第二百七十六話 誰よりも、君の幸せを願う26
タタスキア商会から始まり、タタスキア家の強制捜査からの悪事発覚は、ハインハウルス国でも大きなニュースとなった。
関連者は漏れなく事情聴取、逮捕者もタタスキア家当主、その妻、そして息子に始まり、かなり多岐に渡る結果となる。勿論一番はその悪事を悪意なく回していた当主とその妻であり、巻き込まれる形になった者も大勢いた。それでも、わかっていて加担した者も少なくなく、ハインハウルス軍は強制捜査後もその事でしばらくの間慌ただしい日々を送る事になった。
そして――逮捕者の中には、当主の息子の婚約者であったセッテも含まれていた。
「国王様。連れて参りました」
「うむ」
ハインハウルス城、玉座の間。ライト騎士団所属騎士・ソフィに連れてこられたのは、拘束具で両手の自由を奪われたセッテ。ヨゼルドの前で両膝をつく形になると、
「ソフィ君」
「はい」
ヨゼルドがソフィに合図を出す。するとソフィはそのままセッテの両手の拘束具を外した。
「セッテ君。――君に会うのが、この様な形になるのは、私としても非常に残念だよ」
「本当に、申し訳ありませんでした」
ゆっくりと深く、セッテは頭を下げる。
「頭を上げたまえ。――事情は全て伺っている。君が、巻き込まれた当然の事も」
頭を上げようとしないセッテを、ソフィがポンポン、と肩を叩き促す。そこでやっとセッテは頭を上げた。――ヨゼルドの言う通り、ほぼセッテは巻き込まれただけ。それなのに、本当に自分が悪かったと言わんばかりの表情で、セッテは謝罪の体制を崩さない。
「私個人としては、何もなかった事にしたい位だが、残念ながら既に君はタタスキア家長男の婚約者で、会社の一つに名前を連ねてあった。――それも巻き込まれた形なのだとは思うが、それでもそうなった以上、何もしないで終わりには出来ん」
「わかっています。公平な判断をお願いします」
覚悟の目で、セッテはヨゼルドを見た。その目を見て、ヨゼルドも正式に処置を決める。
「セッテ君。君は保護観察、という形を取ろうと思う」
「保護観察……? 具体的内容を伺っても」
「ラクレイン家という家がある。そう大きな家ではないが、私とヴァネッサが以前、家名を与えた信頼出来る家だ。そこの当主に、一度君の事を託そうと思う。そこからは君次第になる」
つまり、ラクレイン家が保護者となり、しばらくの間セッテの面倒を見る、という事である。ラクレイン家の人間が観察し、反省と贖罪が認められた時、ヨゼルドに再び話が行き、セッテの罪が消えるのだ。
勿論どれだけ年月がかかるのかはわからない。その間、元の生活には当然戻れない。――この街からも離れる事になり、大切だった人達に会う事は許されないだろう。
「寛大な処置に、感謝します」
それでもそれは、客観的に見れば随分と寛容な内容であり、セッテは許された形である。ヨゼルドに対しては、感謝しかないのは事実であった。精一杯の気持ちを込めて、セッテはお礼を言う。
「セッテ君。これは私……私達夫婦からの個人的なメッセージだ。――次会う時は、また君の素敵な笑顔に会える事を期待しているよ。だから、また会おう」
「っ……優しいお言葉、ありがとうございます……!」
そこでヨゼルドのそんな言葉。セッテは再び深く深く、ヨゼルドに頭を下げた。――そもそも、罪の軽い一罪人にこんな風に個別に国王が会うはずもなく、ましてや個人的な言葉をかける事などあるはずがない。今回の催しが、どれだけヨゼルドの優しさかと思えば、涙が零れた。
セッテが頭を下げ続けている間に、ヨゼルドはこの場を後にする。
「行きましょう」
ソフィに促され、セッテは頭を上げ、ソフィの後に続く。――しばらく歩くと、
「あ……」
ライト騎士団の団室前の廊下に差し掛かった。そしてそこに、ライト騎士団全員が整列していた。
