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【恋愛 異世界】

かっぱ

作者: 小雨川蛙

 村のはずれに小さな川がある。

 もう随分と長い間、村と、ひいては人間と共に歩みを続けていたのだろう。道のりは踏み均されてと言う言葉さえ虚しく感じるほど平坦になっており、本来無造作に転がっている石も川遊びに来る子供達に意味もなく蹴り飛ばされ、そのほとんどが道の端に追いやられていた。

 村の中ほどではないが道は歩きやすい。故にこの小川は子供達が一番に知る村の外だった。幼い子供は兄や姉、あるいは肉親以外の年長の子供に連れられて初めて訪れる世界。年少の者であれば川は単純に遊び場となり、反対に年長の者であれば彼らが危険を冒さないか見守る親代わりとなる。子供達は遊び場で各々の役目を自然と学んでいくのだからよく出来たものだ。

 おそらくは数え切れないほど昔から繰り返されてきた歴史。

 初めてあの川に行った日のことを私は思い出す。私もまたその一員となった日を。

 年長者の童女が私を含む幾人かの子供を連れて村を出た。事前に聞かされていた通り子供の足でも苦も無く辿り着ける距離だ。私を除く子供達は既に小川へ遊びに行ったことがあり、故に童女を無視して駆けだす者も居た。彼女は彼らを軽く注意しながらも積極的に止めたりはせず、あくまで最年少である私の動きにのみ注意を払っていた。

 やがて川に辿り着く。小川は大小様々な石が転がっており今まで小石さえまともになかった道を思えば随分と歩きづらい。でこぼこした地面に足を何度も挫かれそうになりながら歩く私を後目に他の子供達が水の中へ入って行く。楽し気な彼らを見て落ち着きがなくなった私の腕を今一度握り童女は反対の手で指さしながら言った。

 『あそこから先は行かないで』

 指先は対岸を指していた。

 それは不自然なほどに分かりやすい異界だった。

 私達が通ってきた道は陽の光を遮るものなどない明るい道。対して、向こう岸は森の入口になっているのか木々が生い茂り、木陰がさほど深さも変わらないであろう水の深みを暗く映し出していた。同じ水面であるはずなのにあちらは黒く、手前は白い。

 『水にだって色があるの。分かる?』

 私を連れて来た童女は得意気に言うと『まぁ、私が見ているから安心してね』と告げて手近な石を見つけて座り込んだ。

 『ほら、あんたも遊んどいで』

 言葉と共に私はおぼつかない足取りで川へ向かう。覚えている限りの一番初めの記憶だった。


 記憶とは実に曖昧なものだと私は思う。

 頭の中に存在するそれは現実に起こったことを刻み込んでいるはずであるのに、時と共に内容が実に曖昧なものに変わり、やがて何が正しく、何が間違いかも分からないままに消えてしまう。

先日十六の歳を迎えた。もう村でも一人前の大人として数えられ、それ故に男であるならば畑に、女であるならば炊事場へと向かい働く歳だ。事実、私もまた『大人』の中に混じり働いていた。両親が私を産んだ時、何を期待したかは分からない。けれど、私は所謂人並みの人間へと成長していた。

少なくとも私自身はそう思っていた。

 ある一部分を除いて。

 「さえんなぁ」

 呟いた。

 声は宙に放たれ空を舞い、やがて木の葉のように落ちる。

 休憩時間となれば友人や恋人と語らい、あるいは家族の様子を見に行き、あるいは単純に体を休める。そんな村の風景から私は外れ、休憩の度に小川へとやって来ていた。大人が村へと戻る時間帯。相手をしてもらえるのを知っている子供の多くもまた村へと戻る。故に私はいつも独りきりだった。

別にそれを寂しく思ったことはない。

 ただ、私はいつも何かを追い求めてここへ訪れ、そして何も得ないままにここを離れる。

今日もまた、そんな一日になることを予感しながら対岸へと渡るとその川岸に座り足を水の中に垂らす。一瞬だけ襲い来る身体の芯さえ凍えさせるような冷たさは、直後に心地良い川の流れに飲み込まれ、気づけば地上にある体がおかしいのだとさえ感じる程に違和感なく同調していく。夏の照り付ける陽光は木々の陰に遮られ、そのほとんどが私には届かなかった。

