第三百九十九話 幕間~主に仕える決意 後編
通りに響いた悲鳴。何事かと見てみれば、路上にうずくまる女性。
「大丈夫ですか?」
「ひ、ひったくりが……私を突き飛ばして、私の鞄が……」
ハルが優しく話しかけると、女性が指差し促す。見れば、遠くに通行人を払いのける様にしながら走り去る二人組の背中が。
「白昼堂々と女性を狙うとか、小さい輩ですね。――足を挫いてませんか? 見せて下さい」
怪我に気付いたクレーネルが、治癒魔法を使った。被害にあった女性も少しずつ気持ちが落ち着いてくるが、
「私の鞄……! 母に貰った大事な鞄なのに……!」
それはつまり現実味を帯びてきて、悲しみと悔しさが生まれるという事。女性の目には涙。
「向こうも二人、私達も二人。戦力としてはおあいこですね」
ザッザッ、とハルが足を踏み鳴らし始める。
「本当におあいこですか? 私とハルさんだと最早一般犯罪者相手なら戦力過多もいい所。それに、ハプニングが起きても派手にはしないのでは?」
先程のハルの言葉を思い出す。だがハルは軽く首を横に振る。
「それは自分に火の粉が降りかかった時。第三者、無実の方が被害に遭われてるのを見て見捨てるのはハインハウルス国所属、ライト騎士団所属として正しい姿だと思いますか? そんな結果を、あの方が納得して下さるとでも?」
「成程、それは不本意です。なら動きましょう」
その言葉にクレーネルも納得。勝ち気な笑みで頷きを返した。
「勿論犯人を捕まえるだけでは駄目です。他の人への被害は最小限に、周囲の気配りを忘れずに」
「勿論です。――私は魔法で追い詰めますので捕縛をお願いします」
こうして臨時メイドツーマンセルが結成され、事件はあっと言う間に片付いてしまうのであった。
「参上が遅くなり申し訳ありません」
いくらハルとクレーネルの二人が強くても、何もハプニングが起きなかった場合と比べたら流石に多少時間は遅れる。――予定では少し前からライトの専属使用人としての仕事の確認をライトの私室で行う予定だったのだが、それが少し遅れての開始になった事を二人はライトに謝罪。
「謝る事じゃない、寧ろいい事をしてるんだ、何の問題もないよ」
ライトも人づてに話は聞いていた。咎める要素など一つも無い。――それに、
「何か……二人、距離縮まった?」
最初この部屋で揉めていた時よりも、二人の空気感が随分違う。あの刺々しさが無くなっていた。
「どうでしょうか」
「逆にご主人様が慣れてしまっただけでは?」
口ではそう言いつつも、やはり何か違う。――深くは追及しなくていいか。仲良くなれたに越した事は無いし。
「では今から専属使用人としての仕事の説明に入ります」
そう言って再び仕事に入るハル。だがライトには素朴な疑問が。
「あの……俺がわからないんだけどさ、逆に専属使用人に何して貰うものなの?」
ヨゼルドやエカテリスの様に公務政務が多いわけではない。こちらに来てから今日まで全然困った事など無かった。一体何をして貰えばいいのか。今更だけど必要無いかも……とは何となく怖くて言えない。
「成程、そういう事でしたらご主人様、私にお任せ下さい。何の違和感もなく、でもご主人様が今までよりも一段階も二段階も暮らし易くなる様にしてみせます」
そう言って笑顔を見せて早速動き出そうとしたクレーネル。……の、
「待ちなさい」
肩をハルが掴んで喰い止める。
「貴女はまだライト様の好みを知らないでしょう? 私は出会ってから今日までしっかりと見て全て把握しています。フィーリングではやらせません。まずは私がやります」
そう言って動き出そうとしたハル。……の、
「待って下さい」
肩をクレーネルが掴んで喰い止める。
「私は仮ですが専属として数日間ご主人様の生活を見てきました。専属は一般業務には囚われませんよね? でしたら私がご主人様が今御自覚なさってる以上の好みをご用意します」
そう言って再び動き出そうとしたクレーネル。……の、肩をハルが掴んで喰い止める。
「…………」
「…………」
そして数秒間、威圧感たっぷりに笑顔で視線をぶつけ合った後、
「では私はこちらの棚から」
「私は窓近くから」
二人で同時に独自に競う様に動き出してしまった。……って、
「ちょっ、待って待って二人共落ち着いて!? 俺は別にハルがいいとかクレーネルが駄目とかそういう事は無くて、とりあえず」
「「少し黙っていて頂けますか」」
「あっはい」
同時に釘を刺され、ライトは何も言えなくなって椅子に縮こまってしまった。――え、やっぱり仲良くなったの? 仲悪いの? どっちなの? というか俺どうしたらいいの誰か教えて?
