第三百七十五話 演者勇者と復讐の魔導士と魔王18
「ォォォ……ォォォ……」
魔族の魔力を取り入れ、圧倒的力を手に入れたヨルマン。だがその姿は変貌し、人としての原型を留めず。体調は三メートルはあるだろうか。顔がギリギリそんな顔だったかも……といった程度の名残。
「ガァァァ!」
「!」
そんな分析の間に、ヨルマンは残っていた周囲の改造魔族を蹴散らし始める。自分で用意したはずの「盾」を蹴散らし始めた。
「終わったね。もう理性もない。そもそもどうにかするつもりは私なんて無かったけど、もうモンスターとして駆除するしかない」
レナの冷静な分析。確かにもうそこに理性があるとは到底思えない。――と、その一言の直後。
「バァァァ!」
「!?」
ヨルマンは、ライトを守る様に前に立っていたレナに向けて拳を振るっていた。――早過ぎる。
「レナさん! ライト!」
「ぐっ……!」
油断していたつもりは毛頭無かった。だがレナの予測を遥かに高く越えた速度とタイミングで、ヨルマンは接近戦を仕掛けてきたのだ。ライトを庇いつつも吹き飛ばされるレナ。ガードはしているが、明らかにガードを削ってダメージが入っている。
二人の名前を呼びつつ、フリージアが地を蹴った。ヨルマンの周囲を自分の魔法で凍らせて移動を制限し、自らも接近戦を挑む。――バリィン!
(!? 無詠唱でガード……!? 魔法も使えるまま……!?)
正確には、「詠唱込みの複雑な魔法が使えない」状態であった。今のヨルマンは本能だけでシンプルな魔法を使い、フリージアの攻撃を防いでいた。
だがそれだけでも今のヨルマンは圧倒的存在。十分な威力となり、フリージアの攻撃が届かない。
「フリージアさん、援護する! 本能勝負なら負けない!」
ネレイザが言葉通りフリージアの援護攻撃に入る。兎に角威力を上げ、相手のガードを削り、相手の意識を散漫させ、フリージアを動き易くする。バァン、ビシッ、と鋭い攻撃魔法がヨルマンを刻み付ける様に肉体に届く。――だが。
(意に介してない……!? 違う、自己治癒力が高い!)
ガードを削り入った攻撃で出来た傷が、次々と塞がっていくのがわかった。ネレイザの攻撃力を持ってしても、である。援護の意味が無い。
「レナ殿!」
「はいよ!」
近接役がフリージア一人では足りない。バトルメイジとして鍛錬を積んできたニロフだが勿論比べたら近接役はレナが上。ニロフは全力で代わりにライトを守る事をその一言で請け負い、レナは地を蹴り接近戦へ。
「ライト殿、これは持久戦です。あそこまで強引な強化をした存在がいつまでもそのままを維持出来るとは思えませぬし、維持出来たとしても外から援護が数名来てくれたなら流石に勝機が見えます。今は我慢の時」
「……っ」
ライトに背中を見せつつも、簡潔にライトに戦況をニロフは説明。そのままその位置で援護に入った。ライトもわかる。この四人を相手にしてまったく引けを取らない。相手が尋常ではない、人間や普通の生き物ではない何かになってしまったのだと。
それでも何か違和感を感じていた。余計な一言が言えるシーンではないので自分一人での考察になるが、感じる視線。――視線?
(俺を……見てる?)
既にギリギリ形として顔だろうと認識出来る程度のヨルマンの顔。当然目もある。その目が、自分を見ている気がする。この状況下、自分など眼中に無いはずなのに、何故か自分を見ている気がする。――何故?
