第六十五話 演者勇者と老占い師8
感情などない。
自分の中には何もない。
封印されし怪物。それが、自分の正体。それ以外の事など、何もない……はず。
封印が解かれた。我は解き放たれた。長い封印から解き放たれた。
今こそ同志と共に旗印を挙げるべき。――同志?
「……いや」
周囲にいる我と共に封印されし者達は、同志ではない。偶然、我と一緒に封印されただけだろう。
我は孤独。死霊の王なのだ。仲間も、友も……いない。
なのに――この、心の何処かに穴が開いたような感覚は、何だ?
「久々じゃの、ニロフ。儂じゃよ、ガルゼフじゃ」
その人間は、我にそう語り掛けてきた。――久々。つまり、我を封印したのはこの翁ということか。よくも我をこんな所に封印などしてくれた物だ。封印を解いてきた今が好機、復讐を――
「……うん?」
何故封印を解いた? 封印を解けば我が解き放たれる。封印したままにしておけばよいものを。
この人間共は、何を考えている?
「ほっほっほ、儂もまだまだやれるわい! ずっと引き籠ってたのはお主だけじゃないぞ、ニロフ!」
翁と我の一騎打ちが始まった。この翁、見た目年齢とは思えぬ魔力を放つ。才能だけなら我より上かもしれない。
翁との一騎打ちは激しく、楽しく、悲しい。
「…………」
激しいのはいい。――楽しい? 悲しい?
何故この翁との魔法の撃ち合いが楽しい?
何故この翁との魔法の撃ち合いが悲しい?
この翁は、何者だ? 我の何を知っている?
我は――何者なんだ?
答えが見つからないままの翁との戦いは、我に軍配が上がりそうだった。
我は周囲のモンスターから魔力を吸収し続ける事が出来た。一方の翁は所詮人間、限界がある。
互角の戦いが、翁にダメージが入るようになる。我の勝利は時間の問題だ。
終わりにしてしまえば、何も考えなくて済む。答えなどいらない。そう思った、その時だった。
「ニロフぅぅぅぅ!」
我の名を叫ぶ、人間の青年が現れた。
『我の名を呼ぶのは……誰だ?』
ライトの耳に響く謎の言葉、だが矛盾しているがハッキリと意味が理解出来る。――ニロフの、言葉だ。
ニロフは魔法を放つのを止め、ライトを見ていた。
「まさか……あの飴玉全部舐めて同時に効果を出したら、ニロフにも声が届いたんですの……!? ライト!?」
エカテリスの疑問にライトは頷く。――そう、ある種の奇跡である。各種動物と話せる飴玉を全て口に含んだ結果、ライトにだけニロフの言葉が理解出来る様になってしまったのだ。……ちなみに舐めていてもエカテリスが何を言っているかはわかるが、言葉を発しようとするとニロフに届く謎の言葉になってしまうので返事は出来ない状態である。
『俺の言葉がわかるんだな? 俺はライト。ニロフ、あんたを助けに来た』
『我を助けに? くく、ははは! 可笑しな事を言う、我を封印したのは貴様ら人間だろう、それを助けるとは何だ?』
『その人間の為に、自ら犠牲になった事を、覚えてないのか?』
『……何を言っている?』
『何十年か前、ここでアンデットクラスターが発生した。それを封印する為に、お前は犠牲になったんだ』
『嘘を付くならもう少しマシな嘘をついたらどうだ? 何故アンデットの我がアンデットクラスターを人間の為に封印しなければならない?』
『お前が、人間の友達だったからだ』
『……何だと?』
『孤独だったお前を助けてくれた人がいた。お前はその人の相棒となり、友となり、一緒に生きてきたからだ。お前は、人間の仲間なんだよ』
『ふざけるのもいい加減にしろ! 我はニロフ、死霊の王、全ての死霊の――』
『なら訊くけど、お前はどうして「ニロフ」なんだ?』
『……何?』
『普通モンスターに名前なんてないだろう。それなのに、どうしてお前は自分が「ニロフ」だってわかるんだ?』
『決まっている、我はこの名前を主から――』
そこでニロフの言葉がピタリ、と止まる。自然と出て来ようとしていた言葉に、自分で戸惑う。――主? 我に主がいる、だと?
ライトと名乗る青年の疑問は最もだった。自分はニロフ、それは間違いない。だがその名前は誰から授かった? 思い出せない。
とても大事な事な気がするのに、靄がかかったように、思い出せない。――何だこれは。我は一体どうしたんだ? 我は一体……何者なんだ?
