第二百七十八話 演者勇者と普通が決められた街1
コトッ。――静かな部屋に、チェスの駒を置く音が鳴る。
「チェックメイト」
駒を置いた方の女性がそう告げる。対面の男性は盤面を見て少し考え、やがて大袈裟にお手上げポーズ。
「何度やってもお袋には勝てないな」
「それぞれの駒の特性、それぞれの駒が出来る事、得意な事。それを知って、動かすだけ。闇雲に動かしても駄目よ」
「そんな事位わかってるさ。俺だってルールを把握してやってるんだ。それ位、母さんが動かすのが上手って事だよ。駒も、人も」
ふと窓から外を見る。見晴らしのいい窓からは、賑わう街の様子が伺えた。
「貴方にもちゃんと教えてあげるわ。正しい駒の使い方を」
「俺には向いてないよ。というか折角ストレスが無くなったのに今度は毎日それのお勉強? 勘弁してくれ」
男性の方は苦笑する。
「駒を動かすのは、母さんに任せるよ。それこそ、得意不得意があるなら、俺は不得意だ」
「そう。まあ、私は「あの人達」と同じ失敗はしないわ」
「あの人達」――そう口に出した時、一瞬だけ暗く鋭い目になってしまう事に彼女は気付いていない。
自分の力を過信して、自分の世界を信じて堕ちていくなんて有り得ない。私は――コンコン。
「申し上げます。ミナエルと名乗る方が面会を申し出てますが」
「私のお客様よ。お通しして」
「畏まりました」
女性は待ってましたと言わんばかりに立ち上がり、客人を出迎える為か、部屋を後にする。
「…………」
男性の方は、もう一度窓から外を見る。賑わう街の様子。その全てが、彼女の――
「憂鬱だよぉ」
タタスキア家の事件から少ししたある日。ライト騎士団団室でテーブルに突っ伏してどんよりとしているのは。
「……サラフォン? どうかしたの?」
「あ、ライトくん……ライトくん、良家の令嬢に転生する気ない……?」
「うーわ勇者君、ギリギリの所でハーレムに手を出さないと思ったらそういう願望が」
「断じてない」
何を言い出すんだこの二人は。……というか、
「サラフォン、本当にどうした?」
その言葉の通り憂鬱っぷりを隠さないのは、ライト騎士団所属魔具工具師・サラフォンであった。
「この度、サラはラーチ家の代表として、イシンマへと足を運ぶ事になっておりまして」
と、補足してくれたのはハルである。――そう、忘れがちになるが、サラフォンはハインハウルス国にある貴族・ラーチ家の一人娘である。ご令嬢である。
「何処からかサラが勇者様の騎士団の一員として活躍していると耳にしたらしく、サラの来訪を熱望しているのです」
「へえ、凄いじゃないか。俺も鼻が高い」
仲間が優秀だと有名になる。サラフォンは特に隠れがちな存在なだけに嬉しい評価だった。
「ボクの仕事を評価してくれるのはボクもいいんだけど、でもそれとこれとは別だよ……お父様もお母様もどうしてもスケジュールが調整出来ないって……ボクがそんな街の偉い人と会談してああだこうだなんて出来るわけないよ……」
「ラーチ家は昔からイシンマとは深い交流がありまして。そのイシンマの記念祭の時に、ラーチ家も出席しなければならないのです」
イシンマ。ライトも聞いた事がある、それなりに大きな都市だった。――うーん貴族の付き合いか。こればかりは助けてあげられない。
「ちなみにハルは?」
「同行します、従者として。流石に心配ですから」
軽く溜め息をつくハル。中々ハルから独り立ち出来ないサラフォンである。まあでも、こういう経験を重ねないと強くはなれないだろう。
「サラフォン、安心なさい。私もイシンマの代表とは面識がありますわ。穏やかで優しい方でしたわ。落ち着いて、リラックスしても大丈夫ですわよ」
