第百五十七話 演者勇者と筋肉大迷宮(マッスル・ラビリンス)17
鏡に映る自分が醜く見える様になったのは、いつからだろう。
「姉様、とても良く似合ってます。――あらためて、ご結婚おめでとうございます」
「ありがとう、ミルラ。でも……本当に良かったの? 貴女まで一緒に城に入ることはなかったのに」
「いいのです。姉様の為に、お義兄様の為に、この国の為に私も微力ながら尽くすつもりです」
「ありがとう。――貴女の様な妹を持てて、私は幸せよ。自慢の妹」
その言葉に嘘は無かった。姉様の為にこの国の為に。その想いは確かにあった。
でも――邪な気持ちも、あった。
姉様の様に王妃とまではいかなくとも、王、王妃の妹として、貴婦人として、華やかな人生を歩んでいける。――そう思っていた。
でも、現実は違った。公務に追われ、国の為にただ奔走する日々。確かにその想いはあったが、それ「だけ」では、私の邪な気持ちが納得してくれない。
そして、月日だけが流れた。
「ヴァネッサ=ハインハウルスです。初めまして」
「貴女が……あの、天騎士……」
「そして私の妻です。世界一の妻です。妻は世界一強くて美しいです」
「恥ずかしいから止めなさいもう!――ごめんなさい、中身は普通ですから、隔たりなく接してくれると嬉しいです」
ショックだった。何て綺麗な人だろう。これだけ綺麗で、天騎士としての圧倒的実力を持ち、大国ハインハウルスの王妃。――彼女は、全てを手に入れていた。
私は酷く惨めになった。私は何をしているんだろう。別に美人でもない、実力もない、未だ独身。
「……老けてきた、かしら」
鏡に映る自分が、自分ではない様な気がした。――これが自分だと、認めたくなかった。
美しさが欲しい。
強さが欲しい。
若さと共に、盛大なる人生を歩んでみたい。今の人生など、捨ててしまいたい。
そう思った時、私の邪な気持ちがいつしか、大きな力となって――
「…………」
勇者グッツで作成したバリアが破壊されてどれだけ経過しただろうか。ライトはエカテリスを抱き締めたまま離していない。長いようで短い時間。実際はほんの数秒なのだが、やけに長く感じた。
気付けば、ライトとエカテリスの周囲を一定量の穏やかな風が包み込んでいた。――風?
「エカテリス……?」
ハッとして見れば、抱き締められながらもエカテリスが弱々しく、それでも右手をかざしていた。――ってまさか、これはエカテリスの魔法……!?
「エカテリス!? 大丈夫なのか!? 無理するな!」
エカテリスは少ない余力で、風魔法で防壁を作り、ライトを守ろうとしていたのだ。
「貴方を……傷付けさせるわけには……いきませんもの」
「俺は大丈夫だ、皆もいる! これ以上魔法を使ったら――」
本当にほとんど余力がないのか、その防壁魔法は脆く、呆気なく崩れ落ちていく。再びライトが覚悟を決めた、次の瞬間。――ボオォォォォ!