ソフィはそこを止まる事無く歩く。ソフィが歩くのでセッテも止まるわけにはいかず歩く。一方のライト騎士団も全員何をするわけでもない。ただただ、整列。出来る範囲内での、セッテの見送りであった。
「ソフィ。――セッテさんの事、宜しくね」
「はい」
一言だけ、ライトがそうソフィに告げ、ソフィも返事をする。そのまま彼らの見送りを背に――
「あのっ! 一礼だけ……させて貰えませんか」
――は出来なかった。どうしても出来なかった。セッテがそうソフィに頼むと、ソフィも足を止め、頷いてくれた。
振り返り、セッテが一礼。堪え切れず何かを言いたそうなサラフォンをハルが止めてる姿は、頭を下げているので見えない。――やはりソフィに促され頭を上げると、セッテは歩き出すソフィの後に続き、姿を消す。
「――これしか方法、無かったんだよな」
「だね。これが国王様の、私達の精一杯だよ」
ライトとレナがそう交わすと、団員も団室に戻るのであった。
城の外には馬車が待機されていた。世話になるラクレイン家での荷物と思われる品が既に乗せられており、ソフィとセッテは馬車に乗る。――ソフィに促されると、馬車は出発した。
「あの……外を見ても」
「その位でしたら。声などはかけないで」
「はい」
馬車はやがて、見慣れた商店街に差し掛かった。そうこの街から離れていたわけではない。それなのにその見慣れたはずの景色がやけに懐かしく、そして愛おしく。――色々な思い出が、セッテの頭を過ぎった。
『自己紹介がまだでした、すみません! 私、セッテといいます!』
『あ、そう。セッテさん? まあ気をつけて帰りなよ』
『えーっと……武器鍛冶アルファス……アルファスさんって仰るんですね! やっぱり!』
『まあ、そうだけど。つーかやっぱりって』
『助けて頂いたお礼がしたいです! 明日からお店のお手伝いに来ていいですか?』
『いや別にそこまでせんでも』
『大丈夫です、微力ながら宜しくお願いします!』
『ちょっと待って君人の話聞いてる!?』
『それに私達、これが運命の出会いなんです! ここで巡り合える運命だったんです……!』
『何でそうなる!? ちょ、誰かいませんかー! 今自分変な人に絡まれてます!』
『アルファスさーん、只今戻りました!』
『え、お前何その両手の荷物。昼飯買いに行くって言ってなかったか』
『良い機会だから近所のお店の皆さんにご挨拶に回ったら、皆さん色々下さって! 親切な方達ばかりですね』
『……ご挨拶ってどういうご挨拶した?』
『これからアルファスさんにお世話になります、末永く宜しくお願いしますって』
『阿呆かお前は!? その言い方じゃ誤解されるに決まってるだろ!』
『アルファスさん真実はいつも一つです! 真実にしましょう! どうぞ末永く宜しくお願いします!』
『お誕生日おめでとうございます、アルファスさん!』
『……待て。何でお前俺の誕生日知ってる?』
『エカテリス様のお付きのリバールさんに相談したら調べてくれました』
『あいつ……』
『というわけで誕生日プレゼントです! これから冬に向けて、セッテ手編みのマフラーですよ!』
『……まあ、貰っておくわ。サンキューな』
『はい! 明日からしてくださいね! そしてセッテの手作りだと皆さんにアピールして下さい!』
『それ必須なら絶対にしねえぞ』
『じゃあ必須じゃないならしてくれるんですね! やった!』
『ぐ……まあ、変な品じゃないからしてやるけど……何か揚げ足取られてる気がしてならねえ……』
『やるじゃないアルファスさん、セッテちゃんの洋服選びデートなんて!』
『酒に酔った勢いでカードゲームで負けただけだ……あとデートじゃねえ』
『アルファスさん! これとこれならどっちがいいですか?』
『右』
『早っ! もうちょっと悩んで下さいよぉ!』
『選んでるんだからいいだろうが。というかお前可愛いんだから大体何着ても似合うだろ』
…………。
『え? 俺何か変な事言ったか?』
