第五十三話 演者勇者と偽勇者8
「死ネエエエエエ!」
吹き飛ばされたレナ。筋肉質の一人が追撃する様に拳を振り上げて追いかける。
(っ……レナ様……!)
駄目押しの追撃は、完全なる敗北を意味する。それ程の威力がある事は、一度攻撃を受けたハルはわかっていた。しかしタイミングが悪く、今の自分の状態からレナのフォローには回れそうになかった。最早レナが自分で盛り返すのを祈るしかない。だがレナは勢いのまま吹き飛ばされたまま。万事休す――
「バインド・ネット」
――かと誰もが思ったその時、第三者の詠唱。その詠唱でレナの吹き飛ばされた先に魔法による網が生まれ、
「――よっ、と」
それを確認したレナがクルッ、と体制を立て直し、網を足場にし、跳ね返るようにジャンプ、カウンターに入る。
「ナ……ギャアアアア!」
追撃に入っていた筋肉質はカウンターに出られるとは思ってもいなかった様で、予想外の展開にまったく反応出来ず、激しい炎を纏ったレナの剣技を見事なまでに体全体で浴びてしまい、その場に燃えながら倒れた。その見事な一撃は、筋肉質を戦闘不能に追い込むに十分で、ピクリとも動かなくなる。
「まずは一人、っと。――サンキューだよマーク君、助かった」
「どういたしまして。――ハルさん、サラフォンさんも無事で何よりです」
「マーク様!」「マークさん!」
姿を見せたのは、ライト騎士団縁の下の力持ち、サポート系魔法使い、マークである。
「というかよく入ってこれたねここ。この感じからして絶対外封鎖されてると思ったけど」
「確かに封鎖されて凄い人並みでしたけど、入り口ギリギリまで近付いて、後は一瞬気配の度合いを変える魔法を使いました。熟練の人間は兎も角、ここの憲兵や一般人程度なら数秒間なら誤魔化せました」
「うわマーク君やばっ、それで更衣室と大浴場に何回入ったの?」
「レナさんが想像してるような使い方は命に懸けても一回も使ってませんからね!」
いつもの様にレナに弄られるマークとその魔法だが――気配の度合いを変える魔法、は結構な高難易度の魔法である。ライト騎士団の実力者の影に隠れる彼だが、地味ながらその実力は本物なのだ。
「エカテリス様の話によればライトさんとソフィさんが先に来てるはずなんですが……いないですね」
「入れなくて別ルートでもあたってるのかな。ソフィがいるから大丈夫だとは思うけど……そだマーク君、偽勇者の気配って追えない? あからさまに途中で姿消したから気になって」
「わかりました、試してみます」
「ストーカー行為も可能、っと」
「僕を弄る暇があったらさっさと倒してください! そう言うからには倒せるんですよね!?」
「まあ、あと一人ならどうにでもなるし、それにあっちも」
ドガガガガ、バキッ!
「グボォォ!」
サラフォンが銃で牽制、動きを封じ、行動に迷いが生まれた所に、ハルの渾身の一撃。筋肉質の一人が思いっきり吹き飛ぶ。――単純な力任せの攻撃しか頭にない筋肉質には、ハルとサラフォンの息の合ったコンビネーションを打開する術などなかった。
「直ぐに片付くだろうから、さ」
そう笑顔で言うと、直ぐにレナも地を蹴り宙を舞い、剣を振りかざすのであった。
「……どうして、俺達に声を掛けて来て、中へ案内しよう、なんて言ってくるんです?」
英雄ストアの店長でツガリゴと名乗る男の提案。当然だがライト達は警戒する。至極最もな質問をライトはぶつけた。
「私にとっても、貴方達にとっても、有益な話になるかもしれないからですよ。――中で戦っているのは、貴方方の仲間でしょう? 私の「兵士」と互角にやり合うとは、素晴らしい腕だ」
「……中で戦っているのが、俺達の仲間だと知った上で、有益な話、と?」
「はい。悪い話ではないと思うのです」
選択を迫られ、嫌な汗が背中を流れる。――相手は状況を掌握している。中で戦うレナ、ハル、サラフォンの状況は特に。それは裏を返せば弱みを握られていると言ってもいいかもしれない。
逆にライト達が握っている有利なカードは、(ライトの中では)エカテリス、リバール、マークの三人がまだフリーであるという点。この三人の合流を待ってもいいのだが、時間を置かれてもメンバー合流を把握されても不利になってしまうのではないか。ライトの頭にはそんな予測が過ぎった。
