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ほんの少しの運


 スラっと伸びた均整のとれた体躯に、洗練された打席内での所作。

 例え制服姿であっても、瑞樹が放つ打者としての威圧感が消えることはない。


「あああぁ……なんでさっきあんなこと言っちゃったんだろぉ……」


 マウンド上で才子が頭を抱える。

 思い返しているのは、当然、瑞樹に対しての宣戦布告ともとれる発言だった。


「才子ちゃん、カッコよかったよ! このこの~!」


 才子をおちょくるように、肘で小突く由香。

 二人は、瑞樹との最終決戦を迎える前に、一度マウンド上に集まっていた。


「からかわないでよ! ていうか、由香こそ大丈夫なの? もしこれで打たれたら野球部の復活もパーになるし、一生奴隷みたいにこき使われちゃうんだよ!?」


「大丈夫大丈夫! 猪鹿蝶トリオが本気を出さなかったおかげで、秘策も温存できたし」


「猪鹿蝶トリオって?」


「真紀先輩たち3人の愛称だよ。今考えたの! ほら、猪爪とか鹿目とか、苗字に共通点があったから、ついノリで」


「え、でも、蓮先輩の苗字って確か兎丸だよね? それだと猪鹿蝶トリオにはならないんじゃ……」


 猪爪真紀の“猪”、鹿目恵美の“鹿”まではわかるが、兎丸蓮の“兎”の要素がゼロだ。


「蓮先輩には語呂合わせのために生贄になってもらったのだよ」


「なんて理不尽な……」


 バックネット裏ですすり泣いている蓮を見て、才子はなおさら不憫な思いになる。


「冗談はさておき……」


「本当にさておきだよ」


 マイペースに話題を変える由香に、才子は呆れ顔で返す。


「瑞樹先輩を打ち取るためには、才子ちゃんの超能力が必要不可欠だけど、プラスでほんのちょっとだけ運が必要なの」


「運……?」


「そう、運。多分だけど、瑞樹先輩には才子ちゃんの超能力ボールは通用しないと思うから」


 しれっとにこやかな笑顔で語る由香。


「はぁ!? そ、それじゃ、打たれちゃうってこと……?」


「当然でしょ。相手は元4番で、関東選抜だよ? いくら才子ちゃんのボールが摩訶不思議な変化をするからって、素人の球で簡単に打ち取れるわけないじゃん」


「そ、それは……。別に簡単だとは思ってなかったけどさぁ……」


 それにしたってもう少し言い方ってものがあると思う。

 才子は頬を膨らます。


「でも、秘策を使えば簡単に打ち取れる」


「なっ、なら最初からその秘策ってやつを使えば……!」


「それはダメ」


「どうして!?」


 才子の問いに、由香が静かに人差し指を立てる。


「その秘策が通用するのは、1回だけだから」


「1回だけ……」


「そう。だから、その秘策は瑞樹先輩を2ストライクに追い込んだ時に解禁する」


 才子が納得したような表情を見せる。


「そっか……。瑞樹先輩をその秘策無しで追い込まなくちゃいけない……それが、運ってことだね」


「そういうこと」


「……」


「でも、奇跡は必ず起きるって私も信じてるから」


 言ってからすぐに、由香は首を振って訂正した。


「いや、才子ちゃんの言葉を借りるなら、『私たちで奇跡を起こしてみせる』かな」


「由香……」


 奇跡が起きるのと起こすのとでは、天と地ほどの差がある。

 しかし、今の二人にとっては、大して違いは無いように思えた。


「うん! やろう! 私たちで奇跡を起こそう!」


 由香は強く頷くと、すぐに真面目な顔に戻った。

 これから語る作戦は、奇跡が起きたあとのこと。

 もしかしたら、徒労に終わるかもしれない。

 

 でも、私は信じている。


 由香は相手に見えないよう口元をミットで隠し、才子の顔を引き寄せた。


「それじゃ、今から秘策の説明をするよ」



◆◆◆



「奇跡を起こすための作戦会議は終わったか?」


 マウンドから帰ってくる由香に、瑞樹が嘲笑気味に話しかける。


「ええ。それはもうバッチリと」


 由香は淡々と言葉を返し、キャッチャーマスクを被った。


「へえ、そうかい」


 由香が臨戦態勢に入ったのを見て、瑞樹も唇を結んでバットを構えた。


(やっぱり、打席に立つと違うなぁ……)


 しゃがみ込んだキャッチャーの定位置から、瑞樹が立つ右打席を覗き込む。

 ゆったりとして余裕のある瑞樹のバッティングフォーム。

 それは、どのコースや変化にも対応できる、隙の無いフォームだった。


(でも怖気づいててもしょうがない! 私は考えずにただミットを構えるだけだ!)


