第五十七話 幕間~酒とスケベと男と女
「次は……ふむ、南方市場の改築に関してか」
とある日の午前。ハインハウルス王国国王・ヨゼルドは政務官からあげられた報告書に目を通し、処理・対策を講じる作業を私室にて行っていた。
物語の関係上、ライト達との接触時だけだと感じ取り難いかもしれないが(!)、実際に彼は大国・ハインハウルスの国王であり、政治執務に忙しい日を送っている。
「これは……確かに効果は直ぐに出るが、将来性を考えると……この出資者は以前にも問題があったな……」
そしてこれも物語上には出難いが、その手腕も確かなもので、はっきり言えば彼無しでこの国は、この物語の世界は成り立たないであろう。そのレベルの実力の持ち主である。――コンコン。
「入れ」
「失礼致します」
許可を出すと、カートにポットを乗せたハルが姿を見せた。飲み物を持ってきてくれたらしい。
「どうぞ」
「うむ、ありがとう」
丁度何か口に含みたい気分だった。正に、なタイミングに感謝と同時に改めてハルのレベルの高さを感じ取る。
「本日昼食はどうなさいますか? 王女様のスケジュールは空いています、宜しければ同席のセッティングを致しますが」
「いや、書類処理が溜まっている、ここで今日は貰おう。魅力的な提案だがこちらを蔑ろには出来ん」
「畏まりました、ではその様に」
昼食の時間位気を休めて、それこそ愛する娘と共に食事をした方が気分転換にもなりそうな物だが、ヨゼルドは仕事への集中を切らさないことを選ぶ。その姿はハルとしても素直に尊敬する姿である。――普段からいつでもこうならある程度は寛容出来るのに。
「さてと……うん?」
仕事に戻り、今見ている報告書に関して、以前の資料が必要だったので見ようと引き出しを開けたが見当たらない。――おかしいな、この辺りに入れておいたんだが。
「資料ですか?」
「ああ、この辺りに入れておいたと思ったんだが」
「その辺りの資料でしたらこちらの棚に。今お取りします」
そう言うとハルは移動、部屋で一番大きな棚の引き出しの一つを鍵を使って開け、資料のいくつかを取り出す。――あれ? 鍵?
「どうぞ」
「あ、ああ、ありがとう。……なあハル君」
「何でしょうか?」
「よく見るとその棚、前のと若干違わないかね?」
大きさも形状もよく似ていたので気付かなかったのだが、よく見ると細部が違う。つまり先日までそこにあった棚とは違う棚である。
「申し訳ございません、先日いくつかの要補修点を見つけまして、同様の棚へ代えさせて頂きました。許可を頂くべきでしたが丁度ヨゼルド様が席を外してる時でして」
「そうか、それは構わん……のだが、資料の位置が変わっているのは?」
「折角なので使い易い様に模様替えさせて頂きました。ご安心下さい、私の他にホラン、ルラン両者も全て把握させています。仰って下されば全ての品を用意させて頂きます」
「そ、そうか……いや、でもだな、今鍵を使って開けてたよね?」
「そうですね。こちらもホラン、ルラン両者も合い鍵を持っていますのでご安心を」
違う、そういう事じゃなくて。
「私の分の鍵はないのかな?」
「ありません」
キッパリ迷いのない返事が返ってきた。――え、いや、その。
「……何で?」
「棚を細工して色々お隠しになられるではないですか。それの防止です」
「まあ……いやでも、ここ私の部屋。私室。プライベートルーム」
「存じ上げておりますが」
「部屋の物を部屋の主が自由に取り出せない?」
「客観的に見るとそうなってしまいますね」
「……おかしくない?」
「ヨゼルド様を想っての事です、ご了承を。また可能な限り生活に不自由はさせません、ご安心下さい」
…………。
「――って言って頑なに鍵渡してくれないんだよ!? おかしくない!? おかしいよね!?」
そして別の日の午後、半泣きでそう訴えるヨゼルドがいた。――しかも、
「おうライトとレナ、何でこのオッサン俺の店に連れてきた。俺はライトの剣の稽古は付けてやるがこのオッサンの愚痴を聞くとは言ってねえぞ」
