契約の力
「さてと、買い物も済みましたし帰るとしましょうファウスト」
「そうだな。ジェーン」
物陰に隠れながら差し障りのない会話をする二人を監視していると、立ち上がりカフェから去っていく様だ。気配を断ちながら人混みに紛れ、彼らの背中を追う。我ながら、なんと運が良い事か。髪を切り地味な服装をしているがあれは間違いなく、今回の暗殺対象であるミリアリアだ。素人の変装を見破れない様ではこの業界では生きていけぬよ。
「……いずれ破滅を齎す厄災の魔女か。そんな風には見えぬが」
婚約を破棄され、家を追われた娘1人に何を怯えているのかと思うが、王宮直属の占い師がミリアリアの手によってこの国が滅ぶ姿を予見したと言うのだから、仕方があるまい。しかし、それなら婚約が破棄されるより前にそれこそ産まれた瞬間に殺されてもおかしくない筈だが……辞めだ辞め。専門外の事を考えるのは疲れるだけだ。
「人混みはあんまり得意じゃねぇなぁ」
「あら、貴方にもそんなところがありましたのね。意外ですわ」
「好き嫌いぐらいはあるわ。質が悪くて不味いんだよ、こういう所は」
「ありきたりって事ですの?」
「そうだ」
なんだか意味がよく分からん話をしているな……空気の話か?確かにこの街は人も多いし、色んな匂いが混ざっているから自然の中に比べれば不味いとは思うが。そんな事を考えていると2人は街を出て行く。どうやら、この街に住居を構えてる訳ではなさそうだ。少し悩むが、手柄を取られるのを嫌がった俺はこのまま2人の後を追いかける。人の数が徐々に減っていき、やがて彼らは誰も寄り付かない森へと消えて行った。
「なるほど。確かにこの森であれば人を避けるのに向いている」
だが、これほど暗殺に向いている舞台もないだろう。何せ、男が1人いるがそれ以外余計な人間はおらず多少雑に殺したとしても目撃者や騒ぎ立てる者が居ないのだから。これは思っていたより簡単に仕事が終わりそうだ。腰からナイフを引き抜き、森の中へと足を進める。地面の草を見れば、ご丁寧に2人分の足跡がくっきりと残っており直接姿を探す必要すら無さそうだ。あまりにも簡単、緩すぎる暗殺だ。無事に終わらせて帰ったら、報酬で高級な肉でも買って酒を飲んでやろう。
『残念だが、酒は飲めないな。いやはや実に簡単だったな。無警戒で我々の跡を追いかけて来てくれるとは。お前の心の中を借りるのなら、探す必要すらない。と言うべきか』
ッッ!?突如として頭の中に響く声に驚きながら辺りを警戒する。何だ、一体この声はどうやって届いている!?魔性の類がこの森に住んでいるとは聞いていないぞ。驚く俺の視線のすぐ先に黒い靄が集まり、人の姿を取る。それは先ほどまで、ファウストと呼ばれていた者の姿だった。
「お、お前は!?」
『楽な依頼だと思ったか?間抜けめ、その足りない頭で少しは疑問に思うべきだったな。ただの令嬢が、この様な森で生きていく術を持っている訳がないと。協力者あるいは共犯者がいる事を想像するべきだった。まぁ、それをしたところで貴様の運命は何一つとして変わらないがな』
喉を鳴らして愉しげに笑うソイツは、明らかに俺の事を舐めていた。こういう相手は他人を見下し、慢心し悦に浸っている。故に、下手に出ていれば即座に死ぬことはないし、反撃されるとも思っていない。俺は、ナイフを地面に落とし両手を挙げる。すると、目の前の奴は眉を上げ殊勝な態度だなと言わんばかりの表情を浮かべる。
「……た、頼む。み、見逃してくれ」
声を震わせ、歯切れを悪くし怯える演出をしながら仕込んである隠しナイフをいつでも使えるように準備しておく。さぁ、不用心に近づいて来い。そうすればその喉元を。
『ククッ、悪いが俺の喉を斬らせる訳にはいかないし、うちのお姫様もお前を許す気はないらしい』
男が愉しげな嘲笑を浮かべた瞬間、俺の両腕が斬り飛ばされた。
「が、ァァァァァァア!?!?」
な、なんだ!?目の前の男は一切、動いていないぞ。何があったというんだ!?理解が出来ない現象を目の当たりにし、俺は混乱していた。それでも染み付いた癖は、無意識に働き下手人を目で探し、見つけ出した。いつの間にか俺の隣に剣を振り抜いた状態で立っている女、ミリアリアだ。
一体、どうやってそこに──そう考えるのを最期に俺の意識は完全に消えた。
「ふぅ。便利ですね、貴方の力」
心臓を貫かれ物言わぬ骸になったゴミから剣を引き抜き、血を払う。わたくし1人では、暗殺を稼業にしている様な人間の横を取るなどとても無理な行動でしたわね。流石は、悪魔と云う所かしら。
『時間停止はお気に召した様だな。そのまま存分に使いこなすと良い共犯者』
例え、相手がどれだけ熟達された能力を持っていても認識できない全てが停止した世界ではただのカカシと同じですわ。停止した状態で殺せないのは不便ですけど、殺された本人からすれば一瞬で詰め寄られ、振るわれる刃に反応しなければなりませんし、これを防げるほどの戦士はそういないでしょう。
「そうさせて貰いますわ。貴方も、囮役ありがとう。とても生き生きしていましたわよ?」
『ハハッ!!心を見透かされているとは知らず、したり顔で演技するコイツが面白くてなぁ。良い絶望も味わせてくれたしただの演者の割には愉しませて貰ったさ』
「趣味悪いですわねぇ」
まぁ、わたくしも人の事は言えないのですけどっと死体漁りをしながら思う。えーと……毒が塗られた投げナイフが五本……これは別に要りませんわね。身に付けていた軽装の防具……裏で売れば端金程度にはなるでしょう。簡易的な救急キット……これは貰っておきましょう。あ、ありましたわ。
「名前は……テオドール・ズルガドさん。ファウスト、彼の雇い主が分かりましたわよ」
『ほぅ?』
「わたくしのお父様ですわ。この名前、隠していた帳簿に載っていましたの」
ある程度の地位にいる貴族であれば秘密の伝手というのはあるもの。ましてや、一国の皇子の婚約者として選ばれるほどの品格と地位を兼ね備えていたわたくしの家であれば、暗殺者の1人や2人容易く契約できる事でしょうね。ふふっ、本当に向こうから親子の縁、絆、義理全て断ち切ってくださるとは思いませんでしたわ。
「ふふっ、ふふふ!これで心置きなく動けるというものです。わたくしの命を奪おうとする方々に何も遠慮する必要などありませんから」
あぁ、実に清々しい気分ですわ。ファウストの手を取ると決めた日の様。
感想など待ってます。