第三百八十六話 演者勇者と神託の塔8
「クレーネルさんは、ここで何を?」
「あら、ライト様は私がここで喉を潤している以外の何かの行動をしている様に見えるのですか?」
騒動近くのオープンテラスで遭遇したクレーネル。確かにその手にはティーカップ。お皿にはケーキ。優雅にお茶を楽しむ美女の姿にしか見えないだろう。――彼女を知らない一般人からすれば。
「それに、私がこの街に訪問・滞在している理由もライト様は御存知のはずです。それを今更そんなに緊張なさらなくても」
「緊張……いや緊張というか、不思議なんですよ」
「不思議?」
「ええ。――今の貴女は、俺がこの前会った貴女とは、まるで別人の空気を持っている」
そう、今のクレーネルは、ライトの知らない、謎のオーラを纏っていた。知らない顔があるのは気付いていた。――その知らないクレーネルが全面に出ているとして、まさかここまでとは。
「成程、だからですか。お連れのお二人が、随分と警戒の目で私を見ている」
スッ、と少しクレーネルが視線を動かす。その視線の先には、真剣な目でこちらを警戒しているローズが。
「っ!?」
だが次の瞬間、ローズは謎の重圧に押し潰されそうになる。今までに感じた事のない精神的圧迫に対応仕切れず、あっと言う間にその場で壊れて――
『ローズ、振り切れ! 私を握り、気持ちを強く持て!』
「っ! はあっ!」
ガッ!――全てが「終わってしまう」直前に、そのエクスカリバーの声を聞いたローズがエクスカリバーの柄を握り、気持ちを持ち直した。一連の流れは本当に一瞬の出来事だった。
「…………」
その様子を見ていたクレーネルは、再び視線を目の前のカップに戻した。――クレーネル自身は気付ていないが、ほんの少しだけ、表情に不機嫌さが浮かんだ。
一方のライト。前述通り一瞬の事だったのでハッキリと何が起きたのかはわからない。チラリとレナを見れば、まだ大丈夫、の視線を送ってくれたが、それでも先程よりもレナの表情も厳しくなっているのはわかった。
「別人の空気、ですか。――ライト様の目には、私はどういった人間として映っていたのでしょう」
「凛とした、優しさも厳しさも持ち合わせた素敵な人だと思っていました」
「あら、口説き文句ですか?」
「よく誤解されます」
状況が状況ではなかったら、レナに完全に弄られる一言だっただろう。
「でも今の貴女からは、優しさより厳しさより、冷たさが勝っている。神様とかそんな物は関係ない、貴女自身の冷たさだ」
「あら、聞き捨てなりませんね。私の全ては神によって――」
「先程の演説の人の一連の流れ」
クレーネルの言葉を遮って、ライトは本題を斬り込む。のらりくらりといつまでも話をする気に今のクレーネルとはならない。
「タカクシン教の信者と名乗っていた。服も貴女と同じ、信者の服だった。――貴女の指示ですか?」
「いいえ。私は偶然ここに居あわせただけです」
「では、彼の演説を途中であんな方法で遮ったのは貴女ですか?」
「いいえ。それこそそんな方法を選んでいたら、タカクシン教はただの狂信者の集まりではないですか。原因はわかりませんが、私達を快く思っていない方の手か、神の裁きか。いずれにしろ私には」
「そうですか。ならこれ以上貴女を問い詰めても仕方ありませんね。お時間取らせてすみませんでした。――でも、あまり誤解を生む様な行動は、控えた方がいいです。この状況下でここにいたら、疑われても仕方ないと思いませんか?」
「成程、それは仰る通りですね。覚えておきましょう」
「それから――貴女が思ってるよりも、ハインハウルス国は、強いですよ。甘く見ない方がいいと思います」
「警告……ですか?」
「そちらの想像にお任せします」
ライトはスッ、とクレーネルの目を見る。――先に目を反らしたのは、クレーネルだった。
「――本当に、真っ直ぐな目をしてる。強者ではないのに、汚れを知らない強い目」
「え?」
「私がタカクシン教に入信したのは十六歳の時、という話はしましたよね?」
「え……ええ。確か、生きる目的を見失っていたとか」
洋服選びの時の事を思い出す。一瞬本当に寂しそうにその言葉を言っていたのが印象的だった。
「逆に言えば、十六歳までは私は充実した生活を送っていました。フレムという地方の田舎町で。家族と、町の人達と、何の変哲もない、でも何の不満もない幸せな生活を送っていました。――自分で言うのもあれですが、その町で私は飛びぬけて優秀でした」
「で……しょうね。頭も良いし、魔法の才能も圧倒的だ」
「でもその才能を生かしてもっと外で、とかは一切頭にはありませんでした。普通の有り触れた生活を、その町でずっと過ごしていれたら。そう思って生きていました。でもその願いは脆くも崩れました」
「何が……あったんですか」
クレーネルが、一瞬呼吸を整える。
「町が、消えました」
…………。
「……え? はい?」
耳を疑った。――町が、消えた?
