記念すべき第1球
久しぶりに日の光を浴びた気がする。
部室棟の一室に監禁された時間はほんの数分だったが、才子にとっては眼前に写る沈みかけの太陽でさえ懐かしく感じた。
暗所からの脱出。
誰もいない旧グラウンドは広々としていたが、決して開放的な気分にはなれなかった。
「勝負方法は私たち4人との1打席勝負。1人でもヒット性の当たりが出ればこちらの勝ち。それでいいな?」
淡々とルールの確認を行うのは、黒髪短髪が刺々しく伸びる不良グループの頭――早乙女瑞樹だ。
彼女から発せられる威圧感が、二人をこのグラウンドに縛りつけて逃がさない。
瑞樹の言葉に由香はコクリと頷く。
キャッチャー防具を装着し終わると、マウンド上の才子の元へ駆け寄った。
カチャカチャと音を立てながら、走り方を忘れたようなぎこちない足取りで辿り着く。
「よ、よっしゃ! ここまでは作戦通りだね、才子ちゃん!」
親指を立てて笑顔を見せようとする由香だが、その顔は見事に引きつっている。
これでは笑っているというより、口角を吊り上げられていると言った方が正しい。
完全にビビっている。
「ねえ、由香」
「ん? な~に……?」
「ホントは怖いんでしょ」
「え、えぇ!? ぜ、全ッ然……? むしろ、パシリするくらい余裕と言うか、ケツバットよりはマシと言うか……」
「もう負けた時のこと考えてんじゃん」
「はぅっ!?」
慌てて口をふさぐが、既に声に出したものを回収することはできない。
才子に虚をつかれた由香は、恥ずかしさのあまり顔を真っ赤に染める。
その様子を見て、こんな顔もするんだ、と才子は内心笑みを浮かべていた。
「どうせなら最後まで信じてよ。私の超能力」
才子は土が盛られたマウンドから、それでも自分より少し高い由香の頭頂をポンとたたく。
その瞬間、強張っていた由香の体が、憑き物でも取り払われたかのように、スッと軽くなる。
「奇跡――起こせるんでしょ?」
才子がそう微笑む頃には、由香の顔はすっかり元の様子に戻っていた。
「う、うん……! わかった! 私――いや、私と才子ちゃんで奇跡を起こそう!」
由香はそう言って、防具を元気に揺らしながらホームへと走り出す。
が、途中まで行ったところで、
「あ、言い忘れてたけど……」
と、何かを思い出したようにくるりと反転した。
「他の先輩はともかく、瑞樹先輩は1年から関東選抜に選ばれるくらいの実力だから、頑張ろうねっ――って、どうしたの才子ちゃん!?」
才子は“関東選抜”の単語が耳に入ったあたりから、由香の懐に突進する勢いでダッシュしていた。
「ふーざーけーるー……なッ!」
「ゴフッ!?」
防具の上から右ストレートをかます。
ボスンッというクッションの鈍い音を立てて、由香はふらふらっと仰け反った。
「ゲホッ、ゲホッ!? きゅ、急になにするの才子ちゃんっ!?」
「1年生で関東選抜って!? 勝てるわけないじゃん!? 私、今日初めてピッチャーやるんだよ!?」
才子は持っていたボールを由香の頬に押し付けて抗議するが、由香は平然としたままだ。
「だいじょーぶ、だいじょーぶ! 私が昼休みに教えたとおりに投げれば、きっと抑えられるって」
「で、でも……」
「私は才子ちゃんの超能力を信じてるから!」
由香は強引に才子を押し切ると、そのまま走って行ってしまった。
残された才子は、重い足取りでマウンドへ戻るのだった。
◆◆◆
風が吹くグラウンド。
砂埃が舞う中、少しだけ盛り上がった砂の山に1人立つ。
「よし……」
才子は白板に右足を乗せ、投球練習を開始する。
マウンドの傾斜によろめきながら、由香が構えるミット目がけてボールを放る。
才子の投げたボールは緩い弧を描いて、ストライクゾーンの真ん中に収まった。
その投球をバックネット裏から見ていた小麦肌の少女――蓮がケラケラと笑い始めた。
「おいおい、なんだよあの山なりのボール!? 素人とは聞いてたけど、まさかここまでド素人だとは思わなかったぞ、ククッ!」
「あれならケツバット勝負の方がまだ良かったかもなー」
真紀もあくびをしながら呑気にそう呟く。
瑞樹は何も言わずにただじっと才子の投球を見つめている。
才子が取り巻きに野次られながらもなんとか投球練習を終えると、由香がマスクを取ってマウンドまで駆け寄ってきた。
「ナイスボールだよ。才子ちゃん!」
「で、でも……」
「心配しないで。先輩たちは才子ちゃんのことを“ただの素人ピッチャー”だと思って油断してる。才子ちゃんは気にせず、超能力を使ってストライクゾーンに入るように投げるだけでいいから!」
そう言って、才子の胸をポンとミットで叩く。
「まあでも一応、対戦相手がどんな特徴か確認しておこっか。まず1人目は……」
バッターボックスの方を向く由香に、才子も続く。
やはりリーダーは最後に登場するようで、バッターボックスには取り巻きの1人が立っていた。
ワンサイズ大きめの制服を着崩した、いかにも気だるそうな印象を与える女子。しかし、遠目からでもわかる色素の薄いきめ細やかなロングヘアーからは、そのだらしなく呆けた顔を除いたとしても、とても不良グループに属しているとは思えないほどの美人で――ってあれ?
「……」
才子は、彼女の顔を見たっきり閉口したままの由香の顔色をうかがう。
「由香? どうしたの?」
「あんな人、いたっけ……?」
「いたでしょっ!? ……た、たぶん」
由香のとんちんかんな問いに、才子も思わずツッコミをいれるが、途端に自信が失われていく。
瑞樹の取り巻きは3人。数は合っているはずだ。なのに、彼女の存在自体に今の今まで気づかなかった。
思えば、ずっと一緒に居たはずなのに、彼女だけ一言も言葉を発していないような……。
部室棟にいた時もドアの前で静かに立っていただけだったのを、才子は薄っすらとした記憶から掘り返す。
「頑張れ、エミー! あんなヘボ球、かっ飛ばしちまえー!」
バットを重たそうに担ぐ少女に、連がエールを送る。
しかし、当の本人は声援にも無反応だ。
「なんか変な人だけど……何考えてるかわからないってことは、対策を練らなくていいってことだから! ラッキーだったね!」
「ポジティブ過ぎる!?」
「得体の知れない相手には、悩まずストライクを取って攻める! 才子ちゃんは私のミットをよく見て思いっきり投げ込んで!」
「わ、わかった!」
自分にできることは、思いっきり投げることだけだ。
才子はそう自分に言い聞かせた。
由香がミットを構えたのを確認して、ゆっくりと振りかぶる。
手に持ったボールに意識を集中させ、才子は第1投を――投じた。