第三百六十七話 演者勇者と復讐の魔導士と魔王10
ヨルマンは、物心ついた頃から一人であり、それを苦としては生きていなかった。
他人や周囲に興味を持たない、自らの魔法の研究に全てを費やし没頭する、ある種のマッドサイエンティスト。世界の平和とかどうでもいい。人類の未来とかどうでもいい。ただ自分の研究が魔法が、新しい道へと進む事を、それを立証する事を生き甲斐としていた。
「はっ……はっ……こんな事なら、先に延命の魔法の研究でもしておけば良かった……」
だが魔法の才能は大いにあっても、彼は人間。老いには勝てず、体力も落ちた。そんな体でその日研究に必要な素材を採取しに行き、事故に遭う。勿論誰かと来ているはずもない。一人山道から崩落し、負傷。誰かが偶然通る様な場所でもない。つまりはどうする事も出来なくなっていた。
「ここまで、ですか」
自分の人生が走馬灯の様に思い起こされる。ただ厳密に言えば思い起こされるのは研究の事のみ。あれも立証出来なかった、あれは後少しだった。でも悔しいが体がもう動きそうにない。
ゆっくりと目を閉じた。手足の感覚はもうほとんどない。意識も次第に薄れていき、
「え……!? 誰かいる!? お爺さん大丈夫!?」
まるで幻聴の様に、そんな声が不思議と聞こえてきた。
「怪我してるの!? 直ぐに運んであげるから!」
その声を最後に、ヨルマンは意識を完全に失ったのだった。
暖かい。ここは何処だろうか。天国に行けるとは思ってなかったが、自分の研究の功績が認められて特例で天国に行けたのか。――ボンヤリとした意識の中、そんな事を考える。
目は開けそうだ。ゆっくりと開けると、最初に視界に入ったのは少し年期の入った木造の家の天井。ほとんど動かせないが少しだけ残っている手足の感覚から、自分はベッドに寝かされているのだとわかった。
「あっ、気がついた? 良かった!」
次いで聞こえたそんな声。意識を失う前に聞こえた声と同じ声だ。――自分は、その声の持ち主に助けられたのだと、ここでようやく合点がいった。誰が助けてくれたのか、体を起こして確認しようとするが、
「無理しないで寝てて。怪我も酷いみたいだし」
実際体を起こせない。中途半端に動こうとしてかけてもらっていた毛布がずれた。その毛布を再び掛け直してくれたのは、
「魔族……!?」
魔族の少女だった。年齢は十代前半か。――ここまで近くで魔族を見るのは初めてだった。いやそれよりも。
「私を助けたのは……貴女ですか?」
「うん、そう」
「何故?」
「お爺さんが私の家の近くで怪我して倒れてたから?」
「そうではなくて……私は、人間です」
「私は魔族です」
やはり魔族だった。――いや、そうではなく。
「わかってます。――人間と魔族は分かり合えない事位、わかっているのでは?」
と、いう事であった。世間に興味がなくても、その位の常識は流石にある。
「何かそういうの、面倒臭くて」
「は……?」
だがそのヨルマンの問いに対し、あっけらかんとした表情で、少女はそう言い切った。
「私別に、人間に対して好きも嫌いもないし? 生きてるんだから種族が色々あって当たり前でしょ? それなのに人間だからとか魔族だからとか、五月蠅いなあって。だからここで一人で自給自足の生活してるんだ。一人でまったりのんびり」
「だから、私を助けたのですか?」
「うん。怪我してる人が家の近くにいたら普通助けるよね」
信じられない話だったが、同時に嘘を言っている様にも見えない。周囲に他の誰かの気配も無い。実際自分は助けて貰った。――本当に、そう思っている……?
「お爺さん……名前訊いてもいい? 私はメイリリ」
「ヨルマンといいます」
「ヨルマンさんは、魔族が憎い? 個人的に」
魔族は人類の敵。前述通りその常識はあったが、個人的には特に何もされたわけではない。なので恨みは無かった。
「興味ないですね。人類と争っているのも、私には関係ない」
「ほら、案外そんなもんなんだって」
そう言って、メイリリは笑った。
「というわけで、私がヨルマンさんを助けるのに深い理由なんていらない。以上! 落ち着くまで、ゆっくりしていっていいからね」
「それが私と彼女……メイリリとの出会いでした」
ヨルマンはカップに注いだ飲み物を一口飲むと、少しだけ寂しそうに笑う。
「幼い頃から誰かの情を満足に貰った事はありませんでした。でもそれを不幸に感じた事は無かった。私には魔法がある。この魔法の才能で、誰も成し遂げた事の無い事をする。私を何処かで軽蔑してた者達を見返す。私の人生はそれだけでした。そんな私の人生に、初めて注がれた優しさだったのです。この歳で何を今更と思うでしょう。その程度で随分簡単に考え方を変えたなと思うでしょう。でも、本当にあの子との出会いは、私の知らなかった何かが私を包んでくれて、とても気持ちが安らいだ」
「…………」
ライトは困惑する。――感じてしまった。この人は、根っからの悪人では無いかもしれない。世界の平和の為に魔王を討伐すべく進撃するハインハウルス軍に立ち塞がる存在なのに、今こうして思い出を語る老人は、とても繊細な心の持ち主だと。
「怪我も良くなり、あの子の家を出て一か月後。その時のお礼という名目で色々と生活援助の品をあの子にあげる為に再び尋ねました。あの子は私のお礼よりも、私が元気になっていた事をとても喜んでくれた」
「良い子……だったんですね」
