第八十二話 死神が駆ける銀の夜4
「姫様! また勝手に訓練所から訓練用の剣を持ち出して……! 危ないからお止め下さい!」
「この時間は素振りをするって決めてますの! 日々の鍛錬が、勇者様に近付く一歩ですわ!」
掛け声の方を見て見れば、まだ六、七歳位の子供が、大人用の木剣で素振りをして、使用人に咎められていた。会話からするに常習犯で、正体は――
「私達の娘の、エカテリスだ」
国王夫妻の娘、つまり姫君となる存在だった。その年齢、格好に似合わない木剣で、素振りをしていた。勿論半分は木剣の重さに弄ばれ、ふらつく事も多々。
それでも彼女は、必死に汗を流していた。――ヨゼルドが溜め息。
「勇者に憧れていてな。将来は勇者の仲間として武器を振るいたいらしい。お転婆で困るよ」
「天騎士の娘なら、騎士になって当然なのでは?」
「あら、私は別に自分の娘の将来を押し付けたりしないわ。政治家になろうが、騎士になろうが、学者になろうが、進みたい道を行かせてあげるつもり。勿論今のまま騎士を目指して、本気で私に教えを請いたいというのなら、いつか手ほどきをしてあげるつもり」
「私としては胃が痛いよ……ヴァネッサの背中を毎回見送るのも辛いというのに」
「私はアナタを置いて死んだりしないわ。それこそ、天騎士の名に懸けて」
「ヴァネッサ……!」
この夫婦の惚気は兎も角、私は何となく、娘のエカテリスを見ていた。――恵まれた家、両親の下に生まれた彼女には、無数の未来がある。私とは違う。
私は物心ついた時から、忍者としての訓練を受け、それ以外の生き方は選べず、それ以外の生き方を知らない。もしも、他の職業についていたら、なんて思うことも微塵もない。
でもあの子は違う。命の削り合いをする以外の道があるのに、その道を行こうとしている。
「…………」
「リバールちゃん?」
もしも、私に選択肢があったら――私は、忍者以外の道を選んだのだろうか。
もしも、私に選択肢があったら――私は、忍者以外の道を選べるのだろうか。
「リバール君。その「もしも」は決して過去ではなく、今じゃ、駄目なのかね?」
「!?」
心を読まれた。そんなに分かり易く、表情に出ていたのか。
「流石に君の年齢で遅すぎることはない。厳しい事を言えば――試しもせず、駄目だと決めつけるのは間違いだと私は思うよ」
厳しくも、正論を突かれた気がした。確かに、私はそれ以外の生き方を試した事はない。
「でも……何がしたい、何がしたかった、というのもありません」
「それこそ焦る必要なんてないじゃない。リバールちゃんの人生は、まだまだこれからなんだから。ゆっくり、自分のペースで探して生きていっても誰にも怒られないのよ、もう」
「何か気になる所があるなら、私が口を利いてあげても構わんよ。こう見えても国王なんで。朝のフレッシュな業務から夜の大人な世界まで何でもござれ」
「……アナタ? 朝は兎も角、夜の大人な世界に口が利くのは何故かしら?」
「あ――ああ、いや、それはだな、その」
「危ない!」
と、不意にそんな声が聞こえた。ハッとして見れば、エカテリスが手を滑らせ、勢いのまま木剣を放ってしまっていた。回転しながらこちらへ木剣が飛んでくる。――パシッ。
「おお、流石リバール君」
私は流石に黙ってぶつかるわけにもいかないので、その木剣をキャッチ。回転の流れを利用すれば、殺傷力がないので片手で刃を持ってキャッチ出来た。
「どうぞ」
「ありがとう、貴女凄いのね! お母様みたいですわ!」
私は何となく話がしてみたくなり、その木剣を直接エカテリスに届けた。
「将来は、騎士になりたいのですか?」
「ええ! お母様みたいな立派な騎士になって、勇者様を助けたいの! 世界に平和をもたらしますわ! その為に、頑張って稽古をしないと」
彼女は目を輝かせてそう言い切った。その輝きは、私が持つことのない輝き。
「強くなるというのは、辛い事ですよ」
「? どうして、強くなれば沢山の事が出来ますわ、大勢の人を、この国を救えますわ」
「そうしたら――貴女は、誰が救ってくれるのです?」
戦場で生きるも死ぬも、最後は自分次第なのだ。強くなった彼女を、助けてくれる存在が出来る保証など何処にもない。負けて、全てを失った時、もう一度前を向ける保証など何処にもないのだ。――今の、私の様に。
