第二百六十六話 誰よりも、君の幸せを願う16
この街から、皆の前から去る。――そう決めてからのセッテの行動は、余りにも早かった。
顔を合わせれば辛くなる。その声を聞けば寂しくなる。そして何より、アルファスに質問が行く。アルファスが責められる。そんな人達が周囲に沢山いて、その光景を見るのも辛い。なので最低限の手紙等を残して、引っ越しとは到底思えない様な速度でハインハウルスの街から去った。
当然、ライト達も知ったのは既にセッテがこの街から去った後であった。代表してかライト宛に手紙が残されており、そこには、これは自分で決めた事だから、決してアルファスを責めないで欲しいと記されてあった。
だからと言ってじゃあ一安心! で何も無かった様に振舞える様なライトでもない。どんな顔で会えばいいのか。触れてはいけない。でも触れないのも何か不自然な気がする。
そんな葛藤をしつつ答えを見出せないまま今日も剣の稽古でアルファスを訪ね、そのままいつもの流れで稽古は始まったのだが、
「おし、今日はこんなもんだろ」
「はっ……はっ、ありがとうございました」
「おう」
そのままいつもの流れで稽古が終わった。アルファスは一ミリのブレもなかった。――あれ。
「レナ、レナの目から見てどうだった? ほら、俺じゃわからない微妙な差とか迷いとかそういうの」
「無いね。まったくもっていつものアルファスさんだよ」
「マジですか……」
念の為に一緒に来ていたレナにも(昼寝を我慢して貰って)確認して貰ったが本当に何も変わらないらしい。唯一変わった事と言えば、
「店長、兄者、レナ、お疲れ様だ」
セッテの代わりに、稽古終わりに飲み物を持って来てくれるのが、フロウになった事位であった。
「……フロウ、その……店での様子はどう?」
「何の変化もない。兄者達も知っている様に忙しい店ではないから店は普通に回るし、店長の鍛冶の腕が鈍っている様子は微塵も見られない。閉店後様子が変とかもまったくない」
「マジですか……」
フロウに確認した事を合わせれば、アルファスの中から本当にセッテが消えた「だけ」であり、何の影響もないという事になる。――と、一応小声で確認していたのだがアルファスにはバレバレだったようで、軽く溜め息をつかれた。
「お前等の言いたい事も考えたい事もわかる。俺だってお前等の立場ならそう考えるよ。でも悪いがセッテとは二人でちゃんと話をしての結果だ。細かい事を言うつもりはないが、あれ以上の答えはもう出てこない。そして俺は、それが現状では最良だと思ってるからな。――まあ、セッテに気を使わせて居なくなる様な形を取らせたのは悪かったと思ってる。別に俺は何を言われても良かったし覚悟は出来てたんだが、そういう奴だよな」
フロウが持ってきてくれた飲み物を飲みながら、アルファスは淡々と語る。――本当に、終わったのだ。現実味が無い。今でも、「そうやって私を無かった事にしようとして!」とか言いながらセッテが飛び出してきそうだった。
でも、本当に出て来ない。――セッテは、もう居ないのだ。
(セッテさん……もう、会えないのかな)
その元気な声がもう聞けない。その寂しさを感じながら、ライトも飲み物を飲むのであった。
「おほん。――セッテ君、タタスキア家の屋敷へようこそ!」
セッテはトニックのプロポーズを前向きに受け進める旨を伝え、トニックの実家であるタタスキア家の屋敷へと引っ越す事となった。ハインハウルス城下町から荷物と一緒に馬車に揺られる事半日少々。エマクレクスという街に建つその屋敷はかなりの大きさであり、タタスキア家の財力の豊富さの象徴とも思われた。
トニックを先導に屋敷のドアを開けば、そこには一組の中年夫婦。
「私はカモウ。トニックの父だ」
「私はルルイ。トニックの母です。ようこそセッテさん」
「初めまして、セッテです。どうぞ宜しくお願いします」
トニックの両親であった。セッテが礼儀正しく頭を下げると、
「そんな堅苦しい挨拶は止そうじゃないか。もっと気楽にしてくれていいんだ」
「寧ろ気楽にしてくれないとこの人が緊張で倒れるわ。セッテさんが来てくれるの、ずっと楽しみにしてたのよ」
「ちょっ、余計な事は言わなくていいんだ」
ルルイの指摘は事実なのだろう、カモウは恥ずかしそうに制止する。トニックに似て、優しそうな夫婦だった。――この両親ありきのトニックというのが、セッテにも直ぐに想像が出来た。
「父さん母さん、話をしたいのはわかるし、僕だって話をしたいけど……まずはセッテさんにゆっくりして貰おう。部屋は」
「勿論用意してあるさ」
合図を出すと執事と思われる人間が現れ、一礼する。更に、
「ウトソン、人選は終わってるか?」
カモウがその名を呼ぶと、奥から体格のいい三十台後半位の男が姿を見せる。鎧を着て腰に剣。
「おー、坊ちゃんの事だからどんな人を連れてくるのかと思ったらこれは驚いた。こんな美人のお嬢さんとは」
「彼はウトソン。我が家の私兵団の団長を任せている。こんなだが腕は確かだ」
