第三百十話 演者勇者と炎翼騎士17
「いやああああ! 誰か助けてぇー!」
「逃げろ、逃げるんだ! 出来るだけ遠くへ!」
「モリダは!? あいつは何処に行ったんだ!? こんな時に!」
「終わりだ……今度こそ、この街は終わりだ……レガリーダの呪いだ……!」
炎の巨人が迫るフエノガージ。当然街はパニックに陥っていた。幾ばくかの自衛団、衛兵はいるものの、そんな物は何の意味もないであろう事は、十年前を体験した人間ならよくわかっていた。
巨人が到達する前に、モンスターの群れが雪崩れ込んでくる。これも十年前と同じ。――いや違う。十年前はたった一人で守ってくれた人間がいた。だが彼はもう居ない。即ち、絶望……
「はああああああ!」
ズバシュッ!――その絶望を切り裂く様に現れた集団。街の入り口に陣取り、モンスターと交戦を開始。先頭に立つのは、神々しい剣を持つ青年。その剣が、飛び掛かってきたモンスターを輝く光で葬る。
「勇者……様……!?」
「ここは俺達が喰い止めます、あの巨人も防ぎます! ですから、皆さんは兎に角早く避難を!」
ライト騎士団、間一髪でフエノガージに帰還。――エクスカリバーを手にするライトは、正に勇者であった。
「それからレガリーダさんの呪いとか言った人! 次同じ事言ったら助けませんからね! 寧ろウチの魔導士が貴方を呪いますよ!」
「フフフ、ライト殿の頼みとあらば致し方ありませぬ。我が開発したラッキースケベに絶対に出会わなくなる呪いを」
「マスター、もう面倒だから五月蠅いのはあっちに放り投げればいいじゃない! 馬鹿にして!」
「おう、投げるのはアタシに任せろ。つーかそうなるとこの街助ける意味あるか?」
「あるよ俺がレナと命がけで戦ったの何だったのって話になるよね!?」
……若干緊張感のない勇者一行だったが。というよりも、
『ライト、これ以上は無理だ、お前の体が限界を迎えるぞ。仕舞え』
「でも、仕舞ったらもうそこで三回目は終わり、俺はお前を二度と使えなくなる」
『それはそうだが、しかし』
「ここだけは、この街だけは、俺が救わなきゃ意味がない。レナに、証明しなきゃ意味がないんだ」
勇者は演者であり、その聖剣を持つ体は既に限界ギリギリを迎えていた。
「ふーっ……皆、行くぞ!」
それでも彼はその聖剣を振るった。この街を救う為じゃない。――大切な仲間を、相棒を、横にいてくれた人の手をもう一度取る為に。
「…………」
ライト達がフエノガージに向かった後、レナはただ動けず、その場に膝を抱えて座る事しか出来なかった。
辺りは驚く程静かだった。遠くに見えるあの巨人を視界に入れなければ、絶好の昼寝日和だったかもしれない。このまま昼寝をして、目が覚めたら何も無かった事になっていたらどれだけ良かっただろう。
でももう時は戻らない。自分を信頼してくれた仲間達に剣を振るってしまった事も。自分が守ると決めた相手に剣を振るってしまった事も。十年前、唯一の肉親をただ見送る事しか出来なかった事も。――全て全て、もうやり直す事は出来ない。
ふと視界を動かせば、手元に愛用の剣。――そう、誰かに殺して貰おうなんて思うからいけないんだ。今、自分で終わりにすればいいだけじゃないか。それで、この苦しみも悲しみからもサヨナラだ。
剣を握り、刃を自らの首元へ。この剣の切れ味は知っている、痛いのは一瞬で、即死出来るだろう。ぐっ、と力を込めて、そのまま自らの首を、
「……っ……」
――切れなかった。後少し、ほんの少し力を入れるだけで終わるのに、それが出来ない。――どうして?
