第二百八十五話 演者勇者と普通が決められた街8
どうしてこんな事になってしまったのか。――サラフォンは、自分の無力さをただただ噛み締めていた。
イシンマへやって来て、食事会に参加して、宿へ戻ると急に激しい眠気に襲われ、そのまま気を失った。目が覚めたら、この部屋――滞在していた宿とは違う、見覚えのない部屋――に居た。ハルは居なかった。
目を覚まして少しして、レーヨが姿を見せた。そして交渉をしてきた。この街に滞在し、ラーチ家の力でこの街の発展に手を貸して欲しいと。自分の息子と婚約し、正式にこの街の人間になって欲しいと。――ラーチ家はハインハウルス家とも太い繋がりのある大きな家。その力が欲しいのは一目瞭然であった。
当然サラフォンは断る。だがいつも隣にいるハルの存在が確認出来ない。――ハルは、人質状態になっていた。身の安全を確保したければ、話を受けろ、と。要は脅迫であった。
その脅迫に困惑していると、考える時間を与える、ゆっくりと考えて欲しい、逆に話を受けてくれるのならば、最大限の持て成しと立場の保証をすると言われた。
勿論だからといってはいじゃあ婚約します、という考えには至らない。サラフォンの帰る場所は、ハルの帰る場所は、二人が居る場所はここではない。でも、ハルが人質に取られている。自分次第で、ハルの運命が決まる。
どうしたらいい? こんな時相談出来るはずのハルが居ない。レーヨとて、いつまでもは待ってはくれないだろう。
「ライトくん……」
唯一の望みはライト。予定の日付を過ぎても戻ってこない事を知れば、当然動き出す。そういう人間だ。必ず助けに来てくれる。それを願い、それを信じる。
だが同時に、それ以上の大きな何かがこの街には働いている。そんな気がしてならない。その不安が、サラフォンの中で蠢いており、困惑に負けそうになっていた。――そんな時だった。
「この部屋に置いておけばいいのか?」
「ああ、そうらしい」
「どういうつもりなんだろうな……」
「おい、余計な事を考えるな。俺達も消されるぞ。俺達は従ってるしかないんだ」
「……そうだな」
そんな会話がドアの向こうから聞こえた――と思った直後、ドアが開き、ドサッ、と何かが部屋に放り込まれた。直ぐにドアが閉まる。
「あ……え!?」
放り込まれたのは、スティーリィだった。
「スティーリィちゃん!? 大丈夫!? スティーリィちゃん!」
急ぎ駆け寄り名を呼ぶが、反応がない。
スティーリィがここに居るという事は、ハインハウルス本国が動いた可能性――ライト騎士団が動いた可能性が高い。それはサラフォンとて直ぐに察せた。だがこの再会。
サラフォンもスティーリィの強さは聞いていた。そのスティーリィが、こんな状態であっさりと雑に囚われの自分と同じ部屋にガラクタを片付ける様に放り込まれた。それがどういう意味か。
「あ……ああ……あああっ……!」
その意味が心の中に浸透する。――絶望が、浸透する。サラフォンは、ただただその場に泣き崩れる事しか出来ないのであった。
「あ……あ……ああ……」
倒れたドゥルペを前に、へなへな、とゆっくりと尻餅をついてしまう女。「仕掛けた側」なのに、その事実を前にして、顔色も良くなかった。
「…………」
一方で男の方は冷静だった。倒れたドゥルペの頬をぺしぺし、と軽く叩き、ドゥルペが反応しないのを確かめる。
「俺達の仕事はここまでだ。人を呼ぼう」
そう言って次のステップに入ろうとするが、女の方が動かない。ハッとして見れば、目には涙が浮かんでいた。
「いつまで……こんなことを、してればいいの……?」
「期限なんてない。俺達に定められた日常がこれなんだから」
そう、彼らはお告げに――マニュアルに、従っただけ。
「この人、凄くいい人だった……こんな私の事、優しい人だって言ってくれた……なのに、私……っ!」
「目を覚ませ、よく見ろ! こいつは人じゃない、魔物だ! モンスターだよ! 生かしておく道理なんてないんだよ!」
「それが貴方の本音ですか? 残念です」
「!?」
その声にハッとして見れば、いつの間にか部屋には獣人――ロガンが立っていた。……と思ったのも束の間。
「申し訳ないですが、僕らも無抵抗でやられるわけにはいかないので。というよりも、それ相応の覚悟の上での行動ですよね?」
「っ!?」
男の首元に、人の背丈程ある大鎌の刃――ロガン愛用の武器である――が充てられていた。
「お気持ちはわかりますよ。確かにそちらからしたら、僕も彼もモンスターかもしれない。でも僕から言わせたら、無抵抗の彼をこんな目に合わせられる貴方が、この街が、この仕組みがモンスターだ」
「あ……っ!」
鎌の刃が更に近付く。一歩でも一ミリでも動けば、男の首が斬れてしまうだろう。――冷静な口調とは裏腹に、ロガンの怒りが滲み出ていた。
「待って下さい! 私も……私も同罪です!」
と、そこに割り込むようにロガンにしがみ付いて来たのは女の方だった。
