第八十三話 死神が駆ける銀の夜5
「……え?」
私は耳を疑った。――今、彼女は何て言った? 専属の使用人……?
「貴女のその銀色の髪、凄く綺麗! 目もとっても優しい目をしてるもの! 名前を聞かせて? 私はエカテリス、エカテリス=ハインハウルスよ。貴女は?」
「私、は……」
言葉に詰まった。名前を名乗るのを憚られた。その純粋な目に、魅力的な目に、冷静な自分が言い聞かせてきた。――名乗ってはいけない。関わってはいけない。彼女は、将来この国の為に生きようとしている人間だ。私の様な人間に関わりを持ってはいけない、と。
「…………」
私は無言のままゆっくりと背を向け、この場を後に――
「こらー、ウチの娘に挨拶させておいて、自分は無視なんて許さないわよ?」
ガシッ。――後にしようとして、ヴァネッサに肩を掴まれ、再び真正面から向き合う形にされた。……仕方ない。
「リバールといいます」
「素敵な名前ですわ! ねえリバール、貴女強いんでしょう?」
「いえ、別に――」
「強いわよリバールちゃんは。この歳で四人いれば私も負けるかもしれない実力者」
「凄いわ! お母様は、兵士が百人同時に襲い掛かってきても負けないのに、たった四人で!」
再びヴァネッサに訂正される。――どうでもいいが単位がおかしい。私の前に天騎士の実力がおかしいと思う。百人とか四人とか。
「お父様、お母様、専属の使用人を選びなさいって前に仰ってたでしょう? 私、リバールがいいですわ! いいでしょう?」
「うーん、そうだな……そうだ、今度私の事をパパと呼んでくれたら」
「お母様、いいでしょう?」
「華麗にスルー!?」
項垂れるヨゼルド。――いや、そんなのはどうでもいい。問題は別にある。
「待って下さい、私はやりませんよ。――そもそも、使用人の経験も技術などないですし」
本当に今まで忍者として生きてきて、それ以外の生き方もスキルも何もないのだ。使用人など出来るはずもない。それに――
「……それに、私の様な者を、使用人などにしてはいけませんよ、エカテリス様」
「? どうして?」
「私はこの世界の、ずっと裏を歩いて来ました。――表の歩き方を、知らないのです。そんな人間を傍に置いていては、エカテリス様が変な目で見られてしまいます」
いくら新しい道を歩けるようになったと言っても、はいそうですか、でいきなり一般と同じ様には歩けないだろう。十四年間の裏稼業は長過ぎた。正直、何が常識で何が非常識かもわからないのだ。
そんな人間を傍に置いたら、彼女はどんな目で見られるか。――私はどう見られてもいいが、彼女の評価が下がるのであれば、私としては居たたまれなくなる。
「表? 裏? え?」
無理もない、やはり私の言葉の意味は通じない。――と、ヴァネッサが腰を屈め、エカテリスと視線を合わせる。
「リバールちゃんはね、今までずっと大変な思いをしてきたの」
「大変な……思い?」
「そう。エカテリスが、まだ勉強していない世界。人だって、きっと何人も殺してきてる」
「!」
「ヴァネッサ、それは――」
スッ。――ヨゼルドが何か言いかけるが、ヴァネッサは手を出してそれを制止させる。
「私の様に正義の為に剣を振るっていたわけでもないわ。彼女は、そういう人間「だった」。――そんなリバールちゃんを、エカテリスは最後まで、責任を持って見届けられる?」
「勿論ですわ!」
そして即答だった。
「昔何があっても、私が責任を持って一緒に歩いてみせます! だって私、ハインハウルス王国王女で、お父様とお母様の娘ですもの!」
小さな胸を張って、高らかに彼女は宣言する。――何処まで理解しているのかわからないが、それでもその瞳は自信に満ち溢れていた。
「……あの、一ついいですか」