死ぬのが怖いのだろうか。そんなはずはない。この苦しみから逃げられるのなら死んだ方がマシだ。強がりなんかじゃない。
なら何故か。――自分が自ら命を消した姿を見せれば、悲しむ人の顔が浮かんだから。悲しませたくなかった。
「何で……何で……っ!」
先程まで自らの手で本気で殺そうと思った相手に自分が死ぬ事で悲しんで欲しくない。なんて矛盾した、なんて我儘な、なんて酷い想いだろう。そんな風に思う位なら、最初からこんな事をしなければよかっただけ。
でも、複雑に混ざり合った先に確かにあるその想い。最後まで、彼には真っ直ぐ純粋に前を進んで欲しい。――私の、憧れの人だから。
「……ああ、そっか」
憧れてたんだなあ、彼に。自分には無い物ばかり持っていて、そんな自分を信頼してくれて。一緒に居れば楽しくて、実力的には弱い癖に時折面倒な正義を出すのも結局苦じゃなくて。
でも私は、最後の最後、信用出来なくなって。――信用するのが、怖くなって。裏切られるのが、怖くなって。
「いっそ私の事、全て忘れてくれたらいいのに」
出会わなければ良かった。こんな想いをする位なら、最初から出会わなければ良かった。赤の他人のまま、終わりになれれば良かった。
「もう、どうしたらいいか全然わかんないよ……どうしたらいいの……どうしたら、どうしたらどうしたらっ!」
様々な想いが交差して渦巻いて、また涙が流れた。――何て格好悪いんだろう。泣く事しか出来ないなんて。
「……もう、消えよう」
この場から去ろう。皆の前から居なくなろう。死ぬ事は出来ないから、いつか彼が、自分の事を忘れてくれるその日まで。――忘れてくれないかもしれないけど。でも、いつか傷は癒える。思い出になってくれる。その位は、願っても罰は当たらないはず。
ゆっくりと立ち上がり、炎の巨人に襲われる街を見た。――助かる、んだろうなああの街は。また、助けられて、何かを祀って。何て醜い街だろう。まあもう二度と足を運ぶ事もないけれど。
「父さん。……駄目な娘で、ごめんね」
そして最後に、あの街に眠る父に謝罪をして、レナは――
『駄目な娘なんかじゃないぞ』
「……!?」
――失意のままに立ち去ろうとした時、不意にそんな声が聞こえた。耳馴染みのあるその声。ハッとして振り返れば、ボンヤリとした光がそこにあった。形は人影の様だが全体的に薄く、その声も何処か響く様に聞こえて……といった細かい点はとりあえず今のレナにはどうでも良かった。
「父……さん?」
『最後の余力を残しておいて良かった。いつか、こんな風になる気がしてたからな』
その不思議な存在は、紛れもなく父、そして炎翼騎士としてフエノガージを救い、引き換えに命を落としたレガリーダだった。……レガリーダに、見えてしまった。
「……この機に及んで、こんな幻を見せてくるとか。どんだけ罪深いのよ私は。自業自得なのかもだけど」
だがレナは信じない。きっとこれは追い詰められた自分のせいで見た幻。自分自身に腹を立てる事ももう出来ない。
『幻じゃないぞ、確かに実体はないが本物だ、お前の父親レガリーダだぞ』
だがその幻は弱り切ったレナに一歩近付く。その声が余りにも優しく、本当にレガリーダの様で、
「父さんの声で姿で語り掛けるな!」
ガッ、とレナは最後の怒りを振り絞り、その存在に剣を突き刺す様に身構える。が、
『そう言われても、俺は昔からこの声だぞ』
「レガリーダ」は動じない。寧ろ更に一歩前に出て、レナに近付く。
『レナ。……ごめんな』
「!?」
そして、レナに謝罪した。
『お前がこうなったのも、元を辿れば俺が生き残れなかったから。そうだよな? すまんな、親失格だ。子供残して消えちまうなんて』
「――なの?」
その謝罪を聞いて、レナはゆっくりと剣を下ろし、俯いたまま、
「本当に……父さん、なの?」
最後の希望を託し、その問いを投げ掛ける。
『大人になったな、レナ。綺麗だ。――こんな形とはいえ、成長したお前が見れて良かった』
その問い掛けに対しての返事は、とても優しい物だった。
「っ……ああっ……わああああああっ!」
そして、今日何度目かわからない涙を、レナは流した。まさに親に甘える小さな子供の様に、レナは泣き崩れた。
「父さん……私……私っ……!」
『わかってる。ここに来てからのお前を、ずっと見てたから、大体の事は察してるさ』
直接触れる事は出来ない代わりか、レナの周囲が暖かい魔力で包まれた。――懐かしい、魔力だった。
『レナ。レナはどうしたい? 正直に、本当の気持ちを言うんだ』
「あの人達と……彼と、一緒に居たい……!」
父親を前にしたからか、その本音は何の迷いも無く出た。
『なら我慢する必要はないさ。一緒に居ればいい』
「でも怖いの! 裏切られるのが……あの街の人達みたいに溺れる人間になって、私を裏切るのが!」
『そんなもの、裏切られてから考えればいい』
困惑と葛藤のレナの想いを、レガリーダはたったそれだけの言葉で片付けた。……裏切られてから考える?