そこでライトは無意識の内に真実の指輪をヨルマンに対して使っていた。何か掴めるとは思えないし、掴めたとしてこの状況下で何の情報になるだろう。だが、気付けば使っていた。
脳内に、ヨルマンの情報が浮かんだ。
『ヨルマン/メイリリ 暴走 睡眠 混乱』
「な……!?」
暴走、睡眠、混乱はわかる。問題は名前だった。ヨルマンと共に並ぶ「メイリリ」の名前。――確かヨルマンが助けて貰った魔族の名前が、メイリリだった。まさか……
「――え?」
一つの仮説に辿り着いた瞬間、ライトは気付けば真っ白な空間に居た。当然覚えがある。ヨルマンに「招待」された精神世界だ。あの時と同じ。テーブルがあって、椅子があって。そこにヨルマンが座っていた。――ただ大きな違いが一つ。
「ぐぉぉぉ……」
「……は?」
ヨルマンがいびきをかいて寝ていた。腕を組んで、そこそこの音量のいびきをかいて寝ていた。
「いや、いやいやいや、ちょっと待て待て。仮にも招待してしかも戦闘中の相手を前に精神世界とはいえ寝てるとか」
勿論隙だらけである。今攻撃して倒したら解放されるだろうか。……とは思ったが、何となくそんな気になれず。
「もしもし、起きて下さい、もしもーし!」
肩を揺さぶり、声をかけて起こしてみる事に。――だが、一向に起きる気配がない。
「……え、これはこれで俺、元の世界に帰れないんじゃないか?」
自分を引き込んだ相手が寝てる。もしも倒したとしてもそれはそれで一生ここにいたままかもしれない。それは勿論困る。――恐らく現実世界は激しい戦闘中、レナもこちらに気を配ったり出来ないだろう。
さてどうするか……と思っていると。――ふさっ。
「ほらおじいちゃん、お客様が困ってるじゃない、こんな風に寝ちゃって」
一人の褐色の少女が何処からともなく現れ、眠りから覚める様子のないヨルマンに優しく毛布をかけてあげた。――ヨルマンをおじいちゃんと呼ぶその少女。そしてヨルマンの精神世界に存在するその少女。
「もしかして……君が、メイリリ?」
「あっ、私の事知ってるんだ! 嬉しいな、おじいちゃんから聞いたの?」
そのライトの問い掛けに、パッ、と明るい笑顔を見せる。屈託のない笑顔だった。――全てに、合点がいった。
「取り込んだ魔力は……メイリリのだったんだな……」
彼女が亡くなった時に、恐らく何らかの方法で彼女の魔力を保存していたのだろう。そして自らを改造する時にそれを使った。だから彼の精神世界に、メイリリが生まれたのだ。その歪な状態が再び精神世界を作り上げてしまい、一度取り込まれた為行き来がし易かったライトは取り込まれたのだった。
「あの、ところで貴方は誰? おじいちゃんとはお友達?」
「いや……ごめん、そんな平和な関係じゃないんだ」
隠しても仕方がない。ライトは自分の名前と、現状を簡潔に説明した。――ヨルマンがした事。ヨルマンが方向を見失った復讐の為に生きている事。そんなヨルマンを、倒さなくてはいけない事。
「――だから、今ヨルマンさんが寝てるのも、もう自我を失ってるからかもしれない。……元には、戻らないと思う」
「そっか。……そうなんだ」
流石にメイリリの顔からは笑顔が消え、寂しそうな表情に変わる。
「ごめんねおじいちゃん。私の為に」
そして、ゆっくりと眠りから覚めないヨルマンに抱き着いた。――思えば、ヨルマンに同情出来る部分はあった。そして今この光景を見てしまうと、何とも言えなくなってしまう。
「こっちこそ、申し訳ない。どうする事も出来ない」
「貴方は悪くない。悪いのはおじいちゃん。私でも、わかるよ。こんな特殊な空間を作っちゃう位だもの。――ライトさん。おじいちゃんを、止めて。どんな方法でもいい。綺麗な結末じゃなくていいから。おじいちゃんを、止めて」
真っ直ぐな目で、メイリリはライトを見ていた。ああ、本当に良い子なんだな、こんな子が死んでしまったなんて、ヨルマンがどれだけ辛かったか。もし生きていてくれたら、イルラナスがどれだけ喜んでくれたか。それがよくわかる光景だった。
