第九十二話 幕間~トライアングル・ハート 後編
「午後から工房入れてやるからな。とりあえず飯にするか」
時刻は丁度正午を回った辺り。アルファスからそんな声が掛かる。
「わかった。――そういえばセッテは?」
「昼飯買いに行ってる。あいつは商店コネクション強いからな、毎日日替わりでお勧め品とやらを買ってくるんだよ」
余談だが、セッテとエカテリスは立場を越えて「ハインハウルス城下町商店街美味しい店情報共有友達」である。
「そろそろ戻ってくるはず……だけど、何か外が騒がしいな」
パッと外を見て見ると、何だ何だ、と一方向に人が流れて行く様子。
「嫌な予感するわ。商店街絡んでると絶対あいつ口挟んでる」
「それで帰って来ない、か。――私が様子を見て来る」
エプロンを外し、太刀を腰に、フロウは店を出て小走りに人の流れの方向へ。段々と見えてくる人だかり。
「――テメエには関係ねえだろうがぁ! どいてろ!」
「どきません! どいたら貴方達何をするかわからないじゃないですか!」
そして聞こえてくる声。野蛮な男の罵声と、それに対抗するセッテの声。――アルファスの予測は残念ながら当たっていた。
「おい、あの騒ぎは何だ?」
フロウはとりあえず野次馬の一人に事情を尋ねてみる。
「何でもクレームらしいぞ。二日前に買ったパンが硬くて食べられないとか何とか。いるんだよなあそういう無茶なクレームつける奴」
保存方法にもよるだろうが、二日間何もしないでそのままの柔らかさをキープ出来るパンは中々ないだろう。
「セッテちゃん、私達は大丈夫だから……」
「大丈夫です、お二人は間違ってません」
セッテが庇っているのは老夫婦だった。推測するに、老夫婦二人で営んでいるパン屋だが、その見た目からごり押し出来ると踏んだクレーマーが脅しに入り、その現場を見つけたセッテが助けに入ったと言った所。
男はそれなりに大柄で、腰に剣。フリーの傭兵、剣士だろうか。……ただ、
「……弱いな」
覇気というかオーラというか、そういうのはほとんど感じ取れない。体格だけで剣士としては弱い部類だな、とフロウの勘が告げていた。
「テメエ、痛い目に合わないとわからないらしいな!」
「っ……!」
男が剣を抜く。場が一気に騒然とする。いくら剣士として弱いとは言え、セッテは戦闘経験もなく丸腰、体格の差も勿論ある。
「セッテちゃん、逃げて! 私達はもう……!」
「駄目です! 絶対に、絶対に……!」
それでもセッテは逃げない。必死の面持ちで老夫婦を庇うように守るように立ち続ける。
「誰か兵士を、軍を呼べよ!」
「助けて! 誰か助けてあげて!」
周囲も声を出すが、実際に助けに入る人間はいない。野次馬達が最悪の事態を想定し始めた、その時。
「ふっ!」
「!?」
ヒュン、パキィン!――フロウは野次馬を飛び越えるようにジャンプして乱入、男とセッテの間に割り込むように着地、と同時に持って来た太刀で男の剣を二つに折る。カランカラン、と転がる男の剣。
「な……俺の剣がぁ! テメエ、一体――」
「痛い目に合わないとわからない、か。――その言葉、そっくり貴様に返そうか」
「え……がはぁ!」
ドガッ!――フロウは更に男に峰打ち。一般人には見えないその速度の峰打ちは威力も高く、数メートル男は吹き飛び、道に悶えるように転がる。
「剣を抜いた以上仕方がない。剣士にとって剣はそういう品だ。――それで? これが硬くて食べられないパンか? いいだろう、私が代わりに買い取る」
フロウはそのまま男に近付き、男が持っていたパンを拾い、自らのポケットから小銭を出して男に無理矢理握らせる。そして、
「つまり、もうこのパンは私が買った物だから、これは奢りになるな。タダなら文句ないんだろう、さあ食べろ」
「ふごぅ! ふごふぐふご!?」
男の口を無理矢理開き、その口に強引にパンを突っ込んだ。
「よく噛めよ」
「ふごふごふごふご!?」
そして頭上と顎を持ち無理矢理噛ませる。強引にやっているので頭もシェイクされ、そもそもフロウの峰打ちのダメージが大きいのもあり、男はそこで気を失った。
「フロウさん!」
周囲が唖然として次の行動に困る中、正体を知っているセッテはフロウに駆け寄る。
「店長がどうせセッテは首を突っ込んでいるだろうと言うからな。怪我はないか?」
「はい、ありがとうございます。――アルファスさんが認めるのがわかりました。凄く強いんですね、フロウさん!」
