第二百四十八話 演者勇者と忠義の白騎士21
「イルラナス様。――この度の失態は、私の独断で一時的に貴女の元を離れたからが原因です。貴女をそうさせてしまったのは、私です。悔やんでも悔やみきれず、謝罪して許される物でもありません。ですから」
レインフォルは身構える。イルラナスに向けて身構える。
「私が責任を取ります。貴女をその苦しみから、解放します。奥底に眠っている、私の知っている貴女を、救います。貴女に忠義を誓う、騎士として」
その言葉の直後、レインフォルの周囲の空気が整っていく。レインフォルの言葉が、嘘ではないと証明するかの如く。
「そう」
それは当然、目の前にいるイルラナスにも伝わる。――イルラナスの表情が、冷え切っていく。
「貴女だけはわかってくれると思っていたけれど、私の苦しみも、その苦しみから解放された今の私も。所詮私と貴女の関係なんて、そんな物だったのね」
「っ……イルラナス、お前っ!」
「勇者君どうどう。自分で言ったんだよ、あれは浸食に侵された結果だって。怒っても仕方ないんだって」
レナに窘められるライト。――わかっている。そんな事はわかっている。でも、レインフォルがそれじゃ浮かばれないだろ……!
「レインフォル! 絶対勝てよ! そして、どんなに辛い勝ちでも、俺が、俺達が、必ずお前を離さない! お前の想いを全て受け止めてみせるから! だから、全力で勝ってくれ!」
だからせめて、レインフォルに声援を送った。一番辛い戦いを、一番辛い心の戦いを、これからする仲間に。
「――感謝する」
レインフォルは一瞬、ライトに横顔と切なげな笑顔を見せる。――それを見て、イルラナスは更に溜め息。
「茶番ね。――まあいいわ、まとめて羽虫らしく潰してあげる」
パチン、と指を鳴らすと数体、あの扉の外と同じく、白い甲冑の召喚物が生まれる。
「さよならレインフォル。貴女の事は、もう忘れるわ」
そしてイルラナスも、魔力を込め始める。禍々しい魔力が、部屋を包み始めた。
「あー、レインフォル、周りは担当してあげるよ。あんたはボスに集中していいから」
「その代わり、マスターの想いを無駄にしない戦いをしなさいよ!」
レナ、ネレイザも白い甲冑との戦闘準備。レインフォルとイルラナス、一対一の勝負にする為に。
「イルラナス様。――参ります!」
そして――最後の、悲しい戦いが幕を開けた。
ぶつかり合う私の剣と、イルラナス様の魔法。――二刀流のブランクは我ながら感じる事無く、全力で昔と同じ、いやそれ以上の動きが出来ていた。
でも、そんな事はどうでも良かった。――どうして今、私はイルラナス様に向けて、剣を振っているのだろう。
剣を振れば振る程、イルラナス様のお顔を見れば見る程、思い出が過ぎった。
『ねえレインフォル。いつか戦争が落ち着いたら、美味しい物、お腹一杯食べましょう?』
『お腹一杯、ですか……でしたら今、もっと召し上がって頂かないと。お体が強くなりませんよ』
『私はいいの。私よりも、レインフォルにお腹一杯食べて欲しいから。――レインフォル、食べるの好きでしょう?』
『私は別に』
『正直に言いなさい。命令』
『まあ、その……はい』
『宜しい。じゃあ約束よ。一緒に、美味しいご飯』
『あー面白かったわ!』
『そんなに面白い物ですか、人間界の本は』
『ええ! 夢と希望に溢れて……私の、目指す世界。皆もこれを読んで、仲良くなれたらいいのだけど』
『…………』
『レインフォルも読んでみて。面白いから』
『あ、いえ、私、読み書きは出来ませんので』
『なら私が読んであげるわ! 出撃しない時は、読み書きも教えてあげる。ほら、いらっしゃい』
『その甲冑で、貴女が傷付かなくなったのは嬉しい。貴女が強くなるのを駄目とは言わない。でも……大丈夫なの?』
