第二百七十五話 誰よりも、君の幸せを願う25
誰かを幸せにするって、何だろう。
「いいかトニック。大切な人は、必ず幸せにしてあげるんだ。どんな手を使っても、必ずだ。その為の力が、我が家にはある。お前も、しっかりと勉強して、いつか大切な人が出来た時に、幸せにしてやるんだぞ」
それが父の教えだった。――両親はいつも仲睦まじく、父が母を本当に幸せにしているのが良く分かった。自分にとって理想の夫婦だった。いつか自分もあんな風になれたら。それは昔から思っていた。
ある日、そんな夢を叶えたいと思う人と、出会った。
その人は綺麗で、優しくて、本当に眩しい位の人で。自分とは釣り合わない、出会えたのが奇跡の様な人だった。全て駄目になっても、思い出になってくれたら。そんな気持ちも何処かに持って、彼女に想いを伝えた。
「! 僕で……いいんですか?」
「はい。――こんな私ですが、宜しくお願いします」
「ありがとう……ありがとうございます……! 絶対に、絶対に幸せにしてみせますから……!」
そしてその人は、自分の申し出を、受けてくれた。――わかっている。本当は別に想いを寄せる人がいて、その人を諦める為に自分を選んだだけだと。
でも、今はそれでもいい。いつかその選択が間違いじゃなかったと思って貰いたい。その為に頑張るつもりでいるし、無理強いはしないで、待つつもりだった。
ここから始まる。やっと自分も、両親の様な理想の夫婦を、目指すスタート地点に立てた。……そのはずだった。
「これが、我が家の本業だ。今日から、お前にも裏の仕事を少しずつ教えていくからな」
「嘘だろ……? 何で、こんな事を……!? こんな事しなくたって、タタスキア家なら」
「あら、無理よ? 表稼業だけでこんなに短期間で家が大きくなるわけないの」
自分の家は、両親は、裏稼業――犯罪行為で家を大きくして、幸せになっていた。両親は、それで幸せが育めると本気で思っていた。……理想だった両親の姿が、崩れた。この事を知ったら、自分を信じて来てくれた彼女は、何を思うだろう。自分に対して、何を思うだろう。
でも、自分に何が出来るだろう。この家を捨てる事は出来ても、それでは折角迎え入れた大切な人を幸せに出来ない。
彼女を幸せにしたい。彼女を幸せにしなくてはいけない。ならどうしたらいい? その為に、その為なら、自分は――
――僕は、彼女を幸せに出来るのなら、何だってやってみせる。
「はぁっ、はぁっ、はぁっ……!」
バタン、ガチャッ。――屋敷の奥にある空き部屋に入り、鍵を掛ける。部屋にはトニックと、
「はぁっ、はぁっ……どういう、事なんですか……説明して下さい」
そのトニックに無理矢理連れてこられたセッテの二人だけ。――この部屋は屋敷の中でもかなり分かり辛い所にある。話す時間はあるだろう。
「……セッテさん、落ち着いて聞いて下さい」
流石に誤魔化せない。――トニックは、自分の家が両親が、犯罪に手を染めて家を大きくしていた事。自分が知ったのはつい最近で既にどうにもならない状態だった事を話した。
「それじゃ……ハインハウルス軍が来たのって」
「恐らく決定的な証拠を見つけられたんでしょう。父と母が長年やっていけた様に、向こうも長年かけて調査してきたんだと思います。もっと早く、僕も知っていれば……セッテさんにはもう少し落ち着いてから話がしたかったんです。本当にすみません」
トニックの顔から本当に後悔している様子が伺えた。嘘を言っている様には見えない。そしてそう長い付き合いでもないが、そんな風に嘘が言える人間でもない。セッテはそう感じていた。
「……トニックさん。一緒に、自首しましょう」
だからこそ――セッテはその提案をした。
「…………」