ならば、今ここで向こうの誘いにあえて乗るのも手かもしれない。一種の危険な賭けではあったが、ソフィの狂人化の準備も出来ている。完膚なまでにこちらが不利、というわけではない。
ソフィを見ると、軽く頷いた。――こちらも、覚悟を決めてくれた様子。
「わかりました。話を聞かせて貰います」
「では案内します。こちらからどうぞ」
ツガリゴは笑顔で二人を誘導。人込みを離れ、裏道から見事に英雄ストア裏手に入る道へ進み始めた。
「…………」
「……ソフィ? 大丈夫?」
ふとソフィを見ると、若干険しい、苦しそうな表情で歩いている事に気付いた。
「大丈夫です。……もしもの為ですから」
「わからないけど……無理はしないでくれよ。今俺みたいに倒れられたらどうにもならない」
「それは大丈夫です。――行きましょう」
もしもの為、という部分は小声で、ライトにだけ聞こえるように告げていた。ライトとしては意図は掴めなかったが、今は選択肢もなく、ソフィを信じるしかなかった。
そのまま少し進むと関係者以外は明らかに気付かなさそうな入口へと出る。ドアの鍵を開け、中へ通され、応接室と思われる部屋へ入った。高級そうなカーペット、ソファー、テーブル等々、立派な家具が揃っている。
「どうぞ、かけて下さい」
ソファーを促され、ライトとソフィは並んで腰かけた。正面にツガリゴも座る。
「まずは、正直驚きました。外からの人間に、ちょっと可笑しいな、様子が変だな、と思われることはあっても、ここまで突っ込んでこられた事、英雄ストアに目を付けられて踏み込んでこられたのは初めてだったもので」
そう言うツガリゴは特に困った様子もなく、寧ろこの状況を楽しんでいるかの様な表情。
「しかもあれだけ強いとなれば、真正面からぶつかり合うのは愚策という物。ならば真摯に話し合い、協力関係を築ければ、と思いましてね」
「つまり、貴方がトップで、この街を巻き込んで、表沙汰に出来ない事をしているのは認めるんですね?」
「ええ。――まあ少なくとも私は、そこまで悪い事をしているとは思ってはいないのですが」
ツガリゴは一度立ち上がり、ソファーの後ろにある棚から瓶を一本、更に隣に飾られていた花を持って戻り、テーブルの上に置く。
「……! これは」
「ソフィ?」
「栽培禁止指定されている植物……麻薬の原料となる花です」
「っ!」
そこでライトも遅ればせながら全て察する。――この英雄ストア、表向きは総合商店だが、裏でこの麻薬を栽培、流通させていた。協力者を増やす為に街の人間を巻き込んで。自分がアロの母親に見た得体のしれない心の状態は、麻薬に汚染された結果なのだと。
この街の異常な空気は――全ては、ここから始まっていたのだ。
「私はこれを用いて本格的な世界ビジネスを始めたいと思っています。勿論表沙汰にはまだまだ出来ませんが。でもこの街の外への第一歩となる時、やはり分かり易い実力者が傍にいてくれると実にやり易くなる。――勿論相応の報酬は用意しましょう。今フリーでどの程度稼いでいらっしゃいますか? 倍以上出せると思います」
ツガリゴは迷いなくそうライトに提案してきた。どうやら本気でビジネスの相談、騎士団としての実力を買っての商談らしい。少なくともそう伺える雰囲気での話の仕方ではあった。――だが、当然と言えば当然だが、ライトは気になる点がやはりある。
「その前に、お聞きしてもいいですか?」
「はい、何でしょう」
「罪の意識はないんですか?」
ライトとしても、勿論この話を受けるつもりなどない。それでも――確認は、しておきたかった。
「勿論ありますよ。法律で禁止されているんですから」
「そういう意味合いではなくて。――アロの母親にも使わせたんですよね? 彼女は断りもなく家を数日開けて結果その薬に溺れた形で戻ってきた。彼女が自ら手を出したとは考え難い」
「彼女は親一人子一人の大変な生活を送ってましたからね。少しでも気持ちが楽になれるようにと手助けを。人生は楽しい事がないとやっていけないものですよ」
迷いなくそう答えるツガリゴ。悪びれた様子など一欠けらも無かった。――手助け? 助けた、だって?