「? ?」
流石に幼い彼女には難しい話だったか、首を傾げていた。――私は何を彼女に告げているんだろう。それはそうだ、そんな話がこんな子供にわかるわけがない。
「えっと……よくわからないのだけど、でも、貴女の事もちゃんと助けますわ!」
「……私の事も?」
「ええ! 私はこの国の姫ですもの! 困っている貴女を見捨てたりしませんわ」
自信満々に胸を張ってそう言い放つ彼女に、つい笑みが零れてしまった。――こんな私を助ける、か。
「ありがとうございます、姫様。――それでは」
私はお辞儀をすると、ヴァネッサとヨゼルドの元へ戻る。
「ヨゼルド様、ヴァネッサ様。本当に私を自由にしてくださるというのなら――私は、旅に出ようと思います」
「旅に?」
「お二人の娘――姫様を見たら、もっと改めて、沢山の人を見てみたいと思いました。今はまだ、自分の未来に何の希望もありませんが、確かにそれを決めつけるのは早計かもしれない。なら、色々な世界を見て、あらためて自分がどんな人間か、どんな人間になれるのか、見つめ直してみたいと思います」
死ぬのはいつでも出来る。いざという時に自害の方法は会得している。だったら――少しだけ、この人達に騙されたと思って見るのもいいのかもしれない。そう思える自分が、確かにいたのだ。
「そうね、それもいいかもしれないわ。世界は広いもの。各地を回れば、きっと色々な物が見えてくるわ」
「染みついた私の技術が消える事はありませんが、この技術でこの国には敵対しない事を約束致します」
「そうか。それなら、引き換えに旅の支度に必要な物を用意させよう」
「お心遣い感謝します」
ゆっくりと、二人にも頭を下げた。
「待ってお父様! ねえ、貴女、私の専属の使用人になってくださらない?」
その時だった。そんな運命の誘いの声を、私が貰ったのは。
死神。――いつからか、彼女はそう呼ばれる様になっていた。
元々の実力の高さから、傭兵として各地の戦地を転戦。最前線の激しい戦闘の中、いつでも帰ってくるのは彼女一人だった。敵も味方も、全てが全滅。たった一人で帰ってくるその姿を、いつしか周囲は戦慄の意味も込めて死神、と呼ぶ様になった。
決して彼女自身が味方に手を挙げているわけではない。彼女は味方が全滅する過酷な戦場でも、ただ一人生き残り、ただ一人で敵を壊滅させてきただけ。
それでも、その結果が何度も続けば、噂も広まる。いつしか彼女が出向く戦場は、本当に誰もが望まないような過酷な戦場のみとなり、また彼女自身もそれを望むようになっていった。
どうせ自分は死なない、などと思っているわけではない。――彼女が求めているのは、ただ一つ。
(ハインハウルス軍……勇者……そしてその騎士団……果たして、どれだけの実力者が揃っているのか)
真夜中の街を静かに駆けながらそれを思う。少しずつ大きくなっていくハインハウルス城のシルエット。見張りも何も全てを蹴散らしての一点突破を決めた――その時だった。
「……!?」
城に辿り着く前に、道の真ん中に一つの人影。ただでさえ暗くて分かり辛い中、相手はフード付きのコートを羽織り、そのフードも深く被っているようで、男か女かもわからない。
ただ、腰に一振りの剣が見えた。――剣士か。
「私の邪魔をしたいのか、ただ意味もなくそこに立っているのか。どちらだ?」
「その二択なら前者が近いな」
敵だった。――既に勇者暗殺計画が漏れていたのか、それともただの通り魔か。わからないが、
「退かないなら、死ぬぞ?」
警告をした。――別に人を殺すのに快感を得ているわけではない。殺さなくていいならそれでいいと流石に思っている。
「大層な自信だな。自分が負けるとは、微塵も考えてないのか」
「ああ」
「そうか。――そうやって今まで生きてきたクチか」
表情はわからないが、軽く笑われた。そんな気がした。
「見ず知らずの奴に馬鹿にされる筋合いはない。――警告はした、悪く思うな」
「勘違いすんな、馬鹿にしてるつもりは――」
相手のその言葉の途中で死神は既に愛用の太刀を手に取り地面を蹴り、相手に切り掛かっていた。――ガキィン!