「!……これって」
残りの影触手が一気に燃え上がり、塵となって消えた。大分その前に仲間達によって削られていたのもあり、ついに全ての影触手が消滅する。――燃え上がる。炎。つまり。
「うーわ、本当にギリギリじゃん……こっちの寿命が縮まるよ……」
「レナ……!」
残った最後の一人で未だ再合流していなかったレナだった。
「ごめんね、ピンチにさせちゃって。でも、おかげ様で解決に必要な物、持ってこれたから」
見ればレナは左手に赤い球状の何かを持っていた。
「大丈夫、皆無事だ。それに俺は――守って、貰えたから」
ライトが視線で促す。――促した先を見て、レナが溜め息。
「私の負けだよ。――本当に、全力で守ってるとは」
「ウチは約束は守る女やで」
「いい根性してるよ、まったく。――でもま、ありがと」
直後、レナとフュルネは軽くハイタッチ。表情は穏やかだった。
「レナ様、それで解決の糸口というのは、左手に持っていらっしゃる」
「ああうん。多分このダンジョンと影触手を繋げるコアだと思う。これ壊せば脱出は簡単になるし、もう触手は出て来なくなるしで事件は解決だと思う。実際直ぐ壊すとどうなるかわからなかったから一応当事者見つけてからと思ってたんだけど、まあギリギリ間に合った感じかな」
そう言うとレナはフッとボールの様にそのコアを空中に投げると、右手に持っていた愛剣を振り抜く。パリン、という音と共にコアが粉々に砕け散った。
「がほっ! ごほっ、ごほっ!」
と同時に、ミルラが咳き込む。――弱まっていたエカテリスとのコネクトが完全に消え、意識が元に戻ったか。
「ふーん、元凶あれ? 苦労させてくれたじゃん」
レナはそれを見て、いつもの口調で――裏腹に冷たく厳しい表情で、剣を握り直し、ミルラに近付く。
「待ってくれないか」
その意図にいち早く気付いたのは、ポートランス国王・ストムと妻アクラ。――勿論、ミルラにとっての義兄と姉である。
「ミルラの罪状に関しては、こちらで決めさせて欲しい。この通りだ」
そして膝をついて、レナにそう懇願。――国の王が同盟国とはいえ他国の一騎士に膝をつく。それがどれ程の意味合いか。
「身内だから内密にとか甘めにとかそんな感じですか?――ふざけないで貰えますか」
レナとてそれがわからないわけではない。寧ろそれがわかるレナだからこそ――その怒りが、増した。部屋中にレナの気迫が走る。
「その人は、そいつは、私達を、私達の国王を、姫を、私が守る勇者様を追い込んだ。いかなる理由があろうとも、何も無かった事に出来るわけがない」
「わかっている。咎めを無しにするつもりはない。ただ一度、しっかりと前向きに話をしておきたいのだ」
「判断が遅すぎる。この事件が起きる前にそうしておけば、こんな事も起きなかった。――ストム国王、ならば貴方は代わりに命を懸ける覚悟がありますか? 私はもし、私が見逃したせいで勇者様が大きな失態を犯したらこの命を投げなければいけない。その覚悟があります」
スッ、とそのまま愛剣を自らの首にレナは当てる。そのままレナとストムの視線が厳しくぶつかり合う。周囲も口を挟めない。空気が、留まる事を知らぬかの様に重くなっていく。
「レナ君。その位にしてやってくれないか」
その二人の仲裁に入ったのはヨゼルドだった。ストムの横に立ち、レナと向き合う。
「君の怒りを否定するつもりはない。でも、ストムもストムなりの立場があるのだ。私に免じて、私の友を許してやって欲しい」
ぶつかり合っていた視線が動き、レナの目がヨゼルドを見る。直後、天井を仰ぎ大きく息を吐くと剣を納める。
「――感情に任せて無礼を働きました」
そして一言謝罪をすると二人から離れ、ライト達の所へ。――そのままゆっくりと、ライトを抱き締めた。
「レナ……?」
「ごめん」
どうして謝るのかはライトにはわからなかった。ストムに対しての無礼が理由ではない気がしたからだ。根拠はなかったが、レナなりの何かがある、そんな気がした。
「レナが謝る必要はないだろ。寧ろ一人で頑張ってくれたじゃないか。ありがとう」
「うん」
だからこそライトは宥めの言葉を伝えるとそのまま黙って数秒、レナを抱き締め続けた。――少しでも、落ち着いてくれるなら。
(何よ……あんな表情で抱き着いてたら、引きはがすにも引きはがせないじゃないの……)
ネレイザはその様子を見て悶々とするばかり。――ああもう、今だけ、今だけよ見逃すの!
「おうおう、一肌恋しいならウチが抱き締めてあげるか? 事務官魔法使いの美少女、大歓迎やでー」
「余計なお世話」
「ネレイザちゃん、あれなら私が筋肉三兄弟に頼んでお姫様抱っこして貰えるようにして」
「余計なお世話ぁぁ! というか数秒前までのアンタ何処行ったの!?」
いつの間にかライトとの抱擁を終えたレナは、いつものレナだった。――何なのよもう!