『まだ裏切られてないんだろ? だったら本当に裏切られる時まで一緒に居ればいい』
「でも、そんなの耐えられないから、だから私は!」
『ならそれで裏切られたら、それこそ復讐だ。――俺の最後の力をやろう。この力で、今度こそ全力で復讐だ』
ほわん、と再び暖かい魔力が辺りを包み、次第にレナの魔力と重なり合う。一つになっていく。
『それで、裏切られるその日までは、その力で、精一杯その彼を支えてあげればいい。俺の力で、俺と一緒にだ』
「父……さん……っ……!」
『最も、お前が信頼する様な人間だ。裏切るなんて到底思えないけどな』
「私は……私は、そんな出来た人間にはなれてないよ……あの日からずっと、私はあの時のままで」
『レナ』
スッ。――レガリーダがゆっくりとレナに顔を近付け、その手を伸ばす。やはり触れられないが、暖かいのは気のせいではない。
『お前は俺の、自慢の娘だ。大丈夫、出来る。必ず歩き出せる』
「父さん……でも、もう」
『さあ、俺に出来るのはここまでだ。後は、お前次第だ。……お前が、本当にしたい事を、するんだ。俺に捉われるな、あの街の出来事に捉われるな、お前は俺じゃない。お前の人生はお前だけのものじゃないか。お前の、好きに生きるんだ』
フエノガージ防衛線は、予想以上に苦戦を強いられていた。
ゆっくりと歩いているので意外と到着しない炎の巨人。その巨人がモンスターを呼び続けているのか途切れる事のないモンスターの襲来。大元である巨人を倒せば終わりそうなものだが結局そのモンスターの襲来を防いでいたらこちらからの攻勢に出られない。
我慢の時。耐える時。――ライト騎士団の精鋭ならば可能な戦術であったが、
「はあっ、はあっ……くそ……っ!」
ただ一人限界を飛び越えて気力だけで戦う人間が。――ライトである。戦闘開始から幾ばくか時間が経過したが、未だにエクスカリバーを持ったまま。消耗は計り知れない。
「っ……陣形変更! ドライブさん、マスターの護衛に入って!」
そしてついにネレイザが独断で隊員を動かす。理由は勿論、
「マスター、お願い! もうエクスカリバーを仕舞って! 後は私達が頑張るから!」
ボロボロのライトを思っての事である。――外からのダメージは少ないが、エクスカリバーを使い続ける事で体力魔力は既に空も同然の状態。
「まだだ……まだ、大丈夫だ……」
「大丈夫じゃないだろう。倒れた姿を見せて、レナに何を伝えるつもりだ。長、長の想いは十分にわかった。レナの様に動けるかどうかわからないが、今は俺が護衛で長を守る。だから休んでくれ」
勿論ネレイザだけじゃない、全員がライトの限界を察している。だからこそドライブは直ぐに指示に従いライトの隣に来た。
「それでも……俺が、やらなきゃ……ここだけは、俺がやらなきゃいけないんだ!」
その叫びと共に、エクスカリバーが再び光る。――まだ光る。まだ光らせられる。命を削っている様にも見えるその力で、ライトは敵を……レナの想いを、見定めていた。
「ォォォォォオオオ……!」
「っ! 巨人の攻撃、来ます! 全員防御を!」
そしてついに巨人の攻撃が射程範囲に入った。マークの号令で各々が動きを変え、
「お前は、俺が、倒すっ……!」
「長っ! 止まれ、無理だ!」
ライトはより一層エクスカリバーを光らせ、巨人に向かって行く。――ライトの勇者生命を懸けた戦いが、幕を開けた。