「わかった、約束する。必ず俺達が、止めてみせる」
だからせめて、その約束を。少しでも報われる、その誓いをここでする。
「ありがとう。――生きてる間に、貴方に会ってみたかったかな」
そう言って、メイリリは笑った。そのままライトに近付き、一枚のハンカチを手渡す。
「……これは?」
「私が最初におじいちゃんを助けた後、次に会った時に助けてくれたお礼だってくれた物なの。勿論凄い大事な物。これ、貴方に託すね」
そう告げるその眩しい笑顔が、白い世界に溶けていく。そして――
「っ!」
気付けば、先程と同じく、視界は戦闘の真っ最中。レナの代わりにニロフに守られている状態。一度目よりも素直に戻って来れた。時間もほとんど経過していない様子。
「ヨルマァァァァン!」
直ぐにライトはヨルマンを視界に捉え、精一杯の叫びでその名を呼んだ。
「お前、ふざけんなよ! お前のせいで、メイリリさんが悲しんでるじゃないかよ! メイリリさんを失った悲しみを晴らす為に、メイリリさんを悲しませてたら意味がないだろ! メイリリさんの事を一番わかってるのはお前なんだ、だったらメイリリさんが悲しむ事だって本当はわかってただろうが! 良い歳こいて何してんだ馬鹿野郎っ!」
「ライト殿……!?」
戦闘が止まる事はない。だがその言葉は、この場にいる「全員」に響く。
「お前は俺とは違って孤独だったかもしれない、でもその分才能があった、その力があれば必ず違う世界が開けたはずだ! メイリリさんは戻ってこなくても、同じ笑顔を沢山の優しさを感じられる事が出来た、お前が一度覚えたその安らぎを、もう一度作り上げる事が絶対に出来たはずだ! 復讐をしてもメイリリさんは戻ってこない、浮かばれない! 復讐に囚われてずっと辛い想いをし続ける必要は無かった! 頭がいいなら、その位わかっただろ!?」
「ガァァァァ!」
五月蠅い。――そう言いたげな叫びを、ヨルマンはライトに向けた。
「羨ましいか、俺が! 大切な人に囲まれてる俺が、羨ましいか! ああそうだ、俺は恵まれてるよ! 沢山の仲間達に助けられて生きてる俺は本当に恵まれてる! でも俺だって、それなりに努力したんだよ! 何もしてなかったわけじゃない! お前は何をした!? メイリリさんが消えて、お前がしてきた事は何だ!? 自分の胸によく訊いてみろ!」
「ァァァアアアア!」
我慢が限界に達したか、レナとフリージアの攻撃を喰らいながら無理矢理向きを変え、ネレイザとニロフの攻撃魔法を喰らいながらライトに向かってヨルマンは突貫。
「ライト君っ!」
レナが急ぎライトの護衛に戻ろうとするが、その直前でヨルマンの足が――止まった。
「……これが何だかは、わかるんじゃないか」
ライトがその手にして、ヨルマンに突き出す様に見せているのは、一枚のハンカチだった。――精神世界でメイリリから預かった、思い出のハンカチ。現実世界に戻った時、理由はわからないがしっかりと握り締めていたのだ。
ライトはそのまま、そのハンカチをヨルマンの手にかける。――ヨルマンは震えだすと、
「ォォ……オオオオオオ……!」
悲しげな咆哮を挙げ、その場に崩れ落ちた。――更に体から煙が上がり、
「え……溶け、てる……?」
「……限界だったのでしょう。そもそも健康な若者でも危険な代物、彼の肉体で長時間持つとは思えませぬ」
徐々に確実に、泥の様にヨルマンの体は溶け始めた。そして、ほんの数分で、跡形も無くなった。――思い出のハンカチと共に。
「ライト君、どういう事よ? 何して何があったん? 私は昔の女?」
「どういう見解でその結論に達した!?」
ライトはそこで簡潔にもう一度精神世界に行き、メイリリとの出会いがあった事を説明。
「俺は許さない。許さないけど……あのハンカチを持っていく位は、構わないと思ったから」
せめてもう一度、少しだけでもいい。再会出来る時間が作れたら。誰よりも愛した孫に、謝る事が出来たなら。――そう願わずにいられない。
こうして、ライト達とヨルマンの戦いは、静かに決着がついたのであった。