第百六十七話 演者勇者、立会人になる8
響く悲痛な叫び声、その主は、古獅子族の若い女だった。
「ごめんなさい、お父さん……! 私が、私があんなことを言わなかったら……! 私が、責任を取るから……!」
「っ、止めろ! お前は黙っているんだ! 戻っているんだ!」
そのまま女はリバールの忍術で拘束されている幹部の所へ行き、涙を流しながら謝罪する。――お父さん? 親子なのか?
だがライト達が推測する暇もないまま、女は今度はイリガの方へ向き直り、土下座。
「族長、申し訳ありません……! 父がこうなってしまったのは私のせいなんです……!」
「どういう、ことだ……!?」
「禁忌を、犯してしまったんです……! 古虎族の人と、関係を持ってしまったんです……!」
「!?」
そしてその謝罪発言に衝撃が走る。――禁忌が、破られていた。
「父に全てを告白し、この街を出ていく覚悟をしました……! でも父は、必ず私を守るからって……!」
「馬鹿な……本当なのか……!?」
娘に衝撃の告白をされた父。思考は混乱し、それでも娘を救いたい一心で辿り着いた答えは、違う意味で禁忌を無かった事にする事。つまり――古虎族を消してしまう事。
今すぐは無理でも、揉め事が絶えない現状、幹部として全面戦争の流れを持って行く事は可能と考えたのかもしれない。だがそこに表れたのは和平と調査を提案する勇者一行。
でも父は勇者の力よりも禁忌を恐れた。勇者でも禁忌を乗り越える事は出来ないと。その上で調査「だけ」されたら、娘の失態が浮き彫りになるかもしれない。その事だけを追求されてしまうかもしれない。その事を恐れた。
ならいっそ、確率の高い方に――全面戦争に、賭けた。その方が、勝算が彼の中であった。
でも今目の前で、彼らは和平を試みようとしていた。その姿勢を見て、彼の頭は混乱し、目先の制止に手を――間違った選択に、手を伸ばしてしまったのだ。
「禁忌が……破られた……!」
「終わりだ……また厄災が来るぞ!」
「奴らのせいだ! 結局奴らのせいじゃないか! あの女がたぶらかせて来たに違いない!」
「どちらか一方が無くなればいいなら、古獅子族が消えればいいんだ!」
そして、状況を理解していくと同時に広がる不穏な空気。それは徐々に「殺気」へと変わっていく。
「っ……駄目、今は……我慢……っ!」
「ソフィ、どうした!?」
「「アタシ」が反応してるんです……! 今「アタシ」になったら、彼の治療が遅れる……!」
それは同時にソフィの狂人化へと繋がる切欠となってしまう。――決断を迫られる。
「ナターシャさん、ここから離れて落ち着いた箇所で治療出来る場所まで案内して下さい! ここにいたら危険です! ソフィもニロフもそれでいいな?」
「はい!」「承知」
「レナ、貴女はライトと一緒にナターシャさん、ソフィ、ニロフの護衛に入りなさい! 二人に治療に集中させて!」
「了解。――勇者君、行くよ」
「ああ! さ、ナターシャさん!」
「は、はい!」
ライト、ソフィ、ニロフ、ナターシャでドライブを持ち上げ、その四人をレナが護衛する形でこの場から退場。
「やっちまえ! 厄災が来る前に、奴らを屈服させろ!」
「望む所だ! これでここは俺達の街になる! 行くぞ!」
そして現場は限界を迎えた。いつから来ていたのか両民族とも人数が増えており、迷いを打ち消すように両民族共に突撃を開始。――乱闘は初日にも見かけたが、その時とは違う、明らかなる「殺気」が感じ取れた。冗談では済まされない。
「お前達、待つんだ! 一旦落ち着いてくれ!」
「命令だ! 族長命令だ! 止まれ!」
理性を保っていたのは両族長であるテルガムとイリガ。必死に雪崩を止めようとするが、聞き耳を持たない。――戦いが、必要のない戦いが、始まってしまう。
「止むを得ませんわ! 多少負傷させても構いません、介入します! 死者だけは出さない様に!」
そして黙って見ているわけにもいかないライト騎士団。エカテリスの号令で、参戦開始。縦横無尽に兎に角無力化を目指す。
「お父さん……お父さん……っ! 私が……私が……っ!」
忍術牢獄の前に零れる涙も、今はもう誰にも届かない。――事態は、最悪の方向へと走り出すのだった。
「この部屋なら大丈夫です! ベッドもあります!」
「タオル、包帯、治療に使えそうな物を何でも用意して下さい! 私達は治療を再開します!」
「ナターシャさん、案内をお願いします! 俺達が一緒に」
「待って勇者君、とりあえず私だけで大丈夫だから勇者君はここに居て、直ぐに戻るから。――ナターシャさん、行きましょ」
「は、はい!」
ナターシャが用意した部屋。客間か、比較的広い部屋に綺麗なベッド。直ぐにドライブを寝かせ、ナターシャはレナを護衛に必要そうな品をかき集めに移動。ソフィとニロフが治療を再開する。
「助かりそうなのか? 俺に出来る事はあるか?」
「傷は深いです、なので時間との勝負になります。――団長、お願いがあります。「アタシ」が出そうになったら、喰い止めて下さい。「アタシ」でも聖魔法は使えますが、効果量は今の私の方が上です。そこが勝負の分かれ目かもしれないので」
「わかった」
返事と同時にレナがライトをこの部屋に残した理由がわかった。――最初からこれを読んでいたのか。
ソフィとニロフがドライブに向かって手をかざし、詠唱を開始。優しい光がドライブを包む。
「持って来ました!」
それ程遠い位置ではなかったか、直ぐにナターシャとレナが戻ってくる。それぞれ手には治療に使えそうな品。
「団長、レナ、二人は直接それでドライブさんの治療を。魔法以外の本人の治癒力も、生存の可能性に大きく関わります」
「わかった!」「はいよ」
ライトとレナも出来る限りの治療を開始。包帯を強めに巻き、出血を喰い止める。
「ナターシャ……」
「ドライブ!」
弱々しい声でドライブがナターシャを呼ぶ。ガッ、とナターシャは駆け寄り、ドライブの手を握った。
「すまない……こういう時の為の俺……なのに……」
「そんな事言わないで! 貴方は、私達にとって大切な友人で、家族なのよ!?」
「家族……」
広がるナターシャの想い。その必死な言葉に、ドライブは困惑の表情を浮かべる。――困惑?