「何かしら? お給料の事はお父様と相談して――」
「そうではなくて。――何故、そこまで私に拘るんです? 会ったばかりの、私に」
専属の使用人を探していると言っていた。そんなもの、国の力を持ってすればいくらでも優秀な人間が見つかるだろう。――私に拘る理由がない。
「うーん……こう、ピン、と来ましたの」
「……はい?」
「綺麗な銀色の髪も、優しい目も、お母様が認める強さも魅力的ですけど、それ以上に、ああ、この人だ、っていうのを感じましたの! 王女のカンですわ! 運命ですわ!」
笑顔で彼女は私にそう言った。運命なのだと。
「…………」
ふと、考えてみてしまった。――使用人として、彼女の傍を歩く生き方を。そんな生き方が、私にも出来るのか、と。そんな生き方を、私がする資格があるのか、と。この魅力的な笑顔に包まれることが許される人生が、あっていいのかと。
もしもこれが運命だとすれば、私の新しい表の人生の第一歩だとすれば。
「さあリバール、何の心配もいらないわ! これから私と一緒に、新しい道を進みましょう?」
精一杯差し出された手。私は、その手を――
「成程な。あの女が言っていた剣士としての腕も凄い、というのは嘘ではなかったのか。今の私の攻撃を防げる人間は、ここ最近では記憶にない」
「んー、まあ確かに俺は弱くはないわな。今は現役じゃねえが、染みついたモンはそう簡単に消えねえし」
「……何故武器鍛冶等になった? 確かに武器鍛冶の実力も相当だろうが、剣士としての腕の方が上だろう?」
あー、そこまであの数合で見抜くのか。こいつ本物の中の本物だな。――アルファスは苦笑。
「色々あるんだよ、俺にも。格好良い理由じゃねえけどな。――そういうお前は何者だ? それだけの腕を持っていて、無名の新人ってことはねえだろ」
「……死神」
「あん?」
「私は死神。――戦場の、死神だ」
一瞬こいつ何言ってるんだ、と思ったが――
「……ああ、そういう異名持ちか」
直ぐに合点がいった。――戦場では、異名、称号、有名になればそういうのが嫌でもついてくる。
「そういうのは面倒だよな。呼ぶ方は呼び易いんだろうけど、呼ばれる方はたまったもんじゃない」
「そっちも異名持ちか」
「俺はもう捨てたつもりなんだけど、どうなんだろうな」
知っている人間はまだいる。言い触らす様な人間はいないはずだが。
「私とは違って随分正統な異名なんだろうな。そうでなければ、わざわざこんな所で私を止めたりはしない」
「別にそんな立派なモンじゃねえよ。それに、お前が俺の店で大きな仕事がある、って漏らさなければ別に俺止めなかったぜ」
「? どういう意味だ?」
「知らなかったら何か起きても、残念には思うけど俺のせいじゃねえだろ。でも、今回偶然でも知った。軍の人間だって甘くない、放っておいても大丈夫だとは思ったがそれでも知ってたのに何もしないで結果何か起きたら、どうしても心に引っかかる物が出来る。俺のせいで、っていう想いが、少なからず生まれる。――俺のせいで、俺が面倒見てる奴が死ぬのは、もうごめんなんだよ」
一瞬、冷たく、寂しげな表情をアルファスは見せる。その独特な意見に死神としても思う事はあったが、何処か追及出来る空気ではなかった。
「というわけで、だ。俺としてはお前には退いて欲しいんだが」
「悪いが私としても退けない。私にも、戦う理由がある。この仕事云々じゃない。この太刀を振り続ける理由がある。どうしても止めたいのなら、実力行使に出ればいい」
「はぁ。――じゃあ、仕方ねえか」
そうアルファスが口にした、次の瞬間。
「――っ!」
アルファスは、既に死神の横で、剣を振るっていた。――ガキィン!
(更に速度を上げてきた……まだ実力を隠していたか……!)