「そう言われても、一応俺としても一緒に行くと言われて逆らえない立場ではあるので……」
「右に同じ」
場所は城を離れ、アルファスの店。ライトが今日も剣の稽古をつけて貰う為に警護にレナを連れて行く所に無理矢理一緒に私服で付いてきたのである。
「つーか今の話纏めると忙しいんだろ国王、俺の店に遊びに来てる余裕なんてないだろ」
「いや実は、アルファス君に頼みがあって来たんだ。ハル君でも開けられないような私専用の棚を作って欲しい」
「無茶だ、俺の専門は武器。城に腕のいい工具師とかいるだろ、そっちに頼め」
「城で一番の腕の持ち主はハル君の息がかかってるから駄目なのだよ……」
サラフォンに仮に頼んだ所でハルに話が行かないわけがない。結果がどうなるかなど怖くて考えられないヨゼルドである。
「宜しければ、どうぞ」
と、セッテがヨゼルドに飲み物を持って来る。
「おお、ありがとうセッテ君。ドレスの時以来かな、元気そうで何よりだ」
「その節は、本当にありがとうございました」
「いやいや気にする事はない、私が望んでやったような物だからな。――お礼を言うならアルファス君に言うといい。アルファス君と私に縁が無ければ実現しなかった」
「アルファスさんは、私がお礼に何でもしますって言っても何も望んでこないんです」
「実際何も望んでねえから仕方ねえだろ」
はあ、とセッテは溜め息。そのセッテを見てアルファスがはあ、と溜め息。そのアルファスを見てヨゼルドがはあ、と溜め息。
「アルファス君アルファス君。――据え膳食わぬは男の以下略」
「五月蠅えこのスケベ国王が。棚どうにかする前にそのスケベをいい加減治せ、それで解決じゃねえか」
「アルファス君までそういう事を言う! スケベは正義、男の正義、源! そうだろうライト君!」
「そこで俺に話振るの止めてもらえます!? 後レナはうわー、って顔で俺を見ないで、俺国王様と同類じゃない!」
ぎゃあぎゃあ、と喚くヨゼルド。こうなると本当にただの明るくスケベで見た目ダンディな中年である。
「私のスケベは私としてもそう簡単に捨てるわけにもいかん。これは師匠から受け継いだ物なのだ」
「いやそんなキリッとした顔で言われても。何ですかスケベの師匠って」
「その名の通り。若かりし頃の私にスケベのイロハを伝授してくれた人がいるのだ。アルファス君がライト君に剣術を教えているのと同じで、その道のプロがいた。私は今でもあの人に届く気はしない……」
遠い目で空をヨゼルドは見上げる。これがスケベがテーマでなかったら実に格好良かっただろう。呆れ顔のアルファス、ライト、レナ、苦笑するセッテ。
「兎に角俺は無理だから諦めてくれ」
「そんな!」
「ほら国王様、送ってあげるから帰りますよ。あまり遅いとハルに怒られるでしょ。――勇者君、ちょっとスケベを城まで送ってくるから」
「今王様じゃなくて私の事スケベって呼ばなかったかね!?」
「違うんですか? スケベ止めてくれます?」
「私からスケベを引いたら国王しか残らんだろう!」
よくわからない会話をしながら、ヨゼルドは半ば強引にレナに引きつられて先に城へと帰って行った。
「――あれが国王だってんだからこの国は平和だわな」
その背中を見ながら、呆れ顔のままアルファスが呟く。
「アルファスさんが軍に居た頃からあんな感じですか?」
「入った時にはもうああだったよ。国王としての実力は確かだから余計厄介だ。――他に知り合いにスケベの実力者がいるんだが、それとか今のとか見てると本当にスケベは正義なんじゃねえかって気が一瞬しちまうわ」
「ははは……」
ライトとしては最早笑うしかなかった。――俺も欲が無いとは言わないけど到底あんなにオープンに出来そうにない。
「スケベなアルファスさん……セッテ的には、アリです!」
「五月蠅え俺が無しだわ」
そんな会話をしつつ、遅ればせながらライトの稽古は始まるのであった。
「ふぅ……」