「こんなとは酷いなぁ旦那様。そのこんなが旦那様のピンチを何度も救って来たってのに」
「わかっているさ。だから今回もこうして人選を頼んだんだ」
その軽口が逆にカモウの信頼を表しているのは、セッテでも直ぐにわかった。剣士としての腕はどうなのだろう。アルファスなら直ぐにわかる――
(――っていけないいけない、余計な事を考えたら)
ぶんぶん、と首を振って浮かんだ顔を直ぐに消す。もうアルファスは居ない。会う事も話す事も無いのだから。
「……セッテさん?」
「あ、いえ、大丈夫ですトニックさん」
直ぐに笑顔を見せ「誤魔化す」。――早く誤魔化す必要が無くなるといいな。
「旦那様のご希望通り、ピカイチの腕の奴を用意しましたぜ。――おい」
ウトソンが促すと、その後ろからやはり鎧に剣を装備した人影が姿を見せる。ただウトソンと違うのは、セッテよりも年下、二十歳前後位と思われる女騎士だった。
「こいつは女で若いし不愛想だけど相当の腕の持ち主だから、傍に置いておけば坊ちゃんのフィアンセも安心だ」
そこでセッテとその女の目が合う。確かに無表情で何処か冷たい感じはするが、でも綺麗な白い肌に美人顔で――
「――って、どうして私にこの人を紹介するんですか?」
という根本的な話にそこで気付いた。使用人か何かを紹介されるのかと思ったら明らかに戦闘用の傭兵。
「勿論セッテ君が危険な目に合わない為にだよ。――ああ、誤解しないで欲しい、年がら年中危険な目に合うわけではないが、それでも財産、財力を持つというのはどうしても危険と隣り合わせになる。なので万が一の為にさ」
「母さんにも僕にも専属の護衛は居ますよ、セッテさん。なのであまり深くは考えないで」
そう説明されるとそういうものなのかな、とセッテも納得せざるを得ない。――と、そこでその護衛に選ばれた女がスタスタ、とセッテの前にやって来て
「スティーリィ」
名を名乗った。――名前だけを名乗った。
「あ、えっと、セッテです。宜しくお願いします」
「覚えた。――私、話すのは苦手。でも戦うの得意。だからセッテを守る」
そう言うとスティーリィはヒョイ、と軽々とセッテの荷物を持ち、歩き始めた。――部屋まで運んでくれるらしい。
「それじゃ、後は改めて夕食の時にゆっくりお話ししましょう。セッテさん、それまでお部屋でくつろいでいて下さい」
ルルイにそう促され、気疲れを流石にしていたセッテは素直に従う事に。セッテの部屋は二階にあった。部屋は勿論広く、生活に必要な品々が綺麗に高級品で取り揃えられていた。その部屋の真ん中にスティーリィがセッテの鞄を置く。
「ふーっ……」
ドサッ、とついソファーに多少勢いよく腰を下ろす。
「何かあったら呼んで。私、隣の部屋になるから」
「あ、ありがとうございます、荷物まで運んで貰って」
お礼を言うと、スティーリィも部屋を後に――
「大丈夫?」
――しかけた所で、そう尋ねられた。
「え? ああ、多少移動で疲れましたけど、少し休めば」
「体力の事じゃない。魔力が乱れてる」
魔力が乱れてる……?
「私、魔法の才能は全然なんですけど」
決して目指して駄目でした、とかではないので気にはならないが、それでも無いという話は幼少期から知っている。
「でも、魔力がゼロの人間は居ない。才能無くても微量なら誰でも魔力は持ってる。その魔力が乱れてる。私、それを見るの得意。――私、人の気持ちはわからない。でも、魔力の乱れは心の乱れ。だからセッテは心が乱れてる。だから大丈夫?」
「…………」
その指摘に、ついセッテは言葉を失ってしまう。スティーリィの話が本当ならば、自分でも意識していない所で精神的に疲れてしまっているのだ。――当然心当たりが無いわけがない。本当は、望んでここに来たわけじゃないのだから。
「大丈夫。この家、豪華。ご飯も美味しい。私強い。守れる、セッテを」
無表情だが、でも励ましてくれているのがわかり、嬉しくもなり、泣きたくもなり。
「えっと、スティーリィさん。お願いがあるんですけど」
「誰を倒せばいい? 今日から私はセッテの護衛。命令なら旦那様でも倒してくる」
「私別にクーデター起こしたくてこの家に来たんじゃないのでそれは止めて下さいね」
自分に寄り添ってくれるのはいいが中々怖い発想につい苦笑する。
「夕飯まで、話し相手になってくれませんか?」
そして、その提案をした。一人になりたかったが、一人にはなりたくなかった。矛盾した想いの中、不思議な雰囲気を持つスティーリィならば、と。
「さっきも言った。私話すの苦手。戦い意外苦手」
「苦手でもいいんです。ゆっくり、何でもないお話でいいです。おやつでも食べながら」
「おやつ。――おやつは食べたい。セッテと居れば食べれる?」
「はい。一応今日からこの家でも多少のパワーがありますから、好きなおやつをお願いしましょう。甘い物にしますか?」
「うん」
こうして、不思議な護衛と仲良くなる所から、セッテのタタスキア家の初日は始まるのであった。