年下ながら立場上経験豊富なエカテリスが励ます。流石にエカテリスの励ましを無碍には出来ないのか、サラフォンも起き上がり、エカテリスにイシンマについて詳しく尋ね始める。
「あの、ハルさんそれっていつ頃までに戻ってこれます?」
と、ハルにそう尋ねるのはネレイザ。表情は真剣そのもの。
「ご安心下さい。六日程で戻ってくる予定です。十日後には十分間に合いますから」
「良かった……ってあっ、ごめんなさい! つい自分の事ばかり」
「大丈夫です。ネレイザ様のお気持ちはわかりますから。それに、それは私達ライト騎士団全員の評価に関わる話。私も団員として、協力を惜しまないのは当然です」
直ぐにハッとして謝るとネレイザと、それを笑顔で宥めるハル。
というのも、近々ネレイザが主となって出向する「演者勇者」としての任務があった。ヨゼルドがネレイザの事務官としての日々の努力を汲み取り、基本自分がほとんど道筋を立てて用意するライトの公務を、かなりの部分ネレイザに任せる形を取った。
ネレイザにとっては大きな飛躍となる任務となり、そしてライト騎士団、演者勇者ライトとしてもかなり大きな任務となっていた。そしてそれのハインハウルス城出発が十日後だったのだ。
「ネレイザちゃん、大丈夫? 私何手伝う? 何でも言っていいよ」
「……レナさん何でそんなに協力的なの?」
「だってこれ成功したら出世してネレイザちゃん事務官騎士団卒業でしょ? 最後の晴れ舞台」
「だーっしないわよ! 寧ろ出世してレナさん要らなくなる位の人員確保してみせる!」
そんないつもの微笑ましい(?)やり取りが、その時はまだ繰り広げられていたのだが……
「国王様!」
「わかっている。馬車が遅れているとかその様な確認すら取れない」
サラフォンとハルが出発して、既に七日経過。つまり、昨日帰ってきているはずなのに、二人共未だその片鱗すら見せない。ライト騎士団は二人を除いて全員玉座の間へ。ヨゼルドも真剣な面持ちでライト達を出迎える。
「イシンマで何かあったという報告もない。行きで消息を絶ったのか、街で消息を絶ったのか、帰還で消息を絶ったのか。――勿論既に調査は開始しているが」
既に七日が経過している。色々な事態を予測しておかなくてはならない。
「……っ」
ライトは必死に考える。現状どうするのがベストなのか。――勿論サラフォンもハルも大事な仲間であり、何もしないで報告だけを待つなんて到底我慢出来そうにない。
だがもう直ぐネレイザ主導の公務も控えている。客観的に見ればサラフォンとハルがいなくてもこの公務は可能。勿論主役は勇者であるライトなのだから、団員が数名いなくても周囲には何もわからない。
しかしながら当然だからと言ってあの二人いなくていいか、という気持ちにはならない。無事かどうかすらわからない状態で放ってなど置けない。直ぐにでも探しに行きたい。
ただそうなってしまうと、今回の重要な公務に大きな支障、更には中止、欠席という事態が起きてしまう。ライトは自分は兎も角、ヨゼルド、ネレイザの責任問題になるのは避けたい所だった。特にネレイザが本当に今回の為に頑張っていたのは近くでずっと見ていた。下手なすれ違いで取り止めなどにはしたくない。
どっちが大事か。いやそんな考えは嫌だ。――どうすれば「両方上手くいく」のか。逆に考えれば、後数日はある。
「国王様。もう直ぐ俺……ライト騎士団、公務が控えてますよね」
「うむ。――緊急事態だ、中止にしても」
「いえ、それだけは。――ただ、上手く引き伸ばして貰いたいんです」
ならば答えは一つ。――サラフォンとハルを見つけて、そのまま公務へ直行するしかない。
「わかった。出来るだけの事はしよう。――頼んだぞ、ライト君」
ヨゼルドも意図を汲み、直ぐに指示を飛ばす為か、玉座の間を後にする。
