第二百七十七話 幕間~もう一つの「おかえり」の始まり
生きるって何だろう。――それは、私の中からギリギリまで消えなかった想い。
生きる目的は無かった。でも、ただ何もなく死ぬのも嫌だった。善でも悪でもいい。生きる意味が私にもあるんだと、いつかわかる気がして、その力を振るっていた。
そして最後に私は出会った。生きる意味。――他の人にどう思われてもいい。これが私が生きる意味だと、私が決めた。
だから私は本気で戦えた。誰かの為に、本気で戦えた。私にも、生きた意味があったんだと、負けた時に感じた。
他の誰かじゃない。私が戦いきれた。もう、それだけで、良かった。
そして――
保護観察とは、対象者の生活を把握し、状況に応じて対象者の更生や自立を支援する立場である。
「と、いうわけでアルファスさん! セッテをよーく見て下さい! 今のセッテはアルファスさんの視察観察を拒否する事が出来ません! つまり、あんなセッテやこんなセッテも見放題なんです! さあアルファスさんはどんなセッテをご所望に――」
「朝から五月蠅えんなもん望んでねえ」
「店長、セッテ、出来たぞ、運んでくれ」
というわけで、ラクレイン家――アルファス宅にて保護観察処分となったセッテと、保護観察をするアルファスと、その二人と同居するフロウの新しい朝であった。朝食当番のフロウが作った品をテーブルに運ぶ。
実際の所、セッテが一度去る前との違いは入浴・就寝・朝食をセッテがアルファス宅でする様になった位で、その他の事はほぼ以前からアルファス宅で行っていたので、新鮮味はほとんどない。
それでも再び手に入れたこの時間、この関係。セッテは幸せであった。表情からは何も伺えないが、願わくばアルファスも喜んでくれていれば。
今回の一連の事件に後悔が無いと言えば嘘になる。自分に想いを伝えて、結果自分の前から去った人もいる。それでも、それに縛られて生きないと決めた。過去に縛られなくてもいいと、「証明したかった」。だから今日もこうして前を向いて――
「……あ」
そこでセッテは気付く。一つだけある、大きな胸の支え。思い残した事。
「あの……アルファスさん」
「お前は保護観察中だって言ってるのに痴女行為をして逮捕とかマジか」
「まだ何も言ってないですしそんな事しませんよぉ!」
でもアルファスが望むなら少し位変態染みた行為でも……じゃなくて。
「私の今の立場上、こんな事をお願いするのは駄目なのはわかってはいるんですけど、駄目元で訊いてみていいですか」
カチャカチャカチャ。――静かな部屋に少しだけ響く、工具の音。
「…………」
ハインハウルス城、魔具工具室。部屋の主であるサラフォンが、いつになく真剣に作業中。傍らには念の為ハルが待機中。
(サラがここまで集中するっていう事は……余程の品なのね)
一般的な工具師が全力集中で作業する内容位なら、世間話をしながら余裕でこなせるサラフォン。そのサラフォンの集中度合いがよくわかるハルとしては、その作業内容に改めて驚く。
「ふーっ……」
キリの良い所まで作業が終わったか、サラフォンがつけていたゴーグルを外し、大きく息を吐く。
「サラ」
「あ、ありがとうハル」
直ぐにハルは飲み物をサラフォンに手渡す。サラフォンはそれを飲み干し、再び息を吐く。
「それじゃ、まずはゆっくり動かしてみて」
そしてそう促された相手は、サラフォンに作業を施された右腕をゆっくりと動かしてみる。多少不思議な感じはするが、それでも自分の腕であるという感触はしっかりと伝わってくる。痛み等もまったくない。
「大丈夫、何ともない」
「うん、それじゃ今度は、軽く魔力を込めてみて。危なくなったら直ぐに止めてね」
そうサラフォンに言われ、今度はゆっくりと魔力を込める。以前は魔力を込めれば直ぐに高威力になり、手加減等は苦手だったが、
「……凄い。微量のコントロールが出来る」
込めてみて直ぐにわかった。以前よりも、抜群に魔力のコントロールがし易い。こんな繊細な匙加減で魔力を込めたことなど今まで無かった。
「それなら、もう少しだけ強くしてみようか」
今度はそう促され、込める魔力を徐々に強くする。以前は込めれば込める程直ぐに体に電流が走るような痛みが生じたが、それがまったくない。