そのアルファスの奇襲さえも受け止め、死神は力ずくで跳ね返し、再び攻勢に出る。
(死神は伊達じゃない、か……これは本当に俺が出しゃばって正解だったかもな)
速度を上げたアルファスに対応出来る、ということは死神もまだ実力を隠していた、ということ。実力者同士のぶつかり合い、一見すれば何て光景だろう、と思う戦況で、二人はお互いの計り知れない実力を探る戦いになる。
「はああっ!」
死神は愛用の太刀を使いこなし、独特の動き、剣捌きでアルファスに迫る。元々の圧倒的速度に相性が良く、流れるような連続攻撃を一瞬の隙も見せずに叩き込む。
「…………」
その圧倒的攻撃を、冷静な面持ちで紙一重で応対し、防いでいくアルファス。一つ、ほんの一つ、ほんの一瞬行動を間違えれば一気にダメージを叩き込まれる状況の中、アルファスは何処までも冷静に死神の攻撃に対応。
「――ふっ!」
「っ!」
ガキィン!――そして反撃不能とも思われる死神の連続攻撃を掻い潜り、強烈な一振りのカウンター。ガードこそされるものの、再び間合いが開いた。
「おいおい、流石に今の一振りでダメージに微塵もならないのは困るんだが」
「その言葉、そのまま返させて貰う。私のあの連続攻撃で傷一つ負わないとはな……」
ふーっ、と息をつき、お互い苦笑。――お互い、流石に予想外の展開だった。
「店主。――私は、店主を殺したくない」
そして――先に、覚悟を決めたのは死神の方だった。
「今こうして剣を合わせて思う。私の太刀を、ちゃんと店主に見て貰いたい。だから、下がってくれないか。――頼む」
冗談を言っている様には見えなかった。真剣な眼差しで、死神はアルファスに願う。
「そこまで俺の腕に惚れてくれるか、光栄だね。ただ――お前がその愛用の太刀を見て欲しい男は、その願いであっさりと引き下がる程度の人間か?」
「…………」
視線がぶつかり合う。――数秒後、先に反らしたのは死神の方。
「……残念だ。本当に殺したくなかったんだが」
「大層な自信だな。ここまで俺とやり合っておいて、絶対勝てる見込みアリ、か?」
「ああ。「これ」をかわせる人間はいない」
間合いが開いたまま、死神は身構える。そして、
「光音斬」
そう呟き、太刀を握り直したその次の瞬間、
「――! がっ……!」
アルファスに鋭い斬撃が入り、そのままアルファスは勢いのまま吹き飛ばされたのであった。
「行くぞ」
死神とアルファスの戦いが始まったほぼ同時刻、またその場所とは離れたハインハウルス城下町の外れ。ワルサーロが編成した陽動チームその一、総勢五名が移動を開始した。
彼らの目的はその名の通り陽動。本命チームであるワルサーロが目的を達成出来るように、ギリギリまで見つからず、程々の所で見つかり、敵を混乱に陥れる役目。
彼らもまた、忍者、忍と呼ばれし力を持つ人間達であり、一般人、普通の騎士、兵士を攪乱、手玉に取ることなどお手の物。先制出来れば、任務遂行出来る自信は十分にあった。
深夜の城下町を素早く駆ける。――その時だった。
「!」
ザッ、と五人全員の足が一気に止まる。突然、圧倒的威圧感、存在感を感じたからだ。――ハッとして見て見れば。
「全部で五人か。――忍者ならもっと気配も殺気も隠した方がいいぜ。その程度じゃ、アタシに駄々漏れだからな」
「何……!?」
勿論、気配も殺気も消していた。任務遂行までは、ほぼ無、それが忍。――それなのに、目の前の相手は駄々洩れだと言う。自分達が衰えたわけではない。目の前の相手の、感知能力が異常なのだ。
「にしても忍者か。「普通の」忍者は真正面から戦ったら強えのか? 楽しませてくれよ?」
圧倒的存在感で、彼らの殺意を見抜いたのは――狂人化したソフィ、その人であった。