『問題ありません。私なら、コントロール出来ます。……イルラナス様を、お守り出来ます。どんな相手からも』
『ねえ、レインフォル。約束して。私と二人だけの時は、素顔を見せて。目を見て、話をさせて』
『イルラナス様――』
『そして……全てが終わったら、その甲冑は捨てて。お願い』
『私に部下はいりません』
『部下じゃなくて仲間。それに駄目よ、仲間は必要。だから、立候補者を二人、連れて来たわ。さ、自己紹介して』
『ロガンといいます。宜しくお願いします』
『ドゥルペっていうッス! 光栄ッス!』
『なら、この獅子の方だけで』
『何でッスか!? 自分も立候補ッス!』
『馬鹿そうだ。馬鹿はいらん』
『馬鹿だけど役に立ちたいッス! お願いッス!』
『おいイルラナス様にしがみつくな。斬るぞ』
『レインフォルが虐めるからでしょう? 私が保証するわ、いい子なのよ。レインフォルと同じで』
『私と同じならますます問題ですが』
『そういう事言わない。――さあ、四人で折角だからお茶でも飲みましょう』
『このネックレスは……?』
『先日、人間界で宝石を採掘して来ました。魔力のコントロールにも通ずる物です。――少しでも、お体の負担が軽くなればと』
『それをわざわざ取りに行っていたのね。……ありがとう』
『魔王軍が勝利した時に、イルラナス様のお体が悪くなっていては何の意味もありませんので』
『嘘は言わないでいいわ。――我が軍は、押されてるわ。そう遠くない未来に、ハインハウルス軍に敗れる。貴女だって、そう思ってるでしょう? 父上も兄上達も、私の所には何も情報を寄越さないけれど、わかるわ』
『…………』
『負けてもいい。私もどうなってもいい。でも……レインフォル、貴女は死なないで。私の傍にずっと居てくれた貴女が、優しい貴女が、死んでいい理由なんてないの』
『レインフォル』
『はい』
『ありがとう』
『どうなされたんですか急に』
『ううん。ただ何となく、お礼が言いたくなったの』
『でしたら――私も、ありがとうございます』
『ふふっ。私達、一緒ね』
『私は――イルラナス様の、騎士ですから』
思い出なんて幾らでもある。思い出せば思い出す程、次の思い出が蘇る。それを全て、思い出としてこの手で今、封印しようとしている。
いつの間にか、私の視界が涙で滲んでいた。前がよく見えない。イルラナス様のお顔が、よく見えない。……もう、見れない。
それでも私の剣が衰える事は無かった。感覚が研ぎ澄まされ、何も見えなくても体が動く。
この手で終わりにする事が、私の使命。
この手で終わりにする事が、最後の忠義。――私は、忠義の騎士なのだから。
レインフォルとイルラナスの激しいぶつかり合いが続いている。
ライトの目には当然、細かい所までは目で追えない。レナとネレイザに守って貰っている、その事にも気を配らなくてはいけない点もある。
でも、時折見えるそのレインフォルの背中は、悲しそうで居たたまれなかった。一歩も自分の大切な人に向けて剣を振るうのに躊躇わないその姿は、悲しみで溢れていた。
「聞こえてるか、イルラナス!」
だから叫んだ。イルラナスに向けて。――イルラナスの中に眠っている、本当のイルラナスに向けて。
「レインフォルを見るんだ! 君の為に戦っている、レインフォルを見るんだ! 君を救おうとしている、目の前のレインフォルを見るんだ! 大切な人だろ!? 大切な人を、悲しませてしまっているんだ!」
わかっている。この言葉は届かないと。真実の指輪が、自分が見た光景がそれを証明している。それでも。……それでも。
「羽虫が! いい加減に黙りなさい!」
「あの者は、羽虫ではありません」
ライトの言葉に苛立つイルラナスにレインフォルが反論をする。
「あの者は、貴女と同じ志を持っていました。貴女と同じ目をしていました。敵だった私を認め、ここまで連れてきてくれた。あの方が羽虫ならば、貴女も羽虫になってしまう。そんな事など、有り得ない」