「ネレイザ」
「大丈夫よマスター、国王様が引き伸ばしてくれたら、現地入りが遅れても少し位は形に出来るから」
「ネレイザは他の皆と先に現地入りして公務の下準備を始めててくれ。――イシンマには、俺とレナで行く」
その発言に、レナは「おー、そう来るか」と軽く一言。他の仲間達は一瞬驚きの表情を見せ、そしてネレイザが直ぐにライトに詰め寄る。
「マスター、私だってサラフォンさんとハルさんが心配よ!? 公務なんて失敗したって――」
「俺は両方成功させたい。下準備に色々時間がかかるはずだよな? だから他の皆と一緒に先に行っていて欲しいんだ。皆の協力を上手く使ってくれ。――皆にも、ネレイザのサポートを頼みたい。お願いしていいかな?」
確実なのは全員でイシンマに行く事なのは重々わかっている。でもライトは、どうしてもこの選択肢を選びたかった。――次、ネレイザにここまでのチャンスが来るのがいつになるかなんてわからないのだから。
「正直に言えば私は反対ですわ。――でも、ライトがそこまで言うのなら」
「私は団長を信じます。必ずお二人を共に連れて来て下さい。全員で参加しましょう」
「イシンマに関しての出来る限りの資料を準備します。――ライト様、レナさん。ハルさん、サラフォンさんを宜しくお願いします」
「長、逆に言えばこちらは任せてくれ。微力ながら俺も出来る限りの事をする」
「いざとなれば我は転移魔法で何とかイシンマまで移動しましょう。架け橋はお任せ下され」
次々とライトに同意していく仲間達。――残るは、
「……っ……」
険しく複雑な表情をしたネレイザのみ。
「ネレイザ」
そのネレイザに対して、ライトは優しく視線を合わせる。
「ネレイザが心配してくれるのはわかるし嬉しい。でも、俺はどうしてもネレイザの努力を、無駄にしたくないんだ」
これはライトとしては無意識の行動であるが、やはり奥底には「報われない努力」を信じたくない本音が混じっている。トラウマは解消されたとはいえども、信念はそう簡単に変わる事はない。
「ハルとサラフォンは、必ず俺が迎えに行く。それで皆と合流する。全員で、全部成功させたい。偶には欲張ってもいいよな? だから、俺の事を信じて欲しい」
真っ直ぐにそう言われ――自分の事を真剣に考えてくれた答えを告げられ、ネレイザは折れる。ふーっ、と大きく息を吐くと、
「信じてるわよ。マスターの事、皆よりももっともっと信じてる自信がある」
「ネレイザ――」
「必ずハルさんとサラフォンさん連れて合流してよ!? 二人はおろか、マスターも居なくなるなんて死んでも許さないからね!」
そう力強くライトに言い放った。本人は、涙目すら隠しているつもりで。
「わかってる。――全員揃って、ライト騎士団だからな」
だからライトも、出来る限り安心させたくて、そう力強く頷き返した。
「直ぐに前半、マスター抜きのスケジュールを組み直します。皆さん、協力をお願いします」
ネレイザは仲間達にそう告げると、一足先に速足で玉座の間を後にした。
「ほいで? まあ基本いかなるシチュエーションでも君を守るのが私の仕事なんだけど、君のことだ、もうちょっと具体的な事を考えてくれてるよね?」
そしてそこで唯一、ライトと行動を共にする事を宣告されていたレナがライトに近寄り、その質問をぶつける。――まあ最もな話ではある。ライトの気持ちは買うが、何の作戦も無しに動くのは少々厳しい気がする。そしてそれはライトも重々わかっていて。
「俺個人もレナの事は信じてるけど、にしても俺とレナ、二人だけなのは万が一を考えると厳しい」
「ま、最もな話だ」
「だからまずは――人数を、集めようと思う」
こうして、ライトに突然の救出任務が降りかかって来たのであった。