「それは助けじゃないでしょう。――そういうのは、「逃げる」って言うんですよ。目の前の苦労から逃げるだけで、どうにかなる様なら今の社会なんてとっくの昔にもう壊れてるでしょう」
直接アロに尋ねたわけではないが、アロは本気で母親を心配しているのは伝わってきた。つまり、生活は大変だったかもしれないが、アロと母親は、それでも親子として仲睦まじく生活していた事が予測出来る。それを、安易な理由で壊していい理由なんて――他人には、ない。
「彼女は最終的に受け入れました。共存の道を選んだんです」
「綺麗な言葉で誤魔化さないで下さい。確かに選んだのはアロの母親なのかもしれない。でも勧めたのは貴方だ。引きずり込んだ切欠は貴方だ。――心が壊れるのを知っていて、使わせたのはあんたじゃないか!」
「壊れる壊れないは本人次第でしょう。皆分かっていないのですよ、「これ」の素晴らしさを」
次第に我慢が出来なくなり怒りに震えるライト、あくまで落ち着いたままのツガリゴ。そして――分かり合えない両者の言葉達。
「申し訳ないが、あんたとこれ以上話をしても意味がなさそうだ。俺達は、俺達なりの行動で示させて頂きます」
「まあそう仰らずに。一度、使ってみてはどうです? 考えが変わるかもしれません」
「ふざけるのも大概にしろ、誰が――」
ガシャン。――誰がそんな物使うか、というライトの反論の途中で響くガラス音。見れば、ツガリゴが床にガラス瓶を一つ落とし、割った音だった。
「いやいや、私が考えた折角の新製品なんです。ぜひ感想を聞かせて欲しい」
直後、プシュー、という噴出音と共に、部屋に煙が一気に放たれる。瞬時にまずい、と思ったライトとソフィは部屋を出ようとするが、
「っ、駄目です団長、鍵が!」
いつの間の事だろうか、外から鍵がかけられてしまっている様子。ドアが開かない。――逃げ道が、ない。
「焦らなくてもいいじゃないですか。何、皆最初は怖がりますが、直ぐに受け入れてくれます」
「お前、一体何をしたんだ、これは何だよ!」
「これは作るのに苦労しました。煙状、拡散式の新しい麻薬です。簡単に大人数で息を吸うだけで楽しめる。素晴らしいと思いませんか?」
「ふざけるなよ! 何が――ゴホッ、ゴホッ!」
吸った事のない感覚、嗅いだ事のない匂いに、徐々に息苦しくなる。見ればソフィも咳き込んでいた。
「大丈夫ですよ、違和感で苦しいと感じるのも最初だけ。さあ、仲間になりましょう」
「く……そっ……!」
まずい、このままではまずい、何とかしなければ。――息苦しさの中、必死にライトは頭を回転させ何か打開策を、と考えていると、
(! そうだ、勇者グッツの中に!)
ガバッ、と鞄から取り出したのは装着型のマスク。「勇者のマスク」という名で、一定時間、いかなる状況下に置いても新鮮な空気が吸える、という品物である。本来ならもっと違うシチュエーションでの使用をきっと考えて作られたのだろうが、今の状況でも十分に使える可能性はあった。
だが問題が一つ。――マスクは一つしかない。自分がつけても、ソフィが助からない。
「ソフィ!」
ライトは迷わなかった。ソフィにマスクを投げ渡す。――この状況下、煙の噴出が終わった時、まともに立っていて対応出来るのは自分ではない、ソフィだ。何かあれば狂人化でツガリゴも部屋の外にいそうな敵も倒して仲間を呼んでくれるだろう。今はどっちが無事でいるべきか。その事を考え、ライトはソフィにマスクを手渡した。――自分の事は、諦めた。
「……っ」
パシッ。――ソフィがマスクを受け取る。意図を汲んでくれたか、とライトは朦朧とし始める意識の中で安心する。これで大丈夫、これで……ガシッ!
「っ!?」
だが次の瞬間、ソフィはマスクを装着する事無く、無理矢理ライトの口にはめさせた。一気に息苦しさが無くなると同時に襲う焦り。――ソフィが、自分自身よりも、ライトを選んでしまった。
「駄目だソフィ、ソフィがつけろ! 今つけるべきなのは俺じゃない、その位わかるだろ!?」
「団長、大丈夫です……ゲホッ、私よりも、ちゃんと自分自身に気を使って……」
「やめろ、ソフィ、離せ! ソフィ!」
ソフィにつけさせる為、ライトは必死にマスクを外そうとする。だがソフィの手が離れない。
長い様で短い時間が過ぎる。煙は落ち着き、部屋の空気も戻り、マスクを抑えていたソフィの手が離れる。
「っ……」
そして――そのまま、ソフィは耐えることなく、床に倒れた。
「ソフィ! しっかりしろ、ソフィ! ソフィーっ!」
響くライトの乾いた叫びは、ソフィに届くことはなかったのであった。




