第九十話 死神が駆ける銀の夜12
ハインハウルス城下町は、今日も午前中から賑わっていた。
国一番の城下町は人通りも多く、活気に溢れている。例え昨晩、この国を揺るがしかねない大きな騒動があったとしても。――そもそも、その騒動に気付いている一般の住人は居なかったりするのだが。
「おはよう、セッテちゃん」
「あ、おはようございます」
そんな街並みをセッテは歩く。目的地は勿論アルファスの店。今日はどんな事をしよう、どんな話をしよう。大好きなアルファスの顔を思い浮かべながら歩く。
「……そういえば」
昨日来た不思議なお客さんはまた来てくれるだろうか。珍しくアルファスが実力を認めていた。悪い人には見えなかったし、常連客が増えてアルファスが凄腕だと認めてくれる人が増えるのは単純に嬉しい。
もしかしたら、もう来てたりして。――そんな事を考えながら店のドアを開けると、本当に彼女は居た。
「いらっしゃいませー」
「って確かに来てたけど思ってた来てると意味が違うー!」
そう、彼女――フロウは確かにいた。エプロンをしてカウンターで店番をしていた。――え、何でしょうかこれ。私がアルファスさんの店を間違えるわけない。私がアルファスさんを見間違えるわけもない。ということは、昨日の彼女が今ここでアルファスさんの店番を任されている……!? 何故……!?
「ご一緒に投降用ナイフはいかがですか」
「どういう接客ですか!? 武器鍛冶屋で食べ物屋みたいな接客しないで下さい!」
と、大事なツッコミ所はそこではない。セッテの困惑は広がるばかり。――すると、
「おう、そいつ客じゃねえぞ、接客しなくていい」
「アルファスさん!」
奥から気付いたか、アルファスが出てくる。
「良かった、私アルファスさんが悪い人に騙されてお店乗っ取られたのかと!」
「安心しろ、んなヘマはしねえ。――というわけで、こいつはいわゆる冷やかしだ」
「何だ、昨日も居たから常連か店の関係者か何かかと思ったら違ったのか。冷やかしなら出ていってくれ」
「今更冷やかし認定酷くないですか!? 違います、私はお店の関係者です!」
「自称じゃねえか」
「兎に角説明を! どうして昨日のこの方が今日いきなり店番してるんですか!? 店番欲しいなら私を頼って下さい!」
はぁ、と溜め息をつくアルファス。こうなる事は予測出来ていたが、実際に目にすると実に面倒だった。
「この店で働いて、「武器鍛冶としての」俺に弟子入りするって聞かねえんだよ」
そう、フロウが選んだ新しい道はそれだった。第一線を退きつつも衰えないアルファスの剣士としての腕、太刀ではないにも関わらず光音斬を放てる武器を作る鍛冶職人としての腕、そして何より生き方に憧れを持ったのだ。
「私は人としてまだまだ未熟だった。だから店主――いや、「店長」の元で修行したいと思ったんだ」
「生半可な実力者なら蹴っ飛ばして終わりなんだが、振り払おうにも振り払えないレベルなんだよこいつ」
戦いの後、志を決めたフロウはアルファスに弟子入りを懇願。認めてくれるまで離れないと断言。無理矢理追い払おうにもまたあの戦いをしなくちゃいけないのかと思うと流石に嫌だった。
「更に経緯は色々あったが、こいつの太刀俺が折っちまったからな。それを自分で一から作り直したいと。だからこいつが納得する太刀を自分で作れる様になるまでの間、教えてやることにした」
何だかんだで俺も甘いんだな、と客観的に自分を見て呆れるアルファスだった。――ライトもそうだけど、弟子なんて取らねえって決めてたはずなのにどうしてこうなんだか。
「ぐぬ……ぐぬぬ……!」
一方のセッテとしては複雑な想いで一杯だった。アルファスの近くに新しい女。しかも店の従業員。自分は到底認めたくないが、アルファスが認めてしまっていた。ここで我が侭を言えば本当に出禁になるかもしれない。
「条件があります!」