「ふぅ……」
夕食後、一人の時間。ライトは自室の風呂で入浴中。――余談だが個室の風呂とは思えない広さではある。
「クレーネルに後ろめたさが無くなったのはいいんだけど、こうなるとはな……」
聞く所によればフレムの生き残りの人達もハインハウルス城下町に招待して直ぐに会える距離でこれからは暮らしていくらしい。クレーネル自身が騎士団に参加する事で戦力的にも再び増加し、タカクシン教に関しての知識も非常に大きい。良い事尽くめなのはいいとして、
「……俺は実際、何をクレーネルにお願いしたらいいんだろ」
騒動の時も思ったが専属でして貰う程の事はほとんどない。そのほとんどない残りを時折ハルやその他一般使用人がやってくれていたのだ。常駐される程の事ではない。
「ご主人様、お背中お流し致します」
「うんありがとう」
その声でライトは一旦浴槽から出て風呂椅子に座って――
「ってちょい待って待って何してんの!?」
「今お背中をお流し致します、とご報告しましたが」
クレーネルだった。バスタオル一枚で準備完了。――俺油断して無防備で湯舟から出たけど見られたかもしれない。
「何をお願いしていいかわからない、と仰ってましたよね? 実際こういう事をお願いしても全然構いませんよ。いつでもお呼び下さい」
「いやいやでも流石にさ」
「それに……こうして落ち着いて、一度ご主人様と二人きりで腹を割っての話もしたかったのです。良い機会かと思いまして」
いやそれは何も風呂じゃなくてもと思うがその会話の間にもクレーネルはせっせと準備中。ライトも背中を見せて座っているので、
「じゃあ、とりあえず今日は。とりあえずだぞ? これからの事はちゃんと話し合って決めるから」
「畏まりました。――では失礼します」
今日だけは諦める事にした。そう言うとクレーネルは楽しそうにライトの背中を洗い始める。
「……改めまして、本当にありがとうございました」
そして、次いで出た言葉は、真面目なお礼だった。
「今私がこうして自我を保ってしっかりと前を向けて歩いていく決意を固められたのは、奇跡に近い。ご主人様のおかげです」
「俺一人の力じゃないよ。皆が手伝ってくれたし、皆がクレーネルを受け入れてくれたからだ」
「それでもその中心にいたのはいつでもご主人様でした。――貴方の様になれたら。ううん違う、貴方の様な人の近くに居れたなら。ポートランスで出会った時から、心の何処かでその想いはあったのかもしれません」
「……クレーネル」
「私は……こうしている事で私が今までしてきた事の全てが許されるとは思っていません。そしてタカクシン教の事案が解決したとしても、私の罪が消えるとは思っていません」
気付けばクレーネルの手が止まっていた。それに勿論ライトは気付いたが、何も言わずその先を促す。
「だからせめて、私を導いてくれたご主人様の傍で、償わせ続けさせて下さい。ご主人様の近くなら、それが一生涯だとしても、やり遂げられる気がしているんです」
前を向いて歩いている。自分ではそう言っているが、心の靄や後悔は消えていない。寧ろまだ溢れているのだろう。それと前向きに戦う覚悟を決めたのだ。そんな彼女を、ちゃんと見守る事が彼女を救った自分の使命。ライトはそう感じた。
「わかった。俺はずっと、クレーネルが罪を償え終えるその日まで、見てるから。道を踏み外したら、今度こそ許さない」
「はい。その言葉で、私は頑張れますから」
そう言って、クレーネルの手が再び動き出す。
「ですから、私はご主人様の専属という立場に大いに意味を持っているのです。何でも仰って下さい。些細な事でも」
「わかった。でも、こういうのは無しな」
色々問題になっちゃうから。周囲との関係とか。俺自身の色々な事とか。
「でしたら、夜の方のお世話は」
「何で背中流しがアウトでそっちがセーフだと思うんだよ!? この前も言ったけどもっと無しだよ!?」
色々問題になっちゃうから。ああでもクレーネルの魔法の技術があれば周囲にバレないかも……とか思わないからな俺!