今の騒動で素人のセッテの目からしても、フロウの動きは桁違いである事がよくわかった。
「そうでもないさ、私なんてまだまだだ。事実、その店長には勝てない。――さあ、帰ろう。店長も昼飯を待ってるぞ」
そう言ってフロウはセッテを促し帰ろうとすると、
「待って下さい、助けて頂いてありがとうございました」
老夫婦がフロウの前に立ち、そうお礼を告げてくる。
「別にお礼を言われる程でもない。私は店長の指示でセッテを探しに来ただけだからな」
「セッテちゃんを……店長の指示……? あら、貴女アルファスさんのお店の方かしら?」
「ああ。先日からそうなった」
「流石アルファスさんね、こんな優しい人を見つけるなんて。お名前、伺って良いかしら?」
「……フロウ」
「フロウさん、お礼に持って行って、焼きたてのパンよ」
「ああ、いや、別にそんなつもりで来たわけじゃ」
「いいのよいいのよ。さ、どうぞ」
老夫婦はフロウにパンの入った紙袋を半ば強引に手渡す。
「これからよろしくね、フロウさん。パンが食べたくなったらいつでもいらして。サービスするわ」
「いや、その……ありがとう」
戦いの結果、感謝される事に慣れていないのか、フロウは照れ臭そうにしながらお礼を言うのだった。
「お前の応急処置の仕方はちゃんとしていた。だがそれはあくまで応急処置だ」
騒動、そして昼食後、アルファスによる武器鍛冶講座が工房にて始まっていた。
「本格的な修繕、更にはゼロからの作成、鍛冶となると話は全然別物になる。概念は捨てるつもりでいろ」
「わかった」
偶にしか見せない(!)真剣な面持ちで講義するアルファスと、真剣に聞くフロウ。
「まずは基本中の基本から。そもそも武器は――」
そして、その真剣な二人の様子を、少し離れた所で何となく見ているセッテがいた。ライトとの剣の稽古の時もそうだが、真剣な時はやはり口を挟めない。
(……フロウさん、素敵な人なんだ)
突然アルファスが弟子入りを認めたフロウ。アルファスが認めたとはいえ、実際どんな人間かはわからなかったが、こうして色々あってわかること。――優しく、強い、人として魅力的な女性だった。
(それに比べて、私は)
確かにセッテは商店街の人気者。でもそれは商店街の優しい人達のおかげでもあり、騒動後のパン屋老夫婦との様子を見る限り、フロウも直ぐに馴染めそうだった。そして、自分には無いいざという時の戦闘力。
(何一つ、勝てそうな所がないなあ)
事実はどうあれ、セッテの中に大きな敗北感というのが生まれてしまう。そういえば、こうしてアルファスの店に通う様になってから自分はアルファスにあんなに真剣に何かをして貰ったことがあったっけ、と思うと、
「っ……駄目だな、私」
視界が涙で滲んだ。急いで腕で拭う。――泣き顔なんて見せたくない。元気で明るいセッテでいないと。たとえもう、いらなくなってしまったとしても。
やがて日も傾いた頃、今日の講義が終わったか、先にフロウだけが戻ってくる。
「お疲れ様でした。どうでした?」
「流石に今日一日じゃ何もわからんさ。ただ、私が想像している何倍も奥が深そうだ。習得のし甲斐がある」
「良かったですね」
実際フロウの表情はやる気に溢れていた。――さて、私はこれからどうしよう、と笑顔をキープしながらセッテが考えていると。
「なあセッテ。セッテはその……店長の事が、好きなのか? 異性として」
「!?」
その問いは突然だった。折角キープしていた笑顔が消え、動揺が走る。――何て答えよう。……でも、
(ここまで来たら……逃げて終わりは、嫌)
せめて、せめてはぐらかさずに終わりにしよう。そう覚悟を決める。大きく深呼吸を一回。そして、
「好き、ですよ。大好きです。世界中の、誰よりも」
言い切った。フロウの目を見て、真剣に、逃げずに隠さずに言い切った。――ええ、私がどんなに貴女に負けても、私がアルファスさんを好きという気持ちに、変わりが生まれる事はありません。
一方のフロウも真剣にセッテの目を見る。そして数秒後、ふっ、と優しく笑った。
「そうか、真剣なんだな。――店長の弟子、そして店の後輩として全力で応援する。手が貸せる事は……私は疎いから無いかもしれないが、何かあれば言ってくれ。私で良ければ、だが」
「……はい?」
そして返って来た返事はセッテの予想外の物だった。――あれ? 応援する?