「ええ。たった一晩で。私が珍しく所用で町を離れてる間に、天災が。豪雨に襲われ、設備も充実していなかった町の中、人々は逃げ遅れ、私以外の人間は誰一人として助かりませんでした。――あれでしたら確認して頂いても結構ですよ。記録に残っているのではないでしょうか。フレムの大災害」
「…………」
ライトは言葉を失う。一晩にして全てを失う。――確かに、生きる目的を見失うには十分な出来事だった。
「実際、私は死ぬ事を考えました。そんな時です、タカクシン教に出会ったのは。教祖様は、フレムに祈りを捧げて下さいました。そして、私という存在がある限り、いつかフレムを元の姿に戻せると神が約束してくれると告げてくれました」
「それを、信じたんですか?」
「最初は勿論信じませんでした。何を胡散臭い事をと思いました。でも、奇跡を頂いたのです」
そう言うと、クレーネルはポケットから一枚のハンカチを取り出した。
「母の形見です。災害で全てが跡形もなく消えた後に、教祖様が祈りを捧げて下さった時、見付かったのです。――私が神に救われる資格がある。その結果だと」
「……それは」
ライトは言葉に詰まった。――果たしてそれは奇跡なのだろうか。でもライトにそれが奇跡でないと否定するだけの材料も無い。実際に奇跡の可能性すらある。
何より重要なのは、クレーネルにとってそれはもう奇跡以外の何物でもないという事。第三者が何を言っても、彼女は奇跡を目にしてしまっている。つまり、ライトにはクレーネルを別の道に歩ませる方法が無い。
(わかってたつもりだけど……平和な解決は、無理なのか……)
何処かでわかり合える事を期待していたのかもしれない。それが無理だとわかった瞬間だった。
「ライト君」
と、レナも何かを察したのか、近付いてきて名前を呼んだ。話は終わりとばかりにライトを促す。促されるまま、ライトも立ち上がると、
「待って下さい。――もう一度、考え直して頂けませんか?」
クレーネルがその言葉で呼び止めてきた。
「わかって頂きたいんです。我々、タカクシン教の事を。私達は、世界を支配したいんじゃない。世界を救いたいんです」
「ならもっと違う方法があるでしょ。手順がおかしいタイミングもおかしい何もかもおかしい。あんたらが神様を信じるのは勝手だけど、関係無い人を巻き込んでやる事じゃないよ。世界はあんたらの物じゃない」
「貴女は黙っていて下さい」
「は?」
「私はライト様にお話ししているのです」
その一言に、レナは怒りと困惑を覚える。怒りに関してはその強引な手法、自分に対する態度だが、困惑に関してはそのクレーネルの必死さ。彼女は本当に神を信じて、そしてその事を理解して貰おうと必死。そして何より、ライトに理解して貰おうとしている。
(どうすんのライト君……こいつは、神様から見捨てられない限りは、どんなに追い詰められても自分の考えは曲げないよ? そして、こいつの「心の中の」神様が、こいつを見捨てる事は無い)
タカクシン教の侵攻を喰い止めて、ハッピーエンド。そんな終わりが来るのだろうか。――ライトに、来るのだろうか。目の前のクレーネルを救えないハッピーエンドは、ライトに来るのだろうか。
「お願いしますライト様。貴方のお力添えが必要です。どうか、タカクシン教に光を」
「クレーネルさん。貴女の気持ちはわかりました。貴女の事もわかりました。貴女に同情する部分、沢山出来ました」
「でしたら――」
「でも俺は、神様と大切な仲間達の意見だったら、大切な仲間達の意見を選びます。貴女が神様を大切にしているのと同じで、俺は大切な人達の事を尊重したいんです」
「…………」
「出来れば、もっと違う形で、貴女に出会いたかったです。――行きますね」
ライトはクレーネルにお辞儀をすると、レナとローズを促して、今度こそその場を後にした。
「……それが、貴方の答えですか」
そんなライトに、クレーネルのその小さな呟きは届かない。
「神に背くのであれば、いいでしょう。私は一度、救いの手を差し伸べました。それを突き放したのは、貴方です」
そんなライトに、クレーネルのその小さな怒りは届かない。
「神よ。――この国と、貴方様を蔑ろにする者達に、裁きを与えたまえ」
そんなライトに、クレーネルのその祈りは――
「諸君、集まってくれた事に感謝する」
数日後、玉座の間にて。ライト騎士団はヨゼルドに召集を受け、こうしてこの場に集まった。
「今後の作戦が正式に決まった。よってライト騎士団にも任務を与える」
その言葉に、緊張が走る。――クレーネルと遭遇後、今日に至るまで大きな動きはなかった。でもその時は必ず来る。覚悟はしていたが、やはりいざ迎えるとライトは緊張してしまう。
「現状、タカクシン教は各国に神託の塔の建設を進めている。実際、既に完成に至った箇所もいくつか確認出来た。予想以上に向こうは「戦力」を抱えていると思っていいだろう」
「戦力ねえ。宗教団体が普通持ってるもんじゃないわな」
「気に入らないな。結局力尽くで動くなら神の導きも何もないだろう。――神の怒りに囚われていては出来る事も出来ないというのに」
出生が神と関連のあるドライブが、怒りを滲ませる。自らの過去を振り切る為に、神と戦う事を決意した人間は覚悟が違った。
「まあ、良くも悪くも結局は人間次第、という事なのでしょう。――それで若、我々を集めたという事は、ハインハウルス内での建造の阻止、という事でよいのですかな?」
「我が国内でこれ以上自由になんてさせませんわ! この国の血を受け継ぐ者として、そんな強引な手法を許すわけには参りません!」
「「アタシ」が最後は神頼みの連中にわからせてやるぜ、と言ってます。――私も同意見です。自分の運命は、自分の手で切り開きます」
各々がやる気に満ち溢れていた、その時だった。
「いや、待ってくれ。君達に言い渡す任務は、信託の塔の建造の阻止ではない」
ヨゼルドがそう切り出す。――って、
「え、それなら国内の建造の阻止は誰が動いて、俺達は何を」
「そもそも建造の阻止はしない。神託の塔は、建造させる事にした」
ヨゼルドの口から出たのは、予想外の言葉であった。