「兎に角、この背中流しも今日だけ! こんなのいくら専属使用人だからって普通やらないの!」
「ではご主人様が特別な道を」
「行きません!」
そんな会話をしつつ背中を流して貰っていると、
「ライト様、クレーネル、二人共部屋ですか?」
ハルの声だった。責任感が強いハル、初日の最終チェックにでも来たのかもしれない。――って、
「え、ちょ、これもしかして非常にマズいのでは」
どう考えてもハルの中で専属使用人の仕事にバスタオル一枚での背中流しは含まれないだろう。この姿を見られたら最早二人共正座所ではない。――何とかして誤魔化せねば!
「ハルさん、ご主人様は只今入浴中です。終わり次第報告に向かいますので」
と思った矢先、クレーネルがそうハルに告げた。――風呂場の中で。
「そうでしたか、それならば使用人室で報告を待って……いま……す……?」
あまりにも自然な返事に一瞬ハルも違和感なくその報告を受け部屋を後にしようとして勿論気付く。クレーネルの声が中からするという事は――ガチャッ!
「な……っ!」
ドアを開ければそこには当然前述通りの二人の姿。驚きの表情のままハルが固まる。
「違う、違うぞハル、俺はいらないって言ったんだけど、だから、その今日だけって約束でだな」
「私はリバールさんが王女様と時折共に入浴すると伺ってそれならと」
「それと俺と意味が全然違ってくるよね!?」
そんな二人のやり取りも、何処かハルの耳には遠くに聞こえた。――バタン。
「あ」
無言でハルはドアを閉めた。怒られるのを覚悟したのに、無言で閉められた。――これは怒られる以上の失態をやらかしてしまったのかもしれない。直ぐにでも謝罪……何の謝罪をすれば許して貰えるのか。
「ハル――!」
でもこのままは駄目だと思い、急ぎライトはハルを追いかけようとした、その時だった。――ガチャッ。
「私にも……その位の、覚悟はあります……!」
「ハル!?」
再び風呂場のドアが開き、ハルが入ってきた。――全裸で。バスタオルを用意する暇も選ばなかったか、一応自分の手で今は大事な部分は隠しているがつまりは一糸纏わぬ姿で。
「クレーネルが背中なら、私は前を担当致します」
「ちょっ、落ち着いて落ち着いて!? せめてタオルを!」
「ライト様がお望みなら、必要ありません……!」
「俺の命令じゃないよクレーネルも勘違いだよ!?」
よく見ればハルの顔は真っ赤である。風呂のせいではないだろう。
「成程、私も覚悟が足りなかった様ですね。タオル、外します」
「そういう話をしてるんじゃねえええ!」
「ライト様、前、失礼致します……!」
「ご主人様改めて後ろ、失礼します」
こうして、怒涛の入浴タイムはしばらく続き――
「ふぁーあ、おはー」
「……おはよう、レナ」
…………。
「どしたんライト君。肌は凄い綺麗だけど何でそんな疲れてるのよ朝から。夕べ何かあったん?」
「レナ、相談がある」
「何?」
「俺と結婚しよう」
「いいけど何の発想転換が起きたん?」
――ライトが元に戻るのに、しばらくの時間がかかったとかそうでないとか。




