人の極地
ミリアリアが潜伏する場所として選んだ鬱蒼とした森の中にポツンと建てた隠れ家は、人ならざる存在であるファウストに頼んだ事もあって簡易的とは言え、それなりに広い。ユーズが合流し、男手と人手が増えた事もあり現在彼らはそれぞれ分業をしていた。
「隣で見るとやっぱり慣れた手つきですのねエリ」
「えへへ、ボクの故郷では立場とかそういうの抜きに女は家を守る為の術を伝授されますからこれもその一つです」
話しながらも手を止める事なく、慣れた手付きでユーズが市場で購入してきた新鮮な魚を捌いていくエリを眺めながらミリアリアも、火を起こしスープを作っていく。
「なるほどねぇ……わたくしはずっと令嬢としての立ち振る舞いや教養ばかりで貴女の様な事は教わってきませんでしたわ。簡単な料理一つ、作るのにこんなに苦労するなんて微塵も知らない無知でしたの」
出汁を取って具材を入れていく。今、彼女が作っているコンソメスープは道具が足りないのもあって本格的なものではない簡易的なもの──具体的に言えば、卵白や卵の殻を加えてアクを吸着という手法は取っておらず、態と焦がした野菜で着色というのもしていない──であるが、満足に野菜を切る事すら出来なかった頃に比べれば圧倒的に進歩しているのだ。
当然、ミリアリアが何度もやり直しを行なっている事を知らないエリは、側から見ても文句のない動きをしている彼女の発言に首を傾げるが、少しばかり恥ずかしそうにしているミリアリアを見てそんなお姿も可愛いですね!っと忠誠心を爆発させる。
「じゃあ、ボクが手取り足取り色々と教えるから一緒に頑張りましょう姫!!」
「きゃ!?っもう、急に抱き着いては駄目だと言っているでしょう?ちゃんと包丁を置いてから抱きつく理性があるなら、大人しくしてくださいな?」
「だって、恥ずかしそうにしてる姫が可愛かったんですもの〜」
そう言って自分のお腹にグリグリとおでこを擦り付けるエリに犬の尻尾が生え、ブンブン!っと振るわれている光景を幻視するミリアリア。
「もう……でも、ありがとうございますわ。エリが手間じゃなければ、料理のこと色々と教えてくれると助かりますわ」
「まっかせてよ!」
女三人寄れば姦しいとは言うが、方や深窓の令嬢として同年代との付き合いが少なかった女、方や女らしからず父から教わる剣術に没頭し、男性との会話の方が多かった女である為、二人でも同年・同性と話をしているだけで楽しくどんどん盛り上がりながら賑やかになっていくのだった。
一方その頃。木を伐採し、燃料となる薪割りをしているユーズとファウストの男二名だが──
「……」
「……」
──全くと言っていいほど会話がなく、ただ、淡々とお互いが手近な木を斬り倒し、それらを薪に変換する作業を行なっており、先程のミリアリア達とは打って変わり静けさだけがそこにあるのだった。
「む……ミリアリア様の楽しげな笑い声が聞こえてくる……思えば随分と前からこの様な声を聞いていなかったな」
人外染みた聴力ではしゃぐミリアリアと一応、エリの声を聞いたユーズが手を止め優しげに微笑む。心なしか斧を振り下ろす手に力が篭っているように感じられた。
「もう少しそれに早く気がついてやれば、我が共犯者の運命も変わったかもしれんな。どうだ、惚れた女の危機を察せなかった気分は?」
人の絶望にを糧にしている悪魔らしく嫌味な質問を投げかけ、ユーズという男の精神強度を探るつもりだったファウストだがその思惑は何一つ意味がなかったとジッと己を見る彼を見て悟った。
「ミリアリア様が死んでいれば、死んで詫びるつもりだった。くだらぬ政や他人の悪意、貴様の様な外道に騙されているのであれば例え、殺してでもお救いする気でいた。だが、あのお方の意思でこの命を私という駒を欲しているというのであれば、過去の過ちを取り返し再び笑顔で歩ける様な未来のためにお仕えするだけだ」
「……とんだ忠義馬鹿だなお前。なら、理解しているはずだミリアリアの先にはいずれ、俺の様な人外が立ち塞がる事になると。その時の力を何故拒んだ」
長い時を生きているファウストであるが、力を求めようとしない人間は所謂、聖人を除き初めて見た。
「私の全てはミリアリア様の為にあり、それ以外の思惑や理想の為に使われる気は一切無い」
曇りなき瞳で断言するユーズに思わず、ファウストは木を伐り倒す手を止めて少し時間を置いたのちに笑い出した。この時の彼の心情を言葉にするのなら『これだから人間は面白い』に尽きる。何故なら今この男は、ミリアリアの為であれば人だけではなく、悪魔や神といった人智の及ばぬ存在すら自らの力だけで殺すと。愚かにも宣言したのだから他ならぬ悪魔の目の前で!!これが笑わずにいられようか!!