 由香は決心して、キャッチャーミットをマウンド上の才子へと向ける。

 瑞樹に弱点があったところで、そこを正確に突けるほどの技量を才子は持ち合わせていない。

 正面からぶつかりに行くしかないのだ。


 才子が投球動作を開始する。

 その動きに緊張は見られない。ただ一点、由香のミットを見つめている。


 左足を大きく上げ、前に踏み下ろす。

 第1投が投げられた。


(よし、いいコース!)


 才子の投げたボールは、恵美の時と同様、外角のボールゾーンへと逸れていく。

 瑞樹もその球筋を見てボールと判断したのか、軌道を目で追うだけでバットを動かそうとしない。

 由香はそれを見て、心の中で小さくガッツポーズをする。


(これでまずは、1ストライク――)


 ボールゾーンから急激に変化するボール。ホームベースのギリギリをかすめる。

しかし、由香が捕球しようとした次の瞬間。

 目の前まで来ていたはずのボールが、由香の視界から忽然と姿を消した。


(え――?)


 思考が停止する。

 遅れて耳に入ってきたのは、火花が散るほどの凄まじい金属音だった。



ガキィィィーーーン!!!



 しまった、と思ったときにはもう遅かった。

 瑞樹が逆方向に薙ぎ払った打球は、一塁線を沿うようにしてグングン上空へと伸びていく。


「逸れろ! 逸れろ~ッ!」


 由香はマスクを投げ捨て、叫ぶ。

打球が何とかファウルゾーンへ逸れるよう祈りを込めながら、両手で必死に風を送る。

 由香自身、風を操る超能力を持っているわけではないので、その動作に意味はない。

 しかし、おとなしく打球の行方を見守るほどの余裕は無かった。


 尚も伸びる打球は、やがて、ライト側に高々と張られた防球ネットに直撃して、その勢いを止めた。

 ネットを滑り落ちる音ともに、グラウンドに落ちる。


『ふぁ、ファールだ……』


 少女の声が、バックネット裏から聞こえた。

 振り向くと、蓮が金網に顔をこれでもかと押し付けながら、ライト方向を見つめている。

 瑞樹の放った打球は、一塁線の右側――ファールゾーンに転がっていた。


「た、助かったぁ……」


 由香は膝に手をついて安堵する。

 フェアゾーンに入っていたら、確実に長打だった。

 由香は瑞樹を横目で見る。


(流し打ちであの飛距離……。関東選抜の名は伊達じゃないってことか)


 しかし、瑞樹の実力は前々からわかっていたこと。

それよりも由香には、理解できないことがあった。


「『どうして初球から反応できたんだ?』って顔してるな、おかっぱ」


「ッ!?」


 瑞樹に図星をつかれ、由香は動揺を隠せない。

 まさに今、全く同じことを考えていた。


 早乙女瑞樹は、なぜあそこまで完璧に、才子のボールを捉えることができたのか。


 ボールゾーンから急激にストライクゾーンをかすめ取る才子の投球を、普通ならば早々にボールと判断して見逃すはずだ。


「バックネット裏から見ていて薄々気づいていたが、あのちんちくりんのボール――ただの真っすぐじゃないだろ?」


「……」


 由香は何も言わない。いや、言えなかった。

 瑞樹は押し黙る由香をじわじわと追い詰めるように語る。


「ストレートの軌道から不規則な変化をするボール。野球素人にありがちなクセ球ってやつだな」


 瑞樹が発した『クセ球』という言葉に、ピクッと由香の眉が反応する。


「そういう投手の攻略法は簡単だ。手元までボールを引き付けてから打てばいいだけの話だからな」


「ホント、簡単に言いますね……」


 由香は思わず苦笑いする。

 その攻略法を一体どれだけの選手が実行できるというのだろうか。

 それこそ、捕手がボールを見失うくらいのスイングスピードが無ければ、不可能である。


 そして同時に確信した。

早乙女瑞樹を打ち取るには、あの秘策が有効であると。


(そのためには、次の2球目。そこにすべてがかかってる。でも……)


 同じような球を放れば、今度は確実に仕留められる。

 どうすればいい?

 額に汗がにじむ。

 由香の心が折れかけたその時だった。


「由香ッ!!」


 マウンドから自分の名前を呼ぶ声がした。

 由香は我に返ったように顔を上げる。


「才子ちゃん……」


 マウンド上の才子は、あれだけの打球を目にしたのにも関わらず、ケロッとしている。

 そして、何を思ったか才子は、そのまま両腕を大きく振りかぶって投球動作に入った。


「え!? ちょっと待って、才子ちゃ――」


 そう言ったときには既に、才子の手からボールが投じられていた。

 コースはど真ん中。しかも、変化すらしないただの棒球。

 これでは瑞樹に、打ってくれと言っているようなものだ。

 左足を踏み出す瑞樹。



カキィィィン――!!!



 夕暮れ迫るグラウンドに、終わりを告げる甲高い打球音が響いた。


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