『思い出してくれ! 今なら間に合う、十分間に合う! 俺は、俺達は、お前に悲しい想いをさせたくはない!』
ライトの目からしても、ニロフは困惑していた。それはまだニロフの心の何処かに、まだ以前のニロフが残っている証拠である。――思い出してさえくれれば。大切な過去を。目の前の、大切な友を。
「ホォォォォ!」
「!」
と、流石にニロフとライトのやり取りに誰もが注目し過ぎたか、隙が出来てしまい、骸骨数体がガルゼフへと襲い掛かる。まずい、しまった、と思った瞬間。
『邪魔をするな! これは我と奴らの問題だ!』
ズバァン、と地中から魔力の刃が飛び出し、その骸骨を一掃する。ライト騎士団の誰かでも、ガルゼフでもない。
『ニロフ……』
『…………』
ニロフだった。再びのライトの問いかけに、無言になる。まるで自分自身の行動に驚いてしまった反動の様に。
『……いいだろう、そこまで言うのなら、我を納得させてみせろ』
ボワッ、と部屋が魔力に包まれた――と思った直後、ニロフ以外のアンデットモンスターが全て消える。
「我を知りし人間共よ。我が名はニロフ、死霊の王」
そして、今までの謎の言語ではなく、人間の言葉を使って話し始めた。
「邪魔者は消した。つまらぬ小細工は無しだ。我を屈服させたいのなら、この場で我に勝ってみせよ」
そのニロフの言葉に、ガルゼフがニヤリ、と笑う。
「ほっほっほ、変わっとらん、何も変わっとらんのう、ニロフ! いいじゃろう、そもそもお主と決着を付ける為に儂はここにいるんじゃ、白黒付けようではないか!」
そして先程までの戦いで負ったダメージが嘘の様に、嬉しそうにガルゼフは言い放った。
「……翁一人で来るつもりか? 貴様ら全員でも構わんぞ」
「お主が一人でやると決めた以上、こちらも一人でやらねば筋が通らんじゃろ」
「なら少しでも翁を回復させろ。我ももう吸収は使わぬ。そもそも吸収出来る輩は全て消したからな」
ニロフに促され、ハルがガルゼフの手当てをし、リバールが手持ちの中から魔法回復薬をガルゼフに飲ませる。その間も特に何も仕掛けてくる事無く、ニロフは素直に待っていた。
「なあ、ニロフ」
その間に、ライトはニロフに話しかけてみる事に。――飴玉の束は口から出した。
「まだ何も、思い出せないのか?」
「思い出す前提で話を進めるな。貴様らの話が嘘という可能性も十分にある」
「それでも、真正面から俺達とぶつかってくれるんだな」
「我は誇り高き死霊の王だ。つまらん小細工など性に合わぬ。――他の誰が何をしようとも、一人ででも、我は己を通す」
一人ででも。――無意識だろうが、若干その部分に力が籠っていた。
「……孤独は、平気か? 寂しくはないか?」
「我を赤子か何かと間違えているのか?」
「さっきも言ったけど、お前の主は、お前を孤独から救ってくれた人だよ。そして今、もう一度、お前を孤独から救おうとしている人だよ」
「…………」
そのライトとニロフの会話の間に、ガルゼフの応急処置が終わる。万全ではないがある程度までは回復した様子。ライト達は、一定距離を取って、二人の戦いを見守る形となる。
「ほっほっほ、待たせたの」
「我は貴様を殺すつもりで戦う。貴様もそのつもりで来い」
「何を今更。儂らは「あの時」から、ずっとそうやってきたんじゃよ!」
お互い魔力を溜め始めると、地面が軽く揺れ始める。先程までは一対一とは言いつつも、無意識の内に何処かで周囲を気にする箇所があったのだろう、それが今はもう無い。本当の一騎打ちが始まる。
「ライト様、僭越ながら、しっかりと、その目に焼き付けておくことを推奨致します」
「リバール?」
「これ程までの魔法使いの戦いを、何の支障も無しに見届けられる機会は恐らくこの先、ライト様にも私達にもありえません。断言しても構わないと思われます。――それ程までの、戦い、そしてお二人です」
ライトとしても決して目を離すつもりはなかったが、リバールに念を押される事で、あらためてちゃんと見届けようと気持ちをあらためる。
ズババババァン!――真正面から、純粋に魔力だけで作った波動のぶつけ合いで、再び一騎打ちの幕は切って落とされた。
「っ……! こんなに、か……!」
激しいぶつかり合い、衝撃に、思わず目を背けそうになるのをライトは必死に堪える。
「まいったなぁ。……流石の私でも震えるよ、これは」
レナの呟き。歴戦のライト騎士団の面々でも、そして何に対しても動じないあのレナですら、そのぶつかり合いに衝撃を受けている。自分がこの場にいる事が奇跡なんだと、再確認させられる。
「ほっほっほ、お互い衰えんのう! こうでなくてはこうでなくては!」
「フン、その減らず口、いつまで叩いていられるか!」
一方の戦っている二人――特にガルゼフは、その激しさにより興奮するように、笑顔で魔法を放つ。ソフィが戦いに興奮して狂人化するのに近いのか、命の削り合いをしているとは思えないような表情。
「さあついて来いニロフ、どんどん行くぞい!」
「余裕ぶっていられるのも今の内だ! いつまでも自由にリード出来ると思うな!」
属性を変え範囲を変え動きを変え、兎に角一進一退の魔法の撃ち合いを続ける二人。均衡した実力者だからこそ起きる、特別な空間、時間。全てを忘れ、ただ目の前の魔法に相手にのめり込んでいく。
(不思議だ……我は今、何をしているんだ……?)