「店長には控え目な女よりセッテみたいな元気で優しい人が合うと思う。逆に店長は捕まえておくべき相手だぞ。あれ程の逸材には中々出会えない。ちょっと強引でもいい、振り向かせてみせろ」
「あの……その、フロウさんは?」
「私? 私は新しい生活、武器鍛冶の会得でそんな事を考える余裕はないさ。それに、指示を請う人に恋愛感情を持ってしまっては技術向上がブレる。だから、セッテと店長が将来幸せになってくれると嬉しい。この店に来てそう思う」
フロウとしては深読みなどしていない、素直な言葉だった。実際彼女は恋愛云々よりも、今は自分の新しい目的に集中したいと思っている。
一方のセッテは、何処かでフロウがアルファスとお似合いで、お互い認めあう仲で、だからアルファスも弟子入りを居候を認めて、いつかはそういう……と思い込んでいた。今朝見た夢もその考えに拍車を掛けていた。ところが、今のフロウの言葉で、その考えが綺麗さっぱり、粉々に壊れた。
よく考えれば、アルファスは認める相手には男女関係なくとことんだった。フロウにも、ライトと同じく、真摯に自分の技術を教えようと決めただけなのだ。
「っ……フロウさぁぁん!」
「!?」
ガシッ!――思わず感極まり、セッテはフロウに抱き着く。
「私、頑張りますから、絶対絶対、頑張りますから! 応援、して下さい!」
「あ、ああ、わかった、だからそう言っただろ」
「はい! これから、あらためて宜しくお願いします!」
フロウからしてみればどうして抱き着かれているのかよくわからない。ただ、嬉しそうなセッテの表情を見ると、無理矢理振り払うわけにもいかず。
「……何してんだ、お前等」
そして何も知らないアルファスが戻ってみれば、何故か二人が抱き合っているという状態。
「友情、結束、決意です! ね、フロウさん!」
「あ、ああ……まあ、そんな所なんだろう」
「ふぅん……」
元気一杯のセッテ、否定はしないフロウ。――女のやる事は良くわからん。ああいや、セッテのやる事だけかも。
「――あ、そうだ、セッテ」
「はい、貴方のセッテはここに! 私に何をご所望ですか!?」
「五月蠅え普通に返事しろ。――ほれ」
パサッ、とアルファスはセッテに布の包みを渡す。促され開いてみると、
「エプロン……って、これ」
フロウがしているのと御揃いの、シンプルなエプロンだった。
「どうせ明日も明後日も来るんだろ。フロウがしてるのにお前してないの紛らわしいからお前もそれ付けろ」
「……それって」
「いくらか給金も出す。明日からも開店前に来いよ。遅刻したら出禁な」
「!」
それは、今までは「勝手に来ていた」だったのが、「正式に店にいることを認める」へのランクアップ。忙しいから人手が欲しいわけではないのは、セッテとしても十分にわかっている。フロウがいれば余計だ。それなのに、これからも近くに居ていいということは――アルファスがちゃんと自分を見ていて、認めてくれたという証拠。
「っ……アルファスさぁぁん!」
「うおっ危ね」
スカッ。
「何で避けるんですか!? セッテの愛の抱擁ですよ!?」
「いらねえからだそんなもん」
先程のフロウの時と同じ勢いで抱き着きにいったら見事に避けられた。後一歩で棚に激突する所だった。
「折角武器鍛冶アルファスの新しい門出なのに! これから三人で頑張っていくんですよ! ねえフロウさん」
「いや、私も毎回抱き着かれるのは困る」
「そんな!」
「何でもいいから片付けるぞ。後、明日からの正式な仕事配分も決めるからな」
こうして、にぎやかで多々ある武器鍛冶アルファスの一日が――三人にとって大小あれど始まりの日が――平和に終わろうとしていたのだった。




