第二百五十話 幕間~いつか見た、夢の国をもう一度目指して
「あー、面白かったわ!」
パサッ。――イルラナスは読み終えた本を閉じ、テーブルの上に置き、うーん、と背筋を伸ばす。
「もうその本読み終えられたんですか? イルラナス様は本当に面白そうに本を読まれますよね」
ロガンの記憶が正しければ、読み始めてそう何日も経過していない。
「だって、人間界にこんなにも本があるなんて知らなかったもの! お城の書庫に行けば色々あるし、エカテリスも沢山持ってるからどんどん貸してくれるし!」
ちなみにイルラナスとエカテリスは同じ姫という立場、読書好きという共通点が見つかり、直ぐに仲良くなれた。
「本ッスかー。自分には一生縁が無いッスねー。文字読めないし。自分はどっちかって言ったら食べ物に驚きッス。美味しい物ばっかで信じられないッス」
「僕は文化や技術の発展に驚きましたね。少なからず、あちらにいた頃はこういう発展は考えた事無かったですから」
そう言うロガンとドゥルペは、こちらも城で借りて来た立体型パズル遊具に二人で挑戦中。頭脳型のロガンと直感型のドゥルペの戦いは良い勝負になっていた。
さて改めてこちら、バンダルサ城を攻略して少ししたハインハウルス城の一角。城の離れに用意して貰った塔に、イルラナス、レインフォル、ロガン、ドゥルペで住んでいる。
イルラナスはこちらで現在療養の身。レインフォルはイルラナスの傍という配慮の結果、城で軍事アドバイザー、兵士達の武術指南役に就任、昼間は城内で動いている事が多い。ロガンはイルラナス、レインフォル両者のサポート。ドゥルペはイルラナスの護衛、緊急時の城内の武力役として待機中、という立場にそれぞれ収まった。
「さて、少し体を動かそうかしら」
療養中の身ではあるが、体の調子は随分と良くなった。魔王領の居た頃は出来なかった運動も少しずつ出来る様になって来ていた。勿論リハビリというのもあるが、単純に体が動かせるのが嬉しい。
「今日は何するんスか? 庭でキャッチボール? 水泳?」
「水泳は駄目ってレインフォルに言われてるわ。私は気にしないのに」
水泳=当然水着姿であり、パッと見人間と見分けが付かない、それでいて美少女である為、城内の利用とは言え他の男達の視線をどうしても浴びる形になる。結果レインフォルはそれを許さないのだった。
そんな風に一部制限はあるが選択肢は多い。さて何をしよう、と考えていると、ふと先程まで読んでいた本の物語が頭を過ぎった。
「ねえ、三人で街に遊びに行ってみない?」
「窓から見ていたのとは違って、近くで見ると凄い活気ね……!」
昼時のハインハウルス城下町は、流石と言うべき賑やかさを見せていた。――本当に三人だけで城下町に来てしまった。
提案された時にロガンは反対した。治安は良いが、それでも立場がある。世間一般には魔王軍の姫が保護されたとは発表されていない。存在がバレたら危険である。
ところがイルラナスは一度火が付いてしまったので退かない。実を言えば今日読んだ本の中にお姫様がお忍びで街へ行く物語が描かれており、それに完全に感化されてしまっていたのだ。
そしてドゥルペ。深く考えないで興味本位で行ってみたいと言った。――放っておいたらイルラナスとドゥルペだけで行ってしまうので、ロガンは渋々ついて行く事に。いざという時の歯止め役が居ないのは本当にマズい。
「いいですかイルラナス様、イルラナス様はモンスターテイマー。僕らはイルラナス様にテイムされているモンスター。そういう体ですからね」
「わかってる、バレたら大変なのも。そんなに心配しないで」
「あっちから凄いいい匂いがするッス! 行ってみるッスー!」
「ストップ! テイムされてるモンスターはそんな自由にペラペラ喋って勝手に走ったりしないんだよ!」
そのまま走りだそうとするドゥルペの尻尾を何とかロガンは掴み喰い止める。――こっちの方が危なかった。
「ほら、僕の背中に乗って。ライダーという体で行くから」
ロガンは四つん這いになり、背中にドゥルペを乗せる。そうなると確かに獅子とそれに跨る竜人、そして近くにイルラナスがいればテイムされた特殊モンスターに見えない事も無かった。
「さっきも言ったけど、普通のモンスターはペラペラ喋らないからね。気をつけなよ」