無論それは、ニロフも例外ではない。封印を解き、復活した時にどす黒く見えた殺意は消え、いつしか種族の垣根も越え、一人の魔法使いとしてそこに立っていた。
殺したいとか、自分の過去とか、今はどうでもいい。――目の前の相手に、勝ちたい。認めさせたい。その想いで、一杯だった。
(……変わり者だな、我は……唯一無二の死霊の王が、人間との戯れを楽しむなどと……奴らの言うことも、あながち間違いではないのかもしれん……)
よく考えてみたら、特に殺したくて殺そうとしているのではなかった。意味などない。それが当たり前だと思っていたから。――自分なりの、考えを持ってみてもいいのかもしれない。
「――だが、この戦いを負けるつもりはない!」
ドガァァン!――より一層大きな爆発音で、一呼吸の合間が出来る。お互い疲労はあるだろうが、それでもそれをまったく見せつけることも感じさせることもなく、視線をぶつけ合う。
「ほっほっほ、楽しいんじゃが、これ以上長引かせると待たせてる者達に悪いからの、決着を付けようぞ」
「一発勝負、全力か。いいだろう、乗ってやろう」
ザッ、と身構えると、二人は詠唱を開始。――先に終えたのはガルゼフ。二つの巨大な炎の塊が、ガルゼフの左右に生まれ、その炎は直後、青い炎に変わる。ガルゼフの魔力が相当込められた証拠だった。
「これは儂の必殺技じゃよ。お主で受け止められるかの?」
ガバッ、と青い炎が動き出す。ニロフを狙うようで狙わない、不規則な動き。――直ぐにニロフは察した。
「ハハッ、馬鹿にして貰っては困るな、その魔法は知っている! 勿論対処法もな! 何せそれは――」
そこまで口にしてニロフはハッとする。――確かにその魔法は知っている。何せそれは、昔、我と……
「そうじゃよ、お主が知っていて当然じゃ。――何せ昔、儂とお主で編み出したんじゃからの」
『まずは巨大な魔法球を二つ、作るんじゃよ。属性は何でもいい。得意なのでも違うものでも。それを術者の左右に展開する』
『成程、それを砲台の様に扱うわけですな。俗に言うビット、というタイプの術』
『そうではない。まあその要素もあるが、本命はこの二つの巨大魔法球に気を取られている間に、相手の後ろに魔法陣を作り、奇襲をかけるんじゃよ』
『また高難易度でえぐい事を考えますなあ。囮になるからには相当の物をまず作らねばならないのに、そこから本命を敵後方に作るわけですか』
『魔法使いなどえぐい攻撃でナンボじゃよ。接近されたら終わりなんじゃからの』
『なら術式を捻って、最初に出す魔法球を可能な限りコントロール出来るようにしましょう。それこそ相手の周囲を動く位がいい。それに気を取られたら、まず本命は防げますまい』
『ほっほっほ、お主も十分にえぐいわい』
『魔法使いとは、魔法を練って勝つ、それだけですからな』
「…………」
直後、ニロフは前に二つ、そして後ろに一つ、魔法陣を展開。まずはガルゼフ左右の魔法球からの攻撃を相殺すると、ガッ、と後ろの魔法陣を一気に巨大化、自分を守るバリアにする。
ズバババババァン!――直後、激しい衝突音。今まで一番の衝撃で、ライトは転びそうになる程の衝撃を受ける。視界も爆発の煙で塞がり、一時状況がわからなくなる。
十数秒して、視界が開けてくる。――ガルゼフもニロフも立っていた。え、どっちが勝ったのどうなったの、とライトが思っていると、
「くく……はははは!」
ニロフが笑い出す。ガルゼフの渾身の一撃は、塞がれてしまったのか、と思っていると、
「流石ですな、本気で我を殺しに来るとは! もし我が「思い出さなかったら」完全にやられてましたぞ」
「それはそれで儂とお主の責任じゃから、仕方ないわい。でも、現にこうしてお前は思い出したのじゃろう?」
「違いない」
まるで喧嘩をした番長が仲直りするかの如く、にこやかな雰囲気がそこにあった。――まさか、これは。