『いえいえ、御馳走様、と思って』
『そ、その……アルファスさん、ありがとうございます! えっと……もっと選んで貰っていいですか?』
『アルファスさん! 私、毎日幸せです』
『何だ急に』
『このお店で、アルファスさんと出会って、商店街の皆さんと出会って、お城の皆さんと出会って……兎に角、今幸せです』
『……ふぅん。まあ……お前が幸せなら、別にいいよ』
「っ……」
鮮明に思い出される記憶は、素敵な物ばかり。大好きな人との、かけがえのない思い出ばかり。だからこそ、その景色を見れば見る程辛くなる。
それでもセッテは景色を見る事を止めない。その思い出の風景を、出来るだけ記憶に残しておきたいから。またいつか、笑顔で会える様に。この街に戻ってこれる様に。
と、しばらく進んでいると、馬車が突然止まる。――当然まだハインハウルス商店街の途中。というよりも。
「降りて下さい」
「え?」
「いいから、一度降りて下さい」
ソフィに促され、半ば強引に馬車を一度降ろされる。そこは、思い出が一番多く詰まった場所。
「あ……」
そうそこは、「武器鍛冶アルファス」の店の前。ついこの前まで毎日通った、セッテの全てだった場所。
「…………」
そしてソフィは何も言わない。ただそこに立っているだけ。――でもそれは、
「ソフィさん……ありがとうございます! 行って……来ます……!」
別れの挨拶を、けじめの挨拶をしてきていいという合図。セッテはガバッ、とソフィに頭を下げ、小走りに店へと進む。――ガチャッ。
「いらっしゃいませ――って」
店番をしていたフロウと目が合った。一瞬驚いた顔をしたが、でもタタスキア家の時と違い、優しく笑ってくれ、
「店長、特別なお客様だ」
そう、奥にいるアルファスを呼んでくれた。
「おう、誰だ……って」
そしてアルファスも出て来た。こちらもタタスキア家の時と違い、直ぐに目が合った。
「アルファスさん、フロウさん。――本当にありがとうございました」
二人揃った所で、セッテはお礼を言いながら頭を下げた。――二人は何も言わず、セッテを見守る。
「えっと……その、あれ? 言いたい事沢山あるはずなんですけど」
上手く言葉が出て来ない。気を抜いたら泣きそうになる。でも精一杯の笑顔で、言葉を絞り出す。
「アルファスさん。私は……私は、アルファスさんの傍に居れて、幸せでしたよ。確かにアルファスさんは私の気持ちには応えてくれなかったです。将来を考えたら、アルファスさんの言う通り、違う人と一緒になった方が、幸せだったのかもしれません」
アルファスの想いを汲み取る。大切な人の想いを汲み取る。
「でも、それでも私がここにいれたことで幸せだったことに違いはありません。だから、自分が悪かったとか、後悔とか、しないで下さい。私にだけは、しないで下さい。だって私、貴方に命を救われて、貴方と一緒に居れて、本当に幸せだったんですから。誰が何と言おうと、私は、私だけは、幸せでした」
そして汲み取った上で、アルファスの想いを優しく包み込む。
「私、今度こそこの街から居なくなります。次会えるのはいつになるのか。そんな事を考える資格もありません。でもいつか、また会いに来ます。笑って会いに来ます。その時に、また伝えます。貴方に会えて、私は幸せだったと。貴方に、幸せにして貰えたんだと」
気付けばやはり涙が零れた。それでも笑顔を止めない。笑顔で別れがしたいから。
「今まで、本当に……本当に、ありがとうございました」
そしてもう一度、ゆっくりと頭を下げた。精一杯の感謝を、涙を隠しながら告げた。――ドサッ。
「……はぁ」
表情は確認出来ないが、聞き慣れたアルファスの溜め息が聞こえた。ああ私、また何か変な事言ったのかな――ドサドサッ。
「……?」
大事な場面だったが、どうも先程から後ろに荷物を置く気配がしたので流石にセッテは振り返ってみた。すると、
