第二十話 幕間~あの日の雨、新しい風
「――あれ、何か急に曇ってきたな。雨でも降んのかな」
朝はそんな気配などなかったのに、今ふと窓から空を見れば、どんよりとした雲が覆っていた。いつポツリ、ポツリと雨が姿を現してもおかしくない。
「……雨、か」
急な雲、雨。別に珍しいことではない。驚くことでもない。でも、その気まぐれと遭遇する度に、嫌でも思い起こされる記憶がある。そう、あれは――
「アルファスさん、一雨来そうですよ。――雨降ると思い出しますね、台風が来た時、二人で隣のパン屋さんのおじいちゃんを助けた時のこと! あの時のアルファスさん、格好良かったです」
あれは台風の日。相変わらず台風なのに来ていたセッテが隣のパン屋のじいさんが外の補修から帰る時に転んだのを見つけ、仕方なく俺が担いで家まで――ってそうじゃなくて。
「後は……そう、あれも雨の日でしたね! 向かいの酒屋のご夫婦が喧嘩して、酒瓶がお店まで飛んできたの! 私我慢出来なくて仲裁しに行って、仲直りしてくれて」
そう、あれも雨の日。突然ガシャンとガラスが割れる音がして見てみれば向かいの酒屋の夫婦が空瓶の投げ合いに発展するレベルで大喧嘩。相変わらずいたセッテが仲裁に入り、お礼にワインを貰ってきて――っていやいやだからそうじゃない。
「それから――」
「お前は俺個人の回想シーンに入ることすら許さんのか」
「え?」
意味がわからない、といった感じのセッテ。――なんかもう回想する気も失せた。仕事しよう。
「じゃ私、外の掃除は保留して、とりあえず店内の掃除しますね」
「…………」
お前は店員じゃないんだからやらなくていいんだ、というか雨降りそうなんだから普通は帰るべきだろ、と言いたいが言っても適当に勘違いやはぐらかしで誤魔化されるのがわかってるので言わない。――セッテ、か。
俺は別にセッテが嫌いっていうわけじゃない。俺に対する感情や行動がぶっ飛んでるだけで、それを除けば明るく優しい娘だと思う。顔も……まあ、可愛いと思うし。
だが、俺に恋愛感情がない以上、恋愛感情丸出しのセッテを受け入れるのは果たしてどうなのかと俺は思う(別に俺の性癖や好みが普通じゃないとかではない)。気持ちを受け取る気がないのに近くに置いておくのはセッテに対してはっきり言って失礼だ。――という話もちゃんとした気がするんだが、それでもセッテは今日も俺の店にいる。
「あの、アルファスさん。一つ、訊いておきたいことがあるんですけど」
「? 何だ?」
「ライトさんの事、実は乗り気じゃなかったりします?」
ライト。――最近俺の店に訪ねてきた、演者勇者。俺に剣を習いたいと言い出し、結果俺はそれを呑んだ。
「あの時、私ライトさん寄りでアルファスさんにお願いしてしまいましたけど、本当は嫌だったりしてないかな、と思って」
そんな事ずっと気にしてたのか。――まったく、まともな所は本当にまともだな。
「そんな事ねえよ。それに最終的に決めたのは俺自身だ。だから誰のせいにもしない」
あの時、俺は断る事は出来た。断ったって良かったはずだ。でも俺は承諾した。――どうしてだろう? そんな事はしないと、決めていたはずなのに。そんな事は出来ないと、「あの日」わかったはずなのに。
『――っざけんな! どうして俺を待たなかった、どうして勝手に突っ走った! お前等だけでどうにかならないのは一目瞭然だったろうが!』
『すみません……俺達、成長したって……俺達だけでも出来るって、証明したかったんです……だって俺達、アルファスさんの……』
『もういい、喋んな、直ぐに救護班が来る』
『ありがとうございます……でももう……だから言わせて下さい……アルファスさんは、俺達の……自慢の……』
「…………」
結局思い出しちまった。――駄目だな、俺も。
「アルファスさんは、ライトさんをどうしたい……とか、あるんですか?」
「ないな。そもそもあいつから言ってきたことだしな。あいつ次第さ」
それは俺の本音でもあり――俺の逃げ道でもあった。
「それなら、きっと立派な剣士さんになれますね」
「? 随分あいつの事買ってるんだな」
「はい。だってアルファスさんのお弟子さんですから」
「お前は俺に対しての色々な物が過剰過ぎる。俺は神様じゃねえんだぞ」
その内触れたら奇跡が起きますとか言い出しそうなイメージだ。
「私、アルファスさんに抱きしめて貰ったら、二段階位進化する自信があります」
「本当に言うのかよ!?」
二段階進化したら何になるんだろうか。寧ろ抱きしめて試してみようか。
「あっ、でも、アルファスさんが素敵なのはそうなんですけど、アルファスさんに触れられて特別な力を発揮するのは私だけですから、勘違いしないで下さいね」
「絶対にしないから安心しろ。というか俺は立派な人間じゃねえよ。ライトの件を見ればわかるだろ」
「ライトさんの事を見れば……わかる?」
「俺がもっと立派な人間だったら、あいつの為に本気で武器作ってやって、その上であいつが死なないように完璧な指導をすればいいだろ。剣術だけじゃない、剣を持つ人間としての心持も徹底的に鍛えて、それで俺の武器を持てばどんだけ才能がない奴だってそれなりの所まではなれる。俺の武器はそういう武器だ。――でも俺はそれをしなかった。したくなかったんだよ」
面倒というのもあったかもしれない。でも――それ以上に、もう俺は、必要以上に人と関わりを持ちたくないんだろう。その結果が、今のこの姿なのだから。