「はい。私の様な人間と本来出会うべきじゃない、寧ろ貴方方の様な方と出会うべき存在だったと思います」
ライトは重々知っている。魔族だからといって全てが悪ではない事を。――優しき存在も居る事を、重々承知している。
「あの子に会いに行くのが、魔法の研究よりも楽しみになるのに、時間はかかりませんでした。一か月に一回が二週間に一回になり、一週間に一回になり、三日に一回になり、毎日になり……気付けば、二人で暮らす様になったんです。普通は有り得ません、魔族と人間が共に暮らすなど。でも私達は変わり者同士だから。そう二人でよく笑い合いました」
「家族に……なったんですね」
「ええ」
ヨルマンはメイリリの事を迷わず孫だと言い切った。それ程までの関係になったのだろう。
「幸せでした。何をするわけでもない。二人で畑を耕し、最低限の狩りをして、家事をして、食事をして、話をして笑い合う。私は、この歳で初めてその幸せを知る事が出来た。――永遠に続くとは思っていませんでした。勿論私はそこまで老い先長くはない。でも出来る事ならそれまでは、と甘えの気持ちが生まれていました。でも、それは叶わなかった」
「何が……あったんですか」
その切欠が、恐らくヨルマンが魔王軍に手を貸している理由。その仮説に辿り着くのは容易だった。肝心なのは中身。
「出会ってから、三年後のあの子の誕生日の事です」
「ありがとうございました」
その日ヨルマンは久々に人間の街に行き、メイリリへの誕生日プレゼントを買った。服に髪飾り。自分のセンスで選んでいるので似合うかどうかは自信が無かったが、メイリリもすっかり年頃。誕生日位少しお洒落をさせてあげたい。そんな想いからの買い物であった。
メイリリは喜んでくれるだろうか。その顔を想像すれば、足取りも軽くなる。
「ただいま――っ!?」
だがドアを開けて広がる光景は、つい先程まで想像していた世界とは真逆の、正に絶望の世界だった。
家の中にはメイリリの他に、見知らぬ若い人間の男性が二人。冒険者か傭兵か、軽装鎧に剣といったいで立ち。
「ん? 誰だ爺さん?」
そしてその男二人組で、メイリリに凌辱の限りを尽くしていた。衣服は剥ぎ取られ、無抵抗にする為か数か所にナイフを突き刺したまま。
男達は道に迷ったかあの日のヨルマンの様に事故に遭ったか、偶然この家に辿り着いたのだろう。そしてヨルマンの時と同じ様に、メイリリは分け隔てなく彼らを持て成そうとする。
しかし男達はヨルマンとは違った。相手は魔族、人族の敵。滅ぼすべき相手。つまり、何をしても「許される」。その認識の上で、メイリリを襲った。二対一でメイリリがまともな抵抗が出来るわけもなく、男達も武器を所持していたのもあり、結果この光景が生まれてしまったのだろう。
「き……貴様らァァァァ!」
だがヨルマンにとって、そんな客観的な発端の理由などどうでもよかった。愛する孫が襲われている。彼らの命を刈り取るのに、それ以上の理由は必要無かった。
「メイリリ! しっかりして下さい、メイリリ!」
攻撃魔法を放ち、襲っていた男達の「残骸」を押し退け、急ぎ駆け寄るが、メイリリは既に虫の息であった。シュー、というまるで隙間から漏れる様な微かな息。
「…………」
メイリリはヨルマンを見ると、何かを伝えようと口を開く。だがもう声が出ない。
「メイリリ! メイリリ! メイリリーっ!」
そして、そのヨルマンの必死の声も、彼女に届かなくなるのに、そう時間はかからなかった。
「あの日最後に、あの子が私に何を伝えようとしたのか、私にはわかりません」
ヨルマンは最後まで、淡々の出来事を語った。
「ですがもう、私は人種という存在を許せなくなってしまいました。あの子を魔族だとしたこの世界を、この世界を統治しようとする人種に、私は復讐するのです」
理由はわかった。……けれど。
「……身勝手過ぎる」
そんなヨルマンにライトが最初に抱いた感情は、怒りだった。
「確かに貴方のお孫さんを苦しめた人達の罪は到底許される物じゃない。だからと言って人種全てがそんな人達なわけない! 俺の知ってる、この国の平和を願う人達はそんな事は絶対にしないし、俺の仲間には魔族と人種が手を取り合う世界を目指している人達もいる! そんな人達に向けて復讐!? 自己満足もいい所だ、貴方のお孫さんがそんな事を望んでるとでも――」
「私が手を貸した所で、きっと魔王軍は負けるでしょう。戦局を多少変化させる事は出来ても、既に戦力の決定的な差に限界が来ている。人類は魔王軍を滅ぼし、勝利し、平和を手に入れる」
そんなライトの怒りを最後まで聞かず、ヨルマンは落ち着いたままそう切り出し始める。
「!? そう思ってるなら何故――」
「刻み付けるのですよ。傷跡を残すのです。一生消えない傷跡を。綺麗事だけでは世界は進まない事を、貴方方に刻み付けたいのです。そしてふとした時に思い出して貰うのです。平和とは、夢物語で終わらない現実の一欠片が必ず混ざっている事を」
ヨルマンがパッ、と手をかざすと、真っ白だった世界が少しずつ色付いていく。だがそこは先程までいたハインハウルス軍の陣営ではなく、
「え……?」
ライトとフリージアの故郷、ヘイジストだった。――つい数日前寄ったばかり。
「正確には、今から何年も前の貴方の故郷です」
その声にハッとするが、ヨルマンの姿は無い。声だけが聞こえる。
「どういう……事だ……!?」
「言ったはずです。傷を刻み付けると。――同じ体験を、して貰おうと思いまして」