「っ……レインフォルぅぅぅ!」
ズバァァン!――激しくなるレインフォルとイルラナスの衝突。
「勇者君。……もう直ぐ、終わるよ」
「え?」
まだ続くのか……と思った矢先、気付けばレナもネレイザも、ライトの横に戻って来ていた。――白い甲冑召喚を全て倒していた。追加が出てくる様子が無い。
「どんなに薬で底上げしても、そう簡単に元の体力まで底上げ出来ない。無理し過ぎたね。あれ以上は、もう体が付いていかないはず」
ハッとして見れば、確かにレインフォルが徐々にイルラナスを追い詰める様な形になりつつあった。イルラナスの魔法を全て両手の剣で弾き返していく。
「はあああああっ!」
そして、ついに勝負が決まった。二刀流での十字切り。イルラナスも魔法で防ぎはしたが、ダメージをもう防ぎきれない。吹き飛ばされ壁に打ち付けられ、その場に倒れた。
倒れて動かないイルラナスに向けて、レインフォルが歩いて行き――その剣を、差し向ける。
「レナ。……俺達、近くに行けるか?」
「行けるよ。行けるけど……行ける?」
レナの言葉は文にしてしまうと変だが、ライトを気遣っての言葉。近くでその終わりを、辛い終わりを見れるのか、という意味。
「例え行けないとしても……行かなきゃ、いけない。レインフォルを一人にさせない」
そう言って、ライトは歩き出す。レナとネレイザも続いた。
「本当に、強いのね、レインフォル。……思えば貴女の戦いを近くで見た事なんて無かったから、知らなかったわ」
「貴女の為に、ここまで強くなりました」
「そう。もっと近くで、もっと沢山、見てみたかったわ」
「……イルラナス様」
ガッ、とレインフォルがイルラナスの手を掴む。イルラナスも、弱々しかったがその手を握り返した。
「ごめんなさい、レインフォル。……私が、弱かったばかりに、貴女にこんな想いをさせて」
「イルラナス様のせいではありません! 私が……余計な事をしなければ……!」
「私の為だったのでしょう? 貴女をちゃんと、待てれば良かった。待てる位、強ければ、兄上より強ければ良かったの。だから、これは私のせい」
そう、これはすれ違い。大切に想う二人が、想うが余りに選択をすれ違えた。悲しいすれ違いだったのだ。
「さあ、終わりにしましょう。レインフォル、私の騎士としての最後の仕事よ。恥じる事なんて無いわ。躊躇の必要も無いわ。これは、戦いだもの。貴女になら、私も本望だわ。だから……そんなに、泣かないで」
「っ……!」
レインフォルのその目から、涙が溢れ零れていた。拭う事もしない涙が、床に、イルラナスに、零れ落ちる。
「ライトさん……だったかしら。――この子の事、お願いね。真面目で融通が利かないけど、食いしん坊で、何より……優しい子だから」
イルラナスは、瀕死になった事で瘴気が弱まり、元のイルラナスに戻っていた。――ああ、これがレインフォルが慕った人か。
今ここでイルラナスを回復させれば命は取り留めるかもしれない。でもそれは再び瘴気を元に戻すという事であり、解決には繋がらない。――ここで、終わらせるしかないのだ。
「レインフォルは、俺達の大切な仲間です。貴女より大切に想えるかどうかはわかりませんが、同じ位大切に想います」
だから、その約束をした。シンプルかつストレートな想いを、イルラナスに告げた。
「ありがとう。みんなみんな、ありがとう」
イルラナスはライトに向けて笑顔を見せ、レインフォルに向けて笑顔を見せ、ゆっくりと目を閉じた。――最後の、合図と言わんばかりに。
「イルラナス様。……私は、いつまでも、いつまでもいつまでも、貴女の騎士です。それを背負って、それを誇りに、生きていきます……!」
最後まで涙を拭うこともないまま、レインフォルはそう告げると、剣を握り直した。
そして――