「何でお前が条件出すんだよ」
「アルファスさんは黙ってて下さい!」
「はい」
鬼の様な形相のセッテについアルファスも素直に返事をして黙ってしまった。
「いいですか、先にアルファスさんが凄いと知ったのは私、先にこの店でアルファスさんと一緒にいたいと思ったのも私、そもそも先にアルファスさんと知り合ったのも私、つまり全てにおいて私は先輩なんです! ええと……貴女お名前は!?」
「フロウ」
「フロウさん、今後私を先輩と認識し、アルファスさんの事で何かある、何かしたいなら逐一確認、報告すること! アルファスさんの事で勝手な行動は許しません! いいですね!」
「わかった、それで認めてくれるなら条件を呑む。――セッテ、と言ったな。宜しく頼む」
「ぐ……こちらこそ、宜しくお願いします!」
素直に認め、綺麗なお辞儀をするフロウ。こうなると素が優しいセッテは突き放せない。
「アルファスさんも! フロウさんの事で何かあるなら必ず私に相談するように!」
「……わかった」
何となく断れないアルファス。――何だこれ。まあ、仕方ないっちゃ仕方ないか……
「ああそうだ、セッテ先輩」
「名前だけでいいです。何です?」
「この城下町の市場、商店街の店に詳しいんだったな。後でお勧めの生活用品や衣服の店を紹介して欲しい」
「まあ、商店街の事ならセッテにお任せ、ですけど、持ってないんですか?」
「今までは流れ者の剣士だったからな。定住、しかも居候させて貰うのに何も用意してませんでした、では話にならないだろう」
「……は……?」
セッテの耳にとんでもないワードが入ってきた。――居候? 住み込みってこと? この店に? つまり、
「アルファスさんと……一つ屋根の下……暮らしていく……!? 朝から晩まで……アルファスさんと……!?」
若干落ち着く方向に向かいかけていたセッテの思考が壊れていく。衝撃の事実に、渦巻く感情。
「ああそうだフロウ、こいつ渡しておくわ」
カチャッ。――そんなセッテの様子にまだ気付かないアルファスが、フロウの前に一振りの太刀を置く。
「これは……」
「万が一何か起きた時、丸腰ってのは今更困るだろ。だから、お前が納得出来る太刀が作れるまでは、俺が前趣味で作った太刀、貸しておいてやる。持っておけ」
シャリン。――鞘から抜くと、そこには黒と白のコントラストが綺麗な太刀。
「っ……はは、まいったな……この時点で、私が店長に折られた太刀よりも、上質な太刀が出てくるとは……これが、趣味で、か」
太刀使いとして、震える程の品だった。改めての驚きと高揚をフロウは隠せない。
「当然それより上を目指せよ。やるなら徹底的に、だ」
「わかった。――ありがたく借りさせて貰う。いざという時の店の護衛も任せてくれ」
「店長俺で店員お前か。――武器よりも戦闘力が上の店になっちまったな」
「違いない」
こうして、アルファスの店に、新たに住み込みの従業員が――
「……アルファスさーん……私にも、武器を何か貸して下さーい……うふふ……」
「ちょ、セッテお前どうした」
「心中でーす……アルファスさんを殺してぇ、フロウさんを殺してぇ、私も死にますぅ……ふふふ……」
「待て待て待て待て! 何でいきなりそうなる!? っておい、武器を漁るな持つな!」
「離して下さい! これが私に出来る全てです! これで全てが解決します!」
「しねえよ何にも! よくわかんねえけど落ち着け!」
「成程、流石店長に拘るだけはある。凄い殺気だ」
「お前は感心してないで手伝え!」
――従業員が生まれて、騒がしくなっていくのであった。
ハインハウルス王国第一王女・エカテリスの専属使用人、リバールの朝は早い。
当然主であるエカテリスよりも早く起き、身支度を整え、今日のスケジュールを確認。他の使用人とは違い、エカテリス専属である為、エカテリスの予定に合わせて仕事内容は大幅に変化する。