「わかったッス。竜語ならいいッスか?」
「いいけど僕もイルラナス様もわからないぞ?」
「自分もわからないッス」
「なら何で提案したんだよ!?」
そんなこんなで不安だらけ(ロガンだけ)のまま、城下町探索がスタート。特に用事があるわけでもない。大通りをゆっくりと歩いて行く。ロガンとドゥルペの存在は中々大きく感じる視線は多かったが、珍しいと感じるだけで怪しいと思われる様な物では無かったのでロガンとしては一安心。
「イルラナス様! あっちから美味しそうな匂いがするッス! ロガンが暴走した事にして近付くッス!」
と、ドゥルペが肉の串焼きを売っている屋台を見つけて小声で提案。
「まったくドゥルペは。レインフォルみたいよ」
「でもお腹空かないッスか、これだけいい匂いに囲まれてると」
「まあ……そうね。――ロガン、ちょっと暴走した振りをして」
「いや普通に行けばいいだけなのでは」
三人はそんなこんなでその店の前に。――途中イルラナスがお金を持ってない事に気付くが、ロガンがしっかりと用意してくれていたのは余談。
「串焼き、三本頂けますか?」
「毎度! お嬢ちゃん、珍しいねえ! テイマーかい?」
「ええ、まあ。――最近この街に来たのだけど、素敵な街ね」
「そりゃそうさ! ここ以上に平和な街なんてねえよ! 国王様と王妃様のお陰だよ!」
「あの二人が……」
「魔王軍との戦争が酷かった頃はこの街さえも大変だったけど、今はこの通りだからね」
そのままイルラナスは串焼き三本と――店主からしたら何気ない言葉を貰い、店を後にする。
「賑やか。それに楽しそうな人が多いわ。――ここに、魔族も何の迷いもなく一緒に暮らせたらいいのに」
串焼きを食べながら、ふとそんな感想がイルラナスから漏れた。店主の言葉が思い出される。「魔王軍との戦争が酷かった頃はこの街さえも」。
人間と魔族が手を取り合って生きていく世界。そんな世界を夢見て生きていた。――所詮夢物語と、何処かで諦めていた。
「諦めないで下さい。きっといつか、実現出来ますよ。この国の人達と、何よりイルラナス様なら」
「今は自分達とレインフォル様だけッスけど、他にもきっとなあなあで魔王様に従ってる奴ら、こっちに来たいけど不安で来れない奴ら、必ずいるはずッス。団長さん達にもお願いして、手引きして貰えばいいッス。自分達も頑張るから、目指せばいいッス。イルラナス様の、理想の場所を」
小声でロガンとドゥルペが励ましてくれる。――私の理想の場所。私の目標。夢と現実の間。
「ありがとう、二人共。――こんな私に、付いて来てくれて、本当に」
嬉しくて、少しだけ泣きそうなのを我慢してお礼を言った――その時だった。
「お父さん! しっかりして、お父さんっ!」
不意にそんな叫び声が辺りに響く。ハッとしてそちらを見てみると、
「森でモンスターにやられたらしい! マズいぞ!」
「急げ! 医者を呼べ!」
一人の中年男性が運ばれて行く。血だらけで明らかに致命傷を負っていた。傍らには彼の娘か、十五歳位と思われる少女が、自分も血まみれになるのをお構い無しで泣きながら彼の手を握っている。
「おい、医者はどうした!?」
「近くのは出払ってた! それに、この傷……」
「お父さん! お父さんっ……! 誰か、誰かお願いします! お父さんを……!」
周囲に出来る人だかり。でも打開出来る人間は居そうにない。
「――あれは本当にヤバい傷ッスね。自分とかなら多少の治療と休憩でどうにかなるッスけど、普通の人間じゃ駄目ッス。余程の事じゃないと間に合わないッス」
ロガンの上に立ち、人込みの上の高さからドゥルペが覗いた感想。幾多の戦いに出た彼の診断は、本当だろう。
「ドゥルペ、私の治癒魔法ならどう?」
「今なら五分五分って所ッスね。ロガンの補助付きで七分」
「駄目ですイルラナス様、そんな事をしたら正体を明かす様な物。今はまだ――」
「でも、それは目の前の命を助けない理由にはならないわ! ロガン、サポートをお願い!」
ロガンの返事を待たず、イルラナスは人込みをかき分けて瀕死の男の所へ向かい始める。――こうなるともう止められない。それは魔王軍に居た頃から良くわかっている。
「ドゥルペ、野次馬を遠ざけてくれ。邪魔が入ったら意味が無い」
