第八十一話 死神が駆ける銀の夜3
「どう? 一晩経って、少し気持ちは落ち着いたかしら?」
頭――父さんが死に、ファディス一味が壊滅し、仲間が散り散りになった夜、私は逃げることなく、この女――天騎士ヴァネッサに戦いを挑み、敗れた。
天騎士の名は伊達ではなかった。勝てると思って戦ったわけではないが、それでもここまでの差があるとは思わなかった。今の私が二人……いや三人同時に向かっても、彼女には勝てないだろう。
結果、私は捕まった。その場で殺される事も、戻って処刑される事も覚悟していたが、そのまま城で夜を過ごし、日が昇り、今こうして彼女と庭を散歩している。特に拘束等もされていない。隙を見て逃げられる事も殺される事も用心しないのか――とも思ったが、彼女相手にどちらも出来る気がしなかった。
最も――もう、そんな事をする理由もないのだが。
「落ち着くも何も、そもそも何も動揺していません」
簡単に気持ちを揺るがさない訓練を受けてきたのもあるが、一味が壊滅した今、私には何もない。今更どうこうしても仕方ないのだ。
「言っておきますが、私は重要な情報は持っていませんし、持っていたとしても喋りません」
私を生かしておく理由はその位しか思い当たらなかった。実際に私は任務には参加していたが、機密を握っているのは亡くなった父さんと、幹部達だ。若い私にはまだそこまでの話は来ていなかった。
「大丈夫、私そんなのに興味があって貴女と話をしてるんじゃないもの」
だが、そんな私を見て、ヴァネッサはそう笑顔で告げて来る。
「リバールちゃん、貴女今いくつ?」
「十四です」
「若いと思ってたけど、実際その年齢で大したものだわ。――そんなリバールちゃんと、私は未来の話をしたくて、こうして一緒に散歩してるの」
「未来の……話?」
「そう。貴女が今、きっともう「無い」と思い込んでる、未来の話」
「…………」
思い込んでる? 実際、私にはもう未来は無い。一味が壊滅し、どれだけ忍の才能があっても、今の私一人ではもう何も出来ない。そして、それ以外の生き方を知らない。――未来なんて、無いじゃないか。寧ろ、早く死なせて欲しい。生き恥を晒す未来など欲しくない。
「リバールちゃん、趣味は?」
「ありません」
「特技は?」
「密偵・暗殺・暗躍全般」
「好きな食べ物は?」
「栄養素が高くて最低限のエネルギーになれば何でも」
「私みたいなダンディな国王は射程範囲内かな?」
「それが任務で必要ならば、特に躊躇いは――」
……うん? ダンディな国王?
「ア・ナ・タ? 愛する妻がここにいるのに十四歳の女の子に何を訊いてるのかしら?」
「ち、違う、ジョークジョーク! ハインハウルスジョークだ! 少しでも気持ちが楽になれればと!」
気付けばヴァネッサがいつの間にかいた一人の男を首元を掴んで追い詰めていた。――その会話から察するに、
「……国王、ヨゼルド」
「いかにも。私がハインハウルス国王ヨゼルドである……んだけど、とりあえず離してヴァネッサ。もうちょっと国王っぽく挨拶させてぐええええ」
ヴァネッサが無言のままヨゼルドを揺らし続ける。少しして解放された時は吐きそうな顔で両手両膝を地面に着いていた。
「ごめんねリバールちゃん、この人の言う事は気にしないで」
「…………」
ハインハウルス王国・国王ヨゼルド。その圧倒的政治手腕は確かな物で、ハインハウルス王国が近年急速に巨大な国家となったのは、内部で彼が、外部で天騎士ヴァネッサが――この夫婦の圧倒的力、存在によるものだ。
その夫婦が今、同時に私の前に立ち、私を気にかけている。――目的は、何だ?
