第八十九話 死神が駆ける銀の夜11
「リバールは、忍者としての自分は、嫌い?」
姫様の専属使用人になって数年経ったある日、不意にそんな事を尋ねられた。
「急にどうしました?」
「ううん、何となく……前から、気にはなっていましたの」
忍者としての自分が嫌いかどうか。
「嫌い……というのとは違いますが、今は姫様の使用人である、という気持ちが強いです」
仕事も慣れ、忙しいながらも充実した日々を送っていた。私は、表の世界の人間になっていたのだ。――今更、過去はいらない。
「勿論、いざという時姫様を守る為なら喜んで昔の私になります。でも、必要がないのなら、もう。姫様の隣で、姫様の使用人として立っていたいのです」
それが本音だった。もう過去には戻れない、戻りたくない。私は、この人の近くにいれるのが、幸せになっていた。
「私はリバール、姫様を世界一敬愛する、専属の使用人です」
「世界一とか大げさですわね。でもわかったわ、それがリバールの想いなら。これからも宜しくね、リバール」
「はい」
何気ない会話のつもりだった。でも、本音でもあった。――私の、弱さとなってしまった。
この時……いいや、姫様の専属使用人となると決めた時から、もっとしっかりと過去と向き合っていれば、あるいは――
「あ……」
エカテリスは一瞬、全てがわからなくなる。――リバールが、自分を庇い、敵の攻撃に包まれて、堕ちていく。言葉にすればそれだけの事なのに、頭が理解出来ない。
いや、正確には――認めたくないだけ。
「リバール……リバールっ!」
体制を立て直し、着地し、先に地面に勢いのまま落ちていた「黒い塊」の元へ。
「嫌……嫌よ……そんな……!」
それは既に、経緯を知らなければ、リバールだとはわからなくなっていた。ただの、黒い塊。
「うわあああああああああ!」
そしてその黒い塊の様に、エカテリスの心も黒く押しつぶされていく。――守れなかった。足を引っ張った。自分がリバールをこうしてしまった。
事実は違えど、その想いがエカテリスの心の中を渦巻き、それは絶望という言葉に変換されていく。
「……っあああああ!」
最後に残った力で、エカテリスは再び竜に突貫。やりきれない想いを、そこにぶつけるしかなかった。
「グルォォォ!」
しかし怒りだけに身を任せた攻撃、勢いはあっても先程までの正確さ機敏さは欠片もない。竜は動きを見抜き、万全の体制で立ち塞がる。魔力を込め、先程と同じブレスをエカテリスに向かって吐く。
「っ……!」
いつものエカテリスなら対応出来ただろう。だが今のエカテリスにその力は無かった。回避出来ない。――全てが、終わる。
「諦めるのはまだ早いですぞ、姫君」
パァァァン!――瞬間、エカテリスの前に魔法による防壁が張られ、彼女を守る。
「ふぅ、こちらに来て正解でしたな。我の勘も捨てたものじゃない」
「ニロフ……」
ライト騎士団、仮面の魔導士、ニロフである。ニロフはそのまま竜に向かい数発、牽制の攻撃魔法を放つ。エカテリスに攻撃する事しか考えてなかった竜は体制を崩し、一旦後退。
「戦いの過程で気持ちが揺らぐのは致し方ない事。ですが、最後の最後、一欠だけ、冷静な部分を残せる様にならないと、勝てる戦いも勝てなくなりますぞ。落ち着きなされ」
その隙を突き、事情を察し、優しく宥めるニロフ。その優しさが、仲間が来てくれた安堵感が、エカテリスを――悲しみで、包みこむ。
「ニロフ……リバールが……リバールがっ……! 私が……私を、守って……!」
「ですな。経緯はあれど、リバール殿が姫君を庇ってやられたのは事実。――でも安心なされ、姫君はまだまだこれから成長出来ます。同じ過ちを繰り返さなければ良いのです」
「なら、リバールは私のそんな成長の為だけに犠牲になったって言いますの!? 私の成長の度に、誰かが犠牲になって行くって言いたいの!? それなら、そんなだったら、私……!」
あくまで落ち着いたままのニロフに、不安定なエカテリスは今度は怒りをぶつける。――それでも、ニロフは落ち着いたまま。