「任せるッス」
なら、やるしかない。――ロガンとドゥルペも腹を括り、イルラナスの後に続く。
「退くッス! 道を空けるッス! 一分一秒が大事ッス! 邪魔したら容赦しないッスよ!」
ドゥルペが声を出し、部外者を近付けさせない様にし、
「貴女達、は……!?」
「治癒魔法が使えます、任せて下さい。――ロガン」
「はい」
イルラナスとロガンは動揺する関係者を待たずに、魔法による治療を開始する。
「お父さん……!」
「大丈夫ッスよ。あの二人に任せておけば。信じて待つッス」
野次馬を遠ざけたドゥルペが、娘に優しく寄り添う。――そのまま治療する事五分。
「これで……よし! 峠は越えたわ! 後は施設があれば、そこで治療を続ければ直に良くなります」
イルラナスとロガンによる治療は成功した。辺りが安堵に包まれる。
「おい……あれ、魔族じゃないのか……?」
と同時に、広がる怪訝な声、視線。――人語を話し、二足歩行の竜人と獅子。普通とは違う、見た事もない魔法を使う謎の少女。最初に言い出した男は何の確信もなくそう言ったのだが、不運にもそれは正解であり、一気に不穏な空気が流れ始める。
マズい、どうすべきか。――誰よりもまずロガンがそう考えていると。
「一体何の騒ぎですの?」
ふと聞こえる、凛々しい、そして聞き覚えのある声。――ハッとして見れば、
「! おい、王女様だ!」
「エカテリス様よ! 私服姿もお美しいわ!」
所要があったか、エカテリスがリバールを連れて歩いて来ていた。騒ぎに気付いてやって来た様子。
「あら、イルラナス? こんな所で何を、それにこの騒ぎ」
「実は」
ロガンが掻い摘んでの事情――怪我人の治療から不穏な空気の理由の全て――を話す。
「まあ、そうでしたの! 瀕死の町人を咄嗟に助けるなんて流石私の友人ですわ! 私からもお礼を言いますわ、ありがとうイルラナス」
エカテリスは敢えて不穏な空気な部分には触れず、イルラナスが自分の友人である事を強調し、イルラナスの功績を称えた。
「姫様、気のせいでしょうか、イルラナス様に対して不穏な視線を向けている者がいる気がするのですが」
「きっと気のせいですわ。この街の人に、私の大切な友人を悪く思う人なんて居るはずありませんもの」
「そうですね。万が一いたらこのリバール、やむを得ない方法を取る所でしたが、一安心です」
更にリバールを絡めた「駄目押し」。マズい視線を向けてしまった、と率先してイルラナス達を不快な目で見ていた野次馬達が去り始め、それに合わせて次第に野次馬も減って行く。
「さ、私達も帰りましょう。イルラナス達も」
そして何事も無かったかの様にエカテリスがそう切り出す。――ピンチは去ったが、流石にこれ以上今日は街には居ない方がいい。イルラナス達も一緒に大人しく帰る事に。
「あ……あのっ!」
すると、聞こえる呼び止める声。振り返れば、負傷者の娘が。
「助けて下さり、本当にありがとうございました! この御恩は、一生忘れません!」
そう言って、ガバッ、と大きく頭を下げた。――イルラナスが近付く。
「そんなに気にしなくていいわ。私達は偶然通りかかって、助けられただけだから。――峠を越したとは言え、まだまだ大変よ。早くお父さんと一緒に病院へ」
「はい……ありがとうございました、本当に、このお礼はいつか……!」
「お父さんの事、大事にしてあげるッスよー!」
涙を流してお礼を言う娘に、笑顔で別れを告げて、帰路に着く。
「ありがとう、エカテリス。――あと少しで、貴女は勿論、多くの皆さんに迷惑をかける所だったわ」
「そんな事ありませんわ。貴女の行動は間違ってませんもの」
そう、人を助けただけ。何も間違っていない。――何も間違っていない街に、国に、なって欲しい。
「エカテリス。――私、人間と魔族が仲良く暮らせる国を目指したい。私達だけじゃない。もっともっと多くの人達が、争いなく暮らしていける様な街にしたい。この国に住める様になったから、それを目標に進むわ。それが私の使命なんだって、気付いた」
「素敵な目標ですわ。私達も、精一杯お手伝いしますわ。遠慮なく言って」
こうして、体よりも精神的に一歩、イルラナスは強くなった日の出来事であった。
――帰って無断で出歩いた事をレインフォルに怒られたのは、余談である。