「アルファスさん。――完璧じゃなくたって、いいじゃないですか」
「…………」
「私はアルファスさんが完璧じゃなくていいです。駄目な所、あったっていいです。たとえ他の人にどう思われてたとしても、そんなアルファスさんに助けられたから、私はアルファスさんの傍にいたいって思ってるんですから」
完璧じゃなくていい、か。――ったく、痛い所をちゃんと突いてきやがる。
「お前は俺に助けられた事に恩義を感じ過ぎだ。何度も言ってるがあれは偶然だし、お前を助けたくて間に入ったんじゃねえ。――お前今まであんま外の世界出てないのか? あの程度の事は日常茶飯事……とは言わないが、普通に遭遇しててもおかしくないぞ。その度にこんなにご執心になってたら、はっきり言って身も心も持たねえぞ」
偶然ちょっと助けただけでこんなになるんだ、その内フラッともっとでかい出来事に出会って、違う奴にもっとご執心になって、ここには一切来なくなるかもしれない。寧ろ変な奴に騙されないか心配になるレベルでもある。
「アルファスさん」
と、そこでセッテが俺を呼ぶ。目が合う。
『――っと、こんな所にも人がいんのか。おい、大丈夫か?』
『あ……あ……あの……』
『あー、無理しなくていい。それから心配もしなくていい。俺があんたを助けたのは偶然だが、助けた人間を見捨てる程俺も出来損ないじゃねえから。――そうだな、ギリギリで偶然を引き寄せた自分の力だとでも思っておけ』
『アルファスさん、調子どう……って終わってたか、流石』
『あーフウラ、残りの確認と上への報告頼めるか。生存者だ。ちょっと面倒見てくる』
『オーケー、そもそも俺とアルファスさんじゃ戦力オーバーになる案件だったし、後は俺だけでいいよ』
『頼むな。さてと、怪我は……転んだのか? 擦り傷がいくつかあるな。動けるか?』
『そこは黙って抱きかかえてあげるのが男だろアルファスさん』
『五月蠅えさっさとお前は行け。――仕方ねえな(ヒョイ)』
『あ……』
『嫌だったら言えよ、俺だって人一人抱えて歩くのは大変だしな。それから――俺に気を使って泣くのを我慢もしなくていい』
『!』
『怖かったんだろ? 死ぬかと思ったんだろ? その恐怖から解放されるんだ、色々爆発しちまうのは仕方ねえだろ。こんな時に取り繕う必要性なんてないさ。少なくとも、俺は何とも思いやしねえよ』
『う……あ……ああっ……!』
「――私は、アルファスさんがいいんです。他の誰とかじゃないんです。私を助けてくれた、アルファスさんがいいんです」
「だからさぁ……まあ今のお前に言っても仕方ないか」
これ以上このテーマでの討論はエンドレスだろう。こういう時は切り替えるべきだと俺は学習した。――いい様に流されてる気もしないでもない。その内確たる証拠とか用意してきたら本当にどうしよう。
「あれ、雲薄くなってきたな」
一雨来るかと思われていた空模様は、徐々に回復の兆しを見せていた。雲の切れ間から除く青。
「こんにちは、今日も宜しくお願いします」
と、ドアを開けそんな挨拶。ライトだった。今日も護衛のレナを連れて――
「ご無沙汰しています、アルファスさん」
「……ソフィ?」
――連れていたのはレナではなかった。代わりにいたのは王国軍屈指の前衛陣の一人、ソフィ。こいつの斧も俺が手掛けてやった。
「――ってもしかしてライトお前、ソフィまで近くに置いてるのか」
「置いてるっていうか、俺名義の騎士団があるんですけど、ソフィは団員です。今日アルファスさんの所に行くって言ったら折角なんで自分も挨拶がしたいって言うんで、レナの代わりに来て貰いました。……何かまずかったですか?」
「いや来るのはマズイわけじゃないんだけどな。お前の騎士団ヤバ過ぎだと思っただけだ」
姫さん、リバール、レナ、ソフィ。それぞれが騎士団一つ持ってトップに立てる実力者なんだぞ。パワーバランスがおかしくなる。
「……そんな……まだこんな人がいたなんて……!」
と、セッテがガックリと膝をついてショックを受けていた。――何だ急に。
「アルファスさん……確かに私、この方に容姿では勝てません……性格でも勝てないかもしれません……でも、あなたへの愛情は絶対に負けません! だから見捨てないで下さい!」
「見捨てる前に拾ってねえ。というかお前は知らない女を見る度に悪い方向で妄想を膨らませるのをいい加減やめろ」
来る女来る女全部俺と深い間柄になってる前提かよ。俺はハーレムキングか。
「ライト、今の内に訊いとくわ。お前の周りにまだ違う女いるか?」
「えーっと……後は顔を見せてないのが一人、ハルっていう国王専属の使用人の人が」
「いいか、絶対に連れてくるなよ。リバール以外のメイドなんて連れてきた日には」
「アルファスさんメイド服がお好きなら言ってくださればいつでも着ますのに!」
「とか言ってくるに違いないってか地獄耳かよおおおおお!」
気付けば笑顔で俺とライトの会話に混ざるセッテがいた。もうここまで来ると恐怖。国の偉い人に相談……出来ないこともないけど駄目だなあのオッサンじゃ。
そんな感じで、今日も一日が過ぎる。
新しい風は、あの日降った雨を吹き飛ばしてはくれないけれど、俺は生きていく。
俺はもうこの先どうなっても構わないけれど、でもここにいる奴らがどうか、幸せな結末を迎えられますように。