──存在を認めないと聖人共が神の祝福などと言い、武器を向けてきた事はあった。だが、それは背後に神がいるからこそだ。人ではない存在の力を借り受け、人ならざるモノを殺しにきたのだから別に不思議な話ではない。
それを今、この男は人としての力だけで踏破すると……ふっふふ、あぁ、本当にミリアリアを選んで正解だった。
「精々、足掻けよ人間」
「ふん。地に臥せぬ様に気をつける事だな、人にも例外は存在しているのだから」
高笑いを続ける悪魔を見ながら、ユーズは今頃隣国との戦場に顔を出しているであろう女を思い浮かべる。第二席の己を超える第一席の女を。
──ノスアラル東部戦線──
「ア、アースラ国の騎士は弱小ではなかったのか!?」
隣国との戦争に駆り出された名も無き騎士は、恐怖から腰が抜け無様に下半身を暖かくしながらも目の前の光景が信じられなかった。否、信じたくなかった。ここ数年、長々と戦争をしているが基本的にどの戦線も押しており、時折聞こえてくる報告など誤報でしかないと思っていた。だが、そうではなかったのだと己の危機感の無さを呪う。
「ぎゃぁぁぁぁ!!」
穢れを知らぬ純白な槍が振るわれれば、まるでゴミの如く数十の人間が空へと舞い上がり無様な悲鳴と共に血の花と成り果てる。
肉の盾を用いながら決死の覚悟で放たれた弓矢は、身の丈を完全に隠すほどの大きな槍と同じ純白な大盾によって完全に防がれ、地に落ちる骸の様に力なく地面へと広がった。
「……この程度か」
天使の羽の様なものがあしらわれた兜からは綺麗なだが、聞く者全てを恐怖させるほどの圧を放つ女の声が紡がれる。
『彼女』が来るまでの間、五百以上は居たであろうノスアラル帝国の軍勢は見る影もなく消えており、敗走し逃げ延びた者もごく僅か。逃げるという考えすら持たずに血の花となった者達以外の大半は動けぬ騎士の様に恐怖に支配されその命を消した。
「ヒィ!!」
騎士の耳に聞こえるガチャリガチャリという鎧が擦れる音が告げる答えは、この惨状を生み出した者が近寄ってきているという事。前線に居なかった幸運など既にに使い果たし、理性は失われ本能は逃げることすら放棄した。今できる事はただ、迫る恐怖に怯えることのみ。
「我が国に戦争を仕掛けるからだ。そのまま、何も成すこともなく死ね」
命を弄ぶ趣味は彼女になく、無慈悲に槍が振るわれ騎士が存在していたという痕跡は本当に僅かに残された塵だけとなった。
彼女が振り返り槍を天に掲げると、同時にアースラ国の騎士達が勝利の勝鬨を上げながら彼女の名を讃える。
「カーラ・スヴァンフヴィート様!!我らが、偉大なる戦乙女!!」
『アースラ国騎士第一席 カーラ・スヴァンフヴィート』
ミリアリア達の前に立ちはだかるであろう大きな壁である。