻もちをついている主君を助けおこした。
「あたたたっ···」
「大丈夫でございますか?」
「ははは···慌てるとロクなことが無いようだ。レギナルトには何時も言われているのにな」
額と鼻をぶつけた皇帝はその痛みで少しは正気になったようだ。もう一度振向くとブリジットに改めて詫びを言った。
「本当に申し訳ございませんでした。貴女が余りにもお美しかったので我を忘れて魅入りまして··あっ、えっと···こんな事言うつもりじゃ···と、とにかく申し訳ございませんでした」
皇帝は言っている端から自分が何を言いたかったのか訳が分からなくなってしまった。じっと自分の言う事に耳を傾けてくれているブリジットを見ると、まるで恋をしたての少年のように胸が高鳴っていたのだ。そして言い終わるとそそくさと出て行った。その後をエリクが追って出る。
「母上?母上、どうなさいましたか?」
「ああ···嫌、昔会ったと言っても殆ど話す事も無かったゆえ···何とまぁ~鷹揚な御仁じゃと思っての···」
「鷹揚?そうですね。まぁ~小さな事を気にしないから、母上の裸を見て美しいと言えるんでしょう。もしくはあんまり目はよろしく無いのかな?」
何時ものふざけた物言いをする息子をブリジットは、ぎろり、と睨んだ。
「ほう?そなた母の裸体を見た事あるのか?本当かどうか?どれ、試しに見せて進ぜようか?」
「うわっ!勘弁して下さい!見たく無い!」
「ほんに可愛げの無い男よ。クリスト殿はほんに可愛いお方じゃった。私もまだまだ若い者には負けまいて。ふふふ···」
とても楽しそうに笑う母親に妙なものを感じたジェラールだったが、これ以上からかうと後が怖いので何も言わない事にしたのだった。
部屋に戻った皇帝は何度も大きな溜息をついていた。その様子に堪りかねたエリクが作法に反するが声をかけた。
「あの・・・陛下。如何なさいましたか?」
「はぁーエリク。私は病気かも知れん。胸が苦しいのだよ」
「誠でございますか!それは直ぐ医師の手配をお願いしてまいりましょう!」
部屋を出て行きかかったエリクの背中に、皇帝は症状の続きを訴えていた。
「はぁー目も悪いかも知れん。先ほどのブリジット殿の顔がチラついて離れないのだよ。
もしかしてこれは何かの呪いだろうか?」
「えっ?」
エリクは振向いた。ぼんやりと宙を眺めては大きな溜息をつく姿はもうあの症状しか無いだろう。
「陛下、そ、それはもしかして···俗に言う恋わずらいでは?」
「な、何?恋わずらい?えっ?恋?恋?えっ?恋わずらい??」
皇帝が馬鹿のように何度も同じ言葉を呟いた。
「先ほどまでそのような素振りは無かったのに···あっ、ああ――っ!まさか!ブリジット女王陛下とかでは無いですよね!」
「ブリジット···おおっ!」
皇帝は、ぽんと手を叩いてにっこり微笑んだ。
「なるほど!これが恋わずらいか。なるほど、なるほど···」
「ま、まさかでございましょう?陛下?」
エリクは自分で言ったものの驚いてしまった。
「まさか一目惚れだとか言われるのでは無いでしょうね?あっ、女王とは昔、面識がございましたよね?どうしてまた···」
「面識?ああ、封印の儀式の時か?あの時は、自分の責務だけでいっぱい、いっぱい、で全然覚えておらぬぞ」
エリクは唖然としながら、この皇帝ならそうだろうと思うしかなかった。それにしても何と言う事だろうか···皇帝なら手に入らない女性は殆どいない。しかしよりによって絶対無理な人を選んでいるのだ。皇帝の女性関係は本当に淡白で娶ったのはたった二人だった。それ以外に妃を増やす訳でも、愛人を作る訳でも無かった。男としてまだ十分若いと思うのにまるで年寄りのようだった。それなのに・・・
(今になってこれは無いだろう?)
浮かれた主君の様子にエリクは頭が痛くなってしまった。
ブリジットはと言うと気分が良かった。それは珍しいことだ。夫を二回亡くしその間に女王である為に寄って来る男達は当然多かった。しかも歯の浮くような美辞麗句を並べるやからが多くうんざりしていた。本当の愛を知っているブリジットにとって、心の無い言葉ほど腹が立つものは無かったのだ。しかし今日は本当に心からの賛美を貰い嬉しかった。特に自分でも気味が悪いと思っている傷痕を、ああいう言葉で褒めてくれた事に対して感動すら覚えてしまった。何時もより念入りに仕度をしてしまうのも多分そのせいだろう。
「母上、まだでしょうか?」
仕度部屋から中々出て来ないブリジットに痺れを切らしたジェラールが声をかけに来た。
「女の仕度を待てない男は嫌われるぞ」
母親の姿が見た途端、ジェラールは珍しく本心からそう言った。
「おおっー母上、時間をかけられただけありますね。いや~十歳は若く、見えますよ。お美しい」
「時間をかけただけと言う言葉が気に入らぬが。まぁ良かろう。余は気分が良いから許してやろう」
ジェラールはやり返してこない母は本当に珍しいと肩をすくめたのだった。
それからは皇帝の大仰な出迎えなど不要と言う意向にそって、女王の個人的な部屋で会う事となった。だからお互い気楽に話しも弾み、楽しい時間を過ごしたようだった。