以前ドライブは自分で言っていた。両親を亡くした自分を育ててくれたのはイリガとナターシャの両親であり、感謝していると。ならばナターシャがドライブに向かって家族だと言うのは当然。
それなのに、彼はこの切羽詰まったこの状況で、その言葉に困惑を見せた。――それは、彼の本音ではないだろうか。この窮地だからこそ見せる、彼の本音。
だが、それがドライブの本音だとしたら、どうしてそんな気持ちが、彼の中に。――それを知る術は、今のライト達にはない。
「いいですぞ、容体も安定してきましたな」
ニロフのその言葉に、部屋の空気も少し安堵が訪れる。
「……助かるのか、俺は……」
「ええ、ご安心下され。自分で言うのもあれですが我は魔法に関しては一流、そして彼女は元々は神官。魔法による治療ではこの上ない組み合わせと言って良いでしょう。ですので、後は安静にしていれば、直に――」
「助かるなら……加勢に、行かなければ……」
が、その安堵の空気を悪い意味で打ち破る様にドライブはそう口にし、起き上がろうとする。
「何を言ってるの!? 助かっただけで、動けるような状態じゃないわ! 様子なら私が見に行くから、貴方は」
「行かなきゃ駄目なんだ……俺は、戦わないと駄目なんだ……古獅子族の為に、俺は戦う……!」
勿論まともに動けるような状態ではない。心配を飛び越えて、何かに囚われるような表情でドライブはそう告げる。
(どうしたって言うんだ……? この人は、一体……何を……?)
ライト達に広がる疑問を他所に、ドライブは諫めるナターシャをどかし無理矢理体を動かそうと――
「調子乗んのも大概にしろよテメエ」
ポフッ。――動かそうとした所で、ソフィに頭を押さえられ、そのまま再びベッドに寝かされる。……ちなみに狂人化していた。もう治療終わったから大丈夫だよ……な?
「命賭けなきゃいけない場面はある。でもそれは今じゃねえだろうが。今のテメエが命賭けた所でただの足手纏いだ。本当に命賭けなきゃいけない時が来た時の為に、大人しく傷を治せ。――安心しろ、目先のあの騒ぎはアタシがまとめて気にならなくしてきてやるから」
「アンタ暴れたいだけじゃん……」
「五月蠅え、わけのわかんねえ理由で騒いでるんだから多少ぶっとばしていいだろ」
呆れ顔のレナに、悪びれもしないソフィ。――まあ確かに、あそこまで行くと多少強引な喰い止めが必要だろう。現にエカテリス達はその方法を取っている。
「ん? あー、「私」が何か言ってるな。傷を早めに治したいなら今は兎に角リラックスしろとな。外の事はだから気にするな……ってのも無理は無理か。――団長、何かこいつがリラックス出来るようなモン、ないか?」
「グッツで、か……そうだな……ドライブさん、何か好きな物とかあります?」
飴とか軽く口に出来る物もある。勿論ただの間食用ではなく勇者グッツなので特別な効果もある品だ。そう思ってライトは鞄を漁りながらドライブに尋ねてみると、
「好きなもの……俺は……犬が、好きだ」
「成程、犬……え?」
予想外の返事が返って来た。――犬? あの犬? ワンワン?
「落ち着いたら飼ってみたいとずっと思っていた。大きさには拘らない。散歩とかに行ってみたい」
「…………」
いや俺の聞き方も悪かったけど、犬の味がする勇者グッツは無いなあ。というか犬好きなんだ。……古獅子族なのに、とか思うのは失礼なんだろうな。
「勇者君」
「……何?」
「彼……名前、ドライブなのに……好きな物、馬車とか車輪とかじゃないんだね……」
「嫌な予感はしてたけど偏見が酷過ぎる俺の護衛!?」
真顔だから怖い。――ナターシャが、クスリと笑う。
「彼、こういう所があるんです。――でも、少しは落ちつけたかしら」
「……そうだな。少し、焦っていたかもしれない」
「よし、それならそこで安静にしてろ。――団長、レナ、ニロフ、ここを頼む。アタシは姫様達の加勢に行く」
「両方とも多分変なスイッチが入ってるだけだと思う。兎に角落ち着かせることを優先させてくれ。話し合いは終わって無いし終わらせない。もう一度、俺達で間を取り持つんだ」
「任せておけ。喋らなくなるまではやらねえ」
逆に言えばそれ以外は結構な所までやってしまうのだろうか。――ニロフも念の為に行かせようか、と目配せをしようとすると、
「とりあえずのその必要はありませんわよ、ソフィ」
エカテリスが、リバールと一緒に部屋にやって来るのだった。