「そんなに警戒しなくてもよい。私はただ、ヴァネッサが気にかけている子がいるというから、様子を見に来ただけだ」
「ついでに口説いてたけどね」
「ジョーク! 国王ジョーク! いつだってヴァネッサ一筋なの!」
「ま、それは兎も角――私は、さっきも言ったけど、貴女と未来の話をしたくて。――リバールちゃんは、これから、何がしたい?」
「……は?」
まるで、沢山の選択肢がある様な言い方だった。
「じゃあ、自由になりたいと言ったら、させてくれるんですか?」
「ええ」「うむ」
「……!?」
同時に返事された。
「今回、軍とファディス一味がぶつかったのは、お互いに憎み合ってたからではないわ。だから、戦いが集結すれば、特に何を施すでもないのよ」
「そして君はまだ若い。未来ある若者の道を、無闇に潰す為に我々はいるのではない。――ハインハウルスが目指すのは、魔王軍を倒し、人類の平和の架け橋となる事なのだからな」
「…………」
言葉が出なかった。その考えに呆れ、同じ位の心の大きさを感じた。――この人達は、本気なのだ。私の事がどうでもいいとかじゃない。本気で、私の事を話に来ているのだ。
でも――だからといって、私の未来が開けるわけじゃない。私は、結局、闇の人間。そう簡単に自由になった所で……
「えい! やあ!」
そんな時だった。――その声に、その姿に、出会う事になったのは。
ハインハウルス王国第一王女・エカテリスの専属使用人、リバールの朝は早い。
当然主であるエカテリスよりも早く起き、身支度を整え、今日のスケジュールを確認。他の使用人とは違い、エカテリス専属である為、エカテリスの予定に合わせて仕事内容は大幅に変化する。
使用人になって約十年、これに関してミスを犯したことは一度もない。例え前日忙しくて睡眠時間が削れてしまったとしても、若干体調不良だったとしても、エカテリスに先手を取られることはない。エカテリスがイベントでワクワクしている日は、それすらも計算して早く起きていた。
そして、例えもう直ぐ、人生の大きな分かれ道が来るとしても――リバールの朝が、崩れることはない。
「姫様、リバールです」
「起きてますわー……」
「失礼致します」
ガチャッ。――部屋に入ると、正に寝起き、といった感じでエカテリスがベッドの上で座って体を伸ばしていた。
「お早うございます。少し夜更かしなされましたか?」
「今度新刊が出るから、おさらいしようと思ったら止めるタイミングを間違えて……ふぁーあ。……でも、寝坊はしてませんわ」
「偶には寝坊しませんか? このリバール、添い寝の心構えはいつでも」
「いらないから仕事に入って頂戴……顔を先に洗ってきますわ」
ちなみに本当に添い寝に入ったのは一度や二度ではなかったりする。
「姫様、寝坊少なくなりましたね。添い寝のチャンスが減ってリバールは悲しく思っております。――って顔に書いてありますよ、先輩」
呆れ顔で見ていたのは、やはりハル。
「お早うございます、ハルさん」
「お早うございます。――何年前でしたっけ、一時間も本当に添い寝してたの。どうして王女様関連になると後先考えないんですか」
「大丈夫です、一時間添い寝すればその分の姫様パワーで一時間位早く動けますから」
「そういう事じゃないんですけどね……」
ちなみに本当に一時間添い寝してもカバーしてくるリバールだったり。
「ハルさんも添い寝を試してみては?」
「万が一私が嫌じゃなかったとしても、今ヨゼルド様が親族の騒動でお亡くなりになるとこの国が危険ですので控えた方がいいかと」
一国の王(妻子持ち)、美人使用人と添い寝。――ヴァネッサとエカテリスに血祭りにあげられる未来しか見えなかった。
そんな朝のハルとの会話も終え、さて――と思っていると。
「リバールさん、少しいいですか?」
「ソフィさん?」
ソフィだった。
「実は、相談したい事があるんです。少し時間作って貰えませんか?」
「私にですか?」
「はい」