「違います。――姫君が仲間を失わない為に、仲間が、我が、いるのです。姫君はまだ何も失ってはおりませぬ」
そして、両手で優しく抱えている毛布をエカテリスに促す。――そこで初めてエカテリスはニロフが両手で毛布を抱いている事に気付いた。
「まさか……!」
焦る手でエカテリスが毛布の包みを少し開けると、そこにはリバール――まったく黒くはなっていない――が、目を閉じて静かに息をしていた。
「いやあ、忍術というのは面白いですなあ。もっと研究したくなりました。落ち着いたらリバール殿に教えを請いたい所」
要は、ニロフがリバール、更には先の戦闘の敵にいた忍者から独自で忍術を試し、リバールがよく使う身代わりの術でギリギリの所でリバールを救い出したのである。ニロフとしては、成功はしたものの、恐らくリバールがするよりも魔力も多く使ったし、手順も不慣れだった。魔法マニアとしてはまだまだ納得がいかなかったのだろう。
だが、そんな事はエカテリスにとってどうでも良かった。――自分の為に死んでしまったと思ったリバールが、生きている。
「リバール……っ!」
抱きしめるようにリバールに顔を近づけると、リバールも気付き、ゆっくりと目を開ける。
「姫……様……」
「ごめんなさい……ごめんなさい……! 私の、せいで……!」
零れる大粒の涙。今の今まで流れる事の無かった涙も、ついに限界だった。
「泣かないで下さい……私は、貴女に仕える身として、当然の事をしたまで……そもそも、元を辿れば……私が……」
「でも……!」
「それに、私は姫様の泣き顔より、太陽の様な姫様の笑顔が好きなのです……だから、笑って下さい」
「馬鹿……っ!」
そのいつものリバールの言葉に、少しだけ、エカテリスも笑顔になれる。リバールも優しく笑った。
「ガオォォォォォ!」
次の瞬間、ニロフの牽制で怯んでいた竜が勢いを取り戻し、大きく咆哮。その場が再び緊張感に包まれる。
「やれやれ、大事な場面に無粋ですなあ。貴公も男なら、黙ってもう少し見届けるべきですぞ」
そしてニロフは何処までも落ち着いていた。ゆっくりとリバールを下ろし、竜を見据える。――ニロフが落ち着いているのには訳がある。一つは歳の甲、経験の差。一つは実力。そして、
「っらああああああ!」
「ギャオォォ!?」
ズバシュッ!――最後に、約束された戦力の増加、である。
「何か思っている以上に凄えことになってるなあ! 姫様、こうなっちまったらアタシも手伝っていいですよね!」
「ソフィ!」
まず参戦したのはソフィ。本格的な竜との戦いに、興奮を抑えきれない様子。
「グルルゥゥゥ……!」
不意打ちを喰らった竜が、ソフィを見据える。その直後、
「グボォ!」
ドカッ!――竜の後頭部に入る、鋭く強烈な飛び蹴り。不意打ちに、竜がふらつく。
「先輩の王女様愛を持ってしても苦戦ですか、油断出来ないですね」
「ハル!」
続いての参戦はハル。そのままスタッ、とソフィの横に着地。更には、
「いっけーっ!」
「グボボボゥ!?」
ドガガガガガ!――回転砲から連続で放たれる魔法の弾丸。その手数、威力に竜は怯む。
「ボクだって戦える! 王女様、お手伝いします!」
「サラフォン!」
サラフォンの参戦。――以上、城下町でワルサーロの仲間を蹴散らしていたライト騎士団の面々が集合する。
「さあ姫君、号令を。皆、貴女と共に戦う為に来たのです」
ニロフのその言葉が、仲間達の頼もしい背中が、エカテリスの心を奮い立たせる。あれ程までに崩れていた心が、綺麗に整っていく。
「リバール、見ていてね。今度こそ、貴女を守ってみせますわ」
「姫様……」
力強くリバールにそう告げると、エカテリスもソフィ達の横に並ぶ。
「私達はハインハウルス軍、勇者ライト率いるライト騎士団! その名に恥じぬ様、ライトを、仲間を、この国を、平和を守りますわ! 皆、行きますわよ!」
高らかに宣言すると、全員改めて身構え、戦闘再開。エカテリスが中央から、ソフィが右翼、ハルが左翼から突貫、ニロフとサラフォンが後方からフォロー。
「グフッ……!」