例え前日、命に関わる戦闘をこなしたとしても、翌日が普通ならば、それに対応しなくてはならない。
「……よし」
一晩休んで、体力は大分回復した。緊迫した戦闘なら厳しいが、使用人としての仕事に支障が出る程ではなかった。素早く身支度を終え、 朝食を終え、主であるエカテリスの起床の時間を迎える。速足でエカテリスの部屋へ。――コンコン。
「姫様、リバールです」
…………。
「姫様、朝です、リバールです」
…………。
「……ふむ」
返事がない。そっとドアノブを回し、部屋に入る。
「……すぅ……」
エカテリスは静かな寝息を立てて、まだ夢の世界に居る様子だった。昨日の今日で疲れがあるのだろう、無理もない。
「…………」
普通ならここで起こすのが使用人としての務めである。だが昨日の今日、リバールはもう少し寝かせてあげよう、という結論に達する。
「では、お隣失礼します」
そして起きるまでは添い寝をしよう、という結論にも達する。――寧ろこちらの結論の方が本筋である。
そもそも流石王女と言えばいいか、ベッドは広い。二人で寝ても十分お釣りがくる大きさ。――掛け布団をゆっくりめくり、エカテリスを起こさないように自分も入り、横になる。
「……すぅ……」
エカテリスは起きる様子はない。久々の添い寝、久々の間近に見る寝顔に、リバールの高揚は止まらない。――ああ、いつもの凛々しいお顔とは違い、何て愛くるしいお顔でしょう。どれだけ見ても見飽きない、私の全ての源。
無意識の内に、徐々に徐々に接近。その距離ほんの数センチ。まだエカテリスは起きない。
「成程、今日はスペシャルバージョンですね、畏まりました」
別に誰の指示も希望も出ていないのに勝手にそう結論付け、リバールはそっとエカテリスを胸の辺りに抱き寄せる。エカテリスの匂いが温もりが直接体を突き抜けていく。――そう、ここは天国なのです。リバール=ファディス、天国へ行きました。
「うーん……んー?……リバール……?」
と、流石にここでエカテリスが気付き、ゆっくりと意識を現実に引き寄せる。
「お早うございます姫様、そして申し訳ございません。折角昨日の戦いで生きて戻れたのに、このリバール、今天国へ旅立ちます」
「……寝坊した私が駄目なのですけれど……何をしているのかしら朝から……」
「さあ姫様も思う存分私の匂いを温もりを感じて下さい。そして共に天国に旅立ちましょう」
「馬鹿な事を言っていないで離しなさい、起きて着替えますわ」
「身も心もリフレッシュ!」
「ああっもういい加減になさい!」
どーん。――突き飛ばされるが如く、部屋から追い出される。
「流石にスペシャルバージョンは長時間堪能出来ませんか、残念」
ああでもあれを長時間堪能したら本当に快楽の頂点で死ぬんじゃないか、などと真剣に考えていると。
「……本当に昨日の先輩と同一人物ですか」
「お早うございます、ハルさん」
いつもの様に、呆れ顔のハルが通りかかったので挨拶。
「先輩来ないから様子を見に来ましたけど、久々にやりましたね」
「見て下さい、いつもより肌が潤ってませんか?」
「そんなわけないでしょう。――昨日の出来事がホント、嘘みたいですよ、今の先輩を見ると」
「……違いますよ、ハルさん」
「?」
「私は、この瞬間を守りたくて、昨日戦ったんです。――本当に、皆さんに感謝しています」
ふと真面目な表情になり、そうリバールは告げる。そして、穏やかに嬉しそうに、ハルに笑ってみせた。その笑顔を見たら、ハルも笑うしかなくなる。
「そうですね、平和な証拠、平和が一番ですね。――もう少し先輩には自重して欲しいですけど」
「ハルさんも偶には欲望をむき出しにしてはどうです? 何かあるならお手伝いしますよ」
「怖いので結構です。――さあ、今日も一日頑張りましょう」
「ええ」
こうして、ハインハウルス城の一日が、今日も幕を開けるのであった。