「どうにもならなかったんです! 私も彼も! 自分の身可愛さに、貴方の仲間を……私を優しいと言ってくれたこの人をこんな目に……! 私も受けます、貴方の恨みを! だから、どうか彼の命だけは……!」
「やっぱり、お姉さんは優しい人ッスね」
「え……!?」
むくり、と気を失っていたと思われたドゥルペが体を起こした。
「そこのお兄さんの言う通り、自分達、モンスターって言われても仕方ない種族ッス。現に、この水飲んでも、直ぐにこうして回復するんスから」
ドゥルペが飲んだ水は、睡眠薬と痺れ薬が混ざった品。それが効かなかったわけではない。要は、ドゥルペのその手に対する回復が尋常ではないレベルの速さなのだ(効いた振りとか演技とかはドゥルペは下手なので出来ない)。
「ロガン、武器を下ろすッス。もう、この人達じゃ自分達をどうする事も出来ないッスから」
「……甘いよ、君は」
「ロガンが居てくれるからッスよ。だから安心して、自分は甘くなれるッス」
その言葉に、溜め息ながらロガンは男の首元から鎌を遠ざける。
「でも、その代わりに貴方達に訊きたい事があります。流石に正直に答えてくれない場合は」
ロガンが鎌を握り直し、男を見る。ドゥルペも、流石にそれに関しては口を挟まない。
「まず、どうして僕らを狙ったんですか?」
「モン……あんた達の方が狙い易いからって言われたんだ。失敗しても隠蔽もし易いって。だから水を貰いに来た時に、絶好のチャンスだと思って。逆に……失敗したら、俺達の身が」
「成程。では次に……僕らは、大切な人を探しに来ています。この街で消息を絶った、ラーチ家の方です。御存知ありませんか?」
「家の名前を言われても……正直、ピンとは」
「私……心当たりが、あります」
男が返答に困っている時に、女の方がそう切り出す。
「偶然見た事があるんです、そのラーチ家の方かどうかはわかりませんが、この街で、それなりに位が高い方が「連れていかれる」場所を。迂闊に手が出せない、でもこの街からは逃がさない、そういう方なんですよね、お探しの方はきっと」
「可能性はあります。――教えて下さい。それは何処です?」
「この宿を出て、領主様のお屋敷の――」
サクッ。
「……え?」
直後、女の体に、何処からか飛んで来た鋭い矢が刺さった。
「あ……が……っ」
ドサッ。――そしてそのまま、力なく女はその場に倒れた。
「しまっ……何処からだ!?」
油断していたつもりはなかった。だがロガンもドゥルペも、男の言葉、女の言葉に意識を割いてしまい、この場でこれ程までに適格に暗躍されるとは思って無かったのだ。そして何より、攻撃が鋭かった。プロの仕業。
「ロガン、そのお姉さんをイルラナス様に見せるッス! イルラナス様なら、あるいは!」
「っ! わかった、気を付けろよ!」
ロガンは意図を汲み、女を抱き抱えて部屋を出て走り出す。一方のドゥルペは窓を開け(ここは三階)迷わず飛び出す。――ヒュンヒュンヒュン!
「うおおおおおお!」
キィンキィンキィン!――ドゥルペに向かって飛んで来る鋭い矢だったが、ドゥルペは愛用の剣を握り、その矢を正確に弾き飛ばしながら一本の木の上に着地。
「っだあああ!」
ズバァン!――ドゥルペ、更にジャンプし、今度は剣を大きく振りながら着地。地面に衝撃波が走り、
「逃がさないッスよ」
「!」
その場から退却しようとしていた射手を射程内に捉える。射手の足が止まった。
「一、自分は無駄な傷付け合いは嫌いッス。剣を覚えて強くなったのも、格好よく弱い者を守りたいからッス。二、自分、怒るのも嫌いッス。笑顔で仲良くなれたらそれに越したことは無いッス」
「な……何を言って」
「何であのお姉さん、撃ったッスか? 命を奪う様な事、したッスか?」
「我々は……命令には、逆らえない」
「どんな命令だったんスか?」
「この街の……秘密を、守る。外部に漏らす事は、あってはならない」
「殺せって言われてないじゃないッスか」
「!」
「他に方法はあったはずッス。それ程の弓の腕なら、殺さない方法があったはずッスよ。――逆らえない命令に逆らったら当然自分に返ってくる。それは馬鹿な自分でもわかるッス。でも、その中で足掻く事が出来ない奴は、最後まで戦う事が出来ない奴は」
「五月蠅い、黙れっ! モンスターの癖に!」
「あ、それもよく言われるッス。自分五月蠅いって。――でも、そんな馬鹿で五月蠅い自分を、イルラナス様は、レインフォル様は、ロガンは、傍に置いてくれたッス。認めてくれたッス。それは、自分が頑張ったからだと思って、そこだけは自分、胸を張って生きてるッスよ。だから――」
射手がバックステップしながら、弓矢を射る。ドゥルペも身構え地を蹴り、間合いを一定以上開かせない。
「――今日、今だけ、ちょっとだけ、怒るッス。お前に、この街に、この街を作ったあの人に」
ズバァァン!――ドゥルペが振り切った剣から、再び激しい衝撃波が走った。その衝撃波が、射手の放った矢すら巻き込み、射手を吹き飛ばす。
「自分、負けないッス。友達を守る為ッス。仲間を救う為ッス。大切な人の為ッスから」
それは――避けられない、開戦の合図となった。