元々エカテリスと一対一で互角に近い勝負をしていたのが、一気に五対一。しかも精鋭揃い。――どちらが優勢かは、明らか。
「はあああああああっ!」
エカテリス、仲間が作ってくれた隙を突き、全身全霊、全力での突貫。風魔法による威力上昇、そして何より迷いのない心が後押しし、竜を見事に貫く。
「グフォォ……」
ドシィン!――竜は、力尽き、大きな音を立てて倒れた。再び動き出す様子もない。
「よっしゃあ! 流石姫様!」
ソフィの雄叫び。直後、各々がハイタッチで称えた。エカテリス、リバールとしては苦戦、窮地を乗り越えた勝利である。更には、
「……ニロフさん、お願いが」
「リバール殿?」
「私を、あの竜の近くへ……彼の近くへ、連れていって貰えませんか」
リバールにとっては改めての過去との決別、昔の仲間の死である。当然想う事は多々あった。ニロフも優しく頷き、リバールを支え始めると、
「ニロフ、手伝いますわ」
「承知、では姫君はそちらを」
「……ありがとうございます、お二人共」
直ぐに気付いたエカテリスが駆け寄る。右をニロフ、左をエカテリスに支えられ、リバールはゆっくりと立ち上がり、ゆっくりと歩き、黒い竜――ワルサーロの近くへ。
「…………」
勿論竜となってしまった今では面影の欠片もない。それでも、この竜は確かにワルサーロであり、自分達の手で、決着を着けた。
「ワルサーロ。貴方は貴方なりに、自分の生き方を貫いたのね」
そしてリバールは弔うかの如く、その竜の亡骸に語り掛け始める。
「勿論私は今の貴方のやり方を認めるつもりはないし、貴方も今の私を認める事は出来ないでしょう。それでいいと私は思う」
もしも、ほんの少し何かが違っていたら、リバールはワルサーロに賛同していたかもしれない。あの日、選択肢を変えていたら、自らがこの計画を立てる側に居たかもしれない。その可能性は否定は出来ない。
それでも、リバールはその過去からの可能性を捨て、今を守る事を選んだ。リバール=ファディスとして、忍者として、愛すべき人達を守る事を選んだ。自分にとって、それが正解なのだと、胸を張って言えた。
「さよなら、ワルサーロ。私達は貴方に勝った。せめてもの弔いに、これからもこの選択肢が間違いではなかったと、証明し続けてみせる」
リバールは目を閉じて、ゆっくりと追悼。長くて短いその時間は、敵を弔うという行為のはずなのに、静かで穏やかだった。
「いつか、話してたわね。忍者としての自分は、もう必要ないって」
「……姫様」
「リバールは、過去の自分が見られるのが嫌で、私には話してくれなかったの? 私には、どうしても相談出来なかったの?」
リバールの追悼が終わったのを見計らって、エカテリスが尋ねる。
「申し訳ございません。私の消えない過去のせいで、姫様の手を煩わせるのが嫌でした。それが、理由です。私情で主の手を煩わせるなど、あるまじき行為」
「煩わせなさい」
即答だった。表情を伺えば、とても力強い笑顔で。
「私は、全てを飲み込んだ上で、貴女の主になると決めたのです。だから、煩わせなさい。貴女が私を支えてくれる分、私は貴女も守って行くと決めたのですから。どんな事情があろうと、貴女の過去の顔がどんなだろうと、私は貴女と一緒に戦うの。いいですわね?」
「畏まりました。今後は包み隠さず、姫様の為にこのリバール、支え続けると誓います」
「ええ」
リバールが嬉しそうに笑う。笑顔の二人は、まるで本物の姉妹の様で、深い絆が周囲からも伺えた。
「皆さんも、本当にありがとうございました。お陰様で、これからも姫様の元で、皆さんの近くで一緒に生きていけそうです」
「いいってことよ。アタシ的には物足りない位だし」
「それこそ仲間ですから当然でしょう。我もいい研究になりましたからな」
「ボクも、皆の力になれたし、ライトくんも守れたし、言うことないです」
「右に同じです。――さ、先輩は休んで下さい。私はライト様、レナ様、マーク様に報告してきます」
「……ありがとう」
こうして、勇者暗殺計画は、幕を閉じるのであった。