そして夜も更け、時刻は平均的な就寝時間が近くなる頃。ヨゼルドは仕事に一区切り。――睡眠はちゃんと取ってその分起きている間しっかり働こう、が彼のポリシーである。……起きてる間時折余計な事をしているのは余談である。
「それでは、本日は部屋に戻らせて頂こうと思いますが、宜しいでしょうか?」
ハルの最終確認。これを承諾すればハルのヨゼルド専属使用人の仕事も本日はハプニングが無い限りは終業となる。――あ、そうだ。
「軽めのアルコールを用意してくれないか? 寝る前に今日は飲みたい気分なんだ」
「承知致しました」
「ハル君も一杯どうかね? 何、深い意味はない、話し相手が欲しいだけだ」
「そう……ですね。少しだけでしたら」
流石に酔いつぶれた所で何かをする様な人間ではないと知っている。素直にその誘いをハルは受けた。
そのままハルは一度部屋を離れ、ワインとグラスを用意し、再び部屋に戻る。ヨゼルドのグラスに注ぎ、さて自分のに、とした所でヨゼルドに止められ、ヨゼルドはそのままハルの手からボトルを取り、自分の手でハルのグラスへ注ぐ。
「ありがとうございます」
本来なら使用人が仕える主、特にこの場合は一国の王に酒を注いで貰うなどあり得ないのだが、それを率先し、当たり前の様にこなす。こういう事をされるとハルとしてもやはりこの人は憎めない、と思う。
グラスを交わし、お互い口をつける。程よいアルコール度合いが気持ち良い。
「ライト騎士団はどうかね?」
「内陸部で活動するレベルの部隊ではありません。各々の実力はヨゼルド様もご存じの通りですので、問題なく今後も任務を遂行出来るかと」
「そうではない。――ハル君は、そこに居てやりがいがあるか、ということだ」
一瞬呆気に取られる。――私の、やりがい?
「君はどうも誰かの為、という責任感の強さが目立つ。勿論そこは君の利点だし魅力ではあるが、自分自身の為にを前提にもっと動いてもいいのだよ」
言われて考えてみる。自分にとってのライト騎士団。
「今まで部隊、騎士団なる物に所属した事がないので比べられませんが、それでも私にとってはあの方々と共に頑張りたい、と思わせてくれる騎士団です」
「そうか」
その返事を聞いて、ヨゼルドは満足気な表情を見せる。
「ライト様にも同じ事を言われました。ハルを騎士団のメイドとして置いているんじゃない、と」
「ライト君、か。――彼も良くやってくれているよ。よくあれだけのメンバーをまとめていられる」
「人は肉体的な強さが全てではないという良い証拠だと思います。あの方は尊敬に値します」
そうライトを評価する時、ハルの表情が一段階穏やかになるのをヨゼルドは見逃さない。――ほう、これは。
「ハル君、将来的にライト君と結婚する気はないかね?」
「ぶっ」
そして突然の提案。流石のハルも冷静さを失い、少々口に含んだワインをむせる。
「ちょ、何で今の話の流れでそうなるんですか」
「私自身、本物の勇者が見つかったとしてもライト君を手放すのは惜しいと思っていてね。でも彼の意思に反して縛り付けるわけにもいかん。なら誰かとそういう間柄になって貰うのが一番平和ではないかと」
「そんな風に私を利用するおつもりですか?」
「だから尋ねてみたのだよ。その気がない君にこれ以上押し付けるつもりはない。――まあ、酔った私の戯言だと思って忘れてくれて構わんさ」
ははは、と楽しそうにヨゼルドは笑う。――まったく、何を言い出すかと思いきや。ううん、別にライト様が嫌いって言ってるわけじゃないの。とても努力家だし、サラの事もあったし、私にも優しいし。
「…………」
今のところ特に文句がない事に気付いた。――って、違う違う、何を考えてるの私。
「ハル君? 大丈夫かね?」
「え、あ、はい。――もう少し頂いてもいいですか」
急にもっと飲みたくなった。深い意味はない、ワインが美味しかっただけ。――そう、深い意味なんてないの。ないのよ……ね?
「構わんよ、遠慮せず」
ヨゼルドは笑顔で再びハルのグラスにワインを注ぐ。――こうして、不思議な間柄の二人の晩餐は、もう少しだけ続くのであった。