「私、軍の人とも何人か面識があります。国王様とも王妃様ともお会いした事があります。皆さん素敵な方達ばかりです。勿論罪が消えるわけじゃないですが、でも正しく償ってやり直せる機会を与えてくれる方達です。大丈夫、私も一緒です。ですから」
寧ろ他の選択肢などセッテは微塵も頭に浮かばなかった。正直に全てを話して、しっかり償う。自分が無関係だなんて言うつもりも毛頭無かった。トニックと一緒に、罪を償うつもりだった。
「……駄目です」
「えっ?」
だが――トニックに、その考えは、無かった。
「まだチャンスはあります。隠してあるお金ならあります。それこそこの屋敷の外にも。――この事を教わった時に、ある程度の事は父から教わりましたから。それがあれば、やり直せる」
トニックは、初めて手に入れかけていた理想を前に、新しい自分へとなろうとしていた。――追い詰められて、あれ程疑問に思った両親の本当の姿に、近付いてしまっていた。
「何を……言ってるんですか? もう、逃げ道なんて」
「逃げ道もあります。まだこの屋敷の奥に、隠し通路も」
「そういう逃げ道じゃありません! そんな事をして逃げても、直ぐにまた」
「大丈夫です。上手くやります。上手くやってみせます」
「トニックさん! もう――」
「セッテさんっ!」
ガシッ!――強くトニックを呼んだセッテを、更に強くトニックは呼び、両手で両肩を掴む。
「僕は、貴女を幸せにする、そう約束したんです! 貴女を不幸にするわけにはいかない! ここからでも、僕は貴女を幸せにしてみせる、その為のお金も用意もまだあるんです! だから一緒に――」
バァン!――トニックが全てを言い切る前に、突然ドアが開いた。鍵を掛けていたので、鍵ごと破壊する形で。
「それがお前の答えか、クソ餓鬼」
そしてそこには、アルファスが立っていた。横にはフロウも。
「アルファスさん……フロウさん……」
セッテはその名を呼ぶが、やはりアルファスはセッテを見ない。冷静に鋭い目で、トニックを見ていた。――と思った次の瞬間。
「がはぁ!」
バキッ!――アルファスは握り拳で、トニックを殴り飛ばした。勢いのままトニックは二転三転と転がり、壁に思いっきりぶつかる。
「トニックさん!」
条件反射で助けに行こうとしたセッテの前にはフロウが立ちはだかる。太刀をセッテの前に突きつけ、動かさない。言葉なくとも「邪魔はさせない」。そう物語っていた。その真剣な空気に、セッテは動けない。
「約束したよな? セッテを幸せに出来なかったら、全力でぶちのめしに行くって。――こう見えて、約束は守る主義なんだよ」
一方のアルファスはそう言いながらトニックに近付き、見下ろす。――その姿に、殴られた痛みと同じ位の怒りを、トニックは覚える。
「全部……貴方の予定通りだったわけだ」
「あん?」
「剣聖っていう位だから、全部最初から知ってたんでしょう、僕の両親の事も僕の家の事も! だから一旦僕に根負けしてセッテさんを託すみたいな事を言って、こうやって格好つけて取り返しに来て、セッテさんを自分に夢中にさせる! そういう作戦だったんでしょう! まんまと僕は利用されたわけだ!」
ガッ、と立ち上がり、トニックはアルファスに掴みかかる様に抗議。そのトニックに対し、アルファスは再び拳を握るが、
「――止めた。殴る価値もねえ」
拳を開き、トニックの服を掴み、そのまま引き剥がす様に放り投げた。――殴らなかったとはいえ、それなりの勢いで投げ飛ばされたのでトニックは再びダメージが重なる。
「百歩譲って今回の話が俺の作戦通りだったとする。だったとして……なら何で、お前は何もしなかった?」
「え……?」