珍しい話だった。別に仲が悪いとかではないが、淑女状態のソフィは、それこそリバールでも敵わない圧倒的清楚、淑女である。相談される様な事が思い当たらない。
「構いませんよ。今日は急ぎの仕事もないですし」
「すみません、ありがとうございます」
特に断る理由もない。承諾すると、ソフィが先導して移動。場所はソフィの部屋か団室か、などと思っていると――
「……?」
人気のない裏庭に連れて来られた。――はて、何の相談だろうか、と思っていると。
「リバール、お前何を隠してる?」
ピタッ、と足を止め、背中を見せたままソフィがそう問いかけてきた。――狂人化している。
「……隠している? 私が?」
「昨日の夕方辺りから、お前から戦いの気配がビンビンするんだよ。やたらデカイのが」
振り返るソフィ。その鋭い目が、リバールの落ち着いた視線とぶつかる。
「お前からそれだけ感じるってことは、中々のレベルの戦いだ。それで――当然、それに心当たりがねえお前でもねえだろ」
「…………」
リバールは表情を変えない。視線を外す事もなかった。
「アタシは戦いは好きだ。でもそれはアタシ自身が戦えるから楽しいんだよ。知らねえ間に仲間が傷付けられましたなんてのは冗談じゃない。だから、わかってんなら前もって説明しろ。必要なら皆を守るし、お前が手を貸して欲しいならいくらでも手助けになってやる。そして――」
そのままソフィはスッ、と背中から愛用の両刃斧を取り、リバールに向ける。
「お前がその手で仲間を傷付けようってんなら、この場でアタシが叩き潰してやる」
その言葉の瞬間、圧倒的存在感、威圧感が辺りを覆う。生半可な実力者ではそこに立っていることすら困難な空気感。
「…………」
それでも、リバールは表情を崩さない。睨み合いが、十数秒続く。
「それではまるで、私が姫様やライト様を傷付けに行く様にしか聞こえないのですが? 私がそんな事をするとでも?」
「その可能性をアタシは訊いてるんだよ。お前がするしないじゃねえ、そういう匂いがお前からしてるんだよ」
「そうですか……」
ソフィの狂人化を侮っていたわけでは決してないが、まさかこんな風に気付かれてしまうとは予想外だった。――ワルサーロの匂いなのか、私の気持ちの些細な変化なのか。
「ソフィさん」
「何だ?」
「死ぬ覚悟は――出来てますか?」
「よし、最終確認だ」
夜、ハインハウルス城下町の外れ。――ワルサーロを中心に、十数名の人間が集まっていた。
「俺達の目標は勇者の暗殺だ。勇者を暗殺し、証拠を持ち帰り、俺達がやったという証を残し、俺達の名を轟かせる大きな一歩とすることだ。現在、勇者はハインハウルス城で寝泊まりしている。そこを狙う」
「情報は確かなんだろうな?」
「間違いない。かつての仲間――いや、新しい仲間からの提供だ。手引きして貰う段取りもつけてある」
ガバッ、とワルサーロは地面に地図を広げる。
「チームを別ける。全部で四チーム、その内三チームが陽動、本命は一チームのみ。本命チームは俺が指揮を執る。手引きしてくれる奴の信頼もあるからな。お前達、任せたぞ」
「ああ」
「そっちもな」
地図を指差し、本命チーム、陽動チームその一、その二がルートを確認。そして、
「最後のチーム……正確にはチームじゃないな、あんたは単独だ。ここの道を頼む」
「ルートはわかった。だが――私は私で、城の奥に乗り込んでも構わないのだろう?」
「単独でか? 陽動として、本命の俺達の邪魔にならないなら構わないが――単身で行っても、あんたが駄目になるだけだろう。あくまで奇襲だから狙える話で、真正面からぶつかって勝てる程、ハインハウルス軍は甘くはないぞ」
「構わない。そういう戦いを――そういう場所を、求めていたんだ。助けもいらない」
「……そう言うなら、好きにしてくれ。まあ、あんたの実力に期待してるぜ、「死神」」
「……ああ」
死神、と呼ばれたのは――アルファスの店に太刀の修繕を依頼しに来た、黒髪のあの女だった。