「オッケー、大丈夫そうだね。――力を抜いてリラックスしていいよ。お疲れ様、スティーリィちゃん」
そう言われて、促された人物――「魔導戦士」スティーリィは、魔力を込めるのを止める。お疲れ様と言われたが、驚く程に疲れていない。
タタスキア家の戦いで、アルファスと一騎打ちの末、敗れたスティーリィ。瀕死の状態であったが、「魔導戦士」という特殊な存在である事と、何よりもアルファスが可能なら軍で保護して欲しいという依頼をした為、そのまま保護、治療を施された。
だが彼女は魔導戦士としての機能をアルファスとの闘いで限界を越えて使ったので、肉体にも大きく影響を及ぼし、再起不能かと思われる状態だった。――そこで治療、修復を託されたのが国家一の魔具工具師・サラフォンというわけである。サラフォンは持ち前の技術と、ヴァネッサから託された魔導戦士の資料を元にスティーリィの治療を開始。
前述通り限界を飛び越えて戦った彼女の体はもう普通なら動かす事すらままならない様な状態で、何より命の灯すら消えかかっていた。だがハインハウルスの医療部門の最高峰とサラフォンのお陰で彼女は一命を取り留め、更にはこうして新たに動ける様に全身に手術を少しずつ施されていった。
そして今日はその手術最終日。最も分かり易く魔力を使う右腕の手術、というわけであった。
「これで全部の作業が終わったよ。普通の生活には何の支障も無いはずだし、少しずつ慣らしていけば、ある程度は魔力を使った事が出来ると思う。勿論無理は禁物だけど」
そう言われて、スティーリィはあらためて軽く全身を動かしてみる。――体が軽い。数日前、瀕死になったとは思えない。新しい自分になったと言えば近いか。
勿論良い事ばかりではない。魔力のコントロールがし易くなったとはいえ、あの時の様な膨大・暴走する様な魔力は捻り出しても出てきそうになかった。もしかしたら出来るかもしれない。でもそれをしたら、本当に「終わり」。そんな気がした。
「それから、特に異常は無くても、最低月に一度はボクの所に定期検査に来て。まだまだ不安定、未知の部分もあるから、安全の為にもケアしなきゃだから」
「わかった。ありがとう先生」
そう言って、スティーリィはサラフォンにお礼を――
「――って、先生ってもしかしてボクの事?」
「うん。私を治してくれたし、これからもケアしてくれるから、先生」
「そ、そんな、そんなに凄い事はしてないんだよ? ボクはまだまだだし、えっと」
褒められて感謝されて、照れるサラフォン。――実際、本当に誰からも認められるべき超一流の腕の持ち主なのだ。
「あっ、でもスティーリィちゃんならボクの魔道具使いこなしてくれるかな! まずはこの痛っ!」
パァン。――何処からともなくサラフォンが何かを取り出そうとする前に、ハルのハリセンが走った。
「スティーリィ様。メンテやケアにサラを頼るのは構いません、寧ろ重要な事ですが、スティーリィ様の状態とは無関係な魔道具を勧められた時は遠慮なく拒否をして下さい。キリがありませんので」
「わかった。貴女は調教師でいいの?」
「断じて違います!」
ハルはハリセンでツッコミを入れるのが癖になっていたが、知らない人からすると調教師に見えるらしい。――違う方法を探さないと駄目ね。
「それで、私は何処の戦場に行けばいいか、先生とメイドさんは知ってる?」
「……戦場?」
「戦わせる為に治してくれたんでしょ? でなきゃ治す理由がない。――別に恨んでないよ。今までもそうやって生きて来たんだから、今更何も思わないし」
当たり前の表情でそう尋ねて来るスティーリィ。対し、サラフォンとハルは一度顔を見合わせると、クスッ、と笑った。
「? 何か変な事言った?」
「スティーリィちゃん、スティーリィちゃんこれから行く所は、びっくりする様な所だよ」
「寧ろ、違った意味で激しい戦場なのかもしれません」
「? ? はい?」
「俺はライト。こっちがレナ。宜しくな、スティーリィ」
更に数日後。ヨゼルドから依頼を受け、ライトとレナはスティーリィを「目的地」まで案内する事に。
「うん」