「本気でどうにかしたかったなら、方法なんていくらでもあっただろ。セッテがどういう人間で、今回の事案が起きて何を思う女か位、惚れたならわかってただろ。幸せにする方法は、探せばちゃんとあっただろ。――幸せにしてやるんじゃねえのかよ! してやりたかったんじゃねえのかよ! 体張って、俺の所に来たのは、こんなつまんねえ茶番を俺に見せる為か!?」
「っ……」
「俺はな、ずっとこいつに幸せになって欲しいと思ってた! 俺じゃ幸せにしてやれねえから、いつかちゃんと幸せになれればいい、そう思ってた! あの時俺の店に来たお前は、確かにセッテの為に命張ってただろうが! それが何だこれは!? お前が幸せにしようとしてたのはセッテじゃねえ、お前自身じゃねえか! セッテの幸せはお前の幸せでも、お前の幸せはセッテの幸せとは限らねえ、そんな事もわからないでセッテを幸せにするなんてほざきやがって!」
ここまで感情を剥き出しにするアルファスを、セッテもフロウも見た事が無かった。何も口を挟めず、ただその行方を見守る事しか出来ない。
そして、傷だらけのトニックの体に、心に――アルファスの言葉が、深く深く突き刺さった。
「――これで、終わりだよ。お前も……セッテも。終わりだ」
だがアルファスは直ぐにいつもの落ち着いた口調に戻った。――トニックは痛みで動けないが、
「それでも……まだ貴方なら、セッテさんを幸せに出来るでしょう……?」
縋りつけない体の代わりに、その言葉でアルファスにしがみ付く。
「セッテさんを助けてあげて下さい……セッテさんを幸せにしてあげて下さい……貴方にしか、もう出来ないじゃないですか……!」
「……トニックさん」
そのトニックの願いが、セッテの心に刺さる。――まだ奥底には、セッテを幸せにしたいという気持ちが溢れていた。方法を見失っても、最後の目的は見失っていなかった。
「……そうだな。俺にその権利があればどんなに良かったか。俺が幸せにしてやれたら、どんなに良かったか」
「何ですかそれは!? ここまでして、そこまで言っておいて! 幸せにしたいんでしょう!? だったら――」
「勘違いすんな。俺は幸せにしたいんじゃない。幸せに「なって貰いたい」んだよ。――俺は自分の歩いて来た道を、後悔し続けてる。もし自分でセッテを幸せに、なんて思えば、きっとまた何処かで後悔する日が来る。もういいんだよ、そういうのは」
振り返れば、自分が幸せに出来なかった人達の顔が過ぎる。自分が幸せにしたかった人から、笑顔が消えた瞬間が過ぎる。自分は他人を幸せには出来ないと言われた瞬間が過ぎる。そして……セッテの笑顔が、過ぎる。
「……ははっ、結局また、俺は自分自身で壊したんだ」
もっとやり方なんてあったはずなのに。もっと早く突き放す事だって出来たはずなのに。もっともっと――幸せになって欲しかっただけなのに。偉そうな事を言っておいて、一番罪深いのは、自分。
「また一つ、俺は大きな罪を犯した。全部、抱えて生きていくよ。これからもずっとな」
そう告げると、ゆっくりとアルファスは振り返り、部屋を出て行く。後に続くフロウ。
「アルファスさん――」
「おう、俺達の仕事は終わった。ありがとうな。――後、頼むわ」
「あっ」
外が落ち着いたのか、仲間達を引き連れ、ライトがやって来た。すれ違いにそう依頼し――
「アルファスさん!」
――帰ろうとした所で、その声。聞き馴染んだそのセッテの声に、一瞬アルファスは足を止めるが、
「…………」
直ぐにまた足を動かし、屋敷を後にした。
こうして、タタスキア家の強制捜査は表向きは任務達成で完璧な終幕を迎えた。
――誰よりも弱い心が離れる事が無かった、一人の最強の剣士の物語は、記録に残る事は無かった。
幸せを、ただ大切な人の幸せを願った。それだけのはずだった物語が、幕を閉じようとしていた。
誰も、幸せになれないままに。