「皆……私が、不甲斐なかった……ばかりに……」
「エカテリス、大丈夫だ、エカテリスのせいじゃない」
「姫様、今は回復に専念しましょう。――ライト様、勇者グッツお借りしても宜しいですか?」
「うん、お願い」
方やエカテリス。ミルラから完全に自分の体を取り戻したとは言え、消耗は激しかった。ハルがライトから鞄を受け取り、治療、回復に仕えそうな品を用意する。
「エカテリス」
と、やって来たのはヨゼルド。ゆっくりとしゃがみ、エカテリスと視線を合わせる。
「お父様……私……」
「無事で良かった。良く頑張った。自分を責めるな。お前が無事なら、私はそれでいい」
「っ……!」
そのヨゼルドの言葉に、エカテリスの瞳から涙が零れ堕ちる。――ああ、本当に敢えて比べたら一番エカテリスを心配していたのはヨゼルドで、エカテリスが一番心配をかけたくなかったのがヨゼルドで。
ヨゼルドはゆっくりとそのままエカテリスを抱き寄せる。エカテリスはそのままヨゼルドの腕の中で静かに涙を流し続けた。
「なんや、結局普通に抱き合える親子やないか。びっくりするわ」
少し離れた所でそれを見ていたフュルネがそう呟く。――ええ親子やんけ。
「羨ましい?」
「おう、目ざといなぁ。何でしっかり拾うねん」
レナだった。気付けばフュルネの隣にいた。――「羨ましい」。その質問は、フュルネの事情を知っているレナだからこその質問であった。
「私は――少し、羨ましいかな」
フュルネの回答を待たず、レナはそう零す。
「レナはウチと同じで絶縁したタイプ? それとも――」
もう、両親はおらんの?――そう訊こうとして、途中で止めた。ヨゼルドとエカテリスを見るレナの笑顔が、優しく、そして同じ位に儚かったから、訊けなくなった。
「――無い物ねだりしてもしゃーないわな。代わりにもっともっと大切な物、作ればええだけの話やし」
「そう……かも、ね」
だからせめてもの代わりにそう告げた。――大丈夫やで。あんたには、絶対大切に想ってくれる人、おるから。
「さあ、いつまでもここに居るわけにはいくまい。脱出しよう。――マッチ、ボディビを頼む」
「ああ」
ストムの号令。負傷したボディビにマッチは肩を貸す。
「それから――ミルラは、俺が背負おう。ムキム、手伝ってくれ」
「うん」
そして、未だ意識が朦朧としたままのミルラを、ストムが背負う。
「お義兄……様……姉……様……私は……私を……」
「その先の言葉は言わせんぞ。――お前には、生きて罪を償って貰う。俺達の国の想いをもう一度認識させた上で、しっかりと罪を償って貰うからな」
「ミルラ、私達がいるわ。貴女の罪は重い、一生かけて償う物。でも、私達は貴女を見捨てたりしないわ」
「ヨゼルド様、姫様は」
「私が背負おう。大丈夫だハル君、私にだってその位の体力はあるさ」
こうして、それぞれの想いを交差させ、ライト達は真の筋肉大迷宮を脱出するのであった。
コンコン。
「開いていますわ、どうぞ」
「し、失礼します!」
ガチャッ。――緊張の面持ちで入ってくるのは、筋肉三兄弟長男・マッチ。
「姫、その、お加減はいかがですか」
「お気遣いありがとうございます。お陰様ですっかり良くなりましたわ」
ここはポートランス城内、エカテリスに割り当てられた客室。
「そ、それは何よりです! 安心しました!」
マッチは安堵の表情を見せる。――その分かり易い表情に、エカテリスもつい笑ってしまう。
真の筋肉迷宮騒動から二日が経過していた。ライト一行はそのままエカテリスの静養の為にポートランスに滞在。そして今こうして、言葉通りの復活をエカテリスは遂げていた。
「あの……姫。話があるのですが、俺に時間を貰えますか」
「ええ、全然構いませんわ。何の話かしら?」
「その……ここではちょっと。……付いて来て、貰えますか」