「――つもりはねえんだよ、気分を悪くしたんなら謝る」
「!」
全力ではないとはいえ殺すつもりで振り抜いた太刀を、防がれた。しかも会話を続けて来る辺り、若干の余裕もある様子。バッ、と死神は一旦間合いを取る。
「成程、ここで貴様を本気で排除しない限り私は先に進めないわけか」
「そういうことだ。いや、お前が諦めてくれるんなら別に俺も追撃はしねえが」
「そんな温い生き方が選べたら――どれだけ楽だっただろうな」
バッ、と再び死神は地を蹴る。――ガキィン!
「!」
「っ!」
再びお互いの剣がぶつかり合うが、お互いがその事実に驚く。
(この速度すら防ぐか……これ以上は手を抜いたら逆にこちらがやられる)
死神は、先程よりも速度を上げ、攻撃を鋭くした。だがそれも防がれた。実力者、と呼ばれそうな人間でも簡単には防げないレベルの攻撃を防ぐ相手。――ここ数年では出会った記憶のないレベルの強敵だった。
(あそこからまだ速度を上げてこれるか……何者だか知らねえが、ここまでの奴と敵としてぶつかり合うのは久々だな……)
一方のフードの剣士も、その鋭くなった死神の攻撃に驚きを覚えていた。――ハインハウルスの実力者に関してはある程度把握している。その自分が知らない相手、しかもまだ実力未知数。もしかしたら簡単に終わるかも……という淡い希望を、泣く泣く投げ捨てる。
キィン、ガキィン、ギィン、ガキィン!――ぶつかり合う剣と剣、飛び散る火花。激しく素早く数合ぶつかり合うと、再び間合いが開く。
「一つ問う。私を止めるという事は、私が加担している計画に気付いているということだ。なら何故大掛かりな捕り物にしない? 軍総動員で、全力で捕まえればいいだけじゃないのか?」
「ああ、別に軍の人間は知らないぞ。というか中途半端な兵士寄こしてもお前じゃ全員殺されるだろ。呼ばなくて正解だ」
「……どういうことだ? 貴様は軍の人間じゃないのか?」
「違うよ。何となく嫌な予感がしたから、見張ってただけだ」
「嫌な……予感……?」
「大きい仕事が入るって言ったろ。余所者のお前さん程の実力者がこの街でやる大きな仕事って言ったら、大体危ない仕事に決まってる。例えば――城に特攻して、お偉いさんをぶち殺すとか、な」
「!?」
死神に衝撃が走る。――仕事内容がばれたことに対してではない。フードの剣士の正体に、である。……大きい仕事をするとこの街に来て発言した場所、相手は限られている。
フードの剣士が、ゆっくりとフードを脱ぎ、首の後ろへ。月明りで、表情が伺えた。
「余計な事言わなきゃ良かったのにな。そしたらお前も俺に気付かずに仕事出来たし、俺もわざわざ出しゃばったりなんてしなかった。――中々上手くはいかないもんだよな、お互い」
「お前は……あの店の……店主……!」
フードの剣士正体は――武器鍛冶アルファス、その人だった。
 