「さて。――お待ちしておりました、我が主。我が忘れてしまっても、こうして迎えに来てくれた事、感謝の意に堪えません」
ニロフが片膝をついて、ガルゼフに敬意を示した。その姿勢が全てを物語る。――全てを思い出した。ニロフは、ガルゼフに使役されていた頃の、友だった頃の、相棒だった頃のニロフに戻ったのだ。
「遅くなってすまなかったの。大事な友を相棒を、長い間孤独にさせてしまったこと、許してくれ」
「あれは我が望んでやったのです。このまま二度と目覚めなくされても致し方ない状況でした。それでも主はこうして迎えに来て、今でも我を友、相棒と呼んでくれる。――それだけで、十分です」
戦っていた時の口調は何処へやら、そこには一人の老魔導士と、それに従う一人の骸骨魔導士と――二人の、一言では語りつくせないであろう、絶大なる関係性が見てとれた。
「ガルゼフ様、あの」
「おお、待たせてすまんかったな、皆の衆。――お主らのお陰で、全て終わったぞい。感謝する」
そう言うと、ガルゼフとニロフは、ライト騎士団の面々に頭を下げる。
「ちょ、止めてください、そんな!」
「そうでもせんと儂らの気が済まんよ。特にライト君、ニロフと話してくれたじゃろ? 嬉しかったわい。あれがなかったら、どうなっていたかわからんしのう」
「ライト殿、自我をほぼ無くしていたとはいえ、数々の暴言、お許しくだされ」
見た目こそ骸骨で先程までと当然何も変わらないが、先程までとは違い、驚く程穏やかな口調、声で、ニロフはライトに謝罪する。
「いえ、でも、俺はただ」
「素直に受け取っておきなよ、勇者君」
「……レナ?」
と、肩にポン、と手を置き、レナが口を開いた。
「お友達のピンチを助けてくれた人にお礼言うのは普通じゃん? きっと君だって、逆の立場ならそうするでしょ。感謝を拒むんじゃなくて、受け取って、大きくしていく。それが、「勇者」としての仕事なんじゃないかな」
レナの言葉を受け取って、ライトは再確認してみる。――そう、ガルゼフは、結局の所大事な友達を、助けたかっただけなのだ。それが最高の形で終わった。お礼を言うのは、当然ではなかろうか。それが例え、任務で来ていたライト達だったとしても。
またレナは、「勇者」というワードを口にした。謙虚なのはいいが、この先ライトには勇者として、もっと大きな感謝を受ける事になるだろう。その時、「勇者」ならばその感謝に押しつぶされるような人間ではいけない。――少なくとも、ライトにはそう聞こえた。
「――わかりました。俺が役に立てたなら何よりです。それに、二人共無事で良かった」
だからライトは素直に受け取り、そして本音を口にした。――どちらかを「失う」覚悟をしていた。それが二人共無事だったのだ。これ以上の結果はない。
「さあ、こんな所で立ち話でもあれですし、城に帰還致しましょう。ニロフも含め皆が無事なら、お父様も喜びますわ」
「あ、姫様がデレた」
「な、ちょ、レナ、違、ただ私は」
「レナさん、よくぞ気付いてくれました……! そうなんです、姫様はヨゼルド様に対して時折見せる本音が、なんとも言えず愛おしいのです……!」
「リバール!? そんな事私してませんわよ!」
思い当たる節があるライトとソフィは笑うしかなかった。釣られて皆が笑う。ガルゼフも、ニロフも笑っていた。
「しかし主、我を迎えに来るのにこれ程までの女子を揃えて下さるとは、歳に負けず衰えずいたんですなあ」
「違うぞいニロフ、彼女らは皆ライト君のチョメチョメよ」
「おお、それは……ライト殿、やりますな!」
「チョメチョメが何だかわかりませんが恐らく違いますよ!? 俺はやりませんよ!?」
そういえばヨゼルドがニロフをスケベの師匠と言っていた。女子に目が無いのも当然かもしれない。
こうして、そんな冗談を交えつつ、ライト騎士団とガルゼフは、無事任務を終え、ハインハウルス城に帰還するのだった。そして――
――そして、帰還した次の日。大魔導士ガルゼフは――亡くなった。