 木々。

 対岸。

 かつて見た異界。

 目に映るものがあまりにも小さく、か細いものであると知ったのは一体いつ頃だろうか。

 子供の時分にのみ見える世界。大人になれば自然と消えていく。

 「いつも一人だね」

 それが如何に残酷であるのか。

 「子供に混じる気もおきないから」

 それが如何に救いであるのか。

 「確かに。大人が一人、子供の群れに混じっていたら流石に目立つからね」

 どちらがより世界にとって、あるいは自分にとって正しいのか、私は未だに答えが出ない。

 気づけば隣にその子供は居た。私と同じように川岸に座り、足を水へつけている。

 「背、抜かれたね」

 私をちらりと見た後、そう言って笑った。

 「大人になったから」

 そう答えながら、顔を見、声を聞き、自分の記憶の中に居るはずの存在を探す。確かに出会ったことがある。そのはずだ。

 しかし。

 「珍しいよ」

 曖昧だった。

 「何が?」

 全てが。

 「大人になっても見える人」

 遠い記憶。自分が自分であったかも不確かなほど昔。川に訪れ遊ぶ光景の中にその者は確かに居た。

 皆と共に遊び、語り、別れた。

 別れた。

 無自覚のままに体がびくりと震え、私は思わず隣に居る姿を見つめる。

 「どうしたの?」

 悪戯染みた笑みを浮かべられる。まるで水底に浮かぶ小石を透き通る視線で見抜かれたように、自分の心の中が晒された気分だった。

 「あなたは変わらないね」

 当たり前とも思える事実を口にする。

 肯定か。

 「そらぁね」

 否定か。

 「人じゃないから」

 どちらを求めていたのかさえ分からない。

 ただ、その笑みが愛おしく思えた。

 「ずっと探していた」

 呼吸をするのと同じ必然性を感じながら声を漏らし、反射的にその手をとった。

 「誰を?」

 分かりきった答えを問う。そう言わんばかりの声が私の頭に反響する。

 何かを追い求めて、大人になってからも川へ通い続けた。

 「あなたを」

 その手は川の水にも似た温かさを、あるいは冷たさを纏っていた。

 「探していたって」

 くっくっと喉を鳴らしながら笑い「変わらないなぁ」と息をするように声を挟むと力なく答えた。

 「人間は」

 相対する瞳。視線の先。映っているはずの自分。しかし、相手は私を通して別の者を見ているようだった。

 握った手の平をどうすれば良いのか分からなかった。ただこれ以上ない愛しさをどう表現すれば伝わるのかそればかりを考えて、結局何も出来ずに相手を見つめ続けることしか出来なかった。

 やがて。

 「時間」

 ぽつりと言葉が世界に落とされて私は気を取り戻す。握っていた手の平はするりとほどかれ、呆然とする私の前で両足を水から引き上げる。その足からは僅かにも水が滴り落ちることはなかった。

 「行っといで。怒られるよ」

 仕事のことを言っているのだと悟り、頷くと私はぽつりとその背へ向かって聞いた。

 「また来てもいい?」

 「好きにしな」

 歩き去るその背を見送った後、私もまた両足を水から引き上げる。水底の冷たさに慣れた足先は外の日差しを受けて不可思議な感覚を私に与える。まるで、川の中の方が温かい気さえした。

消え去った相手へと告げる。

 「また来るから」


 その後、私はその者と逢瀬を重ねた。

 「また来たんだ」

 そう呆れつつも追い返したりはせず、かと言って何かをするわけでもなく、私達は川へ足を投げ出してぼんやりと日々を過ごしていた。隣に座りながら、私は一体何故隣に居る者を求め続けていたのか自問していた。

 「忘れていくのさ」

 思考を読んだかのように声が聞こえた。

 「みんな、みんな」

 それが自然なのだと言わんばかりに。何が正しく、何が誤りなのか私には分からない。ただ、こうして川に来ている大人が私一人きりだと言う事実を顧みれば。

 あるいは私こそが誤りなのかも知れない。


 日々は静かに過ぎていく。隣に座る者は時折独り言のように私へと語った。

 「長い間、人間と共に生きていた」

 私達の足が浸かる川の水が仄かに暖かくなった気がした。

 「けれど、それも終わり」

 寂しげな声に思わず反応する。

 「どうして?」

 純粋な問い。相対する顔は笑っていた。

 「人の世が来るから」

 「人の世?」

 問い返す私に頷きかける。

 「そう。自分以外の全てを否定する世界」

 共に生きる時代の終わり。それを聞かぬままに私は理解した。


 故に。


 小さな体を押し倒してそっと唇を重ねた。

 抵抗はなく、私は愛おしい体を抱きしめる。

 けれど。

 「やめておいた方がいい」

 唇を離すと笑みの消えた顔が告げた。

 「辛いだけだ。君も、私も」

 声は僅かな力もなく私と世界の狭間に落ちた。

 「生きた。居た。その形を残したい」

 私の言葉に相手は片腕を両目に乗せて答えた。

 「赤ちゃんは出来ないよ」

 泣いているのだと。

 「君にも、私にも」

 私は知った。

 答えぬまま、あるいは聞こえぬままに体を抱く。

 「変わらないなぁ。人間は」

 声が奇妙なほどに耳の奥へと響いた。


 記憶とは実に曖昧なものだと私は思う。

 小川に足を浸しその流れに身を任せる。まるで水中の方が温かいとさえ感じた。

 確かに愛した存在が居た。

 この川に。

 強く抱きしめた。

 あるいは。

 強く抱かれた。

 そのはずなのに、声も顔も思い出せない。

 最早、男であったか、女であったかさえも定かではない。

 「きっと」

 誰も居ない。そう分かっているのに記憶の中に居る誰かへと告げる。

 「こうして忘れていくんだね」

 休憩の度にわざわざ子供の遊び場に行く変わり者。

 村の者は私を川に魅せられた生き物『かっぱ』などと呼ぶ。

 今や、川に来る理由は自分でも分からず、ただこうして川の水に足を浸すばかり。

 その頻度も徐々に少なくなり、やがて川にも来なくなるのだろうと私は思った。

 大切なものがあった。

 それを失いたくなかった。

 今やそれが何であったかさえ分からない。


 記憶とは実に曖昧なものだと私は思う。


 今、私の身が感じるのは川の水の冷たさのみ。

 「さえんなぁ」

 呟き、笑う。

 耳にはただ、川の流れが聞こえるばかり。



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― 新着の感想 ―
[良い点]  結末の見解を私は読み違えているかもしれませんが、優しいようで恐ろしい話でした。 [気になる点]  え、まさか彼女もカッパ……  日本各地にカッパ伝説はありますけど、私の友人は都内某所に…
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