スティーリィは新調された装備と、大き目のリュックを背負って頷く。――タタスキア家の騒動の時、ライトとレナはスティーリィには遭遇していないので、正式にこうして顔を合わせるのは初めてだった。
魔導戦士なる存在、過去の事は簡単にだがヨゼルドから説明を受けている。スティーリィ曰く「自分が何歳かは忘れた」らしいが、見た目からしても二十歳前後、場合によってはネレイザ、エカテリスと変わらない十代後半かもしれない。その年齢と過去を照らし合わせると、当時の事を知らなくてもライトとしても胸が痛くなる。
「でもそっか、貴方がライト。先生やメイドさんが言ってた、凄い人だって。――何かあったら言って。凄い人に恩を売っておけば自分にも返ってくる」
「ははは、覚えておくよ」
まるで悪びれず隠しもしないストレートな言葉に、ライトも笑うしかない。
「スティーリィちゃん、勇者君はね、戦闘の駒は私達で事足りるから、夜の営みで貢献すると喜んでくれるよ」
「あ、そうなんだ。今度勉強しておく」
「しなくていい! それから俺の護衛嘘を吹き込むんじゃないいつもながら!」
「だってスティーリィ可愛いじゃん」
「可愛いけどそれとこれとは別!」
出発に伴い、身嗜みも整えたスティーリィは確かに美少女だった。……いやだからって何でもその方向に持ち込むのはいかん。
そんないつもの(!)会話をしながら歩き、到達したのは。
「はい、ここ。ここがスティーリィの出向先」
「? お店しかないけど。パン屋に酒屋に武器鍛冶に」
スティーリィがキョロキョロしていると、その武器鍛冶の店のドアが開き、
「スティーリィ!」
ダダダダ、ガシッ!――女性が一人飛び出し、走ってスティーリィに抱き着いた。
「良かった……! 無事で、無事でまた会えた……!」
「セッテ? 何でここに居る?」
そう、抱き着いたのは短い期間だが一緒に暮らし、心を開き合った相手であるセッテであった。
「おう、来たか」
「お疲れ様です、アルファスさん」
そしてその様子を確認する様に後からアルファスとフロウが店から出てくる。
「? 剣聖に死神もいる」
「その呼称で呼ぶのは止めてくれ」
「同じく」
アルファスとフロウが同時に苦笑した。
「スティーリィ、今日から君も、セッテさんと一緒にアルファスさんの所で保護観察処分だから」
「セッテに感謝しろよ。どうしてもって言うから何とかしたんだよ」
そう、これはセッテがどうしてもとアルファスに頼み込んだ結果、アルファスがヨゼルドに話を通し、実現した形である。――お礼にセッテが何でもしますどうぞ好きにして下さいと迫ったが何もしないアルファスがいたのは余談。
「? どうして? セッテに護衛はもう要らないでしょ? だからもう、私は要らないはず」
「そんな事言わないで下さい! スティーリィは、優しい子で、一緒に居て楽しかった、嬉しかったんですから!
「セッテ……?」
「これから、また一緒に暮らしましょう? 平和で、楽しくて、幸せな日々、目指しましょう?」
「……あれ?」
その言葉をセッテから貰った時、スティーリィの目から、涙が零れた。
「うん? あれ? 何でだろ?」
本人はどうして流れているかもわからない様子。でもそれは、
「そこで泣けるならセッテにとって、お前は不要なんかじゃないんだよ。――今はわからなくても、その内わかる。こいつと一緒にいればな」
「そっか。わかった。――ありがとう、セッテ」
そこでようやくスティーリィが抱き返した。――しばらくして、抱擁を終える。セッテの目からも、涙が零れていた。
「じゃあ私、今日からここで暮らす? 誰と戦うの?」
「自分から戦闘を仕掛けるような場所じゃねえ。安心しろ、お前向けの仕事も考えた」
「とりあえず、スティーリィの部屋を案内しますね。それからご飯にしましょう」
「ご飯。うん、ご飯にする」
自然とセッテとスティーリィが手を繋ぎ、アルファスの店の中へと入って行く。
彼女がどれだけの過去を抱えて来て、どんな想いで今まで剣を振るってきたのか、それは誰にもわからない。
でも、彼女の人生は、今日この瞬間から、新しい道を歩き始める。新しく、そしてようやく出来たかけがえのない人達と共に。
手を繋いで歩くその後ろ姿を、ライトとレナは最後まで見送るのであった。