「ふぅ。これで以上ですね」
ドサドサッ。――兵士と共に、ソフィが馬車に積んであったセッテの荷物をアルファスの店の中に降ろしていた。
「あの……ソフィさん? どうして荷物を」
「どうしても何も、目的地はここですから」
「……え? ここ……はアルファスさんのお店で、私が行くのはラクレイン家の」
「ですから、ここがラクレイン家ですよ」
…………。
「……はい?」
つい素っ頓狂な返事をしてしまった。一方でソフィは何処までも冷静。
「ラクレインは、アルファスさんが剣聖の称号を授かった時に同時に授かった家名です。つまり、アルファスさんのフルネームはアルファス=ラクレインで、ラクレイン家の当主はアルファスさんであり、ここが貴女の保護観察をしてくれるラクレイン家、という事になります」
…………。
「ええええええええ!?」
今までの空気を吹き飛ばすような驚きのリアクションをセッテはしてしまう。ガバッ、とアルファスを見れば、また一つ溜め息。――横のフロウは、笑っていた。
「……俺は当時家名なんていらねえって言ったんだが、ヴァネッサさんとあのおっさんがどうしてもって言って無理矢理持たされたんだよ。将来役に立つからって。――俺の役にはまったく立たねえじゃねえか」
やっぱりあの時剣聖をもう一回名乗らなければ良かった。名乗ったばかりにこの家名も使われた。お陰でこんなわけのわかんない状態にされた。――俺はそういう運命なのか?
「それじゃラクレイン様――アルファスさん、後は宜しくお願いします」
「ああ。――あの二人に言っておいてくれ。もう二度と家名なんて使わねえってな」
「わかりました。一応伝えておきますね」
そこでようやくソフィも笑って、アルファスの店を後にした。――そうなると、店の中にはアルファスとフロウとセッテと荷物。
「さて、それじゃ荷物を運ぶか。セッテ、今日からセッテの寝床は私の部屋の隣の部屋だぞ」
「他の事は……決めるまでもねえか。そもそも入り浸ってた当然だからな」
そう言って、アルファスとフロウは、セッテの荷物を何事も無かった様に運び出した――
「あ、あのっ!」
――ので、流石にセッテは呼び止めた。
「私……ここに居て、いいんですか……?」
「いいも悪いもそういう罪状なんだから他に選択肢ねえだろ」
「一緒に、暮らしていいんですか……? 一緒にお店、また働いていいんですか……?」
「何かあったら追い出すぞ。保護観察なんだからな。そうしたら牢屋行きだ」
「つまり以前と同じというわけだ、ほとんど。店長はお前を追い出したりしないさ」
「そんな保証はねえよ。――というか荷物お前も運べ。お前の荷物だろ」
そこでようやくセッテの中に今回の流れが浸透して来る。同時に、再び溢れる涙と共に、
「っ……アルファスさーーーん!」
勢いのまま、アルファスに抱き着き――スカッ。
「って何で避けるんですか!? 流石に今回は受け止めて下さいよぉ!」
「ほとんど元に戻っただけだってフロウも言ってただろ。俺の態度がいきなり変わるわけじゃねえ」
「そうですけど!」
本当に以前のままだった。流石に感動を期待したセッテは肩透かしとなる。
「――ああ、でも一応一言だけ言っておくわ」
「何ですか?」
「おかえり」
「!」
抱擁をかわされ、いつも通りの表情で、荷物を運びながら、その言葉は告げられた。――何気なく告げられたその新しい言葉は、これ以上ない、確実な新しい一歩で。
「――はいっ! セッテ、ただいま戻りました……!」
その短い一言に込められた優しさを、セッテは全力で受け止める。
「アルファスさん。――私、幸せになりますから。今日からここから、絶対に幸せになってみせます。アルファスさんが、絶対に後悔しない幸せを、この場所で、掴んでみせますから!」
「そか。――ま、頑張れ」
「はいっ!」
そしてセッテは――アルファスとセッテは